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「“できない人”にいくら教えても“できる人”にならない」問題についての対話  出世する人、しない人の食事のマナー
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/426.html
投稿者 SRI 日時 2013 年 10 月 15 日 00:50:47: rUXLhToetCnYE
 


 
「“できない人”にいくら教えても“できる人”にならない」問題についての対話

2013年10月15日(火)  谷島 宣之

 調べて書きたいが藪蛇になりかねない。記者の仕事を30年近く続けてきて、こう思うことが時々あった。大事だが調べていくと楽しくない結論に到達しそうだ。事前にこう感じて放置してしまった。そんな案件がいくつかある。

 特定の企業や人に関する話ではない。素晴らしい企業だと絶賛されているが現場の人に会ってみるとどうも違う。新しいリーダーともてはやされているが彼が経営している企業は赤字になりつつある。こういう場合、塩をまかれようとも取材をして書かなければいけないと思っている。

 書きにくい話とは、多くの人がそう感じているものの表だって言うのをはばかられる、「それを言ってはお終い」という件を指す。その一つが本稿の題名に付けた『「できない人」にいくら教えても「できる人」にならない』である。

 経営でも何らかの技術でも何でもよいが、あることに長けた人はもともと素質ないし能力があって、それを本人か周囲がうまく引き出した。素質が無い人がいくら努力しても周りが教育しても、できる人にはならない。

 上記の一文を書いていて「そんなことはない」と反発したり「でも結局はそうだ」と思い直したりする。

「結局は生まれつき」なのか

 世の中の常識として「だれもが素質を持っており、教育次第でそれを開花できる」ということになっている。ところが経営者や何らかのプロフェッショナルを取材し、本題が終わった後の雑談で正反対の指摘を受けたことがしばしばあった。例えば次の発言である。

 「結局は生まれつきですよ。できる人に機会を与えれば、自分でできるようになる。できない人にいくら懇切丁寧に教えても、できる人にはならないね」

 この言葉はIT(情報技術)のプロフェッショナル向けのWebサイトITproに先日掲載した『「できない人」にいくら教えても「できる人」にならないのか』という拙文で紹介した。発言者は情報システムの「開発で一度も失敗したことがない」人であった。

 この人に「あなたはシステム開発でなぜ失敗しないのか」と聞いたところ「問題があれば事前にカンで分かる」といった主旨の答えが返ってきた。取材した当時、「結局は勘次第でそれは生まれつき、などとは書けない」と思ったものである。

 ところがここへ来て彼が言ったカンは勘ではなく「直観」だったのではないかと考え直した。直観とは「判断・推理などの思惟作用を加えることなく、対象を直接に把握する作用」(広辞苑)である。前出のコラム『「できない人」にいくら教えても「できる人」にならないのか』の末尾を引用する。

 
 決断を下せる経営者は、意思決定の「対象」を素早く、しっかり「把握」している。だからこそ正しい決定ができる。(中略)失敗しない人も直観が優れていたのだろう。ところで、「対象を直接に把握する」力なら生まれつき強弱はあっても、後から鍛えることができるのではないか。(後略)
 記事を公開後、何人の人から感想や意見をいただいた。「“何か変”と感じる力は開発できる」と最後の下りに同意してきた人もあれば「その通り、できない人を相手にしても仕方がない」と前半に賛成する意見もあった。

 「できる」「できない」を巡る議論の場にも居合わせた。諸事情によりここ数年禁酒しており夜の会合にはほとんど出られないのだが先日数人の人と会食する機会があった。この手の会合では最初の30分程度は仕事の話をするもののアルコールが回ってくると雑談になる。ひょんなことから教育効果の話になった。

 1人が「人は育てられない」と言い切り、隣にいたもう1人が「残念だけれどこれまでの経験からしてその通りだと思う」と同意する。2人は異なる職種の方である。もう1人が「そんなことは絶対ない。たとえコンピテンシーであっても後から開発できる」と反論する。

 15分ほど3人は議論を続けていたが、日本茶をすすっていた筆者とは異なり3人は焼酎をかなり飲んでいたため頭が今ひとつ回っていなかったのか「できない」「できる」とか「無理」「可能」といった押し問答になってしまった。そしてよくあることだが結論が出ないまま何かの拍子で別な話題に移っていった。

 押し問答になったのは筆者が「カン(直観)を後から高められるという意見があります」と言ったからかもしれない。2人は「カンが鋭い人はもともと鋭い」と応じ、もう1人は「カンも能力、したがって開発できる」と言い、話は収束しなかった。

直観的に本質を見抜く力の重要性

 「カンは勘ではなく『直観』だったのではないかと考え直した」と書いたが、その切っ掛けはプロジェクトマネジメントのコンサルタントである峯本展夫プロジェクトプロ代表と話をしたことであった。

 「プロジェクトマネジャやプロジェクトリーダーには洞察力、すなわち直観的に本質を見抜く能力が必要」というのが峯本氏の長年の持論である。これについては同意する人が多いだろう。

 だが「本質を見抜くことにより、事の展開を読み取り、あたかも事の顛末を予見するかのごとく先を見通すことができる」とまで言われると少々後ずさりして、そういう力は開発不可能だとつぶやきたくなる。

 「洞察する力があれば素晴らしいし、実際そうした力を持っているかのような人はいる。だが、それは生まれつきではないか」と考える日経ビジネスオンライン読者もおられるだろう。読者に成り代わって峯本氏に質問をしてみた。

