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原因不明の部下の自殺に悶え苦しむ上司たち 残された者を追い詰める責任不在の“酷な魔女狩り”
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/424.html
投稿者 SRI 日時 2013 年 10 月 15 日 00:42:59: rUXLhToetCnYE
 

【第15回】 2013年10月15日 吉田典史 [ジャーナリスト]
原因不明の部下の自殺に悶え苦しむ上司たち
残された者を追い詰める責任不在の“酷な魔女狩り”
 今回は、かつての部下の自殺をきっかけにカウンセリングに関心を持ち、現在はメンタヘルスケアを行う会社(株式会社セーフティネット)を経営する山崎敦さんに取材を試みた。


株式会社セーフティネット代表取締役社長の山崎 敦さん (都内・千代田区にて)
 山崎さんは十数年前、自衛隊に勤務している頃に部下を失った。そのときから、精神科医や専門家などが唱える「自殺する前には、本人が何らかのサインを送っていたはず。なぜ、それに気がつかなかったのか」という言葉に疑問を感じている。

 山崎さんにその思いを尋ねていくと、多くの企業が抱え込む人事マネジメントの問題点が浮き彫りになると筆者は考えた。部下が自殺すると、職場の実態が丁寧に調査されないまま上司や周囲の責任が問われる風潮がある。そして、長い労働時間や成果主義などの影響がやり玉に上げられる。

 筆者は、まずは死に至った際の職場の状況について、関係者などに詳しくヒアリングをしていくことが優先されるべきと思う。その際、上司や同僚らの責任が厳しく吟味されることは仕方がないことだが、結論を決めつけずにあらゆる方向から検証がなされるべきだ。そうでないと真相はわからず、再発防止にはなり得ないのではないだろうか。

 山崎さんとのやりとりについては、よりニュアンスを正確に伝えるため、インタビュー形式とした。取材の内容は、実際に話し合われた内容の9割方を載せた。

自殺のサインを見つけられなかったのか?
残された者にのしかかる酷な問いかけ

山崎 たとえば、精神科医が自殺をした人の周囲にいる人に、「なぜ、死に至る前に自殺のサインに気がつかなかったの? 何らかのサインを送っていたはず」と問いかけることがある。これらは、実際に周囲にいる人にとって、随分と酷なことだと思う。

 さらには、「人は自殺をする前に、何らかのサインを発している。周囲の人は、それに気がつかないといけない。それが、自殺の予防策になる」と説く人もいる。 

 私は、「周囲がサインを見逃さない」というのは、自殺の根本的な防止策にはならないと思う。何らかのサインを送る人はいるのだろうけど、ひっそりと死を選ぶ人もいるからだ。

まじめな50代部下が選んだ突然の死
心当たりもなく呆然とするしかなかった

筆者 なぜ、そのように思われますか。


会社は24時間体制で相談者の対応をする。カウンセラーたちから、夜中にも山崎さんの元へ電話やメールが来ることがある。「夜中の場合は、相談者の会社員が自殺をほのめかしたときなどが多い」と語る
山崎 私も、かつて自殺した人の周囲にいた。十数年前まで、海上自衛隊に勤務していた。あるとき、部下が自殺をした。直属の部下ではなく、自殺した隊員と私との間には他の管理職がいた。私は、その管理職の上司だった。

 自殺した隊員は50代の男性で、単身で赴任していた。性格はものすごくまじめだった。仕事に懸命に取り組んでいた。時折、同世代の隊員が彼を家に招き、夕食を一緒に食べていたようだ。

 ある日の晩、食後に隊員はこの男性を見送った。翌日、男性は職場に現れない。上司が心配になり、部屋に入ると、自殺をしていた。上司も前日に夕食を共にした隊員も、呆然としていた。報告を受けた私も驚くばかりだった。

 第一発見者である彼らは、落ち込んでいたようだった。前日に食事を共にした隊員は、しばらくの間自分を責めていた。「なぜ、気がつかなかったのか」と。話し合ったことを思い起こし、考え抜いたが、心当たりを見つけ出すことはできなかったようだ。

筆者 なぜ、死に至ったのでしょうか。

山崎 正確にはわからない。遺書はなかった。自殺した男性は、上司などからパワハラやひどい仕打ちなどを受けたことはない。同僚らとの間で人間関係の摩擦があったわけでもない。労働時間が極端に長いわけでもない。

 自衛隊では、自殺は「服務事故」という扱いになる。自殺者が出た場合、状況を詳しく調査する。そして、人事を扱う部署に報告をする。自殺した隊員の直接の上司が、「何か思いたることはないか」などと周囲の隊員を聴取した。しかし、誰もが思い当たるものはなかった。

 前日に食事をした男性は、「(自殺した人には)何か、サインがあったのではないか」などと問われた。男性は、ますます考え込むようになった。周囲にいる人にとっては、つくづく酷な言葉だと思う。

パワハラと呼べるような行為はない
結局、死に至った理由はわからない

筆者 上司からのパワハラなどは、なかったのでしょうか。部下が自殺する場合、識者やメディアは部下の側だけに立ち、「パワハラの犠牲者」などと強調することがあります。その意味でも、管理する側の率直なお考えを聞きたいです。

山崎 「パワハラ」と呼べるような行為はない。自殺した男性は、とてもまじめだった。もしかすると、慣れない書類の処理の仕事が遅れると、上司や周囲に迷惑をかけるのではないかと思うことがあったのかもしれない。

 ただし、これらはあくまで私たちの想像でしかない。実際、誰もが自殺した男性から相談を受けたことはなく、悩んでいるような表情にも見えなかったようだ。結局、死にいたった理由はわからなかった。

筆者 なかなか、そうしたサインはわからないものなのですね。

山崎 通常は、周囲の者が精神科医などのように、特別な知識を持ち合わせているわけではない。その人たちに、「サインや前兆を見つけるように」と求めることには無理がある。精神科医も日々患者を診断しているが、その中には不幸にも死に至る人がいるのではないだろうか。その意味では、精神科医も正確にサインを見つけることができていないのだと思う。

筆者 少々厳しい見方をすると、上司の存在自体が部下には何らかの圧迫になることがあるように思えます。上司の態度いかんでは、部下が言いたいことが言えないとか、相談をしようとしても腰が引けるものがあるのではないでしょうか。そうした場合、部下の側にも問題はあるかと思いますが、上司の側はいかがでしょうか。

山崎 確かにパワハラなどをする上司は、部下が相談をしようにもできない雰囲気を漂わせているのではないか、と思う。この10年近く、私は会社員などのカウンセリングを行う会社(株式会社セーフティネット)を経営している。会社員からの相談を受けるカウンセラーから、毎日報告を受ける。その中でも特に多い相談が、上司から言われる言葉に心を傷つけられたというものだ。

今の管理職の指導力は落ちている
上司との関係で精神疾患になる部下も

筆者 たとえば、どのようなものでしょうか。

山崎 「新入社員よりもお前は仕事ができない」「一流の〇〇大学を卒業していて、なぜこんなことができないのか」といったものだ。こんな言葉を毎日浴びせられると、大半の人は滅入ってしまうと思う。同じ部署にいる人がそのような言葉を聞き、憂鬱になることもあるようだ。

 さすがに、部下はこういう上司に相談をしようという気にはならないのではないか。かつてと比べると、今は管理職たちの部下に対する指導力は落ちているように思う。少なくとも、上司からの指導などに悩み、精神疾患になる人はいる。

筆者 この連載では第9回で、部下に厳しく当たる上司が登場しています。私は、上司がパワハラをしていたならば問題があると思います。一方で、「厳しく言わなければならなかった」という言い分も、ある程度はわかるつもりです。職場では、上司が部下に対して少々強く言わなければならない場合はあります。

山崎 部下への対応はケース・バイ・ケースになるかと思うが、状況いかんでは確かに上司が強く言わなければならない場合もある。その場合、目的と手段を混同視しないことが大切ではないだろうか。

「叱る」というのは、決して目的でない。ところがそれが目的になってしまい、ガンガン叱り続け、エスカレートすることがある。その上司は叱ることで一層興奮し、一段と怒鳴りつける。これでは、手段と目的をはき違えている。もはや「指導」とは言わないと思う。

筆者 ここ二十数年間、企業の職場を観察していると、上司からガンガン厳しく言われる人はパターン化しています。まず、考えや意見を積極的に上司に伝えない。周囲にも伝えようとしない。どこか、孤立しているように見える。

 一方で頑固なところがあり、自分の仕事の進め方などを変えようとしない。それで叱られると、黙り込む。しばらくすると、同じことを繰り返す。こんな傾向があるように思えます。

部下に対して厳しく言うにしても
目的と手段を履き違えてはならない

山崎 私は長く管理職をしていたから、つい厳しく言いたくなる部下がいることは、わからないでもない。ただ、管理職をする以上、目的と手段をはき違えることは避けなければいけない。

 そのためにも日頃から、自らに言い聞かせておくことが必要だ。「自分がこの部署を率いる目的とは何か」と。これを繰り返し言い聞かせていないと、部下に「なぜ、この仕事ができないか」などと詰問することにもなりかねない。

筆者 連載第9回では、部下に「なぜ、できないのか」と問い詰める女性マネジャーを取り上げています。

できない部下を怒るばかりでなく
限界を見定めることも管理職の仕事

山崎 その管理職のことは判断できないが、一般論として、そのように追及する人は実際にいる。部下の育成力に問題があるのかもしれない。

 さらに言えば、上司が繰り返し丁寧に指導をしたとしても、仕事のレベルが一定水準にならない人もいる。上司からすると、それ以上はどうすることもできない。たとえば、会社や仕事自体が合わないのかもしれない。それでも、「なぜ、できないのか」と追い詰める上司がいる。これは部下にとってキツイと思う。

