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(書評)桜井淳(著)「新幹線『安全神話』が壊れる日」(講談社・1993年) 西岡昌紀
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/516.html
投稿者 西岡昌紀 日時 2014 年 10 月 01 日 19:05:12: of0poCGGoydL.
 

(書評)桜井淳(著)「新幹線『安全神話』が壊れる日」(講談社・1993年)
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A%E3%80%8C%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%80%8D%E3%81%8C%E5%A3%8A%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%97%A5-%E6%A1%9C%E4%BA%95-%E6%B7%B3/dp/4062063131/ref=cm_cr-mr-title

5つ星のうち 5.0


JR各社は新幹線について情報公開を推進するべきである。, 2014/9/21


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 筆者の専門はシステム安全論である。最近では、とくに原発の安全問題を中心に研究活動を行なっている。しかしながら現代技術を詳細に検討してみると、各々の分野の技術には、共通の問題点が潜んでいることに気がついた。
 それらは、(1)安全基準があいまいなこと、(2)未成熟なまま商業運転を行なっていること、(3)商業運転しながら問題点の摘出をはかっていること、(4)検査体制がきわめてあまいこと、(5)老朽化対策が不充分なこと、(6)深刻な人為ミスを防ぐ事ができないこと、(7)考えられる最大規模の事故を起こしていること、(8)組織において事故隠しが日常化していること、(9)事故調査の方法と結論に疑問が残ること、などである。
 筆者は、数年前まで、新幹線はほぼパーフェクトな技術だと思っていた。そのため深刻な問題点を摘出することは、不可能だと考えていた。しかしながら現代技術に共通の問題点に着目し、意識的にシステムの安全問題を検討してみると、新幹線は、原発や大型航空機並みの深刻な問題を多く抱えていることがわかった。

(本書「まえがき」より(本書9〜10ページ))
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A%E3%80%8C%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%80%8D%E3%81%8C%E5%A3%8A%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%97%A5-%E6%A1%9C%E4%BA%95-%E6%B7%B3/dp/4062063131/ref=cm_cr-mr-title

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 めまいを覚える様な本であった。この本が出版されたのは、1993年(平成5年)であるから、この本が出版されてから、もう21年が経って居る。私が、今、この書評を書いて居る2014年9月現在、幸いにして、著者がこの本の中で懸念して居る様な新幹線の大事故は起きて居ない。だが、それは、幸運に過ぎない。その幸運は、これからも続くだろうか?
 私がそう懸念する理由は、例えば、著者が指摘する次の様なJR各社の体質である。

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 JR各社は、商業用高速運転を開始する前に運輸大臣宛に実験データを含む技術資料を提出し安全審査を申請するが、この技術資料は非公開であり、審査機構や審査委員の氏名も一般には明確にされていない。JR各社の出費で成り立っている鉄道総合技術研究所の専門家とJR各社の技術陣が審査するようないまの審査方式(実際には運輸省の担当者と申請側のエンジニアのみ)は、警官と泥棒が共同で防犯対策を立てるに等しく、客観性のある安全審査はまったく望めない。 
 多くの国民に関係する技術の安全審査に対しては、原発の審査と同様、審査機構を明確にし、技術資料の公開化や公開討論などを取り入れていくべきではないか。筆者は資料の公開を求めたが拒否されてしまった。JR各社は、閉鎖的な体質をもっと改める必要があるのではないだろうか

(東京新聞・1991年1月29日付夕刊に桜井氏が寄稿した論考の一部(本書12〜13ページより引用)

(本書・9〜10ページ)
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A%E3%80%8C%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%80%8D%E3%81%8C%E5%A3%8A%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%97%A5-%E6%A1%9C%E4%BA%95-%E6%B7%B3/dp/4062063131/ref=cm_cr-mr-title

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 何と、原発と共通する問題を、新幹線は抱えて居る事だろうか。本書における桜井氏の分析、指摘は、極めて具体的であり、説得力の有る物である。桜井氏は、新幹線の、とくに「のぞみ」が持つ技術的問題点を、JR内部の人々から提供された内部資料に基づいて、詳細に論じて居る。例えば、1991年9月30日に、東京−新横浜間で、「ひかり291(A)号」に起きた車輪事故を、桜井氏は、JR内部の職員から提供された生にデータと証言を元に詳細に解析し、この事故が、実は、発表されて居るよりも遥かに深刻な事故であった事を説得力をもって指摘して居る。そして、この事故に関して、JR側が桜井氏に対して行なった「反論」が、全くもって、科学的根拠を欠いて居る事を小気味良いまでに論理的に指摘して居る。
 そして、JR内部から提供された内部資料を元に、本書が出版された当時、「のぞみ」の運転開始が、十分な実験も為されないまま強行されて行った状況に在った事を告発して居る。