先を見通すことなどできないのでは。

峯本:かのピーター・ドラッカー氏を見て下さい。未来を予測したかのごとく色々な事を言い当てました。それは勘や予知能力ではなく、洞察力によるものです。

 アマゾン・ドット・コムのジェフ・ベゾスCEOはどうでしょう。商用インターネットが出現したとき、彼はマーケットプレイスとそれがもたらす購買の変化という展開を読み取ったのではないですか。

 「直ぐに手に入れたいが買いにいくのは面倒だ」と思わせる商品があります。彼はそういう購買時の心理を考えて、インターネットが代替手段になると直観的に見抜いたのでしょう。

ベゾス氏はインターネットで販売するのにもっとも適した商品は何かと考え抜いて書籍に到達したそうです。直観ではなく論理の人ではないですか。

峯本:もちろん論理の人でもあるでしょうが、そういうことを考え抜こうとしたのは、インターネットの本質は情報のやり取りを変えると気付いたからでしょう。ネット上のマーケットプレイスという手段にとどまらず、より高い次元にある目的を見い出す力が彼にはあった。これを洞察力と呼んでいるのです。

本能の一種で誰もが持っている

ドラッカー氏やベゾス氏という特別な人の話なのでしょうか。

峯本:常人離れした特殊な才能が必要なのではないかと訝しがる人が出てくるかもしれませんが、そうではありません。直観は人間の本能の一種ですから誰もが持っているものです。

 年齢は関係ありません。洞察力には経験の質が関係してくるので、ある程度の経験者の方が有利かもしれません。ただし新しい体験を素直に受け入れる寛容性は必要です。

 身近な例え話をしましょう。購買力がある顧客がいるとします。戸建て住宅かマンションか、どちらを買おうか迷っている。そこに営業マンが2人やってきました。戸建て住宅の販売会社の営業は戸建て住宅のメリットを、マンション販売会社の営業はマンションのメリットをそれぞれ説明しますが、なかなか顧客には響きません。

 できる営業マンはその顧客が本当に求めていることが何かを会話や顧客の様子を通じて察知します。それが「快適な住宅環境を欲している」だったとしましょう。その営業は「快適な住宅環境」という次元で自分の商品の優位性を説明する。そうすると顧客の心が動き、購買につながる。

 戸建て住宅もマンションも手段です。「快適な住宅に住みたい」という目的が手段の上位にあった。そこに気付くと、事の展開を見通した振る舞いができる。「できる」と言われる人は職種を問わず、意識しているかどうかはさておき、こうした力を使っています。

物事のレベルを認識する

峯本:このように物事や事象の構成や構造を捉えて高い次元から低い次元までのレベルとして認識する。これは何かを洞察するために必須の力でしょう。

 もっと身近な例を考えてみます。ゴミの分別という行為をどう捉えますか。「きちんと分別して出さないとゴミを処理してもらえないから仕方なくやっている」。こう見ているのであれば、それは「家庭のゴミ対策」というレベルです。

 「ゴミは自分の家庭から出る厄介なもので何とか処理しなくてはならない」。平面的な思考で、しかも制約されています。

 ゴミの分別を家庭のレベルから上げてみます。「市民として参画している市政のゴミ対策」、次に「資源の乏しい日本としてのリサイクル資源対策」、さらには「地球全体の資源問題への対策」といったレベルがあります。

 自分の行為は地球の資源問題対策の一部だという認識ができれば、毎日のゴミ分別という行為の意義は変わってくることでしょう。

 現状の私たちは平面的に物事を考える癖がついています。世界を平らな地図でいつも見ている。それでは「日本が世界の中心にある」という制約された、偏った思考になりがちです。

 そうならないように意識して丸い地球儀で考える。意識を高く持って、レベルを意識すれば物事のあり方を高次元かつ多面的にとらえていけます。

レベルを上げていく話は直観というより、「なぜ」を繰り返す思考法のように聞こえましたが。

峯本:洞察や直観は単一の能力というより統合的な思考能力です。様々なレベルで把握する力に加え、物事を観察する力、何かを構想する力、本質をつかむ力、など色々な能力が組み合わさっています。

 思考能力といっても会議室や机上だけで考えるのではありません。五感をフルに使うことをイメージいただければと思います。現場に足を運んで、そこから定性的な情報を五感を通して収集する。非効率とも言えますが、そうすることで必ず何かを知覚できます。

洞察や直観は「現場感覚」

峯本:洞察や直観という言葉に違和感があるのなら「現場感覚」と言っても構いません。日報や売上データといった文字や数値の情報だけに頼っては危険です。

 ドラッカー氏は猛烈な勉強家でしたが人から直に話を聞くことと定性的な分析を何より大切にしていました。商用インターネットが出現した時に、既に市場でそれなりのポジションを確立していた企業の経営者の多くは、部下が提出するレポートによってのみ、インターネットの利用価値について考えたのではなかったでしょうか。

 余談になりますが、かつて私が銀行に勤務していたとき、邦銀で初となるインターネット技術を用いた情報系システムを構築できました。

 当時のトップは現場に来ることをいとわない人で、私のパソコンのところまで来てインターネットブラウザを体験してくれました。実際に触ってみれば、その技術に何かを感じるものです。こういう姿勢があったから、新しい取り組みを認めてもらえたのだと思います。

