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世界の中央銀行に「女性の時代」本格到来
日銀に女性総裁は誕生するのか?
2013年10月18日(金) 上野 泰也
オバマ米大統領は10月9日、米連邦準備理事会(FRB)の次期議長にジャネット・イエレン副議長を指名した。上院での承認人事で問題は生じないとみられており、ベン・バーナンキ議長が来年1月末で退任した後の翌2月1日、1913年以降、100年に及ぶFRBの歴史上で初めて、女性の議長が誕生する見込みだ。
「女性比率」を意識するオバマ政権
金融政策を決定する中央銀行の上層部に有能な女性を積極的に登用するという点において、米国の実績には抜きん出たものがある。FRBで定員が7名の理事における「女性比率」を計算すると、以下のようになる(欠員の補充がないという前提を置いている)。
<今年8月末のエリザベス・デューク理事(女性)退任まで>
7名のうち3名が女性で「42.9%」
<現在>
6名(欠員1)のうち2名が女性で「33.3%」
<近々見込まれるサラ・ブルーム・ラスキン理事(女性)の財務副長官への転出後>
5名(欠員2)のうち1名が女性で「20%」
このほか、FRB理事の欠員を補充する問題でも、女性のラエル・ブレイナード財務次官(国際問題担当)が理事候補として検討されていると、複数の米有力メディアが報じている。
また、ワシントンポストによると、ブレイナード次官に加えて、女性の元財務次官補(経済政策担当)で現在は大学教授を務めているジャニス・エバリー氏もFRB理事候補に挙がっているという。オバマ政権は、FRB理事の「女性比率」をあまり落とさない意向のようにうかがわれる。
以上はFRBの理事についての考察だが、米国の場合、12の地区連邦準備銀行(地区連銀)の総裁も、米連邦公開市場委員会(FOMC)における金融政策の討議に参加し、一部は投票権を行使することによって金融政策運営に直接影響を及ぼしている。
現在の地区連銀総裁12名のうち、女性はカンザスシティー連銀のエスター・ジョージ総裁と、クリーブランド連銀のサンドラ・ピアナルト総裁の2名で、「女性比率」は16.7%である。ただし、後者は来年初めに退任する予定で、後任はまだ決まっていない。また、ニューヨーク連銀の総裁はFOMCで常に投票権を有するが、同連銀の総裁に次ぐポストである第一副総裁は、女性のクリスティン・カミング氏である
ECBは女性幹部の倍増方針を表明
では、米国以外の中央銀行のトップ層では、「女性比率」はどうなっているのだろうか。
主要中央銀行トップ層の「女性比率」比較
(出所)各中央銀行資料から筆者作成
日銀の場合、総裁と2名の副総裁に女性が就任した事例はない。
一方、政策委員会の審議委員については、明示的に女性枠が決められているわけではないものの、1名は女性という状況が続いており、現在は白井さゆり審議委員が在任している。
総裁・副総裁を含む政策委員会のメンバー9名のうち、女性は1名ということになり、「女性比率」は11.1%である。
この日銀よりも「女性比率」が低いのが、欧州中央銀行(ECB)である。
ECBでは、金融政策を決める理事会のメンバー23名(総裁、副総裁、専務理事4名、ユーロ圏各国の中央銀行総裁17名)は現在、すべて男性が占めており、「女性比率」はゼロである。以前は女性の専務理事が在任していたことがあった(2003年6月から2011年5月まで在任したオーストリア出身のトゥンペル・グゲレル氏)。
もっとも、そのECBは8月29日、女性幹部職員の比率を2019年までに2倍に引き上げる方針を発表しており、組織として明らかに「女性比率」を意識している。
現在は男性幹部の比率が圧倒的だが、局長級などの上級幹部レベルで14%から28%に、部長級などの中級幹部レベルで17%から35%に、それぞれ倍増させるという。ただし、これは専務理事よりも下のポストのみが対象の措置である。
