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「“できない人”にいくら教えても“できる人”にならない」問題についての対話
2013年10月15日(火) 谷島 宣之
調べて書きたいが藪蛇になりかねない。記者の仕事を30年近く続けてきて、こう思うことが時々あった。大事だが調べていくと楽しくない結論に到達しそうだ。事前にこう感じて放置してしまった。そんな案件がいくつかある。
特定の企業や人に関する話ではない。素晴らしい企業だと絶賛されているが現場の人に会ってみるとどうも違う。新しいリーダーともてはやされているが彼が経営している企業は赤字になりつつある。こういう場合、塩をまかれようとも取材をして書かなければいけないと思っている。
書きにくい話とは、多くの人がそう感じているものの表だって言うのをはばかられる、「それを言ってはお終い」という件を指す。その一つが本稿の題名に付けた『「できない人」にいくら教えても「できる人」にならない』である。
経営でも何らかの技術でも何でもよいが、あることに長けた人はもともと素質ないし能力があって、それを本人か周囲がうまく引き出した。素質が無い人がいくら努力しても周りが教育しても、できる人にはならない。
上記の一文を書いていて「そんなことはない」と反発したり「でも結局はそうだ」と思い直したりする。
「結局は生まれつき」なのか
世の中の常識として「だれもが素質を持っており、教育次第でそれを開花できる」ということになっている。ところが経営者や何らかのプロフェッショナルを取材し、本題が終わった後の雑談で正反対の指摘を受けたことがしばしばあった。例えば次の発言である。
「結局は生まれつきですよ。できる人に機会を与えれば、自分でできるようになる。できない人にいくら懇切丁寧に教えても、できる人にはならないね」
この言葉はIT(情報技術)のプロフェッショナル向けのWebサイトITproに先日掲載した『「できない人」にいくら教えても「できる人」にならないのか』という拙文で紹介した。発言者は情報システムの「開発で一度も失敗したことがない」人であった。
この人に「あなたはシステム開発でなぜ失敗しないのか」と聞いたところ「問題があれば事前にカンで分かる」といった主旨の答えが返ってきた。取材した当時、「結局は勘次第でそれは生まれつき、などとは書けない」と思ったものである。
ところがここへ来て彼が言ったカンは勘ではなく「直観」だったのではないかと考え直した。直観とは「判断・推理などの思惟作用を加えることなく、対象を直接に把握する作用」(広辞苑)である。前出のコラム『「できない人」にいくら教えても「できる人」にならないのか』の末尾を引用する。
決断を下せる経営者は、意思決定の「対象」を素早く、しっかり「把握」している。だからこそ正しい決定ができる。(中略)失敗しない人も直観が優れていたのだろう。ところで、「対象を直接に把握する」力なら生まれつき強弱はあっても、後から鍛えることができるのではないか。(後略)
記事を公開後、何人の人から感想や意見をいただいた。「“何か変”と感じる力は開発できる」と最後の下りに同意してきた人もあれば「その通り、できない人を相手にしても仕方がない」と前半に賛成する意見もあった。
「できる」「できない」を巡る議論の場にも居合わせた。諸事情によりここ数年禁酒しており夜の会合にはほとんど出られないのだが先日数人の人と会食する機会があった。この手の会合では最初の30分程度は仕事の話をするもののアルコールが回ってくると雑談になる。ひょんなことから教育効果の話になった。
1人が「人は育てられない」と言い切り、隣にいたもう1人が「残念だけれどこれまでの経験からしてその通りだと思う」と同意する。2人は異なる職種の方である。もう1人が「そんなことは絶対ない。たとえコンピテンシーであっても後から開発できる」と反論する。
15分ほど3人は議論を続けていたが、日本茶をすすっていた筆者とは異なり3人は焼酎をかなり飲んでいたため頭が今ひとつ回っていなかったのか「できない」「できる」とか「無理」「可能」といった押し問答になってしまった。そしてよくあることだが結論が出ないまま何かの拍子で別な話題に移っていった。
