07. 2013年6月21日 10:55:53
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【政策ウォッチ編・第29回】 2013年6月21日 みわよしこ [フリーランス・ライター] 「子どもの貧困対策法」は貧困の連鎖を断ち切れるか? 衆議院・厚生労働委員会での攻防(下) ――政策ウォッチ編・第29回 2013年6月4日、衆院本会議で可決された生活保護法改正案は、現在、参院で審議されている。前回に引き続き、今回は、同時に審議されている「子どもの貧困対策法案」との関連を中心に、衆院で行われた審議を振り返ってみたい。 生活保護制度の利用を困難にする改正案と生活保護基準の引き下げは、貧困状況にある子どもたちの生活と将来に、どのような影響を及ぼすだろうか? ひとり親世帯の貧困率は50%以上 子どもの発達を阻む“貧しさ” 2013年5月31日、衆議院・厚生労働委員会において、生活保護法改正案・生活保護基準引き下げがもたらす問題について述べる朝日健二氏(衆議院インターネットTVよりキャプチャ) 2013年5月31日、衆議院・厚生労働委員会において、参考人として出席した朝日健二氏(NPO朝日訴訟の会理事)は、
「小学校も中学校も級長をやって、高校にも進学したかったわけです」 と、自身の経験した貧困の連鎖について語った。 朝日氏は、1935年に生まれた。実父は戦時中に従軍し、結核に罹患した状態で軍隊から復員した。貧困状態の中で、朝日氏は高校進学を断念し、通信制の高校を辛うじて卒業した。その後、朝日氏自身も結核に罹患したが、生活保護の医療扶助によって療養生活を送り、回復した。回復した朝日氏は、その後、故・朝日茂氏の養子となって、生存権の保障を求める「朝日訴訟」を承継しようと試みたが、最高裁は承継権を認めなかった。その後も朝日氏はさまざまな活動を続け、2005年からは「第二の朝日訴訟」とも呼ばれる「生存権裁判」の原告ともなっている。 朝日氏は、本年8月から実施される生活保護基準引き下げによる影響が、特に単身者に対して大きいことを取り上げ、 「高校を卒業したら、とにかく、なんでもいいから働けと匂わせているのか?」 という自身の疑問を表明した。 また、子育て中の世帯に対しても、今回の生活保護基準引き下げの影響は大きい。このことは、貧困の連鎖へとつながりうる。現在すでに、ひとり親世帯の貧困率は50%以上にも達している(国民生活基礎調査〈2012年〉による)。 朝日氏は、参考人発言の終わり近くで、戦後間もない時期の厚生省(当時)による貧困研究にも言及した。朝日氏によれば、当時すでに、「最低生存費」と「最低生活費」を区分しての研究が行われており、貧困の連鎖に関する指摘もなされていた。最低生存費の水準で生活している子育て世帯では、母親の知能が優れていても、子どもは十分に発達することができない。しかし、最低生活費の水準で生活している子育て世帯の場合、母親の知能が劣っていても、子どもには中程度の発達がみられたという。ちなみに当時、世帯の経済状態がそれ以上に良好であっても、子どもの発達に関しては大きな差はなかったそうだ。 子どもの生存を保障し、生育環境を良好にするためには、子どものいる世帯に現金を「バラマキ」すればいい。なぜ、それではいけないのだろうか? 生存権の保障を求めた 「朝日訴訟」とは何か ここで、朝日氏が承継を試みた「朝日訴訟」について、簡単に説明しておきたい。1963年生まれの筆者が小学校・中学校に通っていた時期、社会科の教科書には、憲法第25条(生存権規定)と朝日訴訟に関する記述が必ずあった。1985年ごろを境に、学校教科書には記載されなくなっているようだが、貧困や社会保障に関心を向ける人々にとっては、現在も避けて通ることのできない重要な訴訟である。 原告の朝日茂氏は、1913年に生まれた。日中戦争に従軍し、肺結核に罹患して帰国した。その後は国立療養所で生涯を送り、1964年に亡くなった。 朝日茂氏の生涯を支えていたのは、生活保護制度であった。昭和21年に成立した生活保護法(旧法)、昭和24年の生活保護法(新法)には、長く続いた戦争による戦傷病・飢餓への対策という一面もあった。 1961年の生活保護基準策定まで、最低生活費は「マーケット・バスケット方式」によって算出されていた。 「その消費水準で暮らしている人々は、買い物に行くと、何をどれだけ購入するのか」 に注目した方法である。