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http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1306/03/news146_2.html
私は、NPO法人「老いの工学研究所」の研究員をしており、座談会で印象に残ったのは、ある80歳代前半の女性が語った内容だ。
私が「高齢者が幸福だと感じるかどうかに、何が関係していると思いますか?」と質問したら、彼女は「食べるのに困らないことかなあ。経済的余裕というか……」と答えた。身なりや物腰、雰囲気からして私はてっきり、お金持ちだと思って、「いいお店に出かけて、食事を楽しんだりされるんですか?」と尋ねたら、「そんなのじゃなくて、お米とおみそとおしょうゆがちゃんとあるということ。私達の時代は質素倹約で育ってきたわけだから。ぜいたくしようとは思いません。テレビや雑誌で、お金持ちがぜいたくをしているのを見て、いいなあとは思うけれど、自分も同じようにしたいとか、うらやましいとは全然思わないですね。」と回答された。
座談会が進んで話を詳しく聞いていると、やはり裕福な人ではあったのだが、世代の違いは大きい。今、十分なお金を持っていて自由に使うことができても、子供のころに徹底された「質素倹約」という考え方や金銭感覚が残っており、米、みそ、しょうゆがあって、食べるのに困らないことが経済的余裕で、ぜいたくしたいとは思わないという。もちろん、高齢者がお金を貯め込んで、消費をしないから景気が良くならないという一面もあるので、質素倹約などと言わず、持っているなら使ってほしいとも思うが、私は別の点に興味が湧いた。
当研究所のアンケート調査では、現在の高齢者の幸福度(自己評価)はかなり高いが、それは子供のころの不自由な生活が大きく影響しているのではないか、ということだ。子供のころ、食べるものが十分にはなかった、モノにもお金にも恵まれていなかった。だから「それに比べれば今は幸せだ」と感じるのではないか。
■ぜいたくを経験してきた50歳代はどうだ?
であれば、現在の50歳代やその下の世代が高齢者になっていくとき、どのように感じるのだろう。高度成長期に子供時代を過ごし、大学時代や社会に出たころはバブル期で、質素倹約など考えたこともない、ぜいたくを経験してきた世代である。生活レベルを落とすのは難しいというが、つつましやかに生きる術もマインドも持っていない世代が高齢化していくと、「不幸だ」と感じる高齢者が恐ろしく増える可能性があるのではないか。
中略
その点で、50歳代がどのような高齢者になっていくのかは重要だ。若いころの価値観を変えられないままに不幸をかこちながら生きていく老人になるのか、それとも今の高齢者とは異なる幸福を見出していくのか。老後に備えたお金の話や、アンチエイジングにばかり注目している場合ではない。(抜粋/川口雅裕)
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