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【第15回】 2013年10月15日 吉田典史 [ジャーナリスト]
原因不明の部下の自殺に悶え苦しむ上司たち
残された者を追い詰める責任不在の“酷な魔女狩り”
今回は、かつての部下の自殺をきっかけにカウンセリングに関心を持ち、現在はメンタヘルスケアを行う会社(株式会社セーフティネット)を経営する山崎敦さんに取材を試みた。
株式会社セーフティネット代表取締役社長の山崎 敦さん (都内・千代田区にて)
山崎さんは十数年前、自衛隊に勤務している頃に部下を失った。そのときから、精神科医や専門家などが唱える「自殺する前には、本人が何らかのサインを送っていたはず。なぜ、それに気がつかなかったのか」という言葉に疑問を感じている。
山崎さんにその思いを尋ねていくと、多くの企業が抱え込む人事マネジメントの問題点が浮き彫りになると筆者は考えた。部下が自殺すると、職場の実態が丁寧に調査されないまま上司や周囲の責任が問われる風潮がある。そして、長い労働時間や成果主義などの影響がやり玉に上げられる。
筆者は、まずは死に至った際の職場の状況について、関係者などに詳しくヒアリングをしていくことが優先されるべきと思う。その際、上司や同僚らの責任が厳しく吟味されることは仕方がないことだが、結論を決めつけずにあらゆる方向から検証がなされるべきだ。そうでないと真相はわからず、再発防止にはなり得ないのではないだろうか。
山崎さんとのやりとりについては、よりニュアンスを正確に伝えるため、インタビュー形式とした。取材の内容は、実際に話し合われた内容の9割方を載せた。
自殺のサインを見つけられなかったのか?
残された者にのしかかる酷な問いかけ
山崎 たとえば、精神科医が自殺をした人の周囲にいる人に、「なぜ、死に至る前に自殺のサインに気がつかなかったの? 何らかのサインを送っていたはず」と問いかけることがある。これらは、実際に周囲にいる人にとって、随分と酷なことだと思う。
さらには、「人は自殺をする前に、何らかのサインを発している。周囲の人は、それに気がつかないといけない。それが、自殺の予防策になる」と説く人もいる。
私は、「周囲がサインを見逃さない」というのは、自殺の根本的な防止策にはならないと思う。何らかのサインを送る人はいるのだろうけど、ひっそりと死を選ぶ人もいるからだ。
まじめな50代部下が選んだ突然の死
心当たりもなく呆然とするしかなかった
筆者 なぜ、そのように思われますか。
会社は24時間体制で相談者の対応をする。カウンセラーたちから、夜中にも山崎さんの元へ電話やメールが来ることがある。「夜中の場合は、相談者の会社員が自殺をほのめかしたときなどが多い」と語る
山崎 私も、かつて自殺した人の周囲にいた。十数年前まで、海上自衛隊に勤務していた。あるとき、部下が自殺をした。直属の部下ではなく、自殺した隊員と私との間には他の管理職がいた。私は、その管理職の上司だった。
自殺した隊員は50代の男性で、単身で赴任していた。性格はものすごくまじめだった。仕事に懸命に取り組んでいた。時折、同世代の隊員が彼を家に招き、夕食を一緒に食べていたようだ。
ある日の晩、食後に隊員はこの男性を見送った。翌日、男性は職場に現れない。上司が心配になり、部屋に入ると、自殺をしていた。上司も前日に夕食を共にした隊員も、呆然としていた。報告を受けた私も驚くばかりだった。
第一発見者である彼らは、落ち込んでいたようだった。前日に食事を共にした隊員は、しばらくの間自分を責めていた。「なぜ、気がつかなかったのか」と。話し合ったことを思い起こし、考え抜いたが、心当たりを見つけ出すことはできなかったようだ。
筆者 なぜ、死に至ったのでしょうか。
山崎 正確にはわからない。遺書はなかった。自殺した男性は、上司などからパワハラやひどい仕打ちなどを受けたことはない。同僚らとの間で人間関係の摩擦があったわけでもない。労働時間が極端に長いわけでもない。