 なかなか仕事を覚えることができない人については、「このくらいが限界だな」と見定めることも、管理職にとって時には必要。最終的にその社員の扱いは、会社の評価の問題であり、人事権を握る人たちが判断すること。

筆者 人事評価の段階で、仕事があまりにもできない人を他の社員らと同じように扱うことは、人事の公平性という観点からも避けるべきと思います。実は、そこにも優秀な人が悶える一因があります。

山崎 先日、そのことについて、ある会合で若い会社員たちから意見を聞かされた。仕事ができない人をそのままその部署に置いておくから、自分たちに仕事が押し寄せて来るという不満だった。最近は、こういう不満を聞く機会が増えてきた。その意味でも、人事評価などでは何らかの対応をすることが必要だとは思う。

筆者 ところで、ご自身が管理職として「この部下はこのくらいが限界だな」と、ある意味で達観できるようになったのは、いつくらいのことですか。

山崎 正確には覚えていないが、たぶん50歳の頃だとは思う。私はせっかちで短気なところがあるから、部下につい言いたくなる。それを押し殺すために、どうすればいいかとよく考えた。30〜40代の頃、心理学や禅の本などを大量に読み込んだ。

 自分を変えることは、本当に難しく苦しい。様々な試みをしたが、自分を変えることは、私にはできなかった。今は、部下の言動などに腹が立ったときは、「我慢しよう」と言い聞かせて、あえて言わないようにはしている。60代になると、感情が退化したからなのか、多少変わりつつある。それでも難しい(苦笑)。

 今の管理職は、その多くがプレイングマネジャー。その意味で、本当に大変なことだと思う。その上、問題を抱え込んだ部下を持つと、大変なことになる。これは経験した管理職にしかわからないだろうが、実際、本当に苦しい。

部下の自殺の理由は成果主義や
長時間労働だけではくくれない

筆者 識者やメディアは、こういう管理職の生の声をまず伝えようとしないですね。それで、「成果主義や長時間労働が浸透するなか、管理職によるパワハラが増えている」という論理が展開される。自殺などがあると、その文脈で捉えられがちになる。結果として、上司や周囲の責任が問われる。

山崎 パワハラの定義は様々だが、ある程度の目安となるものはあると思う。誰の目にも明らかなパワハラは否定されなければいけない。実際、とんでもないことなのだから。

 一方で、人事部などから「私たちの会社はメンタル不調の社員に対してどのように対応すればいいのか」といった相談が多いことも事実。会社として対応に苦慮しているのだと思う。

 私たちは様々な会社から、メンタルヘルスの研修を依頼される。その大半が「ラインケア」だ。上司らが、部下の心の不調を素早く見抜き、何らかの支援ができるようになることが狙いの研修だ。

「ラインケア」の研修の依頼が増えるのは、「周囲の者がメンタル不調を防ぐべき」という考えが根底にあるのではないかと思う。自殺防止の上で最も重要なことは、「周囲がそのサインを見逃さないこと」と言われることに似ている。

筆者 それでは、問題が問題として残ったままになりかねないですね。

山崎 心の病気においても、自分でケアをすること、そのためにストレス管理をすることの重要性を認識することが大切だと、私は思う。自分が必要以上にストレスを抱え込まないようにしないといけない。そうでないと、上司の指導力が高かったとしても、心が病んでしまう社員を減らすことは難しい。

筆者 そのあたりは、心が病んだ人だけでなく、周囲を含めてきちんとヒアリングをすると見えてくる一断面であり、避けては通れない問題だと思います。

踏みにじられた人々の
崩壊と再生

 上司などのパワハラやいじめ、退職強要やセクハラなどの不当な行為、そして極端な長時間労働やノルマなどにより、心を患い、死を選んだのであれば、その社員は人権や人生そのものを踏みにじられたと言える。そのような自殺者を出した会社や経営者、上司などは、大いに批判を受けるべきだろう。

 一方で、死に至る理由がわからない場合などに、上司をはじめ周囲が責められることもまた、私は問題だと思う。労働事件の裁判などを傍聴すると、社員が自殺した場合、会社が不都合な事実を組織的に隠蔽することがあり得るかもしれないと感じることもある。

 しかし、今回のように、死に至った理由などを周囲が探し出そうとしても、見つけられない場合は確かにある。このような場合にまで周囲の責任を問うことは、やはり好ましくないのではないだろうか。

 なぜ、このような問題が生じるのか。私には、連載第1回で紹介した「柔軟な職務構造」に一因があると思う。つまり、日本の職場では、社員の仕事の割り当てや分量、さらに権限と責任などが日頃から曖昧になっているケースが多いことだ。

 こういう状況で、ひとたび自殺などの問題が生じると、突然問われる責任の範囲などが広くなり、上司やその上の上司などが責められることになりかねない。さらにその問題が鎮静化すると、責任の範囲がなぜか狭くなり、上司などから職務権限が奪われることすらある。柔軟といえばその通りだが、節操がなく、組織として無責任すぎるのではないだろうか。

責任の所在が曖昧なまま責められる
「柔軟な職場構造」に見える悶えの闇

 このように、責任の所在や範囲を明確にされないまま、責められるべき人が決められてしまう傾向があることは否定できないと思う。さらには、上司などに非はないのだが、「責任を取る」という名目で他部署に異動になったりすると、なぜか「立派な人」という評価を受け、人望が高まることすらある。

 多くの日本企業は、個人の責任の範囲がきわめて不明確であり、職場の空気やムード、世論、さらに上層部の思惑などによって、責任の所在がいかようにも変わってしまうリスクがあるのではないだろうか。私には、自殺に限らず、パワハラやいじめ、さらに過労死などの問題が生じた場合も、この曖昧である意味「柔軟な職場構造」が深い意味を持っているように思える。

 結果的にその場をなんとか乗り越えることはできるかもしれないが、問題が問題として残されたままになる。こうした体質にこそ、多くの人が悶える「闇」がある。
http://diamond.jp/articles/print/42968  

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コメント
 
01. 2013年10月16日 09:22:51 : e9xeV93vFQ

【第5回】 2013年10月16日 竹森現紗[弁護士]
「稼ぎがない!」と罵り包丁を突きつけ脅す
増殖するDV妻から身を守るための法律知識
DV(ドメスティックバイオレンス)と言えば、多くの人が「夫(男性)から妻(女性)」というケースを想像するのではないでしょうか。しかし、実際にはそうではありません。内閣府が2011年に行なった調査では、約20%の夫(男性)が妻(女性)から被害を受けたことがあると答えているそうです。夫は妻から暴力を受けていても、なかなか相談できない人が多く、その上、家庭内というプライベートな空間で行なわれるケースがほとんどなため、潜在的な被害者も多そうです。身を守るにはどうすればいいのでしょうか。覚えておいてほしいのが、お互いの関係性が「配偶者」、「男女」であるがゆえに、男性側が気をつけなければならないポイントがあることです。(弁護士・竹森現紗、協力・弁護士ドットコム)

妻が暴力的に変貌
夫は耐える必要なし

「毎日のように『稼ぎがない!』とののしられます……」

 夫婦関係に関する法律相談は、離婚案件が圧倒的に多いのですが、最近、妻からのドメスティックバイオレンス(DV)に悩む男性からの相談が増えています。

 他にも、寄せられるご相談として、「別れ話をしたら、『職場にあることないこと話して退職に追い込んでやる』と脅される」という精神的な暴力から、「夫婦げんかの際、包丁を突きつけられた」、「喧嘩になると、手当たり次第、物を投げるので、それがあたって骨折をした」というような、身の危険を感じるものまでさまざまです。

 そもそも、男性と女性では力の差があるため、夫が妻から暴力を受けていても、「男が女に手を上げてはいけない」という世間一般の認識があるため、ただひたすら耐えなくてはいけないと思っている男性も少なくありません。

 また、男性のなかには、「妻がこんなに暴力的になってしまったのは、自分のせいだ」と思い込み、誰にも相談できずに悩み、耐えている方もいます。

 他人に肉体的、精神的に危害を加えることは、男も女も関係なく、あってはならないことです。「男は女に手を上げてはいけない」という認識は、「男が女から手を上げられたら耐えなくてはいけない」ということと、同義ではないはずです。

 妻からのDVに密かに悩む夫のための、法的対処法を解説しましょう。

DV法は女性重視でも
男性も保護対象に含まれる

 まず、DVとは「配偶者からの暴力」のことです。この配偶者のなかには、事実婚や元配偶者も含まれますし、男性・女性を問いません。また、暴力は身体的暴力のみならず、精神的・性的暴力も含まれます。

 内閣府が行った「男女間における暴力に関する調査」(平成23年度調査)によれば、配偶者(事実婚や別居中の夫婦、元配偶者含む)から「身体的暴行」「心理的攻撃」「性的強要」のいずれかを1つでも受けたことがある男性は、18.3%にのぼります。

 配偶者からの暴力については、外部からその発見が困難な家庭内において行われるため、潜在化しやすいことが特徴です。しかも、加害者に罪の意識が薄いという傾向があるため、周囲が気付かないうちに暴力がエスカレートし、被害が深刻化しやすいという特性があります。

