★阿修羅♪ > 社会問題9 > 367.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
生活保護を問う 漫然と2億4000万円支出…事なかれ主義と「不作為の連鎖」福祉行政に警鐘
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/367.html
投稿者 金剛夜叉 日時 2013 年 5 月 25 日 06:43:39: 6p4GTwa7i4pjA
 

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130405/trd13040514480013-n1.htm

北海道滝川市の元暴力団組員の夫婦らによる生活保護費不正受給事件をめぐり、市の幹部5人に、夫婦が介護タクシー代として詐取した総額約2億4千万円の損害賠償を求めた住民訴訟。自治体で福祉に携わる職員の過失を認めた札幌地裁判決は、漫然と多額の保護費を支出し続けた福祉行政に警鐘を鳴らした。なぜ常識では考えられない不正受給がまかり通ったのか。そこには、事なかれ主義と「不作為の連鎖」に陥った自治体職員の姿が浮かび上がる。


羽振りの良い生活


 元暴力団組員の夫婦と家族が住んでいたのは、北海道滝川市中心部から約3キロ離れた閑静な住宅街の貸家だった。延べ床面積約130平方メートルの2階建てで、広い庭とガレージも備える。

 「なんとなくいやでしょ」。夫婦の後に入居した女性(69)が居間の天井を指すと、飲食店などを怪しく演出するブラックライトが埋め込まれていた。家賃は同市の生活保護世帯の上限家賃(3万8千円)を上回る7万5千円。家の前には高級車が何台も止まっていたという。

 地域安全活動推進委員を長年務めてきた男性(86)によると、家の前におびただしい量のゴミが散乱し、悪臭を放っていたが、行政は夫婦には何も言わなかったという。  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2013年5月27日 15:17:02 : e9xeV93vFQ

氷山の一角だな

弱者に強く、暴力や脅しに弱いのは一般公務員も同じ

明かな刑法違反がなければ、なかなか警察も出てこない


02. 2013年5月28日 21:10:12 : NxNBBXi0qE
生活保護とは、公務員が堂々とヤクザにみかじめ料を払うための制度か

03. 2013年6月07日 08:56:23 : e9xeV93vFQ
【政策ウォッチ編・第27回】 2013年6月7日 みわよしこ [フリーランス・ライター]
「自立支援」は、生活保護費削減の切り札か?
貧困の拡大を助長しかねない
「困窮者自立支援法案」を検証
――政策ウォッチ編・第27回
2013年5月24日、衆議院では、「生活保護法改正案」「子どもの貧困対策法案」と同時に、「生活困窮者自立支援法案」に関する審議が開始された。これら3つの法案は、6月4日、衆議院で可決された。参議院でも可決されれば、今国会で成立することになる。

今回は「生活困窮者自立支援法案」について、内容と実効性を検証する。この法案は、「自立支援」という名称から思い浮かべられるイメージどおりの内容だろうか?

成立の可能性が高くなった
生活保護法改正案など3法案


6月6日、厚生労働記者会において行われた、生活保護法改正問題に関する緊急記者会見(主催:生活保護問題対策全国会議等)。熱心に取材を行うテレビクルー
 2013年5月24日、生活保護法改正案は、自民党・公明党・民主党・日本維新の会・みんなの党・生活の党などの賛成多数により、衆議院で可決された。

 審議の段階では、申請手続きを非常に困難にする第二十四条の改正案に対し、改正以前と同様の手続きによる申請を可能にする修正が加えられた。しかし、その他にも多数の問題を残したまま、衆議院は改正案を可決してしまった。現在は、引き続いて、参議院での審議が開始されている段階だ。

 今回は、生活保護法改正案と同時に可決された「生活困窮者自立支援法案」に焦点を当て、その目指すところを検証する。「生活困窮者」の「自立」を「支援」することは、一見、望ましいことであるように感じられる。しかし、「生活」「困窮(者)」「自立」「支援」といったキーワードからイメージされるものは、非常に多様だ。

 筆者は、生活保護法改正と同等あるいはそれ以上に、この「生活困窮者自立支援法案」は危険だと考えている。「自立支援」の名の下に、困窮した人々に対して生活保護の受給を実質的に不可能にしたり、脱出の見通しのない低賃金労働へと囲い込んだりする可能性があるからだ。

「もしかすると、目的は「自立支援」ではなく、単なる生活保護利用抑制であったり、低賃金労働を余儀なくされた多数の人々を作り出すことであったりするのでは?」

 と勘ぐりたくもなる。

 まずは、法案の内容を見てみよう。

「困窮者自立支援法案」の内容に
問題はないか?