しかし、前ページで紹介した朝日健二氏の参考人発言によれば、そこで考慮された消費は、 「新しいパンツは1年に1枚、新しい肌着は2年に1枚」 といったもので、到底、憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」を実現したと言えるものではなかった。食についても、この事情は同様であった。 朝日茂氏は、兄が「栄養のつくものでも食べるように」と1500円を仕送りしてきたものの、生活保護制度で療養・生活しているゆえに600円しか使用できなかったことをきっかけとして、日本国憲法が定める「生存権」の実現と保障を求める訴訟を起こした。しかし、最高裁で審理中だった1964年、結核が悪化して亡くなった。亡くなる直前に、朝日健二氏夫妻が養子となった。しかし最高裁は訴訟の承継を認めず、一方で、「念のため」に出されたので「念のため判決」と呼ばれる判決文を示した。そこには、 「憲法25条1項はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に具体的権利を賦与したものではない」 とある。いわゆる、憲法のプログラム規定論である。この判決では、国民の権利を守るのは生活保護法とされている。また、「健康で文化的な最低限度の生活」の認定判断は、厚生大臣(当時)の「合目的な裁量」に委ねられるともしている。 埼玉県が始めた 「生活保護受給者チャレンジ支援事業」 2013年5月31日、衆議院厚生労働委員会において参考人発言を行う樋口勝啓氏(埼玉県福祉局)。埼玉県の試みは、書籍「生活保護200万人時代の処方箋〜埼玉県の挑戦」(ぎょうせい)に詳しく書かれている(衆議院インターネットTVよりキャプチャ) 2010年、埼玉県は「生活保護受給者チャレンジ支援事業」を開始した。この事業の特色は、教育支援・就労支援・住宅支援の3分野の専門家らのチームワークによって、「縦割り」ではない支援を提供することである。2013年5月31日、衆院・厚生労働委員会で参考人発言を行った樋口勝啓氏(埼玉県福祉部副部長)は、この事業について説明した。本記事では、樋口氏の発言のうち、特に教育支援について紹介したい。
生活保護世帯で育った子どもの25.1%は、成長後に生活保護世帯を形成してしまう(2007年、堺市調査)。この「貧困の連鎖」を断ち切るには、生活保護世帯の子どもたちをせめて高校までは進学させ、子どもたちの将来の選択肢を増やし、安定した就労へと結びつける必要がある。そのため、埼玉県は学習教室を設置した。学習指導は、教員OBなどの支援員・学生ボランティアがマンツーマンで行う体制とした。低学力の子どもたちが多く、塾のように一斉指導を行うことが困難だからである。また、会場は特別養護老人ホームなどに設け、子どもたちが高齢者たちと交流する機会も用意した。樋口氏は「タダの学習塾にはしたくなかった」という。 結果は、現在のところ良好だ。生活保護世帯の子どもたちの高校進学率は、埼玉県では、2009年、86.9%であった。しかし、この学習教室に参加した子どもたちの高校進学率は、97%にも達する。一般世帯の子どもたちの高校進学率は、2011年に98.2%であったから、「遜色ない」と言えよう。 また、会場となった高齢者施設に入居する高齢者からは「受験のお守りを作って持たせる」などの応援があり、子どもたちから感謝を受けるという循環もあるという。おそらく子どもたちにとっては、学習指導を行う支援員・学生ボランティアなどとの交流も含め、「コミュニティへの参加」「安定した人間関係を、年長の人々との間に作る」という機会でもあるだろう。 もちろん、問題を抱えているのは、子どもたちだけではない。その親世代にあたる生活保護当事者もまた、最終学歴は中卒・高校中退であることが多い。職歴も、アルバイト・パート・派遣などの不安定就労を転々としていることが多く、就職活動時に魅力としてアピールできる職歴がない。埼玉県では、50歳未満の稼働年齢層の生活保護当事者に対しては、フォークリフト・警備・介護ヘルパーなど、就労に結びつきやすい資格取得・職業訓練を提供している。 この他に提供されている住宅支援も含めると、 「住宅を確保し、安定した生活が送れるようにし、職業教育から段階を追って就労と職場コミュニティへの参加機会を、子どもたちに対しては教育と地域社会への参加機会を」 というモデルが、埼玉県では、ある程度は機能していると見ることができそうだ。就労可能なはずなのに就労しないことの背景には、「働けるのに働かない」といった本人の心がけの問題以上に、さまざまなコミュニティや人間関係からの孤立がある。 