01. 2013年11月05日 04:58:55
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【第18回】 2013年11月5日 吉田典史 [ジャーナリスト] 社員の死は「会社のせい」と言い切れるのか? 検死医が明かす遺族と人事部の“覆い隠された苦悩” 会社員の突然死や自殺はなぜ起こるのか――。職場で起きる「原因不明の死」は、他人事ではない。それは、亡くなった本人の遺族はもちろん、残された上司や同僚の心にも、長年にわたって暗い影を落とし続ける。 今回は、死因が特定できない会社員の突然死や自殺について、警察から依頼を受け、遺体を解剖し、死因を特定する医師を取材した。法医学を専攻する杏林大学の高木徹也准教授は、不審遺体の解剖数が非常に多いことで知られる。 高木准教授が法医学・医療監修を行なったドラマや映画は、多数に及ぶ。2011年3月11日の東日本大震災直後には、警察庁からの依頼で宮城県や岩手県などの遺体安置所で検死を行った。著書『なぜ人は砂漠で溺死するのか?』 (メディアファクトリー新書)では、会社員の突然死や自殺などについて、遺体という観点から分析している。 会社員が突然死や自殺などをした場合、その遺体の状況、遺族や会社の動きについては知られていないことが多い。関係者が「死」をタブー視し、積極的に情報公開が行われないから、原因不明の死が繰り返されると見ることもできるのかもしれない。今回は、タブーとなっている「会社員の死」を法医学者とのやりとりの中で浮き彫りにしていくことで、悶える職場の断面にスポットを当てたい。 突然不整脈に襲われ、帰らぬ人に 原因が特定できない会社員の「死」 杏林大学の高木徹也・准教授 筆者 最近は、会社員が自殺や病気で死亡し、死因を特定できないケースが増えているのでしょうか。
高木 ここ(杏林大学法医学教室)に運ばれてくる遺体を私が診る限りでは、そのような事実はない。今は、多くの会社が社員に健康診断を受けるように働きかけている。メンタル面でもケアが進んでいる。 私が医師になった20年ほど前に比べれば、会社は社員の健康管理にかなり注意を払うようになっている。会社員としては、ある程度早いうちに病気などを見つけることができ得るのではないだろうか。 杏林大学医学部(都内・三鷹市) 一方で、健康診断を毎年受けていて、体や心に問題がない場合でも、突然死に至る人がいる。このようなケースは、かつては「ポックリ病」などと言われていた。
私のこれまでの経験で言えば、30〜50代の働き盛りの人で、労働時間が比較的不規則な人や、仕事の量が多く忙しい人に目立つ。たとえば、新聞記者や刑事、病院勤務の医師や看護師、証券会社や広告会社の営業マンなどだ。 筆者 そうした人たちの遺体の解剖をされることもあるのですね。 高木 不審遺体の死因を特定するために、解剖をするのが私の仕事だから……。解剖をすると、死因が正確にわかることが多いものだが、(前述の)突然死の場合、死因が特定できないことがある。 ただ、突然死の場合は、これまでの解剖などの経験で言えば、「突然不整脈に襲われ、死に至る」と考えられるケースが多い。 筆者 実際は、過去に何らかの症状があったのではないでしょうか。たとえば、高血圧とか……。 高木 私が関わった限りでは、高血圧に限らず、事前に病気の症状が健康診断などでは見られなかったケースのほうが多い。その意味では、本当に「突然の死」と言えるのだと思う。 遺族に聞かれても医学的根拠がないと 一概に「会社のせい」とは言えない 筆者 遺族は、たとえば「うちの主人は会社で過密な労働をさせられ、死に至ったのではないですか」と聞いてきませんか。 高木 少数だが、それに近いことを尋ねられる方もいる。その場合、「死因はこうです」とはお答えする。だが、医学的な根拠がないにもかかわらず、「会社の過密な労働により……」といったことは、立場上言えない。 そのご家族の遺体を診る限りでは、「会社の労務管理に問題がある」とか、「過密な労働による死」と断言できることは少ない。遺族の方の思いも私なりにわかるつもりだが、医師として医学的な根拠がないことを語ることはできない。 