ロジカル・シンキングとは違うのですか。論理的にレベルを上げていけそうです。

峯本:論理は論理で大事ですが、理屈だけでレベルを上げようとしても案外できません。レベルを上げていく時には、自分の体が実際に浮上しているかのように、五感を駆使して知覚することが求められます。これは思考力の一つですが、理詰めで積み上げる思考とは異なります。

 ロジカルに考えることの重要性を誰よりも唱える大前研一氏でさえ、著書『ストラテジック・マインド』の中で、「洞察力は創造性をもち、ある程度まで直感的で、ときとして現状打破の傾向を帯びているので、そこから生まれる計画は、分析的な観点からはつじつまの合わないことさえある」と書いています。

創造的な洞察とロジカルな検証の両方が必要ということですか。

峯本:戦略策定、シナリオプラニング、プロジェクトデザインなど、いわゆる上流とか源流のところが大事だと指摘されています。しかし、定量データを沢山集め、理詰めで追求していっても、洞察や直観の力がないとレベルを上げて考えることができず、「現状打破」の戦略や企画、プロジェクト計画を作れません。

 日々起こる様々なトラブルや課題に対しても、平面的に考えているだけでは、対処療法にとどまってしまいます。本質的な問題解決がいつまで経ってもできず、同じ失敗を繰り返すことになります。仕事で失敗しないと言われる人は意識しているかどうかは別にして、仕事を立体的にとらえ、急所を見つけられる人です。

「洞察力を持っていない」は錯覚

「本来、誰もが持っている」力なら、なぜ一部の人しか発揮できないのですか。

峯本:その力を発揮する場面や局面がないために持っていないかのような錯覚をしているだけです。洞察力、直観、現場感覚、これらは開発できる能力です。

 もともとある能力を引き出すには、自分の持つ直観を使ってみる習慣が大事と考えています。日頃からレベルを上げて本質を考えたり、認識したりする練習をしておく。そうすれば、新しいものに遭遇した時、直観が働くようになります。

 新しいものが出現した時にまず使ってみる。例えばスマートフォンを使って、色々な情報にアクセスしてみる。ここまではいいでしょう。

 ただ、多様な情報を素早く見られる利便性に満足し、個々の情報の信ぴょう性を確かめずに引用したり転送する。信ぴょう性のある情報だとしても、誰もがアクセスできる情報に優位性などないことに気付かず、それを前提にして物事を判断したりする。こうなってくると、洞察とは無縁の情景と言わざるを得ません。

 情報発信についても同様です。Facebookで情報を発信しているといっても、ランチの写真を公開するためであったら、ソーシャルメディアを利用する本質的価値はありません。

スマートフォンを持っていないのでよく分かりませんが、そこまで目くじらを立てなくてもいいのでは。

峯本:誤解を招いたようです。スマートフォンやFacebookの利用者を批判しているのではありません。ただ、誰もが見られる情報を見たり、ごく普通の日常生活を公開しても、人と同じことをしている「ありがちな状況」にいるわけで、それでは洞察力とかレベルを上げて認識する力は開発されない、そのことに関心を持っていただきたい。

 スマートフォンの本質は何か。ソーシャルメディアの本質は何か。こういう問いを立て、思考のレベルを上げてみる。本質を考える習慣を付けるとはそういう意味です。

 アップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏のことを持ち出すと、「また特別な人の話ですか」と言われそうですが、有名なスタンフォード大学におけるスピーチの最後に残した“Stay Hungry, Stay Foolish”は、洞察力を付ける姿勢の大切さを教えてくれているようで共感を覚えます。

 “Stay Hungry”はいわゆる根性論で必死に努力せよというのではなく「一時の成功体験はもとより現状に満足してはいけない」という指摘だと受け止めました。あらかじめ答えが用意されていない世界で、まだ見えないものに挑んでいく精神的なハングリーさをいつも忘れるなと指摘しているのではないでしょうか。

 一方、“Stay Foolish”は奇抜であることを推奨しているわけではなく、「他人の目を気にせず、自分の直観や考え方を信じ続けろ」ということでしょう。

 “Stay Hungry, Stay Foolish”の姿勢をとることで、洞察力は身に付いていくものだと思います。

最初は型を使い、最後に型を破る

日常生活の中で出会うものについて本質は何かと考えろと言われても難しいです。

峯本:洞察力は思考能力の一種ですから、フレームワークが役に立ちます。フレームワークというとコンサルタントが持ち出す道具と思われがちですが、物事を多面的かつ大局的に考える際には有用です。

 例えば私は仕事の際に「人」「組織」「プロセス」「テクノロジー」の4つを考えるフレームワークをよく使います。まずその組織の使命は何かと考え、次に人、業務プロセス、ITなどの技術を最適化することを考える。4つについてそれぞれ考え、さらに4つの関係性を考えます。

 ごく単純なフレームワークですが、現場の業務プロセス改善にだけとらわれたり、ITのことばかり考えてしまう弊害を避けられます。

 フレームワークを使うと思考が枠や型にはまってしまうと危惧する人がいるかもしれませんが杞憂です。思考のフレームワークは最終的にそのフレームワークを破るためにある。型を破るためには、型を使えるようにならなければなりません。初めから型破りな人はいないのです。

注)本稿後半の一問一答は日経ビジネスムック『課長塾 創造課 イノベーション実践ガイド』の「新しいことをやる力 直観的に本質を見抜く」に基づいています。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20131010/254456/?ST=print