孤立から困窮者本人を救うこと自体は、悪いことではない。しかし筆者は、心に引っかかりを感じてしまう。「社会参加」「人とつながる」が、行政による「させてあげる」「してもらう」であり、困窮している本人の主体性は期待されていないということに。 「貧困率を下げて進学率を上げる」は 生活保護基準引き下げと両立するか? では、議員・閣僚たちは、子どもの貧困の連鎖について、どう考えているだろうか? この5月31日の厚生労働委員会では、山井和則衆議院議員(民主党)による質疑と、田村厚労相らによる答弁も行われた。 質疑を行う山井和則衆議院議員(民主党・無所属クラブ)。同日、10:53からの質疑においては、主に水際作戦に関する参考人への質疑も行った(衆議院インターネットTVよりキャプチャ) 山井氏は、生活保護法改正案・生活困窮者自立支援法案と同時に衆院で可決された「子どもの貧困対策法案」について、審議によって、
「実効性のある法案になったと思う」 と評価した。そして、生活保護世帯の子どもの高校進学率が、全日制に限定すれば未だ「67%」という低い水準にあることを指摘し、貧困の連鎖を断ち切るための施策の重要性、貧困率を下げて進学率を上げることの必要性、中卒では良い職業に就けない現実、さらに高等教育の機会も確保する必要性について述べた。山井氏は、今回の3つの法案について、 「よい形での結果が出る必要があると思う」 とも述べた。 田村厚労相は、生活保護世帯の親世代に対し、資格取得の支援・能力開発・職業訓練を行う事業が既に実施されていることを述べた。また、常用雇用への転換が必要であることにも言及した。常用雇用を行った企業に対して支援するということである。 「しっかりと、(家計の)支え手の親が就労できるようにしていきたい」 と、田村厚労相は述べた。確かに、不安定就労からの脱却が困難なままでは貧困・生活保護からの脱却は困難であろう。 さらに、子どもたちの学習支援に関しては、 「学びたいと思っている子どもが高校進学できるように」 法案を提出したとし、貧困の中で育つ子どもが「上に行ける」環境づくりの重要性を強調した。しかし、高等教育の機会を確保することに対しては、 「言い回しが要注意」 と、必要性を明言しなかった。田村厚労相によれば、一般の家庭でも大学・短大への進学率は50%強なので、貧困世帯の子どもたちに対してだけ「大学へ行く」を確保したのでは、「バランス」が問題になるというのである。とはいえ、貧困世帯の子どもたちに対して「大学進学をしてはいけない」と言うことには問題がある、ともいう。そして、厚労省が5月13日、生活保護世帯が子どもの大学等進学のために預貯金することを認める方針としたことに言及した。 しかし一方で、生活保護基準は引き下げが決定しており、特に母子世帯に対しては引き下げ幅が大きい。現在でも、余裕のある生活をしているわけではない人々が、どうやって、子どもの進学のために預貯金できるというのだろうか? 「カネは出さずに、口と手は出す」? 筆者はこの一連のなりゆきに対し、 「カネは出さずに、口と手は出す、ということ?」 という見方をしている。手を出す分だけ、 「カネは出さずに、口を出す」 よりは良いのかもしれない。しかし、その「手」の確保や仕組みづくりにだって、「カネ」は必要なのだ。しばしば見受けられる「現金給付より現物給付のほうが」という意見に対しても、「現物給付にだってカネはかかるし、たぶん現金給付の方が安くつく」と感じている。 結局のところは、 「困窮している当事者にカネを渡す」 が、悪の根源のように見られているのであろう。しかし、コミュニティづくりも、人間関係づくりも、役に立つアドバイスを得ることも、当事者にその分の「カネ」を渡せば実現できるではないか。さまざまな研究は、現在の生活保護基準に加えて1〜2万円の費用があればよい、と示している。 「子どもの貧困対策法」に実効性を求めるならば、少なくとも、貧困家庭の状況を直接改善するだけの「カネ」が必要なのではないか。筆者は、生活保護基準引下げと生活保護法改正に対し、民主党を含む多くの政党が賛成したことに、なんとも釈然としないものを感じている。自民党・公明党・日本維新の会が賛成することは、当然の成り行きではあるだろう。しかし、その他の政党は、なぜ賛成してしまったのだろうか? 次回は、参議院で行われている生活保護法改正案の審議と、困窮者支援に関わっている支援者の意見を紹介する。生活保護法改正案などの法案は、可決された後、どのような近未来をもたらしうるだろうか? 