尋ねられれば、何らかの助言をすることもある。たとえば、労働基準監督署などに、労災の認定申請をすることができることはお伝えする。その後、「労災として認定された」と遺族の方から聞くこともある。 筆者 民事裁判に発展することもあるのではないですか。 高木 確かにある。労災として認められれば、遺族としては、「今度は会社に損害賠償を請求しよう」と考えることはあるのではないだろうか。 筆者 遺族から、裁判で「家族がなぜ死に至ったのかを証言してほしい」と頼まれることはないのでしょうか。 高木 そのような依頼は数件あった。私としては、医学的な根拠がないことはやはり、裁判であろうとも言えない。たとえば、同じ会社の同じ部署で、同じ量の仕事をしていた社員がいたとする。労働時間や密度も同じ状態であったとする。1人の社員が突然死し、他の社員が通常通り仕事をしている場合がある。 実際、これに近いことは私が関わったケースではいくつもあった。その際、1人の方が死にいたった理由を「会社の労務管理に非がある」と断言できるかといえば、私はできない。 遺族の民事訴訟に備えてか、 強引に話を聞き出そうとする弁護士も 筆者 家族が原因不明の死を遂げた遺族は、どのような状態ですか。 高木 家族を亡くされ、当然落胆されている。そのような中で、死の経緯を知りたかったり、家族が生きた証を何とか残したいという思いで来られるのだと思う。私の前では、「会社に非がある」とは言わない方が多い。 その後、民事裁判に発展し、遺族から依頼を受けた弁護士が来ることもある。争いに備え、遺族側が有利になる話、言い換えれば、会社が不利になる話を聞き出そうとすることが多い。私としては、この場でも医学的な根拠がないことをお答えすることはできない。 筆者 無理なことをしようとする弁護士はいませんか。つまり、遺族に有利になるような話を強引に聞き出そうとしたり……。 高木 少数ではあるが、いたように思う。その弁護士は少々、無茶なことをしようとしているように感じた。 「同じことを繰り返したくない……」 密かに訪れる役員、人事部、上司の苦悩 筆者 逆に、会社の人事部などがここ(杏林大学法医学教室)に来ることはあるのでしょうか。私のこれまでの取材経験では、会社は組織防衛のためにはあらゆることをする傾向がありますから……。 高木 突然死などで死亡した社員を雇っていた会社の側から、役員や部長、課長などが来ることはある。大企業もあれば、中小企業、さらに個人経営店の店主が来られることもある。 筆者 やはり従業員に死なれた側は、裏側にまで手を回しているものなのですね(苦笑)。 高木 雇う側からすると、遺族が労働基準監督署へ行って労災認定の申請をすることと、裁判で争うこととは別の問題として受け止めているように私には思える。前者はともかく、後者になると深刻に受け止めるようだ。 ある会社の方は、「裁判の判決で、突然死した社員が生前にしていた労働やその量、密度などが否定されると、他の社員に突然死した社員と同じ労働をさせることができなくなる」と話されていた。 私の前では、会社の方たちは「(突然死などになった社員と)同じことは繰り返したくない」と話されることが多い。 筆者 「同じことを繰り返したくない」と言いつつ、死亡した社員を解剖した医師のところにわざわざ来るものなのですね……。会社の側が、高木先生に「うちの会社に有利な証言をしてください」と依頼してくることはないのですか。 高木 それはない。あったとしても、私としては、いかなる場合も医学的な根拠がないことをお答えすることはできない。 筆者 会社が行う社員への健康管理については、どのように思われますか。 高木 大きな会社などは、健康管理に相当注意を払っているように思う。だが、規模が小さくなると状況が変わる。 たとえば、個人で経営する店があり、そこで1人の社員が突然死した。それよりも1週間ほど前から、店内で泊まり込みの仕事をしていたようだった。夜は寝袋を使って寝ていたらしく、疲れが相当に蓄積されていたのかもしれない。小さな会社になると、このようなケースを見聞きする。大きな会社と零細の会社の差は、年を追うごとに大きくなっているように思える。 