また、ユーロ圏の中央銀行の中でも、ドイツとフランスでは、女性が最上層部に進出している。ドイツでは、中央銀行であるドイツ連邦銀行の副総裁が女性のザビーネ・ラウテンシュレーガー氏。そしてフランスでも、中央銀行であるフランス銀行の第1副総裁が女性のアンヌ・ルロリエ氏だ。
一方、欧州通貨統合に不参加の「紳士の国」、英国の中央銀行であるイングランド銀行では、総裁と2名の副総裁を含む金融政策委員会(MPC)のメンバー9名は現在、すべて男性が占めている。
カナダでは、中央銀行であるカナダ銀行の総裁と副総裁は、いずれも男性である。だが、この2名を含む計14名で構成される理事会メンバーのうち2名が女性で、「女性比率」は14.3%である。
女性中銀トップではロシアが先行
「主要7カ国(G7)」からロシアを含む「主要8カ国(G8)」、さらには「20カ国・地域(G20)」へと視野を広げて中央銀行上層部の女性を探すと、最も注目されるのは、ロシアの中央銀行トップに今年6月から女性であるエリビラ・ナビウリナ氏が就いていることである。
オバマ米大統領が模索した対シリア武力行使を回避させて外交的解決に導いたとして、プーチン・ロシア大統領の株がこのところ上がっている。中央銀行のトップに女性を据えるという面でも、ロシアは米国に一歩先んじた形である。
また、G20のメンバーである南アフリカ共和国では、中央銀行である南アフリカ準備銀行の総裁が女性(G.マーカス氏)。副総裁3名は男性だが、総裁・副総裁以外の理事会メンバー11名のうち、4名が女性となっており、「女性比率」は33.3%にもなる。
アルゼンチンでは、中央銀行の総裁が女性(メルセデス・マルコ・デルポント氏)。副総裁1名は男性だが、副総裁代理が女性である(ガブリエラ・シガノット氏)。
中国では、人民銀行の総裁(行長)は男性だが、副総裁(副行長)2名のうち1名が女性である。
オーストラリアでは、中央銀行であるオーストラリア準備銀行の総裁と副総裁各1名は男性だが、彼らを含む9名の理事会メンバーのうち3名が女性で、「女性比率」は33.3%である。
以上からわかるように、G20の中央銀行のうち、現在、トップを女性が占めているのは、ロシア、南アフリカ共和国、アルゼンチンの3か国で、来年2月には米国が加わることになるわけだ。
また、副総裁級のポストに女性が就いているのが、米国、中国、ドイツ、フランス、アルゼンチンの5カ国だ。
ある国が経済の実力を十ニ分に発揮するためには、女性の活躍が欠かせない。さらに、21世紀は「女性の時代」と言われる。ときに閉鎖的になることがある中央銀行の世界もまた、こうした大きなトレンドを無視することは困難だろう。
日本でも、日銀、および日銀の総裁・副総裁・審議委員を任命する内閣、政府が提示した候補に同意するかどうかを決める衆参両院がそろって、金融政策運営における女性の活用について、総裁や副総裁に有能な女性を登用することも含め、米国など海外の事例にならっていく必要があるのではないか。本当にそれが実現すれば、「日本は今度こそ変わった」という対外的なメッセージ発信にもなるだろう。
このコラムについて
上野泰也のエコノミック・ソナー
景気の流れが今後、どう変わっていくのか?先行きを占うのはなかなか難しい。だが、予兆はどこかに必ず現れてくるもの。その小さな変化を見逃さず、確かな情報をキャッチし、いかに分析して将来に備えるか?著名エコノミストの上野泰也氏が独自の視点と勘所を披露しながら、経済の行く末を読み解いていく。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20131016/254650/?ST=print
結婚でオンナの決断、農の新しいカタチ
「農家の嫁」の先の先から見えるもの
2013年10月18日(金) 吉田 忠則