 誰に、誰が、何をすることが、この法案の目的だろうか? 第一条(目的)、第二条と第三条(定義)によれば、


生活保護法改正案の問題点と、これからの取組みについて語る、弁護士の宇都宮健児氏(反貧困ネットワーク)
・誰に(対象者)
生活困窮者(現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなる可能性の高い人々=要保護世帯・準要保護世帯の人々)

・誰が(実施主体)
国、都道府県、市区町村、福祉事務所、業務委託を受けた事業者(主に都道府県)

・何を
生活困窮者自立相談支援事業
生活困窮者住居確保給付金の給付
その他の生活困窮者に対する自立の支援に関する措置

 となっている。この「誰が」にも問題が含まれているのだが、それはさておき、「何を」の具体的内容を見てみよう。

・生活困窮者自立相談支援事業(必須)
「就労の支援その他の自立に関する問題について、相談に応じ、必要な情報の提供と助言を行う事業」「認定生活困窮者就労訓練事業のあっせんを行う事業(*)」「厚生労働省令で定められる自立促進が行われるよう援助する事業」が含まれている。

・生活困窮者住居確保給付金の給付(必須)
離職などの理由(詳細は厚生労働省令で定められる)によって住居を失う可能性が高い生活困窮者に対し、住居確保を目的とした給付金(*)を給付する。

・その他の事業(任意)
生活困窮者に対する、就労準備支援(教育・訓練)・一時生活支援(シェルター提供)・家計相談支援(資金貸付等)・子どもの学習援助・その他自立の促進を図るために必要な事業

(*)で示した内容については、3月11日に開催された厚生労働省の「社会・援護局関連主管課長会議」資料に詳細が示されている。

「認定生活困窮者就労訓練事業」とは、就労・職業訓練の場を提供する事業である。主に、最低賃金に満たない賃金で、とにもかくにも就労機会を提供する「中間的就労」が想定されている。厚労省が公開している資料の数々を読むと、この「中間的就労」の導入に非常な熱意が感じられる。

「生活困窮者住居確保給付金」は、生活保護制度の住居扶助と同等の住居費を支給するものである。


記者会見の司会を行った、弁護士の小久保哲郎氏(生活保護問題対策全国会議)。他の発表者が深刻な水際作戦の実態について語る間、厳しい表情を浮かべていた
 あまり長くない法案の全体を眺めていると、「自立」「就労」という単語が目立つ。Webブラウザに数えさせてみると、「自立」は31回、「就労」は27回も出現していた。法案を通して、「自立」と「就労」がどのように使い分けられているのか、理解できない。「自立」を「就労」に、あるいは「就労」を「自立」に置き換えてしまっても、特に違和感はない感じだ。法案では、「自立」はほとんど「就労」の同義語として用いられている感じだ。いつから、「自立」は「就労」の同義語になったのだろうか?

 改めて、用語を定義している第二条を読み返す。「自立」の定義は、どこにも見当たらない。何らかの理由によって困窮し、生活保護基準以上の収入が得られる就労を望んでも叶わず、場合によっては住居も既に失っている人々を、最低賃金以下の「中間的就労」でも文句を言わせず就労させることが、「自立支援」ということなのだろうか?

「自立支援」対象者は
そもそも何万人いるのか?

 このような法案が、大きな反対も受けずに成立へと向かっていることの背後には、

「生活困窮者は怠惰で働かない」

 という根強いイメージがある。19世紀のイギリスで行われた社会調査でも、同様の偏見と、その偏見を覆す事実が記録されている。怠惰によって困窮にいたった人々は、困窮者の5%にも満たないのであった。

 現在進行形の問題に話を戻そう。参議院議員の片山さつき氏は、2013年1月2日、ツイッターで、

「220万人の生活保護受給者のうち、厚労省調べだけでも40数万人が働ける方々。しかも滞留傾向。もらえるか否かの基準を明確化することで、制度の信頼を回復し、本当に困っている方は門前払いされないようになります」

 と述べた(https://twitter.com/katayama_s/status/286600983260303360)。その根拠となっている「厚労省調べ」とは、第7回「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会(2012年7月26日開催)」の資料4の4ページであるようだ。そこでは、