自殺では会社への恨みを感じる遺書も しかし労務管理の非を問うことは難しい 筆者 社員の自殺についてはどうでしょうか。 高木 自殺でも、死因が特定できない場合は警察によりここに運ばれてくる。解剖をすれば、死に至った経緯や死因は特定できることが多い。これも死因を特定することはできたとしても、そこからさらに「会社の労務管理などに問題があった」とまで断言することは難しい。 筆者 警察から、遺書を渡されることはありませんか。 高木 解剖をする際には、遺書があるならば目を通す。その中には、会社や上司などのことが書いてあるものもあった。 私が読む限りでは、何かに恨みを感じているものが多いように感じる。たとえば、会社や上司、あるいは家族、または借金などだ。その恨みが歪みとなり、遺書という形で表れているように思えることがある。 筆者 遺書などから、会社の労務管理などに問題点があったと判断できるケースはありますか。 高木 遺書に書かれてあることだけで、正確に判断をすることはできないとは思う。たとえば、上司への怒りが書いてあったとする。 しかし、他にも部下がいて、同じ内容や同じ分量の仕事をしている。また、上司の部下への接し方も同じだ。ところが、他の部下たちは死を選ぶことなく、通常通りに仕事をしている。 つまり、遺書はその人の受け止め方を表したものであり、その受け止め方とは異なる捉え方をする社員もいるのだと思う。 一方で、上司が明らかに特定の社員を狙い撃ちするかのように、集中的にハラスメントをするケースもある。それを苦にして、死を選ぶこともあるのかもしれない。こうした場合は、当然上司に大きな問題があるのではないだろうか。 突然死と自殺の場合とでは 会社側の対応に差が見られる 筆者 会社は、社員が自殺をしたとき、突然死の場合と同じように、高木先生を訪ねて来ることはあるのでしょうか。 高木 それはない。突然死などの場合は時折来られるが、自殺になると来なくなる。双方における会社の対応には差がある。 自殺した社員がいて、遺書に会社や上司のことが書いてあったとする。それを知った会社としては、さすがに「なぜ死に至ったのか」と聞けないのではないだろうか。 筆者 私は、社員の突然死の場合は、高木先生などの解剖に関わった医師を尋ねることは、会社にとって不利にならないと考えていると思います。偏った見方かもしれませんが、「同じことは繰り返したくない」として、何かを聞き出そうとしているように映ります。 一方で自殺の場合は、遺書などといったある意味での「証拠」がある以上、会社として動かないほうが得策と判断しているのだろうと感じます。ところで、自殺をした社員にはどんな傾向が見えますか。 高木 私が感じ取っている限りでは、会社員に限らず、自殺をする人は、うつ状態など精神的に不安定になっていたケースが比較的多いように思う。このような状態にならない環境であるべきだとは思うが、同じ職場で同じ上司のもと、同じ仕事をしていても、心の病にならない人がいることも事実だ。そこは、ストレス耐性などの個人差があるのかもしれない。 重い精神疾患で死を選ぶ社員たち 自殺し易い職業や地域には共通点が 筆者 かねがね気になることがあります。自殺をした社員の家庭を取材で訪ね、話をうかがうと、たとえばその人の祖母などの親族が自殺をしているケースがあります。ここ20年ほどに行った取材の中で、十数件がこのようなケースに該当していました。遺族からも質問を受けることがあります。「これはどういうことなのか」と……。 高木 それに近いことは、私も聞くことがある。これは医学的な根拠があることではなく、私見であることを予め述べておきたい。家族や親類の中で自殺をする人がいるならば、たとえば同じような教育や思考、考え方、価値観などに影響を受けていることが、1つの理由として考えられ得るのではないだろうか。 筆者 それは、過去に取材した遺族の方も取材時に話されていました。ある家庭は、特定の職業に就く人が多いのですが、遺族は「こういう職に就くから、自殺をするのかな」と嘆いていました。 高木 その職業について私はわからないが、もしかすると地域的な要因も何らかの影響を与えているのかもしれないと思うことがある。