自衛隊では、自殺は「服務事故」という扱いになる。自殺者が出た場合、状況を詳しく調査する。そして、人事を扱う部署に報告をする。自殺した隊員の直接の上司が、「何か思いたることはないか」などと周囲の隊員を聴取した。しかし、誰もが思い当たるものはなかった。
前日に食事をした男性は、「(自殺した人には)何か、サインがあったのではないか」などと問われた。男性は、ますます考え込むようになった。周囲にいる人にとっては、つくづく酷な言葉だと思う。
パワハラと呼べるような行為はない
結局、死に至った理由はわからない
筆者 上司からのパワハラなどは、なかったのでしょうか。部下が自殺する場合、識者やメディアは部下の側だけに立ち、「パワハラの犠牲者」などと強調することがあります。その意味でも、管理する側の率直なお考えを聞きたいです。
山崎 「パワハラ」と呼べるような行為はない。自殺した男性は、とてもまじめだった。もしかすると、慣れない書類の処理の仕事が遅れると、上司や周囲に迷惑をかけるのではないかと思うことがあったのかもしれない。
ただし、これらはあくまで私たちの想像でしかない。実際、誰もが自殺した男性から相談を受けたことはなく、悩んでいるような表情にも見えなかったようだ。結局、死にいたった理由はわからなかった。
筆者 なかなか、そうしたサインはわからないものなのですね。
山崎 通常は、周囲の者が精神科医などのように、特別な知識を持ち合わせているわけではない。その人たちに、「サインや前兆を見つけるように」と求めることには無理がある。精神科医も日々患者を診断しているが、その中には不幸にも死に至る人がいるのではないだろうか。その意味では、精神科医も正確にサインを見つけることができていないのだと思う。
筆者 少々厳しい見方をすると、上司の存在自体が部下には何らかの圧迫になることがあるように思えます。上司の態度いかんでは、部下が言いたいことが言えないとか、相談をしようとしても腰が引けるものがあるのではないでしょうか。そうした場合、部下の側にも問題はあるかと思いますが、上司の側はいかがでしょうか。
山崎 確かにパワハラなどをする上司は、部下が相談をしようにもできない雰囲気を漂わせているのではないか、と思う。この10年近く、私は会社員などのカウンセリングを行う会社(株式会社セーフティネット)を経営している。会社員からの相談を受けるカウンセラーから、毎日報告を受ける。その中でも特に多い相談が、上司から言われる言葉に心を傷つけられたというものだ。
今の管理職の指導力は落ちている
上司との関係で精神疾患になる部下も
筆者 たとえば、どのようなものでしょうか。
山崎 「新入社員よりもお前は仕事ができない」「一流の〇〇大学を卒業していて、なぜこんなことができないのか」といったものだ。こんな言葉を毎日浴びせられると、大半の人は滅入ってしまうと思う。同じ部署にいる人がそのような言葉を聞き、憂鬱になることもあるようだ。
さすがに、部下はこういう上司に相談をしようという気にはならないのではないか。かつてと比べると、今は管理職たちの部下に対する指導力は落ちているように思う。少なくとも、上司からの指導などに悩み、精神疾患になる人はいる。
筆者 この連載では第9回で、部下に厳しく当たる上司が登場しています。私は、上司がパワハラをしていたならば問題があると思います。一方で、「厳しく言わなければならなかった」という言い分も、ある程度はわかるつもりです。職場では、上司が部下に対して少々強く言わなければならない場合はあります。
山崎 部下への対応はケース・バイ・ケースになるかと思うが、状況いかんでは確かに上司が強く言わなければならない場合もある。その場合、目的と手段を混同視しないことが大切ではないだろうか。
「叱る」というのは、決して目的でない。ところがそれが目的になってしまい、ガンガン叱り続け、エスカレートすることがある。その上司は叱ることで一層興奮し、一段と怒鳴りつける。これでは、手段と目的をはき違えている。もはや「指導」とは言わないと思う。