・生活保護当事者であり、稼働年齢層かつ疾病・育児等の制約がなく、就労していない人々 約30万人
・生活保護以外の福祉制度(児童扶養手当・住宅手当)の利用者であり、稼働年齢かつ疾病・育児等の制約がなく、就労していない人々 人数不詳
・新たに生活保護当事者となる人々のうち、稼働年齢層かつ疾病・育児等の制約がなく、就労していない人々 年間約9万人
・その他 生活保護に至らない経済的困窮者

 など「働けるのに働いていない」人々が列挙されている。さらに、その人数を合計し、「少なくとも50数万人」を、「就労支援の対象となる生保受給者等生活困窮者」と推計している。片山氏が「約40万人」と言ったのは、生活保護を利用しているという約39万人のことであろう。

 この「39万人」を「働ける」とすることの妥当性はともかく、生活保護世帯を「働ける/働けない」「働きたい/働きたくない」で分類してみよう。実際には、これらの間に明確な境界線を引くことは困難であるが。


 左上の「働ける+働きたい」は、最小の見積もりとして、就労している世帯員がいる世帯数から推測した。「働きたい」というより、既に働いている世帯である。この人々は、生活保護基準以上の就労収入が得られれば、すぐにも生活保護から脱却することができるであろう。しかし、「安い」仕事、あるいは短時間の仕事しかないので、就労による経済的自立ができないのである。この人々に対しては、雇用状況・労働条件の改善が最大の支援となりうる。

 右上の「働けない+働きたい」は、年齢・疾患・障害・介護などの事情により、就労意欲はあるものの現実には就労が困難な人々である。この人々に対しては、個々の事情に即した柔軟な就労機会が求められるところだが、もし、そのような就労機会があったとしても、就労によって生活保護から脱却することは困難であろう。この人々に対しては、制約された範囲での職業生活を含め、安心・安全のもとに営まれる日常を生活保護制度によって底支えすることが、最大の支援となりうる。

 左下の「働ける+働きたくない」が、昨今、典型的な生活保護当事者のごとく誤解されている人々である。もし筆者の身近にいれば、大いに感情を刺激されてしまう可能性はある。しかし、少なくとも、生活保護当事者の多数派や代表例や典型ではない。この人々には確かに、「就労意欲を喚起する」「就労機会を増大させる」「求職活動を支援する」「就労を維持する」……といったことにより、就労し、経済的自立に至る可能性がある。

 右下の「働けない+働きたくない」人々は、そもそも働けないので、「働きたくない」は問題にならない。

 生活困窮者自立支援法案の対象となりうるのは、「働ける+働きたい」「働けない+働きたい」人々の一部と、「働ける+働きたくない」の大多数であろう。しかし、「働ける+働きたくない」という人々を就労させることは、本当に有効なのだろうか? 筆者は、片山氏をはじめとする自民党の人々の主張に接するたびに、疑問を感じてしまう。実際の人数は不明だが、決して多数とは考えられないその人々に対し、多大なリソースを注入して就労へと至らせることは、「費用対効果」という視点から見たときに「効果あり」と言えるであろうか? 限られたリソースは、「働きたいが、何らかの理由によって就労自立に至ることができない」というタイプの多数の人々、あるいは将来ある子どもたちに対して注ぐ方が有効ではないだろうか? 

 もちろん、

「働けるのに働かないなんて、許せない」

 という意見は、当然のこととして考えられる。でも、「働けるのに働かない人は生活保護の対象にしない」という判断はできるだろうか? そこには、第二の「おにぎり食べたい」事件(注)の可能性以外にも、数多くの問題が含まれる。「働ける/働けない」を、誰がどのように判断するのだろうか? 公正な判断は、ありうるだろうか? 「働ける/働けない」は、本人の職業能力や健康状態だけで決まるわけではなく、周囲の社会状況と関連する。その境界線は、時々刻々と変わる。判断にも区別にもリソースが必要だ。

(注)2007年、北九州市の生活保護受給者が市職員に「就職した」との虚偽報告を強いられ、生活保護を打ち切られた結果、「おにぎり食べたい」と書き残して孤独死した事件


元ケースワーカーの立場から、生活保護法改正案・生活困窮者自立支援法案について語る田川英信氏。法案・厚労省方針に含まれる矛盾が、現場に混乱をもたらす可能性を危惧
「働ける+働きたくない」人々を、何らかの判断によって生活保護の対象から除外することは、可能かもしれない。しかし、その場合には、犯罪の増加・治安の悪化・刑務所入所者の増加 といった問題を引き受ける覚悟が必要だ。筆者には、

