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1963(昭和38)年11月9日、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で、戦後最大の炭鉱事故が起きた。死者458人、CO(一酸化炭素)中毒患者839人を出す、炭じん爆発事故であった。
今年、その日から50年目を迎えた。だがCO中毒の後遺症に苦しむ夫を抱えた妻たちにとっては、何も終わっていない。事故当初、CO中毒の予後は良好で大部分には後遺症は残らないとの説が主流で、3年で労災補償は打ち切られることとなった。だが生き残った夫たちは、人格が変わって暴力をふるうようになったり、記憶を失いもの忘れがひどくなったり、子ども同然になったりした。
この半世紀、妻たちは、夫を抱きしめ、子どもを抱きしめ、事故を抱きしめ、そして日本最大の炭鉱であった「三池」を抱きしめて生きてきた。
首藤心子(73)さんは、事故当時新婚1年目で、お腹には子どもがいた。夫の宏也(75)さんは、あれから入院したままだ。そんな夫に、「愛してるから」と新婚時代と同じように励ます。事故後に生まれた娘はもうすぐ50歳になる。
山田早苗(75)さんの夫、勝(78)さんの記憶は、長く続かない。「お父さんが悪いのじゃない。事故のせい」と言い続け子どもを育ててきた。
清水栄子(82)さんの夫、正重(88)さんは、若い頃から音楽が好きだった。脳の機能が破壊される中で音感は残り、今もハーモニカを吹き続ける。
松尾專(80)さんは、“軽症”とされた患者家族の実態と苦しみを、訴え続けてきた。妻への慰謝料を求めて起こした裁判は25年続き、その過程でさまざまな事実が判明した。夫は亡くなったが、今もCO患者たちの消息とその生と死を伝える手書きのノートをつけ続ける。
そんな妻たちと患者を支えてきたのが、精神科医の本岡真紀子(38)さんだ。患者さんたちの自宅訪問をしながら診療を続けている。
番組は、事故から50年たっても終わらない現実を、“三池”を生き抜いてきた女性たちの50年を通して描いていく。
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