たとえば、私の知人の医師が勤務する大学病院はかつて精神病院だった。その地域は当時は田舎で、人があまり住んでいなかった。 その病院の付近には、精神科に通う人やその家族、さらに入退院を繰り返す人が住むようになった。そうした環境の中で結婚などをする人が増え、家族となり、やがて人口が増えていった。ところが、その地域に住む家族の中で、新たに精神疾患になる人が現れるようになった。知人の医師は、「その地域は周辺と比べても、重い精神疾患になり、不幸にも死を選ぶ人が多いように思える」と話す。 日本人は「平均」を強く求める それが死の真相に迫れない一因か 筆者 なるほど……。私が遺族の方と接すると、それに近いことを打ち明けられることもあります。 高木 ただし、私の経験で言えば、たとえば風呂に入っているときに突然死した人たちの背景や原因などを調べ、何かの共通項を見つけようとしても、見つけ出すことはなかなか難しいものがある。突き詰めていくと、それぞれの方の死の背景は違っている。 その違いを認めることなく、むしろ共通項を探そうとする場合があるように思う。たとえば自殺においても、同じことが言えるのではないだろうか。 遺族が家族を失った理由を探し、インターネットなどを使い、他の自殺のケースを知ろうとする。そして、会社のトラブルでストレスを抱え、死を選んだケースを見つけると、たとえば「うちの主人と同じだ」と思う。 しかし、実は双方の背景は異なる生活背景や精神状態など、環境に違いがあることが多いように感じる。だが、その違いにはあまり目を向けないようだ。日本人は、「平均」を強く求める傾向があるのかもしれない。 筆者 「平均」を求めると、違いが浮き彫りにならないので、真相に迫れないのではないでしょうか。会社からすると、それはむしろありがたいのかもしれません。遺族たちは「平均」を追い求め、ある種の思い込みのようなもので、「自分たち遺族は会社の犠牲になった」と受け止め、スクラムを組むことがありますね。 高木 そうした行動は誰も妨げることはできないと思う。それでたとえば、会社の労務管理のあり方などが変わり、労働環境がいい方向に進むならば、1つのアプローチの方法とも言えるのではないだろうか。 踏みにじられた人々の 崩壊と再生 今回の取材を通し、会社員の「見えない死」の裏側をできるだけオープンにしたいと思った。筆者の目には、会社員の突然死や自殺などは、「見えない死」に思える。 会社員が突然死や自殺に至ると、直後は犯人捜しのような空気が職場に漂い、いわば「自粛ムード」になる。だが、その期間は短い。数日もすると、何事もなかったかのように社員たちは仕事をする。そして、時が流れてゆく。問題らしきものすら、炙り出されることがない。少なくとも、私がかつて勤務した会社や、取材で接する会社の半数以上は、このような状況だった。 その後、社員が死に至った経緯や背景について、社内で慎重に調査がされたとはまず聞かない。高木医師のように、解剖をして死因を究明することは会社員にはできないとしても、社内で独自の調査はできるのではないだろうか。 むしろ、死を封じ込めようとする風潮がありそうな気がする。たとえば自殺の場合は、関係者に箝口令が敷かれることがある。一方で会社はその経緯を深く調べようとしない。そのため噂がデマとなり、一喜一憂する社員すら現れる。高木医師のもとには、突然死の場合は会社の側が出向くが、自殺になると行かないようだ。これもまた、私には理解ができない。 こういう死を封印する姿に、遺族らは不信感や絶望感を感じ、同じような立場にある遺族とスクラムを組んで会社を訴えようとするのかもしれない。もちろん、会社の側にも様々な言い分がある。死に至った人の同僚や上司らの見方もあるだろう。おそらくそれぞれの考えは異なるのだろうが、少なくとも「死」を覆い隠すことは避けることが必要ではないだろうか。 「死」を遠ざけないことが、遺族や本人、さらに関係者の心を再生する第一歩になると、筆者には思える。 http://diamond.jp/articles/print/43915