 技術的・工学的問題もさることながら、私が、読みながら怒りを覚えたのは、桜井氏の次の様な暴露である。

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 JR東海内部には鉄道関係のニュースをプレス発表する「ときわクラブ」がある。そこには多くの新聞記者が駐在しているが、JR東海(代表機関。新幹線はJR東海、JR東日本、JR西日本が運転士しているが、そのまとめ役を代表機関という)のコントロールが強いため、常に当局発表の記事しか書けないようになっている。新聞記事と筆者の論文内容を比較すれば、新聞記事の方が重大な事実関係を書き落としていることに気づくであろう。新聞記者は事故隠しに明らかに加担している。
 駐在する新聞記者とディスカッションを重ねたとき、「確実に脱線することが証明されなけらば記事にできない」と、その精神状態を疑いたくなるような主張をしていた。そのような立場は当局の立場であり、国民の安全を守る立場からは、安全性の維持に疑問が残る部分についてはっきりと問題提起してもかまわないのである。
 JR東海(代表機関)は、電通などの広告会社を利用して事前に週刊誌・月刊誌の内容や広告表現を調査し、意に沿わぬ内容があれば修正を求めたり、掲載中止の圧力を加えている。出版社の広告部門に投げかける殺し文句は、「そういうことであれば、今後、そちらに広告の仕事を回しませんよ!」である。掲載されたものは電車の中の中吊り広告を拒否したり、そのような週刊誌。月刊誌をキオスクに置かないように徹底している。取材拒否(『AERA』1992年6月23日号)は日常的になっている。
 週刊誌・月刊誌は広告料でなんとか成り立っているのであり、その広告料がなくなれば赤字経営に陥ってしまうことになる。筆者の論文を掲載した週刊誌・月刊誌の編集部にもそのような強迫が数多くあった。筆者の耳には一部始終入っている。JR東海のしていることはカネを武器にしたマスコミ情報操作である。都合の悪い真実は闇に葬り、安全宣伝のみ世の中に出るように意図している。
 JR東海をはじめ電力会社などが週刊誌・月刊誌に広告掲載を依頼する目的は、少なくとも広告主に都合の悪い事実関係の握り潰しや事故隠しを期待しているからであるといっても過言ではない。筆者の論文のゲラや著書のゲラの一部が、事前にJR東海や東京電力総務課などに渡っているなど不可解な事件が多発しているが、ゲラを入手した後、その内容をネタに広告主の立場から横暴な圧力をかけてくるのが常である。これは悪質な世論操作であり、犯罪である。
 すべての事故をありのままに分析してプレス発表しない限り、やがて新幹線技術はきわめて危険な方向に向かうことになる。続発した「のぞみ」の事故・故障はそのほんの序曲に過ぎない。JR東海をはじめ新幹線を運転している各社がいまのような安全管理をつづけていたならば、かならず大事故に陥ることになる。

(本書・157〜160ページより)
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A%E3%80%8C%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%80%8D%E3%81%8C%E5%A3%8A%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%97%A5-%E6%A1%9C%E4%BA%95-%E6%B7%B3/dp/4062063131/ref=cm_cr-mr-title

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 『星の王子さま』の作者であるサン=テグジュペリ(Saint=Exupery:1900−1944)は、飛行士として自身の体験を投影させた小説『夜間飛行』の中で、20世紀前半、郵便輸送用の小型飛行機に従事する人々を描いて居る。そして、その中で、当時の郵便輸送用小型機に課せられた危険な夜間飛行を地上で監督する登場人物リヴィエールにこんな言葉をつぶやかせて居る。−−「・・・出来事というものは、人間が命令するものなのだ。出来事は命令に従うものであり、また人がつくるものなのだ。人間というものもただの物品でしかなく、これまた人がつくるものなのだ。だから故障が彼らを通じて現われるときは、その人間をだんぜん引っ込めてしまうべきだ」(サン=テグジュペリ著・堀口大學訳『夜間飛行』(新潮文庫)67ページ)

 この言葉をJR関係者は肝に銘じるべきである。サン=テグジュペリが、書いた様に、出来事というものは、人間が命令する物なのである。出来事は命令に従ふ物であり、また人が作る物である。本書の中で報告された新幹線の事故もそうである。そして、起きてはならない事だが、もし、将来、この本の中で桜井氏が懸念を述べた様な大事故が起きたとしたら、それも「想定外」の「事象」ではなく、人間が命令した物なのである。

 『夜間飛行』のこの言葉には、航空機の技術がまだ幼稚で未熟だった20世紀前半、サンーテグジュペリが、自ら、死を意識しながら飛行した際の事故への恐怖が投影されて居る。21世紀が来て、航空機技術は、飛躍的に進歩して居る。そして、航空機のみならず、鉄道技術も格段の飛躍的進歩を遂げた。だが、その進歩の陰で、航空機や鉄道、それに原発といった巨大技術は、サン=テグジュペリの時代以上に、現場を無視した管理と秘密主義が支配する技術と化し、それを運営する人々が、サン=テグジュペリがリヴィエールに言はせた様な意識を封殺する傾向を強めて居るのではないだろうか?

(西岡昌紀・内科医)

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