筆者 ここ二十数年間、企業の職場を観察していると、上司からガンガン厳しく言われる人はパターン化しています。まず、考えや意見を積極的に上司に伝えない。周囲にも伝えようとしない。どこか、孤立しているように見える。
一方で頑固なところがあり、自分の仕事の進め方などを変えようとしない。それで叱られると、黙り込む。しばらくすると、同じことを繰り返す。こんな傾向があるように思えます。
部下に対して厳しく言うにしても
目的と手段を履き違えてはならない
山崎 私は長く管理職をしていたから、つい厳しく言いたくなる部下がいることは、わからないでもない。ただ、管理職をする以上、目的と手段をはき違えることは避けなければいけない。
そのためにも日頃から、自らに言い聞かせておくことが必要だ。「自分がこの部署を率いる目的とは何か」と。これを繰り返し言い聞かせていないと、部下に「なぜ、この仕事ができないか」などと詰問することにもなりかねない。
筆者 連載第9回では、部下に「なぜ、できないのか」と問い詰める女性マネジャーを取り上げています。
できない部下を怒るばかりでなく
限界を見定めることも管理職の仕事
山崎 その管理職のことは判断できないが、一般論として、そのように追及する人は実際にいる。部下の育成力に問題があるのかもしれない。
さらに言えば、上司が繰り返し丁寧に指導をしたとしても、仕事のレベルが一定水準にならない人もいる。上司からすると、それ以上はどうすることもできない。たとえば、会社や仕事自体が合わないのかもしれない。それでも、「なぜ、できないのか」と追い詰める上司がいる。これは部下にとってキツイと思う。
なかなか仕事を覚えることができない人については、「このくらいが限界だな」と見定めることも、管理職にとって時には必要。最終的にその社員の扱いは、会社の評価の問題であり、人事権を握る人たちが判断すること。
筆者 人事評価の段階で、仕事があまりにもできない人を他の社員らと同じように扱うことは、人事の公平性という観点からも避けるべきと思います。実は、そこにも優秀な人が悶える一因があります。
山崎 先日、そのことについて、ある会合で若い会社員たちから意見を聞かされた。仕事ができない人をそのままその部署に置いておくから、自分たちに仕事が押し寄せて来るという不満だった。最近は、こういう不満を聞く機会が増えてきた。その意味でも、人事評価などでは何らかの対応をすることが必要だとは思う。
筆者 ところで、ご自身が管理職として「この部下はこのくらいが限界だな」と、ある意味で達観できるようになったのは、いつくらいのことですか。
山崎 正確には覚えていないが、たぶん50歳の頃だとは思う。私はせっかちで短気なところがあるから、部下につい言いたくなる。それを押し殺すために、どうすればいいかとよく考えた。30〜40代の頃、心理学や禅の本などを大量に読み込んだ。
自分を変えることは、本当に難しく苦しい。様々な試みをしたが、自分を変えることは、私にはできなかった。今は、部下の言動などに腹が立ったときは、「我慢しよう」と言い聞かせて、あえて言わないようにはしている。60代になると、感情が退化したからなのか、多少変わりつつある。それでも難しい(苦笑)。
今の管理職は、その多くがプレイングマネジャー。その意味で、本当に大変なことだと思う。その上、問題を抱え込んだ部下を持つと、大変なことになる。これは経験した管理職にしかわからないだろうが、実際、本当に苦しい。
部下の自殺の理由は成果主義や
長時間労働だけではくくれない
筆者 識者やメディアは、こういう管理職の生の声をまず伝えようとしないですね。それで、「成果主義や長時間労働が浸透するなか、管理職によるパワハラが増えている」という論理が展開される。自殺などがあると、その文脈で捉えられがちになる。結果として、上司や周囲の責任が問われる。
山崎 パワハラの定義は様々だが、ある程度の目安となるものはあると思う。誰の目にも明らかなパワハラは否定されなければいけない。実際、とんでもないことなのだから。