 そのため、わが国では平成13年4月に、配偶者からの暴力に係る通報、相談、保護、自立支援等の体制を整備することにより、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護を図ることを目的として、「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(DV防止法)が制定されました。

 DV防止法の対象は、女性に対する暴力だけではなく、男性に対する暴力も含まれますので、男性の被害者であっても、この法律による保護等を受けることができます。

 しかし、配偶者からの暴力の被害者の多くが女性であることなどから、DV防止法は女性に対する暴力に特に配慮した規定となっています。

もしやられたら
やり返さず証拠を残す

 そもそも、暴力については、刑法上、傷害罪(刑法第202条)や暴行罪(刑法第208条)、脅迫罪(刑法第222条)等が定められています。

 先ほど例に挙げた妻からの行為は、「別れ話をしたら、『職場にあることないこと話して退職に追い込んでやる』と脅される」というケースについては脅迫罪に、「夫婦げんかの際、包丁を突きつけられた」というケースについては暴行罪に、「喧嘩になると、手当たり次第、物を投げるので、それがあたって骨折をした」というケースについては傷害罪に該当する可能性があります。

 しかし、夫婦間のトラブルで警察に行くという男性は少なく、悩みに悩んだ末に相談に行っても、「男が女にやられるなんて」と軽くあしらわれてしまうケースも少なくないようです。

 なお、冒頭の「稼ぎないとののしられる」というケースでは、妻は法律を犯しているわけではありません。しかし、精神的に夫を追いつめるDVであることは間違いないでしょう。

 妻からのDVが原因で婚姻関係が破綻した場合には、「婚姻を継続しがたい重大な事由」(民法第770条1項5号)として、離婚原因になります。また、妻からのDVは不法行為(民法第709条・第710条)に該当しますので、慰謝料を請求することもできます。

 離婚や慰謝料請求を考えている場合には、医師の診断書や怪我を写した写真、脅したり暴言を吐いたりしている際の録音等、客観的な証拠を残しておくことが非常に重要です。

気をつけたい防衛方法
確実なのは「逃げる」

 また、男性は力が強いので、女性が手を上げたからといって、自分も手を上げてしまったりすると、相手の方が大けがをして、逆に慰謝料請求をされてしまうというケースもありますので、この点は十分注意が必要です。

 女性が暴れるのでそれを止めようと押さえつけたところ、あざができてしまったり痕が残ったりしてしまい、それを以て、逆に妻が「夫からDVを受けた」と主張するケースも少なくありません。

 一般的には、まだまだDVについては、「女性が被害者」という概念が強く浸透しているため、このように女性側に暴力の証拠を持たれると、本当は先に手を出したのが女性であっても、男性に不利な結果となってしまう可能性があります。

 では、妻からDVを受けた時、男性はどうしたらよいのでしょうか。

 既に、身の危険を感じるほどに妻のDVがエスカレートしてしまっている場合には、まずは身の安全を図るため、避難することが大切です。

 妻が包丁などの凶器を持ち出した場合でも、男性である夫は、女性の妻よりも力が強いから抑えられると考え、つい自分で対処してしまいがちです。しかし、それは極力避け、すぐにその場から離れることが大切です。

 被害を受けた男性の8割弱が、どこにも相談していないという回答をしているとおり、男性の方が弁護士に相談するきっかけは、実際に離婚の決意を固めてからというケースがほとんどです。しかし、私たち弁護士は、離婚をするかどうか迷っている段階であっても、相談に来ていただければ、法律的見地からアドバイスができます。

 今回のようなDVに関しては、弁護士に話せば、被害を受けている夫も「妻は法律違反をしているんだ」「もう、我慢する必要はないんだ」と、気付く事ができるでしょう。

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<執筆者プロフィール>

竹森現紗/たけもり・ありさ


福井県出身。慶應義塾大学総合政策学部卒業。金沢大学大学院法務研究科修了(法務博士)。2008年弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。西村あさひ法律事務所入所。2010年八代国際法律事務所入所。2012年世田谷総合法律事務所開設。2013年事務所を銀座に移転し、アリシア銀座法律事務所開設。