第101回】 2013年11月5日 高城幸司 [株式会社セレブレイン 代表取締役社長] 無駄な仕事を押し付けながら感謝もしない 若者の好意につけこむ“無茶ぶり社員”に気をつけろ! 仕事とは「個人プレー」でなく、上司や同僚たちと協力し合いながら「チームプレー」で成果を導くもの。同僚が疲れているときには、「手伝おうか?」と声をかけるような助け合いの精神を持つ姿勢は忘れたくありません。
では今、そんな助け合いの精神に満ちているのは誰でしょうか?実は意外にも、若手社員達なのです。リクルートマネジメントソリューションズが行った「新入社員意識調査」(2013年)によると、彼らが働きたい職場の特徴の第1位は「お互いに助け合う」だそう。 ただ、当然のように助け合いの精神からはみ出した存在は、いつの時代にもいるものです。例えば、忙しい人に仕事を任せておきながら、その成果を粗末に扱い、後で「不要になったから」と悪びれずに言える人。こうした人は苦労した相手の気持ちが分からないので、周囲の反感を買いかねません。 では、もしそんな人と会社で接しなければならないとしたら、どのように付き合い、対処すべきでしょうか。今回は、その方法を一緒に考えてみましょう。 「3日以内にアンケートを10人から集めて」 先輩からの無茶ぶりに戸惑うが… オフィスで肩を震わせながら立ちすくむ1人の男性。彼がつぶやく言葉に周囲は聞き耳を立てています。そんなつぶやきを聞いてみると、 「頼まれた仕事が無意味だったなんて……。どれくらい時間を割いたか、わかっているのか。許せない!」 こう怒りに震えている状態です。 今、こうして怒りに震えているのは、人材派遣会社に勤務しているFさん(26歳)。時刻は19時を過ぎています。最近、社内に残業削減意識が浸透した結果、Fさんの他に、社員の姿はまばらです。この会社は19時になると、早い帰宅を促す放送が流れます。そして19時半になると、「あと30分後で消灯します」と帰宅を迫る最後通告の放送があり、20時にはオフィスはひっそりとした状態に。ゆえに19時あたりは、残業していた人たちが帰りの準備を急ぐ時間帯です。そうした環境の中、ちょうど1週間前の同時刻に、Fさんが怒る原因となる出来事が起こりました。 では、その場面を確認するため、時計を1週間前に巻き戻してみましょう。 もういつでもオフィスを出られるほど、帰宅準備が万端のFさん。その日は学生時代の友人数名と懐かしい集まりを企画していたので、急いでパソコンの電源を消し、カバンを肩にかけて「お先に失礼します」と声を出そうとしたそのときでした。そんなあわただしい状況に全く配慮することなく、「ちょっといいかな」と先輩社員のOさん(29歳)がFさんに声をかけてきたのです。 「協力してほしいことがあるんだけど、10分だけ時間くれないか?」 断ることができず、仕方なくFさんは話を聞くことにしましたが、実際には10分で頼みごとは終わりません。約30分間、協力依頼の内容について説明が続きました。具体的にはOさんが営業担当しているM社から頼まれた「健康食品に関する調査」に対する協力。アンケートくらいその場で答えてあげたいところですが、このアンケートが厄介で、100問以上に及ぶ手間のかかる代物。設問に答えるだけでなく、記述部分もたくさんあり、 (真面目に書いたら30分では終わらないぞ、面倒な依頼をされてしまった) と、早く帰らなかったことを後悔しました。このアンケートを持ち帰って回答してほしいとのことでしたが、さらに「できればお願いしたのだが…」と追加でお願いされたのが、 「自分だけでなく友人も含めて10名くらいからアンケートを回収してほしい」 ということでした。M社は健康食品に対する20代の関心の度合いをデータ分析するというのが狙いのようです。さらに、 「アンケートは3日以内に回収をお願いしたい。大事な取引先からの依頼なので、協力してよ」 と、無茶な締め切りまで設定してきました。ただ、O先輩は無茶ぶりする人物として社内では有名。 ・取引先の商品斡旋 ・自分のできない仕事を後輩に丸投げ する強引な行動で問題視されている存在です。 それでも、Oさんが長い間、好業績をキープしているので後輩たちは無理強いされ続け、上司は見て見ぬフリという状態が慢性化。