「月々の生活保護費を渡して、放っておく」

 が、最も「安上がり」な対応に思える。

 生活困窮者が、何歳の・どこの・どのような人々であるかについて、生活保護当事者ほど詳細な調査が行われているわけではない。しかし、要保護状態・準要保護状態にある人々の困窮の背景は、生活保護当事者と大きくは異ならないであろう。

 筆者はどうしても、

「どんな悪条件でも、文句を言わせずに就労させれば、すべてが解決する」

 と考えることができない。現在は経済的自立に結びつくような就労が困難な事情のもとにあるが、心から就労や経済的自立を望んでいる生活保護当事者たち多数の顔を思い浮かべるとき、

「仕事を選びすぎるから就労できない」
「本当は働きたくないだけだろう、怠けだ、甘えだ」

 といった「世間」の声は、およそ現実と無関係な幻想に思える。そういう見方に当てはまる人々が、ごく少数ながら存在するという事実は、筆者も認識しているけれども。

「自立相談窓口」という名の
新たな水際作戦が行われる危険性も

 最後に、この「生活困窮者自立支援法案」の運用に関して考えられる問題を指摘しておきたい。

 この法案によって、国の制度として実施されるのは、

・生活困窮者自立相談支援事業
・生活困窮者住居確保給付金の給付

 のみである。


「水際作戦」の録音を再生しながら、沈鬱な表情を浮かべる発言者たち。左から、今岡直之氏(NPO法人POSSE)、田川英信氏、 森川清氏(弁護士・元生活保護ケースワーカー)、宇都宮健児氏、小久保哲郎氏
 まず、「相談支援」という用語に、筆者は危機感を感じる。自身が障害者であり、長らく生活保護問題が身近な問題でありつづけている筆者は、行政のいう「相談」に対して「必要なサービスの申請や利用をさせない」の言い換えである可能性を反射的に疑う。それに、修正前の「水際作戦法制化」であった生活保護法改正案と考え合わせた時、この「自立相談支援事業」のもとで、

「自立相談窓口という名の、新しい水際作戦の現場」

 が作られる可能性を、どうして否定できるだろうか?

 この法案のいう「自立支援」が、「生活保護を利用させない」ことである可能性は、法案末尾の「理由」からも読み取ることができる。

「生活困窮者が増加する中で、生活困窮者について早期に支援を行い、自立の促進を図るため、生活困窮者に対し、就労の支援その他の自立の支援に関する相談等を実施するとともに、居住する住宅を確保し、就職を容易にするための給付金を支給する等の必要がある。 」

 以下のように、語句を補ってみよう。

「特にリーマン・ショック以後の長期不況により生活困窮者が増加し、結果として生活保護受給者の増大につながる状況が継続する中で、生活困窮者について早期に支援を行い、経済的自立の促進を図り、生活保護の利用を抑制するため、生活困窮者に対し、就労の支援その他の自立の支援に関する相談等を実施し、同時に生活保護の申請への対策とするとともに、居住する住宅を確保し、就職を容易にするための給付金を支給する等の必要がある。 (それでも結局は生活保護しかなくなったら、生活困窮者の自己責任、あるいは地域共同体や地方自治の問題)」

 生活保護法改正をめぐる厚労省・政府与党の動き、厚労省が公開している数多くの資料を念頭に置くかぎり、この法案の目的そのものが「自立支援」の名のもとに行われる別の何かである可能性を、否定することはできないだろう。

「生活困窮者住居確保給付金」に対しては、現在も求職者に対する時限制度として存在する「住」への保障の法制度化という意味で、一定の評価はしたい。失職し、ついで住居を失うと、求職にあたって履歴書に書くべき住所がなくなる。「定住の場がない」という状態からの再出発は、困難を極める。だから、住居だけでも確保することには、一定の意義はある。

 しかし、「仕事がない」「仕事があっても対価が安すぎる」という問題を、この給付金は解決できない。就労に際して不利な背景が何かある以上、結局のところは、生活保護を申請するしかなくなるのではないだろうか? そして、その時には「いや、それは福祉事務所の窓口ではなく、自立相談支援事業の窓口で」ということになるのかもしれない。拒めば「就労意欲なし」とカテゴライズされるかもしれない。そして、そこでは、とにかく生活保護を申請させないための水際作戦が……。