農業の先行きに漂う閉塞感を打ち破るには、新しい何かが必要だ。女性の力はその1つ。1人で農業の世界に入った30代の2人の女性が結婚に際し、何を決断したのかを取材した。彼女たちの未来に、農業の新しい形がみえる。
これまで農業と女性のかかわりは、「農家の嫁」というイメージでみられがちだった。2人は違う。彼女たちが先に就農し、栽培や経営で夫にアドバイスしていることもある。だが、2人が示す農業の可能性はそれだけではない。
最初に紹介するカップルは、西口生子と西口敏男。昨年12月に結婚した。来月には第1子が生まれる。生子は「いまは農業をがっつりできない。それがフラストレーションになります」と話す。この言葉は、2人が築こうとしている経営の姿を端的に示す。
栽培と営業で助け合う西口夫妻(写真は西口氏提供)
生子はネイルサロンや老人ホームでの仕事を経て、5年前に茨城県土浦市で就農した。農薬も化学肥料も使わず、50品目におよぶ野菜をつくる。若い女性が1人で就農し、しかも有機栽培というハードルの高い農法に挑戦したことで注目を浴び、メディアにも度々とりあげられた。だが収入が伴わず、いつまで続けることができるのか悩んでいた。敏男と知り合ったのはそんなときだ。
夫の敏男は生子の畑を昨年訪ねたとき、「やり方を工夫すればもっとうまくいくのに」と思ったという。高校のころから農業を志し、東京農大へ。だが「作物を売るにはどうしたらいいか」を学ぶため、すぐには就農せず、青果物卸に就職した。「そろそろ農業を始めよう」と思ったとき、生子と出会った。
妻は栽培、夫は販売
「明日の作業はこれ」「あと10センチ、畑の隅まで機械を入れて」「言ったことはちゃんと覚えて」。農作業の先生となった生子の指導はけして甘くはない。だが生子もまた、敏男と接することで農業のべつの側面を知ることになる。
「直売所の売上明細を、うれしそうにずっと見ているんです。あたしは、そんなことしなかった」。これは売り上げが増えてほくそ笑んでいるという話ではない。敏男は言う。「明細を見れば、いつどんな野菜が売れたかがわかる」
2人の話を聞いていて、農業への向き合い方の違いがみえてきた。「あたしは雑草が生えていたら我慢できない。まず畑をきれいにする」「僕は出す物を先に出して、お金に換えたい」「あたしなら出荷を止めてでも、畑に出る」「売ってなんぼだろ」。そこで2人はこう総括した。「生子は栽培が中心」「敏男は売り上げを増やすために動き回る」
こんなこともあった。夏野菜のズッキーニは成長が速く、あっという間に50〜60センチもの長さになる。こうなると、タネが大きすぎてもう食べられない。生子が片付けようとすると、敏男が「それ捨てないで」と制止した。
「もう売り物にならないのに」といぶかしむ生子に対し、敏男は「マルシェに飾りとして置けば、おもしろいじゃないか。それをレストランに提案する手もある」。カービングにしたらいいとも考えた。いかに売るかに知恵をしぼる敏男の努力で売り上げも増え始めた。
結論を言おう。農家の女性は「夫を手伝う嫁」というイメージの先の先。力仕事は夫の役割で、妻は女性ならではの感性でマーケティングを担うという、これまたステレオタイプの発想ともまた違う。生子と敏男の関係はその逆だ。
農家の平均年齢が66歳という現実をみれば答えが出る。ふつうは日本の農業の衰退を映す象徴的なデータとされるが、見方を変えれば、ほかの仕事なら退職すべき高齢になっても農作業は可能だということを示す。投資コストが採算に合うかどうかを度外視すれば、機械化を通した省力化のおかげで、農作業はかつてよりずっと楽になった。
小さい兼業農家を可能にした技術の進化が、女性が農業の世界に入るとびらを開いたとみることもできる。農業の道を歩み始めた2人が、栽培と販売をどう役割分担するかを、以前のように固定的に考える必要はなくなったのだ。
夫婦で別々の経営の栗本氏と渡辺氏
つぎに紹介する夫婦は、8月に結婚した栗本めぐみと渡辺裕介。栗本は高校のころから友人に「将来は農家になる」と話していた。東京農大で学んだあと、「ほかの農家にないもの」を身につけるため、青果物卸に就職。食品の貿易会社でも働いたが、農業への思いは変わらず、2009年に静岡県御前崎市で就農した。