 
第35回】 2013年10月15日 笠井奈津子 [栄養士、食事カウンセラー]
出世する人、しない人の食事のマナー
 ここ数年、宮様主催のテーブルマナー講座に講師のひとりとして呼んでいただいている。その中で印象に残った「ひとりで生きるか、礼儀を知るか」という宮様の御言葉。どんなに頭がよくでも、ビジネスの才能があっても、ひとりでできることには限りがある。誰もが避けては通れない「食事の時間」。テーブルマナーもビジネスマナーの一部だ。大事なコミュニケーションのツールとしてどんどん活用していきたい。

 第一印象を決める上では、多かれ少なかれ「外見」というのが大きなファクターとなる。外見は、なにも身に着けているものや顔の造作に限らない。表情、姿勢、態度などの見た目から得られる情報も含まれる。メラビアンの法則によると、人の印象は93%が言葉以外から得られるのだそうだ。

 ビジネスシーンでは、恋愛のように「ギャップが良い」と思われるようなことはあまりないだろう。第一印象はなかなか変えられないというから、食事の場ではできるかぎり良い印象をもってもらいたい。しかも、食事の席ほどに、ビジネスの場において「人となり」を感じさせるような場所はないだろう。

もし接待でにぎやかな席に
案内されてしまったら…

 セミナー終了後に経営者の方々とごはんをご一緒させていただくことがあるが、年を重ねても第一線で仕事をしている方の多くは、食事のシーンでも例外なく伝え上手である。また、場の雰囲気を悪くしない、相手に必要以上の緊張感を与えないことに長けている印象をうける。

 たとえば、接待の場で、思っていたよりもにぎやかな席に案内されることもあるかもしれない。接待側としては焦って、「ここではダメだよ」「これでは困るよ」とサービスマンに伝えたくなるような場面だ。でも、クライアントに聞こえないように小声でいっても、言われた人の顔をみれば、なんとなくクレームを受けたらしいことはわかる。「否定語を使わないで同じ会話をする」これは、心にとめておきたいことだ。「静かなところに移りたいのですが」と、スマートにお願いの形で伝えることだってできる。

 また、サービスマンの方が「お荷物をお預かりしましょうか?」と声をかけてくださった際に「あ、大丈夫です」と断る人がいるが、その声掛けの意味するところは「お預かりさせてください」である場合も少なくない。たとえば、クライアントと仕事の話をしたくて、いっぱい資料が入ったビジネスバックを足元に置いてあるとする。これでは、サービスがしにくく、脚をひっかけるなど、トラブルも起きやすい。また、他のテーブルにカップルが多ければ、過剰な仕事の話はその日のお店の雰囲気を壊しかねず、「空気が読めない人」と思われてしまっても仕方がない。

少しの作法で大きな差がつく
食事中の携帯電話のマナー

 さて、いざ会食がスタートして食前酒などお酒を注文する際、「ご一緒にお水もいかがですか?ガス入りとなしのもの、どちらがお好きですか」と聞くのも好感度が高い。(お酒好きな方には、水を差さないよう、食事がスタートしてからさりげなく聞くと良いだろう)社会的地位が高く、普段接待されることが多いような人は、日頃、健康管理をしっかりしている人が少なくない。飲みすぎないように、肝臓に負担をかけないように、一緒に気を使ってあげると喜ばれるだろう。

 また、携帯をテーブルの上に置かない、ということはほとんどの方が実践していると思うが、ジャケットを着ずに、シャツのポケットに入れているようであれば要注意。着信した際の光の点滅は、相手もすぐ気が付くし「大丈夫ですか?」と配慮せずにはいられない。「あ、出なくても大丈夫です」といわれても、何度も光っているようであれば落ち着かない。出なくても大丈夫なのであれば、バッグの中に入れておくか、万が一のためにパンツのポケットに入れておこう。

 ときに、緊急の電話などでどうしても中座しなくてはいけないこともあるだろう。その際のナプキンの置き方だが、特に女性は、キレイにたたんでテーブルの上に置く人が少なくない。でも、中座のときにナプキンを置く場所は、テーブルの上でも、椅子の背でもなく、“椅子の上に置く”が正解だ。椅子の上よりもテーブルの上の方が衛生的な気がするが、本来、ナプキンは口を拭ったりするものでもある。汚したものをテーブルの上におくのは同伴者に失礼になる。

 ただ、食事を終えて席を立つときには、ナプキンはテーブルの上におこう。このときも、ナプキンをきれいにたたむことなく、ラフにテーブルの上におこう。日本人的には、きれいにたたむことが丁寧であるように思うが、世界共通のマナーにはあたらない。また、ナプキンを置く=終了を感じさせることなので、お客様よりも早くナプキンを置いたりはしないように…。

あなたの割りばし、レンゲの使い方
実は間違っているかも

 そうはいえども、最近のご時世で接待も減ったし、マナーなんて意識する機会がないよー、という方にも、今日から使えるマナーをひとつ。それは、「割りばしの割り方」。割りばしを割った後にこするような人なんて最近は見かけないが、割りばしをキレイな所作で割れる人というのは意外と少ない。

 まず、割りばしを袋から出したら、両手で中ほどをもとう。そのとき、箸は縦にするのではなく、横に出したままだ。そして、左右に広げるのではなく、左手で下側の箸をしっかり固定し、上下に開くように割る、これができている人がいるか、今日のランチでこっそり周りを見てみよう。きれいにできると、気持ちが良いものだ。