一時間の記者会見が終了した後も、記者たちによる発言者への質問は続いた。熱心に質問する記者たち
 もちろん、そうならないために、「その他の事業」がある。地域に眠るニーズを丹念に掘り起こし、マッチングを図り、最初は「中間的就労」という低賃金労働でも、いずれは一般就労へ。しかし、それが容易に可能であれば、既に行われているであろう。そして、「個人に仕事がない」「地域に産業がない」「自治体にお金がない」は、たいていは同じ地域で同時に発生する問題だ。そのような地域に対して、せめて、

「御地を活性化していただくために、この法案を実施してください。必要なことなので、国の責任において、義務化します。でも、予算は国が持ちます。最大限のサポートもします」

 という姿勢もないのであれば、この法案が実施された後の成り行きは、

「経済状況が良好でない地域では、困窮者が『相談』と、期間の十分でない住居確保給付金しか受けられない。結局は困窮し、その後、『相談』によって生活保護を利用することを実質的に拒まれ、生きていけなくなる」

 ということにしかならないのではないだろうか?

 次回は、生活保護法改正をめぐる国会での攻防をテーマとしたい。最終的に、生活保護法改正案などがこのまま成立してしまうとしても、国会で行われている質疑は無意味ではない。また、7月に参議院選挙を控えたこの時期に、

「どの党の、どの議員が、事実に基づき、少しでも実効性のありそうなことを提案しているか」

 に注目することも必要であろう。誤りのない選択を行うことは困難だ。でも、少しでも「悪くない」選択を、根拠のもとに行うことなら、一市民にもできる。

<お知らせ>

 本連載等を元にした書籍「生活保護のリアル」(日本評論社)が7月19日に発売されます。現在、Amazonで予約注文受付中。


04. 2013年6月12日 16:48:06 : dEqdQrxnL2
寮美千子 @ryomichico

生活保護など「弱者救済」というと、自分が損をするように思っている人々がいる。「ま

じめに働いている俺の税金が、なぜ役立たずのために使われるんだ」って。決定的な想像

力不足。いつ自分が弱者になるかわからないし、弱者が救済されない社会は荒んで、犯罪

も増える。そこに住むのは他ならぬあなた
https://twitter.com/ryomichico/statuses/341163353441452032


渡辺雅之 @MasayuWatanabe

室井さんのこの指摘は重要。公務員攻撃も生活保護バッシングもヘイトスピーチも、すべ

て「弱者同士の内ゲバ(ジェラシーが支配する国  小谷敏 高文研)」に転化させられて

いる。自己責任論を基調とする新自由主義はまるで心中主義ではないか。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130606-00000004-sasahi-soci
https://twitter.com/MasayuWatanabe/statuses/342765277693489152


Francisco @francisco_bot

自分の頭で物事を考え抜ければ、おかしな事に対しては「これはオカシイ!」と言う事が

できる。しかしそういう強い個人が増えると管理する側にとっては不都合だから。学校教

育では、丸暗記教育ばかりが行われ、人々を思考停止に導いている。つまり自分ではもの

を考えられないよう統制されてるんだよ。
https://twitter.com/francisco_bot/statuses/342785253078872064


生活保護制度は自分が損する制度ではないのに。

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4427.html


05. 2013年6月13日 17:49:43 : niiL5nr8dQ
【第156回】 2013年6月13日 池上正樹 [ジャーナリスト]
引きこもり歴27年の50代男性は
なぜ再び社会に出ようと思えたのか
 引きこもり状態の高年齢化とともに、長年、変化が起きなかった親子関係の中で、将来に絶望している当事者や家族は少なくない。

 典型的なのは、親世代から「自分が死んだら、子どもはどうなるのか?」「どうすれば社会に出ていけるのか?」「医療に診てもらいたがらない」…などといった不安だ。

 しかし、27年間にわたり引きこもってきた50歳代の男性が、ふとしたきっかけから「社会に役立つ仕事をしないといけない」からと、自らの意思で動き始めたケースもある。

高校時代に自殺未遂
そして引きこもり状態へ

 藤井聡史さん(仮名=55歳)が生まれ育ったのは、関西地方の海の見える小さな町だ。

 藤井さんは高校の頃から、醜形恐怖(自分の身体や美醜に極度にこだわる症状)があった。

「このまま生きていても人並みの生活ができない」

 そう思った藤井さんは、高校を卒業する前、2ヵ月かけて自殺しようと決意。深夜に自殺を決行した瞬間、両親が起き出したため、「臨死体験」だけで未遂に終わった。

「意識の中では、幽体離脱して、悪霊に憑依されたんです。でも、天使に助けられて、これから肉体に戻って生きることもできるし、あちらの世に行くこともできるようなところに置かれました。どうする?ってなったとき、それでも自分を守ってくれる人(天使)がいたので、もう一度、生きようかと思って、戻ってこられたんです」