 日本司法支援センター東京地方事務所法律扶助審査委員。日本プロ野球選手会公認選手代理人。経営革新等認定支援機関。一般社団法人相続診断協会パートナー事務所。

 離婚(男女トラブル)・相続・企業法務を3本の柱として業務を展開しているが、これに限らず幅広く民事事件一般に対応可能。

・アリシア銀座法律事務所ホームページ
http://diamond.jp/articles/print/43036


【第1回】 2013年10月16日 片山繁載 [人事・キャリアコンサルタント/日本マンパワー取締役]
「俺は会社に貢献している」は思い過ごしだった!?50代社員に対する若手・年下上司&会社のホンネ
連載にあたって――50代社員の活用を考えよう
 会社の中の50代社員の評価は概して低い。
「給与の割に働いていないよね」
「上のご機嫌取ってるだけで、何も自分で決めないよね」
 こんな話はどこの会社の若手社員からも聞かれる。昨今のメディアの特集などでも「会社の濡れ落ち葉」にならない方法とか、「お荷物社員は50代」といった形で取り上げられることが増えた。
 長年、40代・50代のミドルシニアのキャリア研修やキャリアカウンセリングの現場を見てきた筆者からすると、それは随分失礼な話だと感じることが多い反面、なぜ、そのように見えてしまうのだろうか、ということも気になっていた。
 30年・40年近く働き、様々な現場を経験し、企業貢献もし、能力も蓄積してきたはずの50代社員が、10歳・20歳年下の若手から、あるいは人事や経営者層からみて、その働きぶりに頼もしさや「いいね!」という感じが見て取れないとしたら、それは一体何のせいなのだろうか?
 もしかしたら、「俺は会社に貢献している」と思い込んでいること自体が本人の思い過ごしで、過去の立場や評価を意識の片隅に残したまま、現在の環境下で期待される態度や行動の自覚がない50代社員も多いのではないだろうか?
 50代社員に対する少々の悪評を、積極的に解釈するなら、それは、まだまだ期待したいことはいっぱいあるのに、現実の50代社員はそのように見えない、「期待ギャップ」を表しているともいえる。また、消極的に解釈するなら、性能の落ちた中古車のような50代社員を一体、この先どのように扱えばよいかというちょっと「深刻な人事課題」ともいえる。
 本連載では、このような50代社員に対し、いささか厳しめの評価があることを踏まえ、当の50代社員の自己改良・改善をどのように進めるかはもとより、彼らを活かす立場にある管理者や経営者・人事担当はどのように対処すればよいか、また、一緒に仕事をする若手層はどんな係わり方があるのか、そんな処方箋を「50代アラウンド定年社員の取扱説明書」、略して「“アラ・定”社員のトリセツ」として述べてみたいと思う。
 1つだけお断りしておきたいことがある。50代はキャリアの最終分岐点であり、多くの方は役職を離脱する。そして、引き続き要職につき会社の成長や発展を支える方と、これまでの経験を活かして現場で頑張る人たちに分かれていく。研修でお会いする50代の方々の立場は様々だが、定年を意識するキャリアの下降期にありながらも、みな自分の持ち場を懸命に支え頑張っている人たちだ。この人たちを揶揄したり、失礼なことを申し上げるわけにはいかない。
 筆者は50代社員に多少の問題があっても、それを是正してうまく組織活用する人材開発にこだわりをもっている。よくある、50代ダメ社員を滑稽に笑い飛ばすことほど無神経で、無益なものはない。問題の裏には何か理由が、原因があり、これが個人の努力ですむのか、少し組織の力を借りた方がいいのか、それとも人事制度も手直しした方がいいのか、そんな視点で本稿を進めたい。連載の途中、読者の皆様のご意見もいただきたいと思う。
人事担当者よりも自己評価が高い50代社員
 第1回目の本稿は、50代社員を取り巻く周囲の方々のホンネから入りたい。まずは筆者の会社で2012年8月に人事担当者と50代社員を対象に、「50代シニアの活用に関する調査」を行った。そこからは以下のような、興味深い結果が浮かび上がった。
(1)シニア社員のモチベーションの問題を聞いたところ、現状のレベルを「定年まで何とか維持できる」は37%であったが 、「定年後も維持できる」となるとさらに23%に低下した。なんとかやる気を支えようしながらもこの先はさらに低下することが読み取れる。
(2)組織適応力として「コミュニケーション」・「人関関係の維持」が上手くできているかの評価については、シニア社員はそれぞれ59%・54%と、過半を超える方が「できている」と回答しているが、一方、人事担当者では42%・36%とシビアな評価になっている。
 この結果から、50代社員が思っているほど、人事担当者は彼らを評価していないことがわかる。50代社員自身は、意外と自己完結的な狭い範囲でうまくいっていると感じているが、もっと社内上下・横断的な働きを期待する人事担当者からすると、彼らはコミュニケーションや人間関係のパイプや築き方も狭い、と映っているのだろう。
(3)「専門性の自信」・「現職以外での力の発揮の可能性」について、「自信がある」と回答したシニア社員はそれぞれ54%・38%であった一方で、人事担当者は55%・20%と、専門性の評価はほぼ一致したものの、現職を離れた力の発揮は大きくかい離した。本人は現職以外でも過去の経験を活かせば何とかなるだろうとみているが、人事担当者は、50代社員のなかで複合的な専門性を持っている方は少なく、また経験はあっても現場の即戦力レベルからみると相当陳腐化したものになっており、他の仕事に就いたときの活用度には不安を感じているようだ。
 この結果をみると、50代社員は見かけ上、元気にやっていても、その内心は(1)の定年までのモチベーション維持は低下傾向にあり、また、(2)の組織適応能力の点では会社での自己通用性も過大評価傾向が出ている。さらに(3)の専門性の保持活用の点では、現職延長での専門性活用ならばなんとかなるが、他の仕事となると危うくなる、ことが読み取れる。
 この辺りが顕著なのが、50代の役職定年・再雇用前後社員だ。50代社員の実際の働き方の評価として、全体的にモチベーションが低下する中で、狭い範囲での適応組織に陥り、現職の範囲での成果期待に止まってしまう傾向があり、これが、周囲からの働きぶりの評価として見た場合、様々なマイナス評価の一因を形成していると思われる。
 気を付けたいのはこのことを当の50代社員自身は、日々の仕事を一生懸命やっているつもりであり、このことをさして問題とも思っていないということだ。この思い違いを誰が気づかせるのか。
50代社員に対する
若手・年下上司、人事・経営者のホンネ
 ここで、50代社員に対して関係者からよく言われるホンネと本人意識を対比するため、下記の図表1で少し紹介しておこう。
拡大画像表示
 この表で見るように、50代社員が考える仕事ぶりや能力・専門性の発揮が、若手層からみるとかなり期待しているものとはギャップがあることがうかがえる。50代ベテラン社員の考える自立した仕事人の姿と、若手層が期待する周囲への気遣いや現場の課題解決のアドバイスなどにはその基本スタンスの違いなどがあるように感じる。若手の声として、現場でよく聞く、具体的な例をあげておこう。
■若手社員からよく聞くホンネ
 *どこで何をしてるかよくわからない。行先や要件、居場所をわかるようにしてほしい。
 *給与が高いんだから、最低、自分の人件費分の責任は果たしてほしい。組織のお荷物にならないで。
 *商談で同行する前にあれこれ資料の追加や確認や質問しないでほしい。
 *客先での昔話、自分の成功話を長々話すのはやめてほしい。
 *若手に教えるときは精神論は短く、方法や要領をわかりやすく教えてほしい。
 *相談しやすい、もっと話しかけやすい雰囲気を醸してほしい。
 *女子社員を「ちゃん」付けで呼ぶのはやめてほしい。
 *あとはまかせた、で自分だけ早帰りはありえない。
 となかなか厳しい意見が多い。
 また、経営者・上司層から見た場合、与えた仕事を細かな指示もなく、ベテランの知恵と経験で手堅くこなしていることの評価の反面、仕事の進め方の進歩のなさ、視野の狭さ、50代の大人としてのコミュニケーション態度などが問題視されやすい。能力・専門性の面では、経験頼りになり新分野への挑戦を億劫がることや、古いリーダーシップ感覚など経験の陳腐化をどう学習で補っていくか、などが評価課題とされている。こちらも現場で年下の管理者・人事担当からよく聞く声を上げると次のような感じだ。
■組織リーダー社員・人事担当者からよく聞くホンネ
 *リーダーからフォロワーへの立場と意識の切り替えをやってほしい。
 *自己判断できることでも、上司への報告・連絡・相談をキチンとしてほしい。
 *忠誠より貢献。会社に依存せず、自分の給与分以上の働きはしてほしい。
 *管理職任期がまだ残っているのに、退職OBのような仕事ぶりにならないでほしい。
 *本来自分がやるべき仕事なのに、人に振らないでほしい。
 *自慢話は程々に、新しい知識や技術などは若手や部下からもきちんと学んでほしい。
 *部下育成・技能・人脈の伝承をきちんとやってほしい。
 *組織の中で完成した大人の仕事人として存在感を示してほしい
 こちらは役割期待の反面、そのマインドや態度のギャップを指摘する声が多い。
50代社員を“ガラパゴス人材”にするな!
 周囲からのホンネはこのあたりだが、当の50代社員は「なんで俺のことをわかってくれないんだろう」と胸中、複雑なものがある。結果的に50代社員と周囲との間に奇妙な“きしみ”が生まれることになる。
 このきしみは、50代社員にとっては、長い勤務経験や過去の貢献感覚に根差す意識が、新しい組織・仕事環境の変化に自分を変化させる際のきしみであり、また周囲にとっては環境や役割に順応しきれない50代社員に違和感を覚えることが、このきしみとなっているのだろう。
 50代社員の心の内をたどると、会社の期待の中核に位置していた30代・40代の立場が終わり、役職定年・再雇用を迎える50代の新しい役割変化の中で、これまでのような積極的な期待とは違う目標、モチベーション、仕事能力の発揮が求められる。それは、本人にとって望ましくもうれしくもない現実の訪れだ。周囲がみて、なんだか怠けているように見える諸現象は、組織内の役割変化に適応を続ける上で、「少しはオレのこともわかってくれよ」のきしみの声ともとれる。
 組織の秩序だった仕事ネットワークの中で、我々の仕事は相互に連携・補完し合い、個人の仕事は組織の仕事として連結・完成されていく。ここで、少々のキャリアショックに直面した50代社員を、“ガラパゴス人材”にしてはいけない。たえず自己の役割を組織貢献行動に結び付ける仕事ネットワークからこぼしてはならない。
 今回は1回目として、連載の趣旨、シニア活用調査結果から見た50代社員の評価ギャップ、現場関係者の50代社員に対するホンネなどをみてきた。大きな課題は最後に述べた50代社員を自社の仕事ネットワークに上手に組み入れるために、どんな対応を講じるべきかその処方箋を考えることが、本連載の目的である。
 次回は当の50代社員を取り巻く環境変化と、その変化に対する50代社員の様々な対応の仕方を探っていきたい。
http://diamond.jp/articles/print/43074



【第30回】 2013年10月16日 渡部 幹 [モナッシュ大学マレーシア校 スクールオブビジネス ニューロビジネス分野 准教授]
日本人はネットワークづくりで中国人に完敗?
中国クオリティを侮らず「学ぶ貪欲さ」を見習え
――処方箋㉚「一般的信頼」の壁を越え、新しいビジネスに目を向けよ
中国の強さを見せつけるプレゼン
マレーシアのWCEFで見た現実

 2週間ほど前、マレーシアで2日間にわたって開かれた「World Chinese Economic Forum」に参加してきた。

 これは、毎年中国の経済シンクタンクが開いているもので、中国内外の経済人、政治家、学者を集め、経済促進のための情報交換と議論をする場である。今回も、前マレーシア首相のマハティール氏をはじめ、オーストラリアのヴィクトリア州知事、シンガポール、マレーシア、中国経済関連の要人など、豪華な顔ぶれが揃った。

 彼らのウェルカムスピーチの後、ファイナンス、中国経済の行方、中国へのビジネス進出の可能性などについて、学者と実務家が議論、学者も中国内外の経済学者を中心とした顔ぶれを揃えている。

 筆者の専門ではない話も多かったため、全ての議論を完全に理解したわけではないが、フォーラム全体を通して一貫した印象があった。

 まず、中心アジェンダは「中国推し」によって、中国からの東南アジアへの投資受け入れの活性化、さらに中国への投資活性を狙っているということ。そのために、特に中国側のスピーカーは「中国躍進」を示すデータを次々と出してくる。

 しかしながら、それらはマクロデータばかりで、しかも中国にとって良いデータのみであった。また日本や韓国との比較はあまりせず、アジア経済は圧倒的に中国のパワーが強い、ということ印象付けるようなプレゼンが目立っていた。

 一方で、中国人以外のスピーカーの中には、中国にとって痛い点を突いてくるものもかなりあった。1つは、実際にビジネスを行っている中国外の経営者の方々からのもので、中国でビジネス運営するときの風通しの悪さ、アンフェアさについての不満と不安であった。

マハティールが見せた毅然とした態度
ASEAN諸国に見る中国への不信感

 もう1つの中国批判は、アジアでの政治的コンフリクトについてであった。各国要人からのウエルカムスピーチで、ほとんどが中国礼賛、中国との友好の「光」の側面を強調するものだったのに対し、マハティール元首相は毅然と「中国が経済的協力を成し遂げたいならば、各国との領土をめぐるコンフリクトを解決する必要がある」と言い切り、中国の「影」の部分に言及した。その中には、もちろん日本との尖閣諸島の問題も含まれている。

 フロアからの質問についても、中国の国粋主義について懸念する質問が相次いだ。印象的だったのは、それに対する中国人研究者の回答の歯切れが悪かったことだ。

 それまでは、様々なデータを示しながら「客観的」な議論をしていた彼らが、そのような質問に対しては「私の個人的な印象を言わせてもらえば、(政治的対立については)全く問題ない」ということしか言わない。

 基本的にマレーシアを含むASEAN諸国は、中国との経済協力に魅力を感じながらも、中国的やり方に対して警戒と不信を持っている。それに対して中国が持っているのは、様々な経済指標を用いて「将来アメリカを追い越す勢いの、明るく、魅力的な中国経済」を示すという対抗手段のみだ。

 そういう意味では、中国側とASEAN側のコミュニケーションに溝を感じたフォーラムであった。

 しかしミクロな面で見れば、中国人のネットワークや人脈づくりの積極性には感心するしかない。

 豪華なリゾートホテルで行われたこの会では、休憩時間には必ず豪華なリフレッシュメントが揃えられ、全員が参加できる昼食会では、中華料理のフルコースが振る舞われる。もちろん参加者は全て無料だ。