 また、中華でのレンゲの持ち方もスプーンとは異なる。人差し指を柄のくぼんだ箇所におき、親指と中指ではさむようにして持つ。スープを飲むときにはこの所作を右手で、麺類を食べるときには左手に持ち替えて使おう。

 そして、刺身にしょうゆをつけたりして、ちょっとこぼれたら大変だな、というときに、箸を持たない手を添えて食べる人がいるが、これは実はマナー的にはよくない。こぼれそうだな、と思ったときには、小皿を使おう。

 喫茶店での打ち合わせでは、コーヒーを頼む場面も多いだろう。料理が運ばれてきたときに食べる前にいきなり塩をふったりしないのと同じように、コーヒーの一口目もなにもいれずにブラックのままで飲むのがマナーだ。香りや味を楽しむ少しのゆとりが、その後の話をスムーズにもさせるだろう。また、ミルクや砂糖をいれて使用したスプーンは、カップの向こう側のソーサーの上においておこう。紅茶についてくるレモンスライスや、カプチーノに添えられているシナモンスティックも同様だ。

仕事で成功している人は
食事を楽しんでいる

「仕事の食事」であっても「仕事以外の部分に気を配る」ことが欠かせない。極端なことをいえば、多くの男性は、女性から「ねぇ、今日何してた?」「今何してる?」と自分のことだけに注目されると「なんだか面倒くさそうだな」「つまらないな」と敬遠するだろう。食事の場で、周りに配慮せず、仕事の話に終始するような人は、それに近しいかもしれない。仕事で成功している人は、食への好奇心が高い人が多く、食事を楽しみたい、と思っている人も少なくない。

「普段、食に興味がありません」という態度は、どうしたってにじみ出てしまうもの。だからこそ、普段から、少しは食に興味をもっていてほしい。「旬ですね」「きれいな器ですね」でもなんでもいい。視野を広く、俯瞰的に見ることができる人は仕事もできる。お店側の人とも良いコミュニケーションがとれていると、別のプロジェクトや、他の人に紹介する際にもなんとなく安心感が持てる。食事の際には、仕事人間+αの部分を見てもらえたら最高だ。

 それと、プライベートで使える豆知識。レストランの予約の電話は男性側がすることが多いと思うが、もしも領収書が必要であれば、その際に一緒に伝えておくと良いだろう。合コンやデートの際に領収書をきれば、好感度は自然と下がる。お店によっては、レシートと一緒に封筒に入れて渡してくれたりと、配慮をしてくれるだろう。

 また、「たばこを吸っても良い?」と一言声かけてくれたときに「ダメです」と言える女性はなかなかいない。しかも、言わないだけではなく、匂いに敏感な女性は結構嫌がっていることも多い。ふたりっきりの食事で何分も間をあけてしまうならまだしも、複数名で食事をしている場なら、「ちょっとタバコ吸ってくる」と離席した方がスマートかもしれない。それでもあえて「ここで吸っても大丈夫だよ」と言ってもらえたら、そこは甘えてしまおう。

 ひとりでいるか、礼儀を知るか…。それならばもっと礼儀を学ぼう、と思わずにはいられない。人と一緒に心地よく食卓を囲めること、それは生活において大事な心の栄養だ。
http://diamond.jp/articles/-/42955
 

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コメント
 
01. 2013年10月15日 12:36:58 : rAZs4KvhOE
しかし世の中「できる人」よりも「できない人」の方が遥かに多い。
しかも個々に「出来ない」部分と「出来る」部分が違っている。
だからモザイクのように適当に組み合わせて、全体として機能するように調整するのが管理職の仕事である。
成人力は世界平均より上回っているのだから、それで十分世界に打って出ることは可能だ。
「出来ない人」は「出来ない」としてしまうのは、スペシャリスト=職人の世界に限られる。

02. 2013年10月15日 22:59:40 : 3PJAqRzx3M
>>01
おっしゃる通りなんだけども、
日本の企業は伝統的に何でもそつなくこなすことを求める傾向がありまして。
定期的な人事異動・ローテーションもあり、適材適所というよりどこで何をやってもほどほどにできる人間を好むのです。