 卒業する予定のなかった高校も卒業した。しかし、卒業後は、毎日することがなかったので、朝から晩まで、雲の動きを見ていたり、海岸で1人、波の音に耳を傾けたりしていた。

 働くことは考えていなかった。半年ほどすると、同級生が進学や就職しているのに、自分だけ何もしていないことが恥ずかしくなって、外にも出られなくなった。

 母親からは「これからどうするんだ?」「同級生の〇〇は結婚して、子どももいるのに…」などと言われた。昔気質の自営業の父親は、母親を通してしか、モノを言わなかった。

就職しても長く続かない
働いては引きこもる、の約20年間

 4年半の引きこもりの後、しばらくは、社会に出て働いたり、引きこもったりの生活を繰り返した。

 転職は十数回。仕事歴も通算で8年に上る。しかし、就職できても長く続かない。

 その間、見知らぬ土地で、車上生活を続けたこともある。

 最後に、1人暮らしのアパートで引きこもったのは、17年間。外に出て、本の立ち読みなどはできた。

 こうして引きこもり歴は、通算27年に及んだ。

 数年前に母親が亡くなるまでの間、藤井さんは実家に行って、月20万円の生活費を親の通帳から無断で引き出していた。しかし、親は通帳の場所を変えることもなく、何も言わなかった。両親とも苦労してきただけに、子どもにだけはできる限りのことをしたいと思っていたようだという。

 父親は藤井さんが20代のとき、すでに亡くなっていた。

 母親が亡くなった時点で、家以外の遺産は、ほとんど残っていなかった。

なぜ2度も生かされたのか
「交通事故」が大きな転機に

 転機が訪れたのは、昨年、交通事故を起こしたことだ。藤井さんの運転する車が、一瞬の油断で中央線を越えた。

 藤井さんは、骨折の重症を負って入院したが、事故の相手にはケガがなく、慰謝料や治療費は保険金で済んだ。

 入院中に、いろいろと考えさせられた。

「当初、ちゃんと歩けるようにはならないと思っていたんです。それが歩けるようになって…。リハビリしながら回復していったんです。それが、引きこもりから立ち直るにしても、同じような過程があったことがわかったんです。引きこもりの場合、すごく時間がかかって緩やかですが、ケガの場合、1年間でゼロから100に戻った。それを体験できてよかったです」

 振り返れば、入院中、いくつもの気づきがあったという。少し間違えれば、死に至る危険性もあった。

「車の運転は、ちょっとのことで死ぬこともあるし、相手にも後遺症を残すなど、生涯にわたって影響力を与えることもあるんだと考えられるようになりました。自分にとっては、必要な事故だったんですね」

 事故に遭って生かされたという思いは、高校3年のときに自殺した体験にまで記憶が飛んだ。

「2度も生かされたのは、何だか大きな力に生かされている。何のために生きているのかを考えたら、社会のために役立つ仕事をしないといけないと思うようになったんです」

“空白期間”をマイナスにしない
逆転の発想で「引きこもり」を救う

 事故後、藤井さんにも200万円が保険から支払われた。その資金を基に、藤井さんはこれから、高年齢化した引きこもり当事者の自助組織を立ち上げたいと呼びかける。

「今までのような生き方ではいけない。自分の得意分野を活かして、引きこもりの立ち直りの支援をするとしたら何があるかを考えました。

 いまの日本では、40歳以上の当事者が放ったらかしにされている。高年齢化した人たちに、自分でできる支援をしていきたい」

 そこで、7月14日(日)13時から、中央区日本橋小伝馬町の「十思スクエア」で、全国引きこもり家族会の支部「KHJ西東京萌の会」で、私と藤井さんとの対談が行われる。