ですから、頼まれたら断るのは難しいのは明らか。上司に文句を言おうものなら、 「仕事はチームワークが大事。アンケートくらい協力してあげなさい」 と言われてしまうことでしょう。加えてFさんは助け合いの精神を大事にするタイプ。休日にはボランティア活動をしています。困った人をみると助けたくなる性分なのです。ですから、O先輩をみると……協力者がいなくて「助けて」と叫んでいるような表情をしています。そこで覚悟を決めて、 「わかりました。ギリギリになるかもしれませんがアンケートに協力します」 と返答しました。これでFさんは帰宅を許されることになりました。 帰宅してからFさん自身でアンケートを記入。すると、想像以上に面倒な設問で、すべて回答するのに40分近くかかりました。この面倒なアンケートを知人・友人に頼むのは忍びないと思いつつ、無理を承知で、これまで面倒を見てきた学生時代の後輩や長い付き合いの友人に、 「すまん、今度、ランチ奢るから協力してくれないか?社内で尊敬している先輩からの頼みなんだ」 と頭を下げてアンケート記入に協力をしてもらいました。なかには「こんな面倒なアンケートは無理」と断られたりして、大変な思いもしました。ですが、それなりに時間をかけながら最終的に12名のアンケートを回収しました。 「ここまでやればO先輩も喜んでくれるだろう」 アンケート用紙を渡した後、感謝の言葉をかけられて報われた気持ちになる……そんな様子を想像してしまったFさん。ただ、このあと怒りに震えるような事件が待っていました。 必死に集めたアンケートが放置されたまま!? 先輩の“意外な言葉”に怒り爆発! 「アンケートをメール添付で送っておきました」 Fさんが自分と学生時代の友人たちに頼んで集めた12件のアンケートをO先輩に送ったのは、その翌日。これでお役御免となったのですが、渡したアンケートに関してO先輩から何のお礼の言葉もなく、その後の活用状況に関するフィードバックもありません。Fさんは報われない状況に少々、不満を抱き始めました。 さらにO先輩の机の上の観察してみると、同様のアンケートがプリントアウトされたまま、いくつも積まれた状態です。確か取引先が会議で使うので急いでいると言っていたはず。果たして、苦労して集めたアンケートは成果につながったのか、気になってきました。 ちょうどFさんが帰ろうとしたタイミングに、O先輩と遭遇。時刻は19時を回っていました。何か不機嫌そうな先輩の表情。でも、Fさんは気にせず、 「この間のアンケートはお役に立てましたか?」 と聞いたところ、「ありがとう、助かったよ」と遅ればせながらの感謝の言葉をかけてもらえると思っていたのにもかかわらず、想定外の答えが返ってきました。 「ああ、アンケートね。実は、取引先が調査に関して外注したので、頼んだアンケートは必要なくなってしまったんだよね」 と悪びれることなく、あっけらかんと事実を伝えてきたのです。どうやら取引先から頼まれたアンケートに関して、O先輩の動きが悪かったので、 (営業担当に頼んでも動いてくれない。やはり専門家に任せた方がいいかも) と先方から見切られてしまったようです。Fさんが必死で集めたアンケートはプリントアウトされたものの、放置されたまま。Fさん以外にも同じようにアンケート回収を頼まれて、その回収したものを粗末に扱われた人が複数いた様子です。 「自分だけでなく、無駄な時間を費やされた人たちで、O先輩を糾弾すべきではないか?」 とまで思うほど、怒りが込み上げてきました。 それでもFさんは「そうですか」と返事をして、堪えておこうとしました。すると、 「また、別の機会によろしく頼むよ」 O先輩は軽い感じで、声をかけてきました。この返答を聞いたときにFさんは我慢の限界を超えてしまったようです。そして、 (もうO先輩から頼まれても無視しよう) と堅く決意しました。冒頭でご紹介したようにFさんが立ちすくんでいたのは、この瞬間のことでした。あまりにかわいそうな状況ではないでしょうか? 全く悪意のない無茶ぶり強引人間と 上手く付き合うための処方箋とは さて、みなさんのまわりにもO先輩のようなタイプの人はいますか?