押し問答になったのは筆者が「カン(直観)を後から高められるという意見があります」と言ったからかもしれない。2人は「カンが鋭い人はもともと鋭い」と応じ、もう1人は「カンも能力、したがって開発できる」と言い、話は収束しなかった。
直観的に本質を見抜く力の重要性
「カンは勘ではなく『直観』だったのではないかと考え直した」と書いたが、その切っ掛けはプロジェクトマネジメントのコンサルタントである峯本展夫プロジェクトプロ代表と話をしたことであった。
「プロジェクトマネジャやプロジェクトリーダーには洞察力、すなわち直観的に本質を見抜く能力が必要」というのが峯本氏の長年の持論である。これについては同意する人が多いだろう。
だが「本質を見抜くことにより、事の展開を読み取り、あたかも事の顛末を予見するかのごとく先を見通すことができる」とまで言われると少々後ずさりして、そういう力は開発不可能だとつぶやきたくなる。
「洞察する力があれば素晴らしいし、実際そうした力を持っているかのような人はいる。だが、それは生まれつきではないか」と考える日経ビジネスオンライン読者もおられるだろう。読者に成り代わって峯本氏に質問をしてみた。
先を見通すことなどできないのでは。
峯本:かのピーター・ドラッカー氏を見て下さい。未来を予測したかのごとく色々な事を言い当てました。それは勘や予知能力ではなく、洞察力によるものです。
アマゾン・ドット・コムのジェフ・ベゾスCEOはどうでしょう。商用インターネットが出現したとき、彼はマーケットプレイスとそれがもたらす購買の変化という展開を読み取ったのではないですか。
「直ぐに手に入れたいが買いにいくのは面倒だ」と思わせる商品があります。彼はそういう購買時の心理を考えて、インターネットが代替手段になると直観的に見抜いたのでしょう。
ベゾス氏はインターネットで販売するのにもっとも適した商品は何かと考え抜いて書籍に到達したそうです。直観ではなく論理の人ではないですか。
峯本:もちろん論理の人でもあるでしょうが、そういうことを考え抜こうとしたのは、インターネットの本質は情報のやり取りを変えると気付いたからでしょう。ネット上のマーケットプレイスという手段にとどまらず、より高い次元にある目的を見い出す力が彼にはあった。これを洞察力と呼んでいるのです。
本能の一種で誰もが持っている
ドラッカー氏やベゾス氏という特別な人の話なのでしょうか。
峯本:常人離れした特殊な才能が必要なのではないかと訝しがる人が出てくるかもしれませんが、そうではありません。直観は人間の本能の一種ですから誰もが持っているものです。
年齢は関係ありません。洞察力には経験の質が関係してくるので、ある程度の経験者の方が有利かもしれません。ただし新しい体験を素直に受け入れる寛容性は必要です。
身近な例え話をしましょう。購買力がある顧客がいるとします。戸建て住宅かマンションか、どちらを買おうか迷っている。そこに営業マンが2人やってきました。戸建て住宅の販売会社の営業は戸建て住宅のメリットを、マンション販売会社の営業はマンションのメリットをそれぞれ説明しますが、なかなか顧客には響きません。
できる営業マンはその顧客が本当に求めていることが何かを会話や顧客の様子を通じて察知します。それが「快適な住宅環境を欲している」だったとしましょう。その営業は「快適な住宅環境」という次元で自分の商品の優位性を説明する。そうすると顧客の心が動き、購買につながる。
戸建て住宅もマンションも手段です。「快適な住宅に住みたい」という目的が手段の上位にあった。そこに気付くと、事の展開を見通した振る舞いができる。「できる」と言われる人は職種を問わず、意識しているかどうかはさておき、こうした力を使っています。
物事のレベルを認識する
峯本:このように物事や事象の構成や構造を捉えて高い次元から低い次元までのレベルとして認識する。これは何かを洞察するために必須の力でしょう。
もっと身近な例を考えてみます。ゴミの分別という行為をどう捉えますか。「きちんと分別して出さないとゴミを処理してもらえないから仕方なくやっている」。こう見ているのであれば、それは「家庭のゴミ対策」というレベルです。