 詳細はこちらをご覧いただきたい。入場料は、1家族&一般1000円。当事者は無料だ。

 これまでの私たちの社会は、空白期間が長ければ長いほど、マイナスになるのではないかと考えがちで、そのことが当事者や家族を孤立させ、ますます地域に埋もれさせるという負のスパイラルに陥ってきた。

 しかし、当事者たちから生まれ、これから練り上げようとしている「ひきこもり大学」のようなアイデアは、引きこもる期間が長いほど、周囲の私たちにとって学ばせてもらう価値があるのではないかという、まさに逆転の発想である。

「50歳代で引きこもっていた方の授業なら、大学教授クラス。人間国宝級の価値があると思いますよ」

 と、いみじくも「ひきこもり大学」を発案した当事者は言う。

 こうした“先人”から、私たち1人1人が様々な気づきや学びを得て、皆で知恵を出し合い、未来の仕組みを作っていかなければいけない。

この記事や引きこもり問題に関する情報や感想をお持ちの方は、下記までお寄せください。
teamikegami@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)


06. 2013年6月14日 06:12:43 : e9xeV93vFQ
 
【政策ウォッチ編・第28回】 2013年6月14日 みわよしこ [フリーランス・ライター]
生活保護法改正案は「水際作戦の法制化」!?
衆議院・厚生労働委員会での攻防(上)
――政策ウォッチ編・第28回
2013年6月4日、衆院本会議で可決された生活保護法改正案は、現在、参院での審議・採決を待つ状態となっている。今国会で成立する可能性は、非常に高い。

今回と次回は、衆議院・厚生労働委員会での5月29日・5月31日の実質2日間の質疑・参考人発言をもとに、問題の焦点と、それぞれに対する質疑等がどのようなものであったかを紹介する。このまま成立してしまったら、何が起こるのであろうか?

恐るべき速さで進行する
生活保護法改正案の審議

 2013年5月のゴールデン・ウイーク明け、「突然」というべき唐突さで出現した生活保護法改正案は、

・2013年5月17日 閣議決定
・2013年5月24日 衆議院(厚生労働委員会)での趣旨説明
・2013年5月29日 衆議院(厚生労働委員会)での審議(第一回)
・2013年5月30日 改正案に関する与野党(自民党、公明党、民主党・無所属クラブ、みんなの党)合意
・2013 年5月31日 衆議院(厚生労働委員会)での審議(第二回・参考人発言あり)
・2013年6月4日 衆議院本会で可決、参議院へ

 と、極めてスピード感ある進行のもとに審議されている。

 本来ならば、2011年〜2013年にかけて開催された社会保障審議会「生活保護基準部会」「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」で議論された内容が、今回の生活保護法改正案・同時に提出された生活困窮者自立支援法案に盛り込まれるべきである。しかし、閣議決定された法案には、全く議論されていない内容・議論の趣旨を汲んだようでいて全く異なる内容が数多く盛り込まれていた。若干の修正は加えられたものの、ほぼ、そのままで成立しようとしている。

 今回は、生活保護法改正案、特に「水際作戦」に関する部分について、衆議院でどのような議論が行われたかを紹介したい。

そもそも、今回の改正の趣旨は?


生活保護法の一部を改正する案について、趣旨説明を行う田村憲久厚労相(衆議院インターネットTVよりキャプチャ)
 5月24日、衆議院での審議開始に先立ち、田村憲久厚労大臣は、生活保護法の一部改正案の趣旨を以下のように説明した。

●背景

 生活保護法は昭和25年の成立以来、日本国憲法第25条(生存権)の理念にもとづき、生存権の保障と自立の助長に対して、重要な役割を担ってきた。しかし成立から60年以上が経過し、その間、抜本的な改革がされていない。近年の生活保護受給者の急増、不正事案の発生する状況の中で、幅広い観点からの見直しが必要。

●改正案の重要なポイント

 最後のセーフティネットとして、必要な人は確実に保護する体制は維持。さらに、今後も制度が国民の信頼に応えられるように

・生活保護受給者それぞれの状態や段階に応じた自立の促進
・不正受給対策の強化
・医療扶助の適正化

 のための措置を行う。

●施行日

 平成26年(2014年)4月1日

 筆者は思う。『古い』は改正の理由になりうるのだろうか?成立から何年が経過していようが、変えるべきでないものを変える必要はない。少なくとも、現在の生活保護法よりも確実に「良い」近未来が提示されるのでない限り、抜本的な改革には慎重であるべきだろう。生活保護制度は、改悪されれば死者が出る制度だからだ。