【第4回】 2013年6月21日 貧しさとカネと暴力が絡み合う混沌の売春街 HIV感染リスクを負いながらもがく女性たち 本連載第3回でダルエスサラーム近郊、キノンドニ地域Manzese地区で行なわれていたコンドームの正しい使用方法や使用促進を目的としたエデュテイメント(教育と娯楽を合わせた造語)の様子を紹介した。実はこのManzese地区は、ダルエスサラームでは有名な売春街でもある。街を進むと、粗末な家々に挟まれた路地では子どもたちが無邪気に走り回る。だが、よく見るといくつかの家には小さな戸がいくつもあり、中は小部屋になっている。そこで夜になると売春が行なわれる。HIV/エイズの問題を語る上で欠かせないのが、ここで働くセックス・ワーカー(売春婦)たちの存在だ。彼女たちの置かれた現実から、問題の本質を探る。(取材・文/ダイヤモンド・オンライン編集部 片田江康男)
売春は犯罪行為でも 警察も客だから放置 取材中に後ろから急に筆者の肩をつかみ、スワヒリ語で必死に話しかけてきたイッサ。写真を取って、一通り話を聞くと、満足そうに帰っていった Photo:DOL 「オレの写真を撮れ」
そう言って、彼は筆者の肩をつかんだ。 「このあいだHIV陽性だって分かった。オレが生きていた証として写真を撮ってほしい」 理由を聞くと、彼はそう答えた。名前はイッサ、22歳。感染経路について知っているのかと聞くと「生活が嫌になって酒を飲んで、セックス・ワーカーとセックスした。コンドームはしなかった」からだという。 タンザニア、ダルエスサラームでも有名な売春街であるManzese地区。ここでは“買う”方も“買われる”方も、命を削りながら必死に生活している。 Manzese地区の土壁の家と家の間は約50〜60センチメートル。身をすくめて通ると、小さな庭のような空間があり、そこにテントが二張り設置されていた。なかではHIV検査が行なわれていた。テントの外には、女性たちが並ぶ。彼女たちは、Manzese地区を拠点に働くセックス・ワーカー(売春婦)たちだ。 身なりは街中で見られる女性たちと同じだが、両手足に施された派手なネイルが褐色の肌にひと際目立ち、彼女たちの“違い”を示すシンボルのようだった。 HIV検査を主催するのはPSI(Population Service International)で、活動資金を世界基金(The Global Fund)が支援している。PSIは3ヵ月に1回のペースで、Manzese地区で働くセックス・ワーカーたちが仕事をしていない昼間に、HIV/エイズに関する知識を周知し、実際に検査を受けてもらい、自身の身を守るためにコンドームが不可欠であることを伝えている。 「このエリアでは、約700人のセックス・ワーカーたちが働いている。1度の検査で訪れるのはだいたい150人程度。彼女たちの22〜32%がHIV陽性だ」 こう話すのはシャハダ・キンヤガ・PSIプログラム・マネージャー。さらにこう付け加える。 「このエリアではマリファナ、ヘロイン、コカイン、様々なアルコールも簡単に入手できる。ドラッグ・インジェクション(ドラッグ用注射器の使い回し)によるHIV感染も問題で、セックス・ワーカーだけがHIV感染拡大をしているわけではない」 タンザニアにおいてドラッグはもちろん、売春も違法だ。しかし、決してなくなることはないだろう。この地区に女性たちを求めてやってくる男性のなかには、警察官が多く含まれているからだ。他にはタンザニア各地から仕事でダルエスサラームにやってきたトラックドライバーが多いという。 仮に逮捕されても「数日間勾留されて、裁判して戻ってくるだけ」(キンヤガ・PSIプログラム・マネージャー)だ。Manzese地区は、HIV/エイズやドラッグなど、あらゆる社会問題が吹きだまったエリアでもあるのだ。 客の子も妊娠したが 生まれてすぐに死んだ ちょうど検査を終えたセックス・ワーカーの一人、M・Sさん(38歳)は「こんな仕事は好きではない。でも生きていくために、ここから抜け出すためにやっている」と本音を話してくれた。 M・Sさんは4年前からこの仕事を始めた。地方で一家で力を合わせて働き、父と母、M・Sさんの夫と子ども二人でなんとか生活していたが、1993年に母、96年に父が死に、稼ぎ手を無くしたことで、生活はすぐに破綻してしまった。仕方なく、夫と子どもとは別れ、Manzese地区でセックス・ワーカーとして働き始めた。夫にはすでに別の女性がおり、子どもたちも夫と一緒に暮らしているのだという。 