「ゴミは自分の家庭から出る厄介なもので何とか処理しなくてはならない」。平面的な思考で、しかも制約されています。
ゴミの分別を家庭のレベルから上げてみます。「市民として参画している市政のゴミ対策」、次に「資源の乏しい日本としてのリサイクル資源対策」、さらには「地球全体の資源問題への対策」といったレベルがあります。
自分の行為は地球の資源問題対策の一部だという認識ができれば、毎日のゴミ分別という行為の意義は変わってくることでしょう。
現状の私たちは平面的に物事を考える癖がついています。世界を平らな地図でいつも見ている。それでは「日本が世界の中心にある」という制約された、偏った思考になりがちです。
そうならないように意識して丸い地球儀で考える。意識を高く持って、レベルを意識すれば物事のあり方を高次元かつ多面的にとらえていけます。
レベルを上げていく話は直観というより、「なぜ」を繰り返す思考法のように聞こえましたが。
峯本:洞察や直観は単一の能力というより統合的な思考能力です。様々なレベルで把握する力に加え、物事を観察する力、何かを構想する力、本質をつかむ力、など色々な能力が組み合わさっています。
思考能力といっても会議室や机上だけで考えるのではありません。五感をフルに使うことをイメージいただければと思います。現場に足を運んで、そこから定性的な情報を五感を通して収集する。非効率とも言えますが、そうすることで必ず何かを知覚できます。
洞察や直観は「現場感覚」
峯本:洞察や直観という言葉に違和感があるのなら「現場感覚」と言っても構いません。日報や売上データといった文字や数値の情報だけに頼っては危険です。
ドラッカー氏は猛烈な勉強家でしたが人から直に話を聞くことと定性的な分析を何より大切にしていました。商用インターネットが出現した時に、既に市場でそれなりのポジションを確立していた企業の経営者の多くは、部下が提出するレポートによってのみ、インターネットの利用価値について考えたのではなかったでしょうか。
余談になりますが、かつて私が銀行に勤務していたとき、邦銀で初となるインターネット技術を用いた情報系システムを構築できました。
当時のトップは現場に来ることをいとわない人で、私のパソコンのところまで来てインターネットブラウザを体験してくれました。実際に触ってみれば、その技術に何かを感じるものです。こういう姿勢があったから、新しい取り組みを認めてもらえたのだと思います。
ロジカル・シンキングとは違うのですか。論理的にレベルを上げていけそうです。
峯本:論理は論理で大事ですが、理屈だけでレベルを上げようとしても案外できません。レベルを上げていく時には、自分の体が実際に浮上しているかのように、五感を駆使して知覚することが求められます。これは思考力の一つですが、理詰めで積み上げる思考とは異なります。
ロジカルに考えることの重要性を誰よりも唱える大前研一氏でさえ、著書『ストラテジック・マインド』の中で、「洞察力は創造性をもち、ある程度まで直感的で、ときとして現状打破の傾向を帯びているので、そこから生まれる計画は、分析的な観点からはつじつまの合わないことさえある」と書いています。
創造的な洞察とロジカルな検証の両方が必要ということですか。
峯本:戦略策定、シナリオプラニング、プロジェクトデザインなど、いわゆる上流とか源流のところが大事だと指摘されています。しかし、定量データを沢山集め、理詰めで追求していっても、洞察や直観の力がないとレベルを上げて考えることができず、「現状打破」の戦略や企画、プロジェクト計画を作れません。
日々起こる様々なトラブルや課題に対しても、平面的に考えているだけでは、対処療法にとどまってしまいます。本質的な問題解決がいつまで経ってもできず、同じ失敗を繰り返すことになります。仕事で失敗しないと言われる人は意識しているかどうかは別にして、仕事を立体的にとらえ、急所を見つけられる人です。
「洞察力を持っていない」は錯覚
「本来、誰もが持っている」力なら、なぜ一部の人しか発揮できないのですか。
峯本:その力を発揮する場面や局面がないために持っていないかのような錯覚をしているだけです。洞察力、直観、現場感覚、これらは開発できる能力です。