03. 2013年11月07日 01:15:37 : e9xeV93vFQ

【第8回】 2013年11月7日 大本 綾
幸福度世界一のデンマークで学んだストレスを解消する方法
世界で最も刺激的なビジネスデザインスクール「カオスパイロット」に留学中の大本綾さんが学んだ“クリエイティブな儀式”。それは、直面した困難を自らの手で乗り越える方法だった。人生の痛み、苦しみなど、あらゆるストレスを解消するための儀式とは何か? そのデザイン法とは? 大好評の「留学ルポ」連載、第8回。
デンマークのビジネスデザインスクールで学ぶストレス解消法
 3年制のデンマークのビジネスデザインスクール、カオスパイロットに留学して1年が経ちました。リーダーシップ、クリエイティビティ、起業家精神を実践的に学ぶことを重視するこの学校を選んでよかったと思う理由の一つは、ストレスフルな環境を乗り越えて結果を出すメンタリティと知恵、そして仲間ができたことです。
 カオスパイロットは名前の通り、カオスの中でもパイロットのようにナビゲートできる人材を育てることを目的としているので、与えられる課題は混沌とした状況に放り出されてチームで問題解決を求めるものばかりです。
 問題に向き合い解決法を探るリーダーシップはもちろん、解決のアプローチがクリエイティブであるほど高く評価されるので、それを実現する手法や理論を多く学びます。
 中でも最近面白かったのが、ストレスフルな状況に置かれた人々が遊び心のある“儀式”で困難を乗り越える手法でした。まず、そもそも儀式と聞いて人によって想像するものが異なるかと思います。
 スポーツ心理学の権威である、ジム・レーヤー氏は著書の『メンタル・タフネス――ストレスで強くなる』で儀式は“ビジネスマンとしてのタフネスを身につけるうえで強力な武器”で、身につけ方がわかれば健康も幸福もパフォーマンスも新たな段階へとレベルアップできる、と説明しています。
 実は最近変わった儀式に参加して、気持ちに大きな変化をもたらしてくれた出来事がありました。カオスパイロットの20年の歴史の中でも、ある大きな変化を迎えたときのことです。
カオスパイロットのユニークな儀式
 今年の6月、カオスパイロットが新しい校舎に引っ越しをすることになりました。20年以上使ったこれまでの校舎は、遊び心のある暖かい家のような場所でたくさんの思い出と歴史の詰まった空間でした。一方で新しく移る校舎は、プロフェッショナルでビジネスライクな空間です。がらりと校舎の雰囲気が変わるので、環境の変化がもたらす様々な影響に懸念する声が在学生から挙がりました。
 複雑な心境にあった私たちを救ってくれたのは、2人のデンマーク人のチームメイトが中心になってデザインしてくれた儀式です。スタッフのサポートを得ながらデザインしてくれたその儀式は遊び心にあふれたものでした。
 まずドレスコードの真っ白な服を着た参加者を待っていたのは、引っ越しを祝うシャンパンでもパーティーでもなく不思議な“タスク”です。最初に参加者一人一人に与えられたのは、一枚の紙とペン。「古い校舎に置き去りにしたいものは何ですか?」という問いの答えを書いたものを、その場に設置された壷に入れます。
 それが終わると今度は、新しい校舎に移ってもキープしたい思い出やスピリットを4つのポイント(音、匂い、雰囲気、秘密事や思い出のあるストーリー)から集めて形にします。こんな儀式は経験したことがないので、最初は戸惑いましたが、音や匂いを集めるにも、それを手伝ってくれる不思議な格好をしたヘルパーがいるので、おとぎ話の主人公になった感覚で楽しくなってきます。
photo:Anne Kjaer Riechert
 皆が思い出として残しておきたいものに同じものはなく、十人十色の思い出がユニークな形になり浮かび上がります。目に見えない思いやスピリットを形にしたら、今度はそれをヘルパー達がそれぞれの形式でまとめて、神秘的な雰囲気に包まれた講堂に持っていきます。
 参加者が見つめる中、講堂の中に設置された手作りの木製のマシーンに集めた“思い”が注ぎ込まれます。マシーンのハンドルをまわすとそこから様々な思い出が集約された水晶のような石がでてきます。

 今度はそれを校長が持って先頭に立ち、皆をリードしながら新しい校舎に移動します。皆、頭には儀式が始まるときに渡された、古い校舎と新しい校舎が示された地図がプリントされた三角の帽子を被っています。不思議な格好で移動しているので、町の人も一体何が起きているのかと不思議そうに私たちを見つめています。
 儀式に参加している人々も、引っ越しを大げさに捉えている自分に気付き“これって可笑しいよね”と言いながら、笑い合います。新しい校舎に到着すると光が降り注ぐ新しい講堂で、校長がスピーチを行い皆の集約された思いとスピリットは新しい校舎に移されたことを告げます。大喝采がおきました。
photo:Anne Kjaer Riechert
 過去を振り返り、思いを言葉にして形にする。それが周りの人にも認識される。大げさにそのプロセスを一つ一つ捉えたクリエイティブな儀式で、引っ越しへの不安が笑いに変わり、誰もがすっきりとした表情でこれから新しい思い出を作る場所を迎えることができました。
 この儀式をデザインした一人で、同じチームで仲の良い友人でもあるシグリッドにインタビューをしました。「儀式を作るなら、チャーミングで気楽で遊び心があるようなものにしなければいけないと思った。新しい校舎は港にポツンと立つ黒いガラス張りの建物。それをSF作品『2001年宇宙の旅』シリーズに登場するモノリスに例えて、それを見つけた人類が進化していくストーリーを儀式をデザインするときに考えた。引っ越しをネガティブに捉えるのではなく、またポジティブに捉えるのでもなく、これを“機会”として受け入れて、そこに人を招き入れるようにしたかった」
 ハーバード大学で人気の講義を教える、タル・ベン・シャハー氏も著書の「Happier」で、幸せになるためには、経験を経験として感じるための許しを自分に与えることが必要で、理解しようとしたり解決したりすることではなく感情をそのまま受け入れることの重要性を説いています。
 個人の思いを評価するのではなく、ありのままに見つめて振り返る場と対話の機会をつくれば、皆が納得のいく結果を導くことができます。そのプロセスをクリエイティブな儀式に仕上げることで、ストレスフルな変化を受け入れ、いつまでも心の中に残る思い出を作ることができるのです。
クリエイティブな儀式
「クリエイチュアル」とは?
 チームメイトのシグリッドがカオスパイロットの引っ越しの儀式をデザインするときに参考にしたのは、学校のプロジェクトでクライアントとして一緒に仕事をした、メイカ・ジグラーさんという方です。
 メイカさんは企業やNPO、個人向けに、クリエイティブなリチュアル(儀式)をデザインし実施する”「クリエイチュアル」 (http://www.creatuals.com/)を立ち上げた創始者で、オランダを拠点に世界で活躍しています。
 そんな彼女がシグリッドの紹介で、先日カオスパイロットにクリエイティブな儀式をデザインする手法を教えるため、新校舎に来てくださりました。過去の実績紹介から始まった彼女の授業はとてもエキサイティングなものでした。誰もが経験したことのないようなクリエイティブな儀式だったからです。
 中でも、オランダのイベント会社がクライアントで彼らの顧客向けにデザインされた儀式は特別に印象が残っています。参加者が160人規模のイベントで、1日かけて行った儀式でした。
 メイカさんがクライアントから与えられた課題は、離島でクライアントが“幸せ”に触れることができる儀式をデザインすること。最初にクライアントが考えていたのは、幸福に詳しい専門家を読んで講義を行うというアイディアでした。