 そして大きな丸テーブルに集った人々の中で、中国人や中華系マレー人は、積極的に他の人々に話しかけ、名刺交換をし、相手の仕事内容を聞いた途端、ビジネスの可能性を探ろうとする。

「一般的信頼」が低い日本人に対して
ネット―ワーキングに積極的な中国人

 このネットワークづくりへの積極さは、驚嘆すべきものであった。

 社会科学では、新しい経済取引を始める際に、最も重要な心理的要因として、「信頼」の研究が進んでいる。

「信頼」というと、私たち日本人は、通常長い関係の中で徐々に育まれると考えがちだ。しかし、ビジネスにおける信頼は「知らない者同士ができるだけ早く取引を始める」場面でこそ重要となる。つまり、あまり相手のことを知らないうちから、どれだけ信頼できるかが重要となるのだ。

 このタイプの信頼を、社会心理学の分野では「一般的信頼」と呼ぶ。山岸俊男・北海道大学名誉教授のグループが行った研究では、日本人は米国人に比べて、平均的にこの一般的信頼の水準が低いことがわかっている。

 つまり、日本人は新しく出会った人々をあまり信用しない。その結果、新しいビジネス関係も始めにくくなる。もともとあまり信用しないため、相手が信用に足る人物であるというサインを見抜くことも上手ではない。

 このことは、ベンチャー企業への投資行動や、思い切った製品の思い切ったイノベーションのアイディアを採用できないなど、企業の経済行動にも影響を及ぼす。

 そして、この一般的信頼を多くの国で比較した統計数理研究所のデータによると、中国人の一般的信頼は、日本どころかアメリカよりも高いことがわかっている。

 一般的信頼が高いと、新しい関係をスピーディにつくることができる一方で、騙される可能性も多くなる。日本人は、この騙される可能性を非常に警戒する。

 現在の中国でも多くの「騙し」が横行していることは、想像に難くない。しかし、経済発展が著しい現在、騙しのリスクを背負ってでも、新しいビジネス関係をつくるメリットのほうが大きい社会となっているのだ。

 私がフォーラムで出会った中国人、中華系マレー人の中では、名刺を交換して3分ほど話をした途端、「もっと話を聞きたいので大学の研究室に来たい」「今度自分の会社の人事部の人間に話をしてくれないか」などの依頼をされることもあった。

 そういう意味では、中国人自体は国際的なネットワーキングについてアメリカ人以上に積極的だ。

 北海道大学のグループによる日中比較研究で、相手を騙すことのできる匿名の金銭取引を、日本人同士、中国人同士、日本人対中国人のペアで行ったものがある。それぞれのペアでは相手が中国人か日本人にしか知らされず、その他の情報はお互いに一切知ることができない。

 このとき、相手を騙さずに協調的に振る舞う確率は、中国人ペアが最も高く、ついで日本人対中国人ペア、一番低かったのは日本人同士のペアとなった。そして日本人と中国人のペアでは、中国人のほうが日本人よりも協力的だった。

 この結果は、先の一般的信頼の高さによって説明できる。中国人のほうが、見知らぬ相手に対して積極的に協力するのだ。フォーラムでの中国人の積極さは、そのことを物語っていた。

協調の意図はあるが協調の実力が欠如?
中国人の「バッタもん」イメージの背景

 筆者がこの話をすると、その反論として、中国製品のクオリティの低さやいわゆる「バッタもん」の多さ、建築物のずさんさなどを挙げる方もいる。

 確かに、そういったものの中国のクオリティの低さは問題だ。先日も、江西省で観光フェリーに乗り込もうと観光客が橋を渡っている途中に突然橋が崩壊し、10人がケガをするという事故が起きた。これを“中国クオリティ”と笑うのはたやすい。

 しかし、このことは先に示した実験の結果と矛盾するどころか、支持するものなのだ。橋のクオリティはともかく、この橋は納期までには完成した。それ以外にもずさん建築の多くは、納期を守るべく、無理やり完成させたものが多い。

 このことは、ある種中国人の生真面目さを示している。先のゲーム実験で言うならば、協調する意図は十分にあるが、協調するための実力に欠けている、ということなのだ。

 仕事のクオリティの低さは、積極的にビジネス関係を持とうとする意図には関係ない。その後の関係の中で、相手が満足するだけの経済交換の能力があるか、という問題なのだ。

 そう考えると、中国人が日本人並みの労働クオリティを身に着けた場合、それはとてつもない武器になる。実際に中国で大成功を収めているマニファクチュアは、労働オリティの高さが武器になっている。日本から学ぼうとする経営者も多い。

 今はまだ平均して中国の労働クオリティは日本に比較して低く、したがって製品の質も日本に比較して低い。だが、彼らの労働クオリティが日本に追いつき、かつ彼らのネットワーキングのパワーが発揮されれば、日本は完全に凌駕されかねない。

リスクに向き合い新しい取引に目を向けよ
クラーク博士も仰天した日本人の優秀さ

 では、日本はどうすべきか。

 中国式のネットワーキングを学ぶべきである。リスクに向き合い、新しい取引に目を向ける姿勢が必要だ。それに関しては、現在のところ中国の圧勝と言わざるを得ないからだ。連載第29回で述べた「グローバリゼーションのために『○ングリッシュ』体験を積むべし」という話も、この考えに基づいている。

 もともと日本も中国も(そして韓国も)、東アジアの国は学ぶことについては貪欲だ。筆者が大学院生として所属していた20世紀後半のUCLAで、すでに30%以上の学生が東アジア系、または東アジアからの留学生で、理系に至っては大学院生が全員中国からの留学生であったところもあった。

 つまり、当時から成績優秀者は東アジア系に多かったのだ。MBAスクールでは、韓国からの留学生がみなしのぎを削っていた。

 また、こんな逸話もある。かつて札幌農学校に派遣されたクラーク博士は、赴任前、日本を見下しており、学生には足し算引き算から教えなくてはならないと思っていた。もともとクラークは優れた教師ではなく、当時アジアの辺境である日本に赴任するなど「左遷」でしかなかった。

 彼からすると、「辺境の原始的な野蛮国に行かねばならない」という心境だったのだろう。クラーク自身もアルコール依存症で、アメリカでの評価は芳しくなかったのだ。

 しかし赴任した途端、彼は度肝を抜かれた。学生がしてきた質問は、彼も手こずるような微積分についてだった。当時の札幌農学校の学生は、独学で微積分にまでも進んでいた。クラークは心底驚き、彼自身の素行を改め、北海道大学の基礎を築くための貢献をした。

「学ぶ貪欲さ」でも中国に負けた日本
まだ大丈夫などと油断してはいけない

 もともと日本人は、それくらい学ぶのに貪欲だった。だからこそ世界で最初に、発展途上国から先進国へと変わった国となったのだ。

 しかし、その学ぶ意欲が、中韓に比べると今は劣っている気がしてならない。これではいけない。

 今回のフォーラムのパンフレットには、アンケート用紙が付いていた。全てのスピーカーの話について評価を下して、コメントを書けるようになっていた。これだけ大物が集まってスピーチしているのに、それを評価させようとしているのだ。

 このデータを基に、彼らは次の戦略を練るはずだ。貪欲にフィードバックを得て「学ぶ」。ここにも中国の姿勢を見ることができる。

 中国が悪しき官僚主義に陥り、政治的、外交的な欠陥を抱えているのは確かである。また、労働クオリティが総じて低いのも事実だ。

 しかし、それらの事実に安心して「まだ日本は大丈夫」と思っていることが、最も危険なことだと筆者は考える。日本人もまた、貪欲に学ばねばならないのだ。
http://diamond.jp/articles/print/43037


02. 2013年11月06日 10:28:11 : e9xeV93vFQ

【第6回】 2013年11月6日 梅田カズヒコ [編集・ライター/プレスラボ代表取締役]
「バカッター」「LINE既読」問題はなぜ起こる?
ソーシャルメディア時代の同調圧力

ソーシャルメディアと承認【前編】

「強迫観念にとらわれたかのようにメールの返信を急ぐ人」、「せっかく一流企業に入ったのに辞めて、所得を減らしてでも自分らしい職場を探す人」……。一見不可解な現代の若者に特徴的なこれらの行動。こうした行動に駆り立てる原因を探っていくと、彼らの「認められたい」という思いに行きつくことが少なくない。現代において若者を悩ませる最大の問題は、経済的不安ではない。「認められない」という不安なのだ。

一方で、若者でない世代も含めて、日本に蔓延する閉塞感の正体を探る意味でも「承認」、さらに「承認格差」は、大きなキーワードだと考える。この連載では、経済的な格差に苦しむよりも深刻かもしれない、「“認められない”という名の格差」を考えていこうと思う。

 今年6月27日、高知県内のローソンで、アイスクリームなど冷凍系の商品を陳列する冷蔵庫にアルバイト店員が寝そべった状態で入り込んでいる写真がFacebookにアップされ、いわゆる炎上をした。その後、同時多発的にアルバイト店員らの不謹慎な写真がアップされ、同様に炎上を繰り返した。以前から未成年者が飲酒や喫煙行為をツイッターなどでアップし問題となるケースはあったが、今年の夏ほど「バカッター」(「バカ」と「Twitter」を組み合わせた造語。その名の通りTwitterでバカな写真を公開するという意味。また、Twitterによってバカが露呈するという意味も含まれている)と呼ばれる現象が社会問題化したことはなかっただろう。

 今回は、バカッター騒動を総括し、ソーシャルメディア時代の社会のあり方を考えるべく、社会学者の鈴木謙介さんにお話を聞いた。鈴木さんは、今年8月『ウェブ社会のゆくえ―した現実のなかで』という著書を出されている。これ以外にも著書は多く、2002年からインターネットに関する書籍を出しておられるので、少なくともここ10年のインターネット上のあらゆる事象を社会学的に捉える活動を続けていることになる。自身もTwitterやFacebookを使いこなす鈴木さんに、今起こっていることを語っていただいた。

ソーシャルメディアのタイムラインは
孤立不安をあおる設計になっている

――今回は、昨今話題になっている「バカッター」への対処法からはじめて、その後にソーシャルメディアとの関わり方を考えていきたいと思っています。鈴木さんは、Twitter上で、アルバイト中の「倫理に反したバカな写真」をアップしてしまう人々について、どのように対処すれば良いと思いますか?