一方で、人事部などから「私たちの会社はメンタル不調の社員に対してどのように対応すればいいのか」といった相談が多いことも事実。会社として対応に苦慮しているのだと思う。
私たちは様々な会社から、メンタルヘルスの研修を依頼される。その大半が「ラインケア」だ。上司らが、部下の心の不調を素早く見抜き、何らかの支援ができるようになることが狙いの研修だ。
「ラインケア」の研修の依頼が増えるのは、「周囲の者がメンタル不調を防ぐべき」という考えが根底にあるのではないかと思う。自殺防止の上で最も重要なことは、「周囲がそのサインを見逃さないこと」と言われることに似ている。
筆者 それでは、問題が問題として残ったままになりかねないですね。
山崎 心の病気においても、自分でケアをすること、そのためにストレス管理をすることの重要性を認識することが大切だと、私は思う。自分が必要以上にストレスを抱え込まないようにしないといけない。そうでないと、上司の指導力が高かったとしても、心が病んでしまう社員を減らすことは難しい。
筆者 そのあたりは、心が病んだ人だけでなく、周囲を含めてきちんとヒアリングをすると見えてくる一断面であり、避けては通れない問題だと思います。
踏みにじられた人々の
崩壊と再生
上司などのパワハラやいじめ、退職強要やセクハラなどの不当な行為、そして極端な長時間労働やノルマなどにより、心を患い、死を選んだのであれば、その社員は人権や人生そのものを踏みにじられたと言える。そのような自殺者を出した会社や経営者、上司などは、大いに批判を受けるべきだろう。
一方で、死に至る理由がわからない場合などに、上司をはじめ周囲が責められることもまた、私は問題だと思う。労働事件の裁判などを傍聴すると、社員が自殺した場合、会社が不都合な事実を組織的に隠蔽することがあり得るかもしれないと感じることもある。
しかし、今回のように、死に至った理由などを周囲が探し出そうとしても、見つけられない場合は確かにある。このような場合にまで周囲の責任を問うことは、やはり好ましくないのではないだろうか。
なぜ、このような問題が生じるのか。私には、連載第1回で紹介した「柔軟な職務構造」に一因があると思う。つまり、日本の職場では、社員の仕事の割り当てや分量、さらに権限と責任などが日頃から曖昧になっているケースが多いことだ。
こういう状況で、ひとたび自殺などの問題が生じると、突然問われる責任の範囲などが広くなり、上司やその上の上司などが責められることになりかねない。さらにその問題が鎮静化すると、責任の範囲がなぜか狭くなり、上司などから職務権限が奪われることすらある。柔軟といえばその通りだが、節操がなく、組織として無責任すぎるのではないだろうか。
責任の所在が曖昧なまま責められる
「柔軟な職場構造」に見える悶えの闇
このように、責任の所在や範囲を明確にされないまま、責められるべき人が決められてしまう傾向があることは否定できないと思う。さらには、上司などに非はないのだが、「責任を取る」という名目で他部署に異動になったりすると、なぜか「立派な人」という評価を受け、人望が高まることすらある。
多くの日本企業は、個人の責任の範囲がきわめて不明確であり、職場の空気やムード、世論、さらに上層部の思惑などによって、責任の所在がいかようにも変わってしまうリスクがあるのではないだろうか。私には、自殺に限らず、パワハラやいじめ、さらに過労死などの問題が生じた場合も、この曖昧である意味「柔軟な職場構造」が深い意味を持っているように思える。
結果的にその場をなんとか乗り越えることはできるかもしれないが、問題が問題として残されたままになる。こうした体質にこそ、多くの人が悶える「闇」がある。
http://diamond.jp/articles/print/42968
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