「ここで金を稼いで、ダルエスサラームでカンガの店を開きたい。実はもう、反物の布は買ってある」と将来の夢を語る。カンガとは東アフリカで女性たちが日常的に身につけている伝統的な民族衣装のことだ。 M・Sさんは本当にカンガの店の店主として再出発できるのだろうか。それには大きな疑問符がつく。できたとしても遠い先の話であろうことは、容易に想像がつく。なぜなら、M・Sさんの生活は、命の危険に溢れているからだ。 M・Sさんは一日で10人、多いときで20人を相手にする。価格は1万5000タンザニアシリング(約10米ドル)のときもあれば、3万タンザニアシリング(約20米ドル)のときもあるという。 「料金は人による。金持ちには吹っかけるし、常連客は割引することもある」 PSIの教えに従ってM・Sさんは顧客にコンドームを使ってほしいと話しているが、これは時によってはM・Sさんを危険な目に遭わせてしまう。「コンドームを使うから安くしろと言われたり、コンドームを使用してのセックスの後、カネを返せと言われて暴力を振るわれたりする」ことがあるからだ。 こうした暴力はHIV感染の問題に直結する。M・Sさんは客には常にコンドームを使ってもらっているというが、多くのセックス・ワーカーたちが早くカネを稼いでこの仕事から抜け出したいと考えている以上、危険を承知でコンドームなしのセックスに応じてしまうからだ。暴力が怖くて、コンドーム使用について、女性たちが客に話せないこともあるだろう。 同時に、コンドームの未使用は、彼女たちに妊娠のリスクを負わせてしまう。実際、M・Sさんは一度妊娠したことがあるという。 「一度妊娠した。父親は固定客だったから、よく知っている男。中絶は考えなかった。赤ちゃんは神からの贈り物だから。育てて、一緒に暮らすつもりだった。でも、出産してすぐに死んでしまった」 MDGs(ミレニアム開発目標、第1回参照)の5つ目でも掲げられているが、アフリカでは妊産婦死亡率を削減することが課題となっている。タンザニアでも、保健・健康分野において大きな課題となっており、実際に妊産婦死亡率はタンザニアで10万人の妊産婦のうち、790人が死亡するという統計がある(2008年)。サハラ砂漠以南のサブサハラ・アフリカ地域全体で650人であるから、地域内でも高い数字となっているのだ。 M・Sさんは、HIV感染と出産による死亡というリスクを冒して、仕事を続けているのだ。いまでもその男は固定客だという。 男性の14.6%が買春経験あり その半数がコンドーム未使用 右の表を見てほしい。タンザニアでは男性の14.6%が買春をした経験があるという。うち52.9%がその際にコンドームを使ったと答えている。つまり、約半数がコンドームを使っていないのだ。
本連載第3回で詳述したように、コンドームによるHIV感染予防の知識は伝えているものの、実際の行動が伴っていないということを示唆している。実際の行動につなげるためには、ひたすら継続的なエデュテイメントを続けていくしかない。 なによりも問題なのは、M・Sさんの話から分かるように、多くの家族で収入を得る手段が限定されていて、不安定だということだ。Manzese地区だけではなく、他のエリアで住民たちにどのように収入を得ているかを聞いても、多くが家族で行なうスモール・ビジネスだと答えた。 具体的には炊事に使う炭を売ったり、郊外から野菜を仕入れて市場や路上で販売したり、日用品を売ったりして日銭を稼いでいる。製造業やサービス業など、産業が十分に育っていないため、会社に勤めているという人には一人も出会わなかった。 こうした状況があるものの、多くのアフリカ諸国で都市化が進み、人口は都市に集中している(本連載第1回参照)。そうすると、都市に収入基盤が不安定な住民たちがますます増える可能性がある。 そこでもし病気や家族の死によって収入基盤が崩れてしまうと、M・Sさんのケースがそうだったように、すぐに家族は食べていくことができなくなる。そして、生活していくために、セックス・ワーカーなどの仕事に就く人々が出てくる。 Manzese地区の住民の多くは貧しく、その貧しさから逃れるための糸口を必死に探していた。女性たちにとって売春は、貧しさから抜け出すための数少ない選択肢のなかの一つなのだ。それをイッサのように、貧しさから半ば自暴自棄になった男性が、客として買う。そこへHIV/エイズについての無知と、時には暴力が絡み合う。このように出口の見えない悲惨な現実が、HIV感染者が減らないという社会問題として表出しているのだ。 |