鈴木謙介
社会学者。1976年生まれ、福岡県出身。関西学院大学社会学部准教授。「ウェブ社会のゆくえ」(NHKブックス)、「SQ“かかわり”の知能指数」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、「サブカル・ニッポンの新自由主義」(ちくま新書)など。TBSラジオ「文化系トークラジオ Life」、NHK「青春リアル」などのパーソナリティも務める。
 バカッターについて、「対処方法」と「なぜ彼らがそのような行動をするのかを理解すること」は別々に考えるべきだと思うんですよね。対処の仕方は、方向として3つしかないと思います。

 1つ目は、一定割合でこういうことをやらかすスタッフは出てくるので、リスクと割り切ってすぐ入れ替えられるように就業規則を作って、こうした投稿を行ったら即クビにしましょうというもの。

 2つ目はもう少し柔らかめに、バイト中は携帯電話を預かるなどして、物理的に撮影・投稿させないという対処方法。

 3つ目は従業員教育の徹底です。なぜそういうことはしてはいけないかをきちんとコストをかけてやることを指します。最近では「バイトテロ」なんて言葉もありますが、バイト先の環境が悪いからスタッフのモラルが低いのだという話が出てきて、労働環境をちゃんと整えることが最善の対処法であるという意見も見られるようになりました。硬軟おりまぜてこの三方向の間でバランスを取るしか、対処法はないと思います。

――なるほど。では、「彼らの行動原理」の話をしたいのですが、先日、広島で16歳の少女が殺人・死体遺棄された事件で、仲間内のLINE上での口論が発展し、殺人に至ったと報じられています。そこから見えるのは、仲間内のルールが社会規範よりも優先されるという現状です。バカッターの件も含め、仲間内での「認めてほしい」という行動がエスカレートするケースが多いように思います。

 社会学的には、「彼らは善悪の区別がついていないのだ」という説明は誤りです。エミール・デュルケームという社会学者が言っていることですが、何が逸脱行動であるかを決めるのは社会の規範の方です。今回のようなケースで言えば、彼らは何が「悪いこと」に当たるかを理解しているからこそ、そこから“逸脱”することができるわけですね。つまり、アイスケースに入ったり、調理中の食材を粗末に扱うことは悪いことだと分かっているからこそ、そこを逸脱することで、自分の関係している集団、友達に対する「ネタ」になるということが共有されていなければ、ああした行動は意味をなさない。重要なのは善悪の区別ではなく、「悪いこと」だと分かっているけど、友だちに「すごいだろ!」って見せつけたいという気持ちが優先されてしまうということの問題です。

――確かに彼らは悪いことと分かってふざけていますね。モラルをはみ出すチキンレースになっていくと、どんどん危ない方向に行きますよね。で、そのモラルをはみ出すスピードが、ソーシャルメディアなどで加速している気がして、それが現在の問題なのではないかと思っています。

 ソーシャルメディアがこうした行為のエスカレートに寄与しているかどうかは、判断が難しいところです。あり得るとすれば、バイト先での仕事よりも友だちからの承認を優先させてしまうことではないかと。

 まず「ソーシャルメディアと承認」ということに関して言えば、承認不安と言って良いかはわかりませんが、『孤立不安』というものがあります。“ソーシャルメディアにアクセスしている人は寂しい人”という説明をよく耳にしますよね。しかしケータイメールなどの研究で明らかになったのですが、本当に寂しい人はソーシャルメディア上に友人がいないし、メールを送る相手もいない人なんです。メール頻度の多い人というのは、メールを送る相手もたくさんいる人ですよね。

 じゃあ、なんで友達もたくさん居るのにメールをたくさん送り続けてしまうのか。それは自分が一人のときに、友達が私をハブって(無視して)遊びに行っているんじゃないかという不安があるから、というのが複数の研究で言われていることです。つまり孤独であることの不安ではなく、孤立することへの不安。こういった不安はソーシャルメディア上でも起こると言われていますし、微妙にメールとは違うメカニズムで孤立不安があおられているという指摘もあります。

 TwitterやFacebookなどには、“タイムライン”というものがありますよね。タイムラインというのは、フォローしている他人の話が時系列で表示されてくる仕組みです。いわば「強制的に自分の画面に割り込んでくる他人の情報」なんですが、実はタイムラインをじっくり見ることができるのは、1人のときなんですね。

 そこで、『誰々が誰々さんとどこそこにいます』、『ステータスを“交際中”に変更しました』とか表示されてしまうことで、人が「リア充」になっている瞬間を常に目撃させられてしまっているのがタイムラインの特徴で、その結果として孤立不安があおられるわけです。友達と一緒にいるときは居場所があるんだけど、一人になった途端に不安になる。だから、ここで足りていないのは承認の量と言うよりも、時間的な継続性の問題です。

――なるほど。ソーシャルメディアの設計がそうなっているということは、利用者の僕らが意識を変える必要がありますか?

 大人になると、「孤立不安を感じるぐらいならソーシャルメディアを見なきゃいい」とか思うんですが、学生なんかだと、時間的に余裕があることや自我が不安定なこともあって、ソーシャルメディアが孤立不安を埋めるための承認合戦の場になってしまう。

“同調圧力”に関する難題
「既読スルー」問題

――では、孤立不安をあおられやすい人はどうすれば救われるんでしょうかね。

 本人が救われるかどうかは分からないですが、孤立不安から日常生活に支障をきたすほどソーシャルメディアやケータイに依存してしまうのを防ごうとすれば、そうしたメディアではなくて、その人の関係に対する手当てが必要になります。たとえば、お兄さん、お姉さん役の人が相談に乗ってあげることで、その種のトラブルを少し相対化して見られるようになるかもしれない。

――学校教育にも取り入れるイメージですか?

 スクールカウンセラーとか、そのレベルであれば対応できるかもしれません。大学生やアルバイトぐらいの年齢になってくると、本来は自分たちで分別が付いていると思われがちですが、数年前に、私が大学生に対して行った調査でも、「電波が届かないところにいると落ち着かない」「着信がないか何度も確認してしまう」「友達のメールにはすぐ返信する」という3つの項目すべてに「あてはまる」「ややあてはまる」と答えた学生が14%ほどいました。ソーシャルメディアの登場やスマホの普及で少し事情は変わっているでしょうけど、そういう状態の学生が1割強はいるとして、「大人なんだから」というだけで済むかどうか。

――学生の話を中心にしてきましたが、例えば僕が周囲から聞いたケースで言えば、27歳の女性が、地元の友達全体で、LINEのグループチャットを作っているそうです。で、LINEには既読という文字が出ますが、既読なのになぜ返事をよこさないのかというプレッシャーがあると答えていました。

 いわゆる「既読スルー」ですね。スルーする方もされる方も、これに関してはプレッシャーを感じるようですが、mixiの時代にも「足あと」機能を巡って同じ問題があったわけで、LINEの問題というよりは僕らの人間関係と社会生活の折り合いの問題だと思います。

 まず、読んだんだから返事くれよ、というのは同調圧力の問題ですよね。これ自体はずっと昔から言われていることですし、日本だけの現象でもありません。問題は、その圧力が時間と場所を問わないものになって、より面倒になるという点です。

 仕事の場面で考えてみましょう。たいてい人は、メールを送った取引先が、こちらと同じくらいの優先度でメールを返してくることを期待します。しかし受け取った方も当然複数の仕事を抱えていますから、こちらの期待通りの優先順位でメールを処理してくれないかもしれない。そこで相手の事情が分からないと、早くしてくれないかなあと思いつつもただ待つしかできないし、待たせる方もそのやきもきした感じを勘案に入れずに、自分の優先順位でタスクを処理できるわけです。

 ですがこれが24時間、どこにいてもメールを確認できるようになるとどうなるか。たとえば日常生活で恋人と過ごしているのに、早くメールを返してほしくてやきもきしている人のことも気になってしまいますよね。つまり、リアル空間に「仕事での自分への期待」を持ち込む穴が空いている状態になるわけです。

 LINEのグループチャットも似たように、そのとき自分がいる場所に、グループからの期待を持ち込んでくるわけです。しかも最近は、グループのメンバーの一部でサブグループを作って、親グループを仕切ってる人の悪口を言うなんてこともありますから、複数の期待で空間は穴だらけという状態なんだと思います。

――安息の場がないですね。

 その安息というのは、自分の都合で人の期待に応えたり無視したりを選べるということから生まれていたし、場所を変えることである程度得られていたんですけど、それが難しくなって、常に「どっちの顔を使えばいいか」を選ばないといけない状態に置かれているんだと思います。