もともとある能力を引き出すには、自分の持つ直観を使ってみる習慣が大事と考えています。日頃からレベルを上げて本質を考えたり、認識したりする練習をしておく。そうすれば、新しいものに遭遇した時、直観が働くようになります。
新しいものが出現した時にまず使ってみる。例えばスマートフォンを使って、色々な情報にアクセスしてみる。ここまではいいでしょう。
ただ、多様な情報を素早く見られる利便性に満足し、個々の情報の信ぴょう性を確かめずに引用したり転送する。信ぴょう性のある情報だとしても、誰もがアクセスできる情報に優位性などないことに気付かず、それを前提にして物事を判断したりする。こうなってくると、洞察とは無縁の情景と言わざるを得ません。
情報発信についても同様です。Facebookで情報を発信しているといっても、ランチの写真を公開するためであったら、ソーシャルメディアを利用する本質的価値はありません。
スマートフォンを持っていないのでよく分かりませんが、そこまで目くじらを立てなくてもいいのでは。
峯本:誤解を招いたようです。スマートフォンやFacebookの利用者を批判しているのではありません。ただ、誰もが見られる情報を見たり、ごく普通の日常生活を公開しても、人と同じことをしている「ありがちな状況」にいるわけで、それでは洞察力とかレベルを上げて認識する力は開発されない、そのことに関心を持っていただきたい。
スマートフォンの本質は何か。ソーシャルメディアの本質は何か。こういう問いを立て、思考のレベルを上げてみる。本質を考える習慣を付けるとはそういう意味です。
アップルの創業者スティーブ・ジョブズ氏のことを持ち出すと、「また特別な人の話ですか」と言われそうですが、有名なスタンフォード大学におけるスピーチの最後に残した“Stay Hungry, Stay Foolish”は、洞察力を付ける姿勢の大切さを教えてくれているようで共感を覚えます。
“Stay Hungry”はいわゆる根性論で必死に努力せよというのではなく「一時の成功体験はもとより現状に満足してはいけない」という指摘だと受け止めました。あらかじめ答えが用意されていない世界で、まだ見えないものに挑んでいく精神的なハングリーさをいつも忘れるなと指摘しているのではないでしょうか。
一方、“Stay Foolish”は奇抜であることを推奨しているわけではなく、「他人の目を気にせず、自分の直観や考え方を信じ続けろ」ということでしょう。
“Stay Hungry, Stay Foolish”の姿勢をとることで、洞察力は身に付いていくものだと思います。
最初は型を使い、最後に型を破る
日常生活の中で出会うものについて本質は何かと考えろと言われても難しいです。
峯本:洞察力は思考能力の一種ですから、フレームワークが役に立ちます。フレームワークというとコンサルタントが持ち出す道具と思われがちですが、物事を多面的かつ大局的に考える際には有用です。
例えば私は仕事の際に「人」「組織」「プロセス」「テクノロジー」の4つを考えるフレームワークをよく使います。まずその組織の使命は何かと考え、次に人、業務プロセス、ITなどの技術を最適化することを考える。4つについてそれぞれ考え、さらに4つの関係性を考えます。
ごく単純なフレームワークですが、現場の業務プロセス改善にだけとらわれたり、ITのことばかり考えてしまう弊害を避けられます。
フレームワークを使うと思考が枠や型にはまってしまうと危惧する人がいるかもしれませんが杞憂です。思考のフレームワークは最終的にそのフレームワークを破るためにある。型を破るためには、型を使えるようにならなければなりません。初めから型破りな人はいないのです。
注)本稿後半の一問一答は日経ビジネスムック『課長塾 創造課 イノベーション実践ガイド』の「新しいことをやる力 直観的に本質を見抜く」に基づいています。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20131010/254456/?ST=print
第35回】 2013年10月15日 笠井奈津子 [栄養士、食事カウンセラー]
出世する人、しない人の食事のマナー