徒労に終わる仕事を依頼し、周囲の怒りを買ってしまう人、あるいは、 ・無駄になる可能性が高い会議資料を平気で作成させる人 ・頼んだことを忘れてしまい、相手をガッカリさせる人 です。こうした人たちの性質が悪いのは、悪意が全く無いこと。自分のしでかしたことで信頼をドンドン失っている自覚がないのです。おそらくO先輩が自分の問題点に気づくときには、社内で総スカンを食らい、挽回不能な状態にまで陥っているに違いありません。 ですから、O先輩のような人物に遭遇したら同じ職場の同僚なのですから、勇気を持ってこうしたマズい振る舞いに気づかせ、改善を促すヒントを提供してあげましょう。具体的には、 「報われない仕事を任された人の気持ちがわかりますか?」 と正直に伝えてあげることです。任せられた仕事を粗末に扱われたら、ガッカリ、報われない気持ちになり、任せた相手を嫌う、憎むようになります。その感情の変化に気づかせてあげましょう。例えば、 「苦労して作成した資料が無駄な仕事であったとしたら、任せた人に対して不信感は相当大きくなります」 と報われない痛みを感じさせてあげましょう。あるいは、 「ありがとう。本当に感謝している」「取引先も喜んでくれました」 というように、報われた気持ちにさせる言葉を返してあげたいもの。人は頼まれた仕事に対して感謝を受けたり、どこかで誰かの役立っている事実を知ると「報われた」と感じます。気持ちを言葉に変えて、誠意を示すように心がけましょう。 ◎電子書籍『なぜ若手社員は2次会に参加しないのか』好評発売中◎ http://diamond.jp/articles/print/43914 テレサ・アマビール&スティーブン・クレイマー/HBRブログ Leadership 「取り調べ型」の問いかけが、 部下の意欲と創造性を殺す 2013年11月05日 テレサ・アマビール,スティーブン・クレイマー このエントリーをはてなブックマークに追加テレサ・アマビール&スティーブン・クレイマー/HBRブログのフィード 印刷 「取り調べ型」の問いかけが、 部下の意欲と創造性を殺すバックナンバープロフィール 1 2 » 部下に明確な目標を示し、完全な自由裁量を与え、真の当事者意識を持たせる――言うは易く、実践は難しい。実現への近道は、部下を「取り調べる」という態度を改め、「気にかける」という意識を持つことであるという。
前回の記事で我々は、イノベーションを活かすマネジメントの要諦を示した。社員の意欲と創造性を左右する4つの要因(目標、評価、報酬、プレッシャー)を、バランスよく適用することである。その際に最も難しいのは、社員に明確で意義のある目標を与えると同時に、その達成において十分な自由裁量を与えることだろう。両方を同時に与えるのはたしかに簡単なことではないが、うまくやっている企業もある――時として、独創的な方法で。
受賞歴を持つビデオゲーム開発会社のバルブ・ソフトウェアでは、社員が任務を遂行する際に、ほぼ完全な自主性が認められている。マネジャーが部下にプロジェクトを割り当てる、ということがないのだ。つまりプロジェクトは、参加希望者の人数に基づいて、自然に発展していく。新しいアイデアを考えついた社員は、積極的に他者に参加を呼びかける。このダーウィン主義にも似たモデルでは、自然淘汰のようなプロセスが生まれる。優れた(最高にクールな)プロジェクトは、多くの社員から魅力的であると見なされ、参加人数がすぐに増えるわけだ(英文の関連記事はこちら)。 バルブでは、すべての社員が各々の仕事にきわめて有能であるという前提の下、みなが正しい判断を行い仕事に尽力するものと信頼されている。その結果、社員は明確な目標(なにしろ、プロジェクトの目標を設定するのは彼ら自身だ)と、高度の自主性、その両方を享受している。プロジェクトは「社員自身のもの」――社員みずからが選び、みずからの裁量で遂行するもの――であるため、彼らは仕事に意義を見出しやすい。これは職場での意欲(エンゲージメント)を高める重要な要因である。 あなたの職場では、こうした現象の一部でも見られるだろうか。おそらくそうではないと、お察しする。プロジェクトの選択に完全な自由を与えるバルブのやり方は、ほとんどの組織では通用しない。