病みツイートの多い女性
「いいね!」の数が気になる男性

 やっかいなのは、そういう複数の期待に応えることが、それぞれのグループからの「承認」の感覚と関わっていることでしょうか。

 グループチャット問題はどちらかというと、女性の話ですね。最近ゼミ生と議論をしていて、男女の同調圧力の違いで面白い発見がありました。男性の場合は、特に体育会系だったりすると、「ここでみんなで裸になって踊ろうぜ」みたいな、一気に高い同調圧力を要求されるわけです。ところが、女性の場合は、先ほどのようなたくさんの細かいグループチャットの問題が出てくる。男性から見ると面倒くさくないの?って思うんですが、そうではないと。これは“グループ”の男女間の意識差のようなんですね。

 男性の場合のグループは、袋のようなもので、全身を入れる所属先であると言えます。一方女性はたくさんのグループを同時進行で行ったり来たりしている。これは軍隊の階級章のような、“バッジ”の感覚に近いんですね。たくさんバッジがあると、何の役にも立たないけどうれしいわけです。

――なるほど。まさに承認ですね。

“大きな袋のなかに入って得る承認”と“バッジのようにつけて得る承認”があるわけです。で、よくありがちなんですけど、バッジをたくさんつけていた人が、結婚して子どもが生まれたりすると、ぱったりそういうコミュニティに関わらなくなるという場合がある。就職した瞬間にソーシャルメディアをやらなくなるとか。

 つまり、大きな承認が与えられたとき、バッジのような小さな承認の数々は、わずらわしくなるわけですね。優先順位が変わってくるわけです。

 あと、「病みツイート」をしている人は、ツイッターで検索して見ている限り、9割が女性ですね。

――そうなんですね。どうして男女差が出るんですか?

 女性を中心にしたコミュニティのほうが同調圧力を感じる機会が多いからでしょうね。また、女性のほうが感情を吐露しやすいように社会的に訓練されるという男女差の問題もあると思います。例えば、泣くことに関して言えば、男性のほうが人前で泣かないように子どものころから教育されています。いくつかの要因で、女性のほうが病んだ心情をネット上に吐露しやすい傾向にあります。

――「病みツイート」で救われるというのは僕も経験があるのでとてもよく分かるんですが、一方で「いいね!」の数が少ないとか、「フォロワーが減った」とか、そうやって心を乾かせる要素もあると思うんですよね。

 数字を気にしているのは男のほうだけじゃないですかね。

――なるほど。身に覚えがあります(笑)。

 特定の誰かがフォローを外しているとか、「痛いツイートしちゃった、死にたい」とか「あるある」な状況ですけど。

 今回では、「バカッター」が起こる背景の話にはじまり、ソーシャルメディアとそれを取り巻く環境について話した。このあと後編では、海外と日本のメディアリテラシー教育の違いや、具体的にソーシャルメディアの時代になったことで起こっている諸問題に、我々はどう対処していけば良いのかを考える。

※後編は11月20日(水)公開予定です。

今回の記事や当連載について、ご意見、ご感想がある方は、筆者のTwitter(@umeda_kazuhiko)までお願いいたします。次回以降の執筆の参考にさせていただきます。

[12削除理由]:無関係な長文多数

03. 2013年11月12日 01:46:00 : niiL5nr8dQ
【第19回】 2013年11月12日 吉田典史 [ジャーナリスト]
常軌を逸した“自宅仕事”にもがき苦しむ隣人たち
真夜中に爆音をまき散らす「引きこもり社員」の怪
働き方の多様化で住民トラブルも
「悶える職場」があなたの隣家に

 今回は、賃貸マンションの一室に引きこもり、自宅で契約の仕事をしていると思しき30代後半の男性が織り成すトラブルを紹介しよう。その部屋の隣に住む、30代半ばの男性・A氏から話を聞いた。A氏は、ファイナンス系の会社に勤務する会社員である。

 その「契約社員」は、毎晩ひどい騒音を立てる。それに不満を持つ住人がいる。その1人が、今回怒りを露わにするA氏だ。A氏は騒音に苦しめられ、眠ることができない日々が続く。

 半年ほど前に不動産管理会社に苦情を言い、「契約社員」に「騒音をやめるように」と伝えてもらった。だがその後、一向に状況は改善されない。依然として毎晩、騒音、轟音、爆音が響いてくる。困り果てた住民たちは転居をするようになったが、A氏は安易に今の部屋を離れたくないという。「契約社員」のことを許せないようだ。

 職場に「悶え」の構造があることは、これまで述べてきたとおりだ。現在はビジネススペースが拡大し、これまで会社で起きていた人間関係のトラブルが家でも発生する可能性がある。

 今や、仕事は必ずしも「会社でやるもの」ではなくなっている。パソコンをはじめデジタル機器を揃えれば、社員が自宅で仕事をすることも可能となった。その時々の都合によって、会社での作業とそれ以外の場所での作業を、自由に使い分けて働くこともでき得る。

 そうしたなか、契約・請負形態で働く非正社員などが増加し、自宅で仕事をする社員もいるだろう。こうした人々が引き起こすトラブルは、会社には規制できないことがある。

 今回紹介するエピソードは、そんなケースの典型例。A氏に話を聞くことで、新手の「悶える職場」の一断面を浮き彫りにしたい。

夜な夜な響く騒音、轟音、爆音
もうさすがに堪忍袋の緒が切れた


A氏の取材は都内・新橋で行われた
A氏 ほぼ毎日、夜の10時30分頃から朝の9時頃まで、騒音が断続的に続く。1回につき数分間騒音が続き、それが数回繰り返される。それを1セットすると、この10時間くらいで計5〜8セットになる。

 これでは、寝ることができない。仕方なく、インターネットの動画「YouTube」で「海の音 8時間」などを選び、それをヘッドホンで聞きながら寝る。ボリュームはかなり大きくする。そうしないと隣の騒音が頭に響く。

 最近は耳を傷めている。1年近くずっと堪えてきたが、さすがに堪忍袋の緒が切れた。少々の音は問題視しないけど、この騒音は許せない、怒りが湧く。

筆者 騒音はいつから始まりましたか。

A氏 昨年の末頃から。そのときから深夜や早朝が多い。当初は賃貸マンショで、共同生活だから我慢しようとした。だけど、あまりにもひどい。そこで不動産管理会社に電話をして、社員から連絡をしてもらったのだが、隣の住人は「生活音しか立てていない」と答えたようだ。

筆者 こちらは「騒音」と受け止める。相手は「生活音」として主張する。よくある騒音問題のパターンですね。実際は、どんな音なのでしょうか。

A氏 これ(と言い、ICレコーダーを見せて、録音されている音を筆者に聞かせる)。

(騒音)バン、バン、バン(バイクのエンジンをふかすような音)、グュ〜〜〜〜〜〜〜〜ン、グュ〜〜〜〜〜〜〜〜ン、グュ〜〜〜〜〜〜〜〜ン……。(何かを押しつぶすような音が約30秒)

 この音が繰り返し聞こえる。音のすさまじさに気が狂いそう。音は突然、聞こえる。だから防衛ができない。悪質極まりない。この部屋は、隣のテレビの大きな音が聞こえるくらい。ここでこんな音を、しかも深夜や早朝に立てるのは、正常な感覚には思えない。

督促状に追い立てられ部屋に引きこもる
騒音を「生活音」と主張する隣の住人

筆者 ひどい……。これを「生活音」と主張するのは、無理があるように思いますね。少なくとも、深夜や早朝に立てる音ではないでしょう。ちなみに、お住まいの物件の家賃や間取りはどうなっていますか。

A氏 家賃は8万8000円で、管理費が5000円。計9万3000円。間取りは、8畳間くらいのスペースの部屋が1つ。トイレとバスがついていて、小さなベランダがある。陽当たりはいい。駅から10分以内……。

 2008年にここに入った。そのとき、すでに隣の部屋の住人はいた。話したことは一度もない。そもそも、部屋から出てこない。引きこもりみたいな生活をしているようだ。

 窓は昼でも空かない。黄色のカーテンがかかったまま。外から見ると、ここ6〜7年間同じカーテンをしているように見える。ベランダに何かが干してあるのは、一度も見たことがない。

筆者 その部屋は衛生的に問題がありそうです。ひょっとしたら、ダニだらけになっている可能性もありますね……。

A氏 あの男性は部屋に引きこもっているけど、時折近くの道を独り言をつぶやきながら歩いている。首をやや斜めにして、携帯電話を常に右手に持って、画面を見ている。30代後半〜40代くらいで、やや太り気味。独身みたい。そして、お金がなくて生活に困っているように見える。

筆者 なぜ、そこまで言えるのですか。

A氏 色々な会社から、督促状がポストに届いている。それが溢れ返って、箱から出ているのが見える。電力会社、カードローンの会社など……。15〜20社ほどから……。中身を故意に見るわけではないけど、私の横のポストだから。床に大量にこぼれ落ちていると、見えてしまう。

 しかも、封が開けてある。本人が目を通し、そこでほかってしまうのだと思う。あんなに督促状が多いと、郵便ポストが何かの弾みで火事になるかもしれない。そのとき、周囲が迷惑をする。本人が何も感じないのが、理解できない。

 挙げ句に、時折、電力会社の社員が部屋を訪ね、電気が使えないように切ってしまう。料金を支払うことができないからだと思う。信じられないのだが、その後数週間、電気を使うことなく、生きているみたい。