ここ数年、宮様主催のテーブルマナー講座に講師のひとりとして呼んでいただいている。その中で印象に残った「ひとりで生きるか、礼儀を知るか」という宮様の御言葉。どんなに頭がよくでも、ビジネスの才能があっても、ひとりでできることには限りがある。誰もが避けては通れない「食事の時間」。テーブルマナーもビジネスマナーの一部だ。大事なコミュニケーションのツールとしてどんどん活用していきたい。
第一印象を決める上では、多かれ少なかれ「外見」というのが大きなファクターとなる。外見は、なにも身に着けているものや顔の造作に限らない。表情、姿勢、態度などの見た目から得られる情報も含まれる。メラビアンの法則によると、人の印象は93%が言葉以外から得られるのだそうだ。
ビジネスシーンでは、恋愛のように「ギャップが良い」と思われるようなことはあまりないだろう。第一印象はなかなか変えられないというから、食事の場ではできるかぎり良い印象をもってもらいたい。しかも、食事の席ほどに、ビジネスの場において「人となり」を感じさせるような場所はないだろう。
もし接待でにぎやかな席に
案内されてしまったら…
セミナー終了後に経営者の方々とごはんをご一緒させていただくことがあるが、年を重ねても第一線で仕事をしている方の多くは、食事のシーンでも例外なく伝え上手である。また、場の雰囲気を悪くしない、相手に必要以上の緊張感を与えないことに長けている印象をうける。
たとえば、接待の場で、思っていたよりもにぎやかな席に案内されることもあるかもしれない。接待側としては焦って、「ここではダメだよ」「これでは困るよ」とサービスマンに伝えたくなるような場面だ。でも、クライアントに聞こえないように小声でいっても、言われた人の顔をみれば、なんとなくクレームを受けたらしいことはわかる。「否定語を使わないで同じ会話をする」これは、心にとめておきたいことだ。「静かなところに移りたいのですが」と、スマートにお願いの形で伝えることだってできる。
また、サービスマンの方が「お荷物をお預かりしましょうか?」と声をかけてくださった際に「あ、大丈夫です」と断る人がいるが、その声掛けの意味するところは「お預かりさせてください」である場合も少なくない。たとえば、クライアントと仕事の話をしたくて、いっぱい資料が入ったビジネスバックを足元に置いてあるとする。これでは、サービスがしにくく、脚をひっかけるなど、トラブルも起きやすい。また、他のテーブルにカップルが多ければ、過剰な仕事の話はその日のお店の雰囲気を壊しかねず、「空気が読めない人」と思われてしまっても仕方がない。
少しの作法で大きな差がつく
食事中の携帯電話のマナー
さて、いざ会食がスタートして食前酒などお酒を注文する際、「ご一緒にお水もいかがですか?ガス入りとなしのもの、どちらがお好きですか」と聞くのも好感度が高い。(お酒好きな方には、水を差さないよう、食事がスタートしてからさりげなく聞くと良いだろう)社会的地位が高く、普段接待されることが多いような人は、日頃、健康管理をしっかりしている人が少なくない。飲みすぎないように、肝臓に負担をかけないように、一緒に気を使ってあげると喜ばれるだろう。
また、携帯をテーブルの上に置かない、ということはほとんどの方が実践していると思うが、ジャケットを着ずに、シャツのポケットに入れているようであれば要注意。着信した際の光の点滅は、相手もすぐ気が付くし「大丈夫ですか?」と配慮せずにはいられない。「あ、出なくても大丈夫です」といわれても、何度も光っているようであれば落ち着かない。出なくても大丈夫なのであれば、バッグの中に入れておくか、万が一のためにパンツのポケットに入れておこう。
ときに、緊急の電話などでどうしても中座しなくてはいけないこともあるだろう。その際のナプキンの置き方だが、特に女性は、キレイにたたんでテーブルの上に置く人が少なくない。でも、中座のときにナプキンを置く場所は、テーブルの上でも、椅子の背でもなく、“椅子の上に置く”が正解だ。椅子の上よりもテーブルの上の方が衛生的な気がするが、本来、ナプキンは口を拭ったりするものでもある。汚したものをテーブルの上におくのは同伴者に失礼になる。