経営を分けた栗本氏と渡辺氏の選択
と書くと、「西口敏男とそっくり同じ経歴ではないか」と思われそうだが、ここから先がまったく違う。
じつは栗本と渡辺の夫婦は同じイチゴをつくっているにもかかわらず、経営は夫婦で別なのだ。2人の栽培ハウスは車で1、2分しか離れておらず、見上げると同じ風力発電の巨大な風車が見える。だが栽培も売り先も会計も独立だ。
「はじめは、いけすかないやつと思いました」。渡辺は栗本と知り合ったころの印象をこう語る。2人は同じ静岡県の研修制度を使って就農しており、栗本のほうが3年先輩。渡辺が研修しているとき、先に独立した栗本の言葉が人づてに聞こえてきた。「最近の研修生は考えが甘い。あんなんじゃできない」
栗本は辛口の言葉の真意を、のちに渡辺に話す。「私は研修中から死に物狂いでやってきた」。だから「この作業を、パートを使ってやったら、どれくらいの時間がかかるだろう」「どうすれば利益が出るだろう」など、実戦≠想定しながら研修を受けてきた。
そんな栗本にとって、ほかの研修生たちは歯がゆく見えた。「たんに赤いイチゴを実らすだけなら、素人でもできる」。肝心なのはイチゴのリズムに振り回されず、自分のペースで栽培し経営することだ。それができないから、多くの研修生は「改善方法がわからず、就農したあと暗くなって文句ばかり言う」。
もともと青果物卸や食品商社で働いたのも、自分で農業をやるための準備の一環だ。独立したあとは農協だけに頼らず、つちかった人脈を生かしてスーパーにも直接販売した。いまや地元で有力な和洋菓子の製造・販売チェーンが、彼女のために商品開発する。そのときも彼女は「自分のイチゴを使ったお菓子をつくってくれないなら、出荷しない」という意気込みで社長に直談判した。
こうした努力を重ね、ブランドを高めてきた彼女にとって、結婚したから経営を1つにする選択肢はありえなかった。だから経営上はいまも「栗本」の姓のままで通す。「ラーメン屋を別々に営む2人が結婚したら、簡単に経営を1つにしますか」。なのになぜ農業はそうみてもらえないのか、と彼女は考える。
女性の農業参入を阻む“見えない壁”に挑む
一方、夫の渡辺も、独立を目指して研修した点では同じ。ファミレスの店長を長年務めながら、「いつか自分で事業を興したい」という思いをあたためていた。そんな渡辺の目にとまったのが、就農支援制度だった。つまり渡辺にとって農業は、起業という夢を実現するために選んだ仕事だ。こんな2人にとって、経営を分けるのはごく自然な選択だった。
では子どもが産まれたらどうするのだろう。そう尋ねると、「もうさんざん聞かれた」という表情で答えた。「病気と比べると、出産は計画的にできる」。そのために人の手当も含め、準備しておくのが経営だろう、と彼女は考える。「なぜすぐ夫に栽培を手伝ってもらうという話になるんだろう。家事などの生活面をフォローしてくれればいい」
結婚を機に独りぼっちの農作業から家族経営へと歩を進めた西口生子と、夫とは独立して経営することに挑む栗本めぐみ。2人の選んだ農業の形は、見た目は違う。だが、農業という極めて保守的な性格の色濃い産業が女性の参入を阻んできた“見えない壁”に向き合っているという面では共通だ。
農業を再生させるためには、農業に夢を抱き、そのとびらをたたく若者を増やすしかない。その人が男か女かに関係なく、どうすればほかの産業のように活躍できるチャンスを増やせるか。2組のカップルの挑戦は、もっと多くの若者を農業に導いてくれるかもしれない。(文中敬称略)
このコラムについて
ニッポン農業生き残りのヒント
TPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加が決まり、日本の農業の将来をめぐる論議がにわかに騒がしくなってきた。高齢化と放棄地の増大でバケツの底が抜けるような崩壊の危機に直面する一方、次代を担う新しい経営者が登場し、企業も参入の機会をうかがっている。農業はこのまま衰退してしまうのか。それとも再生できるのか。リスクとチャンスをともに抱える現場を取材し、生き残りのヒントをさぐる。
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一般女性初、宇宙を旅したアニューシャ・アンサリ
女の出世ダイバーシティ 宇宙服はイランの夢を見る
2013年10月18日(金) 瀧口 範子
(写真:A724/Gamma/AFLO)
アニューシャ・アンサリは、2006年に一般女性として初めて宇宙へ飛んだ人物として知られている。
商業的な宇宙旅行への先駆けとなるこうした機会には、ほんの一握りの資産家しか関わることができない。たった数日間宇宙を飛ぶために、2000万ドル以上という「旅費」がかかるからだ。アンサリは、そんな恵まれた立場にある女性である。この旅行のために、6カ月の訓練を受ける時間の余裕もあった。
だが、この宇宙旅行は彼女が数々の困難を乗り越えて実現した幼少からの夢だった。歴史の波に翻弄されながらもアメリカにたどり着き、そこで必死に教育を受け、社会でサバイバルして勝ち取った成功。それがあったからこそ手にしたご褒美なのである。
アンサリは、1966年にイランのマシュハドで生まれた。父も母もイランでは恵まれた家系の出身だったが、一家は中東の厳しい規律と革命に翻弄された。
一度目は、アンサリが生まれる少し前のこと、曾祖父が時のパーレビー皇帝を中傷したために家財を奪われた。裕福な商屋を継いでいた父は、その後印刷会社に務めてわずかばかりの給料を稼ぐ身になっていた。
アメリカへ渡ることに取り憑かれていた父は、残った家財を売り払い、それでアメリカで売るための絨毯を買っていた。狭いアパートにはアンサリの祖父母や伯父も一緒に住まい始め、そのため、アンサリはベランダで夜空を見ながら眠った日も多かったという。母親は子供たちを学校に通わせるために、2つの仕事を掛け持ちしていた。
次に一家を襲ったのは、1978年から始まったイラン革命だ。12歳になっていたアンサリは、近所の銀行が襲撃され、自分の学校が閉鎖され、ワイン会社の部長に昇進していた父親が再び職を失うのを目にした。1979年にアヤトラ・ホメイニがイランに戻って以降は、ヒジャブ(頭にかぶるベール)を身につけることを強いられた。
写真:ロイター/アフロ
さらに、その後8年間にわたるイラン・イラク戦争の間は電気もまともに使えない日々を強要された。もうそこには、女性が高等教育を受けられるような環境はなく、アンサリは「戦争の怖さよりも、自分の将来がなくなってしまうような恐怖感を覚えた」とその当時のことを語っている。
一家がようやくアメリカへ移住できた時、アンサリは17歳になっていた。一家が落ち着いたのはワシントンだ。まともに英語も話せないうちに高校へ通ったアンサリには、友達もできず、大好きなはずの学校も嫌いになっていたという。それでも学校の成績は抜群だった。
家族をビジネスの経営陣として味方に付ける
アンサリが自分の才能を伸ばしていったのは、大学へ進学してからだ。アイビー・リーグの大学へ通うだけの学力は十分あったが、英語の実力がどうしてもついていかなかった。結局進学したジョージ・メーソン大学で電気工学とコンピュータ科学を専攻。大学の図書館やフレンチ・レストランでウェイトレスのアルバイトをし、それでも賄えない分の学費はローンを組んだ。だが、自分自身を教育することは、アンサリの大きな願望だった。それを成し遂げて、卒業後は通信会社で職を得た。
そこで出会ったのが、後に夫となる上司だ。1991年に結婚した時、アンサリは「二人でなら何でもできる」と感じたという。二人はともに移民としてこの国にわたり、市民権を得たことで共通している。何も怖れることはなく、これから新しい未来が開けると二人は希望に燃えていたのだ。