会社を辞めて収入が絶たれた?
怪しい隣人は「契約社員」なのか

筆者 その男性は無職なのでしょうか。

A氏 今年の2月頃まで、会社に勤務していたみたい。通勤の姿を時折見た。ただ、毎日出社するのではなく、週に1〜2回行くくらい。いつも同じ背広に見えた。冬でも、夏のもの……。他の日は、当時から引きこもり。

 その会社とは、2月に縁が切れたみたい。会社から離職書などが届いていた。それで、収入の道が絶たれたんじゃないかな。春から督促の数が一気に増えた。

筆者 Aさんの見立てが正しいとすれば、なぜ彼は就職活動をしないのでしょうか。

A氏 そこまでは把握できない。時折、ある会社から封筒が届くようだ。それも封を開けて、ポスト付近に捨ててある。それを見る限りでは、「契約社員」として何かの仕事を個人事業主に近い形で請け負っているみたい。純然たる無職ではないと思う。

 今の会社でも週に数回出社し、普段は業務委託のような形で仕事を請け負い、その代価を得ているのだと思う。それでは収入が少なく、督促の雨嵐になるんじゃないかな。

ひどい騒音の正体はいったい何?
仕事の時間が昼夜逆転しているらしい

筆者 なぜその男性は、どこかの会社にきちんとした就職し、収入を得て、借金の支払いをしようとしないのでしょうか。

A氏 それができないから、引きこもりをしているんだと思う。40歳くらいでこんな生活では、将来のメドは立たないと思う。そもそも毎日出社し、働くとか、借りたお金を返すといった、社会常識はあまり持っていないように見える。社会常識がないから、こんな爆音を立てることができるのだと。

筆者 1日中家で仕事をしているから、その音が繰り返されるわけですね。せめてきちんと会社に勤めていれば、騒音の回数が減るのでしょうけれど……。

A氏 しかも夜に活動をして、昼は寝ているみたいだから、こちらは一段と迷惑。爆音、騒音、轟音をまき散らす契約社員らしき人……。一向に改善しようとしない。

筆者 ところで、周囲の住人からは不満が出ないのでしょうか。

A氏 何度も出ていた。たとえば私は、その男性の左隣り(A氏は右隣の部屋に住む)に住む30代後半の男性が、深夜に「おい、うるせえぞ! 静かにしろ!」という大声で怒鳴る声がした。「バカ野郎!」とも聞こえた。

 その30代後半の男性が、部屋の中にいる引きこもりの男性を叱っているのだと思えた。それでも、騒音が止まることはない。結局、30代後半の男性のほうが耐えかねて引っ越しをした。

筆者 騒音問題は、居直りをした側が勝つ傾向がなきにしもあらず、ですからね。

「最低の生活」を守り続ける隣人
騒音に耐えかねて多くの住民は転居

A氏 不動産管理会社もお手上げで、どうすることもできないみたい。家賃の滞納が繰り返されているようだけど、遅れ遅れになりつつ、なんとか支払いはしているようだから、正面から「出て行け!」とは言えない。結局、周囲が泣き寝入りをする。

 私もその1人。引っ越しをすると、30万円〜50万円は少なくとも消えていく。怒りを覚える。理不尽だ……。

 世間では、こういう非正社員は「弱者」と見られるけど、私には到底「弱い人」とは思えない。むしろ「強者」に近い。守るものがない人って、すごいなと思う。周囲も不動産管理会社も世間も、一切怖くないのだろう。

筆者 きっと守るものが、その「最低な生活」なのでしょうね。人に迷惑をかけ、家賃を滞納し、お金の返済が遅れる、という生活……。さらには、人に多大な出費をさせて、事実上の追い出しをしている。

 私が気になるのは、昨年の暮れよりも前は、騒音がひどくなかったということです。その頃は、男性は会社に多少は通っていたわけですよね。

A氏 ええ、その通り。

筆者 始めから純然たる引きこもりではなく、何かのきっかけで職を失い、Aさんが察するような曖昧な雇用形態で仕事を請け負うようになったのかもしれませんね。それで生活が荒み、そこから抜け出すことができなくなっているのかもしれません。

 おそらく、1ヵ月の収入が20〜25万円くらいなのではないでしょうか。多くても……。だから、家賃の支払いが遅れ、その他の支払いも遅れる。それをカードローンなどで補う。だけど返せない。

 安定した収入を得ようとするが、キャリアや能力、人格などに何かハンディがあり、内定を得ることができない。そもそも40代前半だったら、安定した職場で職を得ることはもはやできないと考えることもできます……。見立てをするとすれば、そんなところでしょうか。

たとえ生活が荒んでいたとしても
身勝手な行動は許されるものか?

A氏 ずいぶんと好意的に解釈していますね。仮にそのような推測通りだったとしても、騒音を立てることが許されるわけではないと思う。こちらは、本当に迷惑をしているわけだし、耳も炎症状態になっている。被害を受ける側からすると、受け入れられない。

 あんな人は、安定した収入を得ることができないのが、当たり前。みんなあのように惨めになりたくないから、真剣に生きている。なのに、なぜあんな引きこもりのやりたい放題にさせておくの? 

筆者 「悶える職場」は、こんなところにまで広がっているのですね……。

踏みにじられた人々の
崩壊と再生

 今回紹介した騒音をまき散らす男性が、自宅で作業をする「契約社員」であるかどうかは、正確にはつかめない。また、そもそも「引きこもり」は病気であり、一般人に対して根拠もなく断言することはできない。

 A氏による「引きこもり」といった見立ては事実であるのかはわからないが、それくらいに彼を怒らせる何かを、この男性がしている可能性が高い。

 少なくとも、この男性が周囲とのトラブルが絶えず、私たちがよく見かける会社員とは相当に異なった生活をしていることは間違いない。

 このようなケースが増えているかどうかは断言できないが、30〜40年前と比べると、目立つようになっているのではないだろうか。たとえば、会社に毎日出社することのない「社員」、低収入に喘ぐ人、適齢期を過ぎても結婚しない、できない人などである。

 これらの問題が論じられる場合は、景気がいい、悪いということや、世代間の格差として捉えられることがある。筆者は、そのスタンスには懐疑的である。景気や世代間格差の問題ではなく、それらを通り越して、非常に広い範囲で多くの日本人に見られる問題なのだと思う。

「プロワーカー」という幻想論
会社に頼らない生き方は本当に得?

 つまり、経済構造が大きく変わっていくなかで、日本人がその変化に対応できなくなっているのが原因ではないだろうか。冒頭で述べた「雇用形態の多様化」という社会の変化が、その傾向に拍車をかけているようにも思う。

 たとえば、今回の、引きこもりと思われる男性が、業務委託という形で仕事を請け負う「契約社員」だとする。本当にその路線で生きていくためには、「会社が嫌だから……」「リストラをされたから……」といった思いつきで始めたのでは、長くは続かないだろう。その甘い考えで生活を支えるだけの収入をコンスタントに得ることは、難しいのではないか。

 むしろ、遅くとも学生の頃から自分の人生やそこにおける労働の位置づけ、そして会社員になることの意味、キャリアの積み方などを深く考えないといけない。それを20、30代と進むにつれて、バージョンアップをさせていくべきなのだろう。

 こういった意識や考え方が、その人の思想に浸透しているならば、さすがに「職を失ったから、自宅作業の契約社員をしていればいい」といった選択はあまりしないだろう。

 ここ十数年、一部の識者やメディアは、会社に頼らずに生きていく人を「プロフェッショナル」「プロワーカー」といった言葉を使い、好意的に取り上げてきた。しかし筆者の経験論で言えば、組織に頼ることなく生きることには相当なリスクが伴い、失うものも計り知れないほど大きい。

 非正社員・フリーランスらの生活苦の姿を見る限り、自らが望んだというよりは、会社に頼らない雇用形態で働かざるを得なかったケースのほうが多いように感じる。本来は、こうした深い部分まで視野に入れ、仕事や職業、キャリア、会社との関係を論じるべきなのだろう。

 ところが、前述の識者やメディアの多くが、組織の一員として安定した収入を得ている。自ずと実態を押さえることなく、感覚的で情緒的な議論になっていく。そこに、世論が強くなっていかない大きな理由がある。

本当に踏みにじられたのは誰か?
「悶える職場」はあなたの隣にも

 さて、今回のケースで踏みにじられた人は誰かと言えば、騒音に苦しむA氏や周囲の住人だろう。はっきり言えるのは、騒音をまき散らす人がいる限り、この問題は終わらない。早いうちに説得を繰り返し、騒音をやめさせるべきだ。そうでないと、たとえ住人が変わろうと同じことになる。

 そして、できればこの「契約社員」はどこかの会社に正社員として就職し、一定の収入を得れらるように努力すべきだ。今の生活を続けても、低水準の生活からは抜け出させないだろう。生活がどん詰まりになったときには、そこでじっと耐えるのではなく、動くことが大切だと思う。

 たとえば、自宅待機の「契約社員」から、毎日出社する「会社員」に。お金が払えないならば、その一部でも返すことができるように、相手と交渉する。そして騒音を指摘されたら、「生活音」と言い逃れをするのではなく、まずはその非を認めて襟を正す……。身の周りを1つずつ変え、動きがある生活に移っていくべきではないだろうか。

「悶える職場」は、いつあなたの隣家にやって来るかわからない。今回のケースで本当の「弱者」は、すでに転居した住人たち、そしてA氏をはじめ、今も残って騒音に苦しめられる人たちなのだと思う。この人たちの「再生」こそ、最優先に議論がされるべきだろう。

[12削除理由]:無関係な長文多数


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