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株式日記と経済展望
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大学を職業学校にするくらいなら、とっとと"名"の部分も取っ払って働きに出た
ほうがまだマシです。ずっと実用的なことが、それこそ実地で学べるわけだから。
2014年5月18日 日曜日
◆Fラン大学を肯定できる社会 5月15日 煎茶
http://blogos.com/article/86528/
いつもの思考実験です。
言うまでもなく、人間は賢くなるべきです。
個々人はともかくとして、種全体としての人類は賢くなることが目的と言ってもいい。
だから大学進学率は本来であれば、高いに越したことはないです。
もちろん、その教育内容、教育方法は適宜見なおす必要はあるにせよ。
大学不要論が叫ばれる昨今ですが、それでも先進国の大学進学率はどこも低下傾向にはありません。
かつて大学進学というのは立身出世のためには必要不可欠なものだったけれども、今日では大学に進学したからといって、必ずしもいい会社に入れるわけではないし、いい会社に入ったからといってゆとりのある生活が保障されているわけでもない。もちろん、偏差値の高い大学であるほど、そうした生活を選択できる可能性は広がりますが、それでも確たるものとは言えない状況です。
奨学金で大学に通ったものの、返済することもままならないほどの低賃金に甘んじている人の話もよく聞きますね。
特にFランク大学に進学することにどんなメリットがあるのか、という議論はよく起こります。
ただ、これは現在の社会構造の元で生きていくには、という話でしかないように思うのです。
現状では、大学の存在価値って事実上、「大卒」という経歴を付与するだけの存在になってしまっているんですよね。
まだ大卒信仰は生きていて、学歴を基準にした評価、偏見も有効に機能していますが、それでも大卒の価値がどんどん下落している状況であることには変わらない。
先般、安部首相はOECD閣僚理事会において、大学を学術研究の場から職業教育の場にする、という内容の演説を行いました。
日本の大学では学術研究でなく職業教育を行う CHANGE YOUR DREAM!
…これで実用的な職業能力を早期に獲得し、即戦力となる若者が増えるだろう、という思惑なのだと思います。
ですが、それで企業にとって使いやすい、優秀な人達が仕事をしたとしても、彼らが生み出したものを必要とする人がいなければお金になりません。
日本という市場が瀕死の状況にあって、教育内容変えたってそれで景気がよくなる、ということはありえないです。
国際競争力をどんなに高めたところで、日本程の人口を抱える国が外需だけで成り立つわけがありません。
供給能力だけをどんなに高めたところで、需要とそれを支える購買力がなければ社会は回らない。
人手不足になれば、極端に優秀な人材でなくても雇用を得ることはできるし、逆に人あまりの状況であれば、ある程度日本人全体の職務能力を底上げしたところで、賃金アップにはならない。
そもそも大学で職業訓練する意味は無いです。高度な技能が求められるような職業の需要が大学教育を受ける人間全員分に存在するはずがない。
専門学校が別にあるのだからそちらにいけばいい。
そういう意味で、安部首相の演説というのは大学不要論を"名実"の"実"の部分から推し進める政策です。
大学というのは学問を学ぶ場であり、学問研究をする場です。
一見、実用的でないそういう学問の蓄積から生まれるものも社会の持続性の維持、発展に一定の役割を果たすことができたし、学識豊かな人が尊敬の対象たり得ていたから、かつてはその存在に信頼が寄せられていた。
ということは、社会から余裕が失われてしまえば一部のエリートをのぞいて、大学教育など必要なくなる、というわけです。
"実"の部分で職業学校にするくらいなら、とっとと"名"の部分も取っ払って働きに出たほうがまだマシです。
大学教育の4年間で学ぶよりもずっと実用的なことが、それこそ実地で学べるわけだから。
ただ、現時点においてもマクロな視点で見れば、上述したように人あまりの状況はずっと続いているので、労働価値の低下を防ぐ、という意味合いでは社会に出るのは遅いほうがいいです。
もちろん、個々人の人生においては必ずしもそうではないけど、社会全体として見た場合、ということです。
大学進学率が高まると、3K職場に人が集まらなくなる可能性が出てくる。だからFランク大学は潰してしまえ、という議論もあります。
実際問題としてはそこら辺の課題は移民で乗り切ろうとしているわけですが、これもまたちょっと違うような気がします。
これから社会はどんどん機械化が進行していって、それまである程度のスキルの持ち主でしかできなかった仕事もどんどんコンピュータが簡単に済ませてしまうようになる一方で、肉体労働はそれでも需要減にならないとも言われています。
テクノロジーは「中程度のスキルを持つ人」の雇用を奪う。「マックジョブ」と「高スキルの仕事」は生き残る イケハヤ書店
技術革新の進捗状況というのは正確に把握することは難しいのでなんとも言えませんが、今の状況でも大卒者全員分にふさわしい仕事が社会に存在するかというとかなり疑問です。
自己投資という意味では中ランク以下の大学への進学というのはかなりリスクが高い。
ただ、それでも大学を本来の理念の元に運営することができるのであれば、それは人生を豊かにする上で有望なツールとなりえます。
大学は別に若者だけでなく、社会人になったあとからでも入学する人はいくらでもいますからね。
いずれ、ごく一部を除くホワイトカラーとブルーカラーの賃金格差はどんどん縮まっていくか、逆にブルーカラーが優位になる可能性もある。ブルーカラーの需要が低くならない以上、賃金を上げていく他なくなるし、ホワイトカラーの仕事が供給過剰であれば、賃金は抑えられるわけだから。
そういう社会になりつつある以上、大学の存在価値を担保するには、大学をキャリア形成の場として位置づけるのではなく、教養を深め、人生を豊かなものとする場ととらえる必要性がより高まってきます。
と同時に、大学出たのになんでこんな仕事を…という自尊心の低下を抑制しなければならない。(後略)
(私のコメント)
少子化の時代にもかかわらず大学の数が増え続けて、進学希望者は大学さえ選ばなければ全員が進学できる状況になっています。有名大学でもAO入試の枠が拡げられて受験勉強の試練を経験しないでも有名大学に進学できるようになりました。大学受験のための入試勉強をしなければ一体いつ勉強をするのでしょうか?