理由の1つに、同社には250人しか社員がいないということがある。このような寛大なシステムが、より大規模な組織にもうまく適用できるとは思えない。2つ目の理由として、バルブはソフトウェア開発会社であるため、新製品の開発には大規模な設備投資を必要としない。製品開発に多額の準備費用がかかる企業にとって、バルブのやり方は経済的に成り立つものではない。 それではバルブから何のヒントも得られないのかといえば、そうでもない。明確な目標と自主性のバランスを取るうえで、参考にできることがある。 1つ目は、社員をインスパイアする企業ミッションを、経営トップが明確に示すこと。組織にとって最優先の目標は何か、それが組織と顧客にどう貢献するのかを説明するものだ。2つ目は、あらゆる階層のリーダーが、目標に関して部下とコミュニケーションを図り、各々に見合った形で目標を設定すること。これによって全社員が同じ目標を共有する。3つ目は、前線で働く人々を監督する現場のリーダーが、部下1人ひとりの行動が全社の目標にどう貢献するかを全員に理解させること。これは、職場におけるやりがいを引き出す行為そのものだ。 リーダーにとって、明確で魅力的な戦略目標を設定し社員に理解させることは、容易ではない。目標達成の方法について社員に自由裁量を与えることは、さらに難しい。そこで、リーダーが最もやるべきことを提案したい。部下を「取り調べる」のではなく、「気にかける」というマインドセットを取り入れることだ。仕事が完了したかどうかを部下に始終尋ねているならば、それは取り調べだ。彼らがどんなやり方で目標を達成するかを常に監視しているのなら、それも同じく取り調べだ。これは、典型的なマイクロマネジメントである。自分の判断や能力、スキルが評価されていないと部下に感じさせ、さらには実験の精神を抑制してしまう。結果として、「取り調べ」はモチベーションと創造性の両方を殺すのだ。 したがって、部下にはこのように問いかけるべきだ。「そのプロジェクトをやり遂げるために、何が必要だろうか?」、「進捗を阻んでいることはないだろうか?」、「何か手助けできることはないだろうか?」。このように尋ねれば、常に監視下に置かれているという不安を与えずに部下に目を配りながら、プロジェクトの進行具合を確認できる。さらに重要なことに、部下が本当に必要としている資源や支援を、より提供しやすい立場に身を置くことができる。最後に、気にかけるという行為をうまくできれば、リーダー自身の意図――特に、プロジェクトに有益となる情報――をチームと共有することにもなる。 すなわち、「気にかける」ことはコラボレーションを意味するのだ。「取り調べ」は息苦しさをもたらすだけだ。 あなたの企業はバルブのように、採用した社員が各々の任務に有能であると信じているだろうか。もしそうであれば、常に取り調べるよりも、気にかけるほうが理に適っている。我々が実施した調査(「進捗の法則」。英語サイトはこちら)によれば、人々が仕事において最も望んでいるのは適正な報酬以上に、有意義な仕事に従事して成功する機会である。最も優れたマネジャーはこのことを理解し、社員に明確な目標と真の当事者意識の両方を持たせる方法を見出すのだ。 部下を取り調べることなく、気にかける(またはその逆の)リーダーにまつわる経験を、読者の皆さんはお持ちだろうか。 HBR.ORG原文:Checking In with Employees (Versus Checking Up) May 7, 2012
テレサ・アマビール(Teresa Amabile) ハーバード・ビジネススクール(エドセル・ブライアント・フォード記念講座)教授。ベンチャー経営学を担当。同スクールの研究ディレクターでもある。
スティーブン・クレイマー(Steven Kramer) 心理学者、リサーチャー。テレサ・アマビールとの共著The Progress Principle(進捗の法則)がある。 http://www.dhbr.net/articles/-/2198?page=2
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