ただ、食事を終えて席を立つときには、ナプキンはテーブルの上におこう。このときも、ナプキンをきれいにたたむことなく、ラフにテーブルの上におこう。日本人的には、きれいにたたむことが丁寧であるように思うが、世界共通のマナーにはあたらない。また、ナプキンを置く=終了を感じさせることなので、お客様よりも早くナプキンを置いたりはしないように…。
あなたの割りばし、レンゲの使い方
実は間違っているかも
そうはいえども、最近のご時世で接待も減ったし、マナーなんて意識する機会がないよー、という方にも、今日から使えるマナーをひとつ。それは、「割りばしの割り方」。割りばしを割った後にこするような人なんて最近は見かけないが、割りばしをキレイな所作で割れる人というのは意外と少ない。
まず、割りばしを袋から出したら、両手で中ほどをもとう。そのとき、箸は縦にするのではなく、横に出したままだ。そして、左右に広げるのではなく、左手で下側の箸をしっかり固定し、上下に開くように割る、これができている人がいるか、今日のランチでこっそり周りを見てみよう。きれいにできると、気持ちが良いものだ。
また、中華でのレンゲの持ち方もスプーンとは異なる。人差し指を柄のくぼんだ箇所におき、親指と中指ではさむようにして持つ。スープを飲むときにはこの所作を右手で、麺類を食べるときには左手に持ち替えて使おう。
そして、刺身にしょうゆをつけたりして、ちょっとこぼれたら大変だな、というときに、箸を持たない手を添えて食べる人がいるが、これは実はマナー的にはよくない。こぼれそうだな、と思ったときには、小皿を使おう。
喫茶店での打ち合わせでは、コーヒーを頼む場面も多いだろう。料理が運ばれてきたときに食べる前にいきなり塩をふったりしないのと同じように、コーヒーの一口目もなにもいれずにブラックのままで飲むのがマナーだ。香りや味を楽しむ少しのゆとりが、その後の話をスムーズにもさせるだろう。また、ミルクや砂糖をいれて使用したスプーンは、カップの向こう側のソーサーの上においておこう。紅茶についてくるレモンスライスや、カプチーノに添えられているシナモンスティックも同様だ。
仕事で成功している人は
食事を楽しんでいる
「仕事の食事」であっても「仕事以外の部分に気を配る」ことが欠かせない。極端なことをいえば、多くの男性は、女性から「ねぇ、今日何してた?」「今何してる?」と自分のことだけに注目されると「なんだか面倒くさそうだな」「つまらないな」と敬遠するだろう。食事の場で、周りに配慮せず、仕事の話に終始するような人は、それに近しいかもしれない。仕事で成功している人は、食への好奇心が高い人が多く、食事を楽しみたい、と思っている人も少なくない。
「普段、食に興味がありません」という態度は、どうしたってにじみ出てしまうもの。だからこそ、普段から、少しは食に興味をもっていてほしい。「旬ですね」「きれいな器ですね」でもなんでもいい。視野を広く、俯瞰的に見ることができる人は仕事もできる。お店側の人とも良いコミュニケーションがとれていると、別のプロジェクトや、他の人に紹介する際にもなんとなく安心感が持てる。食事の際には、仕事人間+αの部分を見てもらえたら最高だ。
それと、プライベートで使える豆知識。レストランの予約の電話は男性側がすることが多いと思うが、もしも領収書が必要であれば、その際に一緒に伝えておくと良いだろう。合コンやデートの際に領収書をきれば、好感度は自然と下がる。お店によっては、レシートと一緒に封筒に入れて渡してくれたりと、配慮をしてくれるだろう。
また、「たばこを吸っても良い?」と一言声かけてくれたときに「ダメです」と言える女性はなかなかいない。しかも、言わないだけではなく、匂いに敏感な女性は結構嫌がっていることも多い。ふたりっきりの食事で何分も間をあけてしまうならまだしも、複数名で食事をしている場なら、「ちょっとタバコ吸ってくる」と離席した方がスマートかもしれない。それでもあえて「ここで吸っても大丈夫だよ」と言ってもらえたら、そこは甘えてしまおう。
ひとりでいるか、礼儀を知るか…。それならばもっと礼儀を学ぼう、と思わずにはいられない。人と一緒に心地よく食卓を囲めること、それは生活において大事な心の栄養だ。
http://diamond.jp/articles/-/42955
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