最近の高校は、宿題も出さなくなったところが多いらしく、家に帰っても家庭学習の時間がゼロと言う高校生も増えました。そのような高校生に進学先としてFランクの大学があるようです。親としては子供にが大学ぐらい出してあげたいという気持ちは分かりますが、18歳から22歳と言う非常に貴重な時間を大学と言うレジャーランドで時間を潰すのはもったいないような気がします。
現在では文科系の大学でも、卒業までにかかる費用は356万円かかるという事ですが、親の負担は大変だろう。だから大学生になってもアルバイトで学費を稼いで、大学に行く時はテストの時だけと言った大学生もたくさんいました。私自身も大学に行きましたが、まさに大学は学問の墓場であり、大学教授の教育意欲も低く高い授業料が無駄に思えた。
このように遊んで暮らした4年間が終わると社会に出て就職して働くわけですが、大学時代と実社会の厳しさの落差にショックを受けます。就職すれば毎日朝早く起きて8時45分までに会社につかなければなりませんが、大学時代のように遅刻やずる休みはできません。会社に入れば覚えなければならない事は山のようにあり、覚えられなければ上司の叱責が待っています。
大学生までは学業成績も優秀だったのに、会社に就職した途端に役立たずになり退職する大卒者が後を絶たないようです。実社会は真剣勝負の世界であり、それこそ毎日へとへとになるまで働かされて、意地悪な同僚や上司の足の引っ張り合いもすごい。それでも20代の頃は若くて体力もあり適応力もありますが、女性の場合、22歳は高卒の女子社員に比べると体力的に厳しいように見えた。
特に最近ではコンピューター化が進んで事務職員が少なくても済むようになり、求められているのは営業職などの現場職員だ。営業職の職員はいわば消耗品であり、頭よりも体力や根性がものを言う職業であり、ノルマは達成できなければどうしても残業が恒常的になり、私なども身体を壊して退職した。
会社が今求めているのは、即戦力であり昔のように再教育している余裕はなく、営業職では特別な能力が身につくわけではなく、中年になって体力がついてい行かなくなれば使い物にならないスクラップ社員になって行く。理工系ならコンピューターソフト開発などに大量のエンジニアが必要になりますが、今の大学はウィンドウズやアンドロイドなどの実践的なプログラムを教えているのだろうか?
このようなIT技術は、文科系の学部を出た新入職員にプログラミング技術を教えてプログラマーに育てていますが無理がある。理系の大学を出てコンピューターの基礎から学んでいれば、新しい技術にも適応できて行くのでしょうが、ほとんどIT技術者も使い捨てのような形で使われている。
私のビルのテナントにもゲームソフト会社が入っていたことがありましたが、社長も社員も20代で経歴から見ても大学でコンピュータソフトを学んだ人と言うよりもゲーム好きが社員になったようなものだった。 私も大学の電気工学科を出ましたが、習ったのはリレー制御だけでコンピューターソフトはベーシックを少しかじった程度だった。しかし今はビルのほとんどがコンピューター制御だから、コンピューターが分からないとトラブルにも対応が出来ない。
Fランクの大学には、いわゆるカタカナ学科が多いようですが、例えば、
1現代ライフ学部【帝京平成大学】
2事業構想学部【宮城大学】
3不動産学部【明海大学】
4サービス創造学部【千葉商科大学】
5ホスピタリティ・ツーリズム学部【明海大学】
6シティライフ学部【宇都宮共和大学】
7キャリアデザイン学部【法政大学】
8未来デザイン学部【園田学園女子大学】
921世紀アジア学部【国士舘大学】
と言った学部は何を教えているのだろうか? むしろ大学はアカデミックに哲学や古典や歴史を教えるべきだと考えますが、現代の大学はエリート大学でも歴史や古典を教えないし、地政学や国家戦略などを教えている大学も無い。即戦力となるような事も教えていなければ古典や哲学や歴史なども教えておらず、キラキラネームのキャリアデザイン学部なんて何を教えているのだろうか?
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