 それに対して、メイカさんはなぜ離島まであえて行く必要があるのか? とクライアントに問いかけ、これまでにないような新しいスタイルのクリエイティブな儀式を実現しました。
 約160人のクライアントが離島に到着して最初に渡されたのはMP3プレイヤー。用意された心地の良い椅子に座り、耳に流れてくるのはマイキさん自身が考えたという幸せについて語ったおとぎ話です。
 それは、お金のことばかりを考えていた工場長がある子どもと出会ったことをきっかけに、彼にとって本当の幸せにとは何か気づくという内容の物語でした。深く考えさせられるテーマですが、気持ちの良い日差しの下で聞くおとぎ話は、くすっと笑えるもので、今を生きることの大切さを教えてくれます。

 その後、参加した人々は島にある要塞に向かいます。要塞の中に設置されたテーブルには実験室にあるような試験管と特別な素材で作られた紙が用意されています。

 自然の素材でできたインクを使って、参加者は“自分を幸せにするものは何か?”の問いに答えるものを書きます。それを雨水が入った試験管の中に入れると、文字のインクが液体に混じり、すっと色づき消えていきます。
 この“幸せの特効薬”を参加者は首にかけ、またある部屋に向かいます。そこには大きな木製のキャビネットがあり、160個もの番号付けされた蝶々のさなぎが参加者の手助けを得てふ化するのを待っています。



 そんなミステリアスな空間で、参加者は自分の番号の下にあるさなぎを見つけて、雨水で潤いを与えます。儀式が終わった後、メイカさんはすべてのさなぎを自分のスタジオに持ち帰り、まるで動物園のように湿度管理がしっかりされたグリーンハウスを設置しその中で160個のさなぎを見守ります。翌日には3つのさなぎがふ化しました。

 それぞれのさなぎがふ化する度に、日付を記録していきます。全部で6種類の蝶々があり、それぞれの蝶々の写真が入ったカードにクライアントの名前、彼らのさなぎがふ化した日を「あなたの幸せが誕生しました」というメッセージを添えて、一人一人にメッセージを送ったそうです。
 さなぎから蝶々になるまでの変化を通して「今度はあなたが変わる番です」というメッセージを伝えたかったという、メイカさん。幸せとは何か答えは人それぞれです。
 誰かの価値観を押し付けることなく、これまでの人生を振り返り、自分なりの定義ができる機会と場を用意しました。小さな美しい生命が誕生する過程を見ながら考えた、自分の幸福観について人々が忘れることはないでしょう。