後に、「移民であったことと、何も持ち合わせないところからサバイバルした経験こそが、ビジネスでの成功を後押しした」とアンサリは語っている。「大きな壁が立ちはだかっても、それをどうにかして乗り越えようとする」、そんな移民メンタリティーが彼らの歩んだ道にはぴったりだったのだ。
一時は通信会社を離れ、アンサリは別の会社へ、そして夫は中古車ディーラーを始めたことがあったが、共に再び通信業界へ戻って二人で力を合わせていく。しばらくして二人で起業したテレコム・テクノロジーズ社のCEOになったアンサリは、地元のコミュニティー・カレッジで経営や財政を学び、実業の世界で生きる力を身につけていった。貯金も時間もつぎ込んで必死に育てた同社は、通信業界でのテスト作業を劇的に簡略化するソフトウェアを開発するなどして成功軌道に乗り、2001年に5億5260万ドルで売却。アンサリと夫はケタ違いの成功を手にしたのである。
数年間の息抜き期間を経て、ふたりは再び2006年に起業。今度は家庭用ネットワーク技術を開発するロデア・システムズで、アンサリは会長兼CEOに就いている。
彼女の幸運は、同じ目的に向かえる夫に出会ったことでもあっただろう。女性の成功のために、夫というパートナーがいて、さらに彼の兄弟らもビジネスに参画する。家族という単位をビジネスの経営陣として捉えられる古くて新しい感覚を、アンサリは自然に身につけているのだ。
そんなアンサリは、「自分には、仕事とプライベートな時間の区別はない」と語っている。新しい会社をスタートさせる起業家というストレスの多い生活だが、彼女は小さなことで気分転換をする技を習得した。それは、音楽を聞いたり、外に出てハイキングに出かけたり自転車に乗ったりするという、誰でもできるような他愛のないことだ。それでも、そんな方法で自分の集中力を回復することで、毎日のように降り掛かってくる挑戦を確実にこなしていけるようになったという。
ロシアのソユーズに搭乗して宇宙へ旅したのは、ロデア・システムズを創業したのと同じ2006年だった。まだイランにいた子供の頃、ベランダで眠りにつく時に夜空を見上げることは辛い毎日からの逃避だったという。そんな空を見ながら、いつの日か宇宙飛行士になりたいと思うようになっていた。
40歳の誕生日の数日後に体験した宇宙は、その後の彼女に多大な影響を与えている。目を閉じてあの時のセンセーションをもう一度思い出すことで、どんなに辛いことも乗り越えることができ、地球で住まう人類に対する共感がわき上がってくるという。
「40歳になると、みんな人生のピークに達したと思うけれど、私はこれが次の山を登るための『始まり』だと信じたい」、とその経験を彼女は語っている。
アンサリは、心の中に常に新しいものを求めている自分がいることを知っている。同じことを繰り返す毎日ではなく、人々がまったく違った方法で生活するための新しい製品やサービスを生み出すこと。そして、まったく何もない白紙の状態から会社を作り、新しいものを発明すること。安住を求めることは、彼女の中にはないのだ。
「自分が愛せるものに、とことん身を注ぐ」。そうやって実現できないことは何もないと、アンサリは信じている。
このコラムについて
女の出世ダイバーシティ
5年先、10年先の日本の女性の働き方を見つめるコラム。就業者に占める女性比率は高まる一方で、管理職の女性比率は1割程度の日本。一方、米国の管理職比率は4割を超える。会社にとどまるにせよ、起業するにせよ、社会的に出世している米国女性は、どのようにしてそのポジションを手に入れたのか、そのために何が必要なのか、「女性の出世道」を米国から学ぶ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20131017/254688/?ST=print
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