別れの悲しみを乗り越えるクリエイティブな儀式
 クリエイティブな儀式をデザインする上で課題となるのは、限られた時間でどのように人の感情を動かし、困難を乗り越えるきっかけを作るのかということです。メイカさんにインタビューをして聞いてみました。
「問題をあえて強調することです。コアを見つけて、何が痛みをもたらしているのか、もう一度しっかり見つめるのです。一瞬それで、もっと痛みを感じるように思えます。確かにそうです。ただ、じっくりと見つめることで傷が癒えるのです」
 そしてメイカさんが以前、祖母を亡くされたときにデザインした儀式について話して下さりました。
「祖母は96歳でこの世を去りました。彼女はいつも真珠のネックレスを身につけていました。会う度に従兄弟たちの近況を話してくれていたので、彼女が普段会えない私たちを近づけてくれていた存在でした。
 亡くなってから、その真珠のネックレスをもらえないか周りに聞きました。それは祖母を思い出すもの。彼女が糸で私たちが彼女にとっての真珠だったのです。
 お葬式では100人ほど集まり、その中で私は大きなハサミで祖母のネックレスを切るという儀式をデザインしました。糸で繋がれていた真珠は器にこぼれ落ちました。
 皆、そのときは感情的になりました。私が亡くなった祖母のネックレスを切ってしまったので、怒りだす人もいました。それでも私はこの真珠のネックレスがいつか忘れられて置き去りにされるよりも、このようにすることがずっと意味があることだと思ったのです。
 バラバラになった真珠は皆が一つずつ持ち帰り、糸は美しい袋にいれて祖母の棺の中に入れました。私はそれが人々の心の中で育つ思い出にしたかったのです。糸が真珠を一緒にしてくれた。糸は亡くなって、真珠はあちこちに散らばってしまったけれど、いい事も悪い事もこれで思い出すことができるのです。
 怒りは悪いことではありません。一番感情的になった人こそ、心に残る思い出ができるのです。クリエイティブな儀式は、あとになって物語として語られます。これで別の視点から物事を見れるようになるのです。実際、儀式のあとで時間が経ってからその効果を実感して感謝の気持ちを伝えてくれる人は多いのです。
 人は自分の行動は正しいことだと思っています。人の気持ちを刺激することは悪い事ではありません。私は儀式で人に強制をするつもりはありません。批判的になっても良いのです。なぜなら、それで物事は動くからです。人生は、議論をして動いていくのです」
クリエイティブな儀式をデザインする
 人生にストレスはつきものです。食べること、買い物をすること、様々な方法で一時的に忘れることはできますが、メイカさんのお話から学んだのは、こういった行動は、痛みを麻痺させて一時的にわからなくしているだけで、根本的な問題の解決には繋がらないということです。
 見えないところに傷を隠して、何事もなかったかのように振る舞うのではなく、時間をかけてでも真実とは何か見つめられるクリエイティブな儀式で、一歩前進することができるのでしょう。ポイントは、こうしたクリエイティブな儀式は自分で作れるということです。
 メイカさんは儀式のデザインについてこう教えてくれました。
「人はみなクリエイティブな人間として生まれてきています。クリエイティブな人のグループ、そうでない人のグループなどありません。私はクリエイティブな儀式を通して、人が物事を見る力を刺激したいのです。
 私たちは見ているようで見ていません。もう一度、見つめてほしい。もう一度、耳を傾けてほしい。2回目に聞くときは違って聞こえてくるはずです」
 彼女は過去に7ヵ国に暮らした経験があり、そこで様々な文化の儀式を経験し、「この世にただ一つの真実はない、すべてが人によって作られた物語で儀式も同じ」と気づいたそうです。

 メイカさんの儀式、カオスパイロットの儀式のデザインの手法から学べることは、何かこれからの人生で受け入れがたい変化が起きたとき、その変化が一体何を意味しているのか、まずはじっくりと心の声を観察することの大切さです。
 その後、その変化を表すシンボルとなるものを見つけるのです。引っ越しの場合は、『2001年宇宙の旅』のモノリスでした。メイカさんの場合は真珠のネックレスでした。次にその変化について、何をすれば乗り越えられるのかを考えるのです。
 カオスパイロットの場合は思いを集め、形にして運び、移すという“進化”を促す作業。メイカさんの例では、繋げてくれた事実を覚えておくことでした。そしてそのシンボルを使って、解決に向かう作業をちょっと大げさに、はっきり見える形で表現してみせるのです。
 やり過ぎかと思う表現を、あえて使うことでそれを経験した人の感情がぐんと次のステージに動かされます。一緒に変化に対応する必要がある人が他にもいるのであれば、彼らをそのプロセスに巻き込むのです。
 そうした儀式を創造性のあるものにすれば、長い間人の記憶に残り、時間が経っても語り継がれる物語となるのです。語り継がれていくことで、痛みのある問題も徐々に解決し、浄化されていきます。
 一時的な行動に頼らず、長続きする思い出に変えていくマジックを生むのがクリエイティブな儀式の効果なのです。困難を乗り越えるために一人でできる儀式もありますが、グループでこうした儀式を通して乗り越えることは組織やコミュニティーにとって大きな価値をもたらします。
 困難に直面したときに乗り越える方法として、クリエイティブな儀式をデザインすることを、新しい選択肢として考えてみてはいかがでしょうか。
第9回に続く(12/27掲載予定です)
________________________________________

大本綾(おおもと・あや)
1985年生まれ。立命館大学産業社会学部を卒業後、WPPグループの広告会社であるグレイワールドワイドに入社。大手消費材メーカーのブランド戦略、コミュニケーション開発に携わる。プライベートでは、TEDxTokyo yz、TEDxTokyoのイベント企画、運営に携わる。2012年4月にビル&メリンダ・ゲイツ財団とのパートナーシップによりベルリンで開催されたTEDxChangeのサテライトイベント、TEDxTokyoChangeではプロジェクトリーダーを務めた。デンマークのビジネスデザインスクール、The KaosPilotsに初の日本人留学生として受け入れられ、2012年8月から留学中。
■連絡先
mail 9625909@facebook.com
Facebook http://facebook.com/ayaomoto7
Twitter https://twitter.com/AyA_LVPC
http://diamond.jp/articles/print/43964


[12削除理由]:無関係な長文多数

04. 2014年5月02日 02:37:27 : AiChp2veWo
遺伝子に努力が善悪も技術も価値観も刻印されてゆく。悪い奴で国家的な地衣にあるやつはその親父も悪である。権力構造の中で自分に有利な人間とうまく付き合い地位や名誉、金銭を得て、子にもその流れと人脈を譲る。但し、国家や国民の為に、などは全然考えていない保身だけだ。感というものは犯罪者にもある。今日は空き巣狙いをすると捕まる感じがするから止めておく、とかだ。逆に警察官にもある。いずれの世界にもその業の中での直感や感のいいのはいるし感もいろいろだ。感は伝えたり育てたりが殆どできないな、経験的に。遺伝子か魂かによるな。


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