 まずは、自民党が「改革」を必要とする根拠と、改革の方向性を見てみよう。

自民党は法改正の必要性を
どう認識しているか


福祉事務所の体制強化・生活保護制度の適正執行などについて、質疑を行う田中英之氏(自民党) (衆議院インターネットTVよりキャプチャ)
 2013年5月29日、衆議院厚生労働委員会で質疑に立った田中英之衆議院議員(自民党)は、冒頭、生活保護受給者(2013年2月は216万人)・生活保護費(2013年度は3兆8000億円)が、国家財政を圧迫している現状を指摘した。原因としては、長年にわたって大きな制度改正がなかったことを指摘した。

 さらに改正案に対し、

「不正受給によって、制度に対する国民の信頼や公平感が薄れた」

「厳しい社会状況の中、稼働年齢層の生活保護受給者が、仕事もせず仕事を探さないことに対して、国民が『なんで働かない』という不信感を持っている」

「(あらゆる世帯類型を含め)全体が増えているが、10年間で『その他の世帯(世帯主が健常かつ稼働年齢層)』が4倍に増加」

 といった問題を解決することを期待しつつも、生活保護を「本当に」必要とする人を保護する体制については守っていく必要性を強調し、

「公正な制度として維持するための制度改革に」

 と期待を述べた。


主にジェネリック医薬品の利用促進について、質疑を行う新谷正義氏(自民党) (衆議院インターネットTVよりキャプチャ)
 ついで質疑を行った新谷正義衆議院議員(自民党)は、生活保護法第一条

「この法律は、日本国憲法第二十五条 に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする 」

 に言及した。さらに「最低生活の保障」だけではなく、「自立を助長」が目的であることについて

「あらゆるものを稼動、活用することが要件であり、権利と共に、自立を目指して努力する義務がある」

 という理解を述べた。新谷議員は、自立を目指しての努力については、

「国の税金による生活保護制度を持続可能なものにするために、自立の努力をしてもらう、できることをやってもらう」

 ということであるとも語った。

 田村厚労相・田中議員・新谷議員とも、「必要な人に対して生活保護を」までは否定していない。では、その入口となる申請手続きについて、いわゆる「水際作戦法制化」の懸念は、どのように払拭されているだろうか?

運用は変えないのになぜ改正?
申請手続きの厳格化が必要な理由

「水際作戦法制化」とも指摘される生活保護法改正案には、以下の条文がある。審議のプロセスで赤字部分が追加され、事実上の空文化とはなっているものの、解釈は、申請を受けた福祉事務所の判断となりうる。

第24条1項
 保護の開始を申請する者は、厚生労働省令で定めるところにより、次に掲げる事項を記載した申請書を保護の実施機関に提出しなければならない。ただし、当該申請書を作成することができない特別の事情があるときは、この限りでない。
 一 要保護者の氏名及び住所又は居所
 二 申請者が要保護者と異なるときは、申請者の氏名及び住所又は居所並びに要保護者との関係
 三 保護を受けようとする理由
 四 要保護者の資産及び収入の状況(生業若しくは就労又は求職活動の状況、扶養義務者の扶養の状況及び他の法律に定める扶助の状況を含む。以下同じ。)
 五 その他要保護者の保護の要否、種類、程度及び方法を決定するために必要な事項として厚生労働省令で定める事項

24条2項
 前項の申請書には、要保護者の保護の要否、種類、程度及び方法を決定するために必要な書類として厚生労働省令で定める書類を添付しなければならない。ただし、当該書類を添付することができない特別の事情があるときは、この限りでない。


懸念される「水際作戦の法制化」について、該当条文の削除を繰り返し求める長妻昭氏(衆議院インターネットTVよりキャプチャ)
 事実上、空文化されているとはいえ、必要のない条文はない方がよい。あれば、混乱を招くからだ。この点について、長妻昭衆議院議員(民主党)は、質疑で、

「生活保護は最後のセーフティネットで、ほころびがあると死が待っている」

 と前置きし、厚生労働省社会・援護局 村木厚子局長・内閣法制局 山本庸幸長官に対し、それらの項目が含められた経緯についての答弁を求めた。


生活保護法改正案第24条に関する答弁を行う、厚生労働省 社会・援護局長の村木厚子氏(衆議院インターネットTVよりキャプチャ)
 村木氏・山本氏によれば、厚生労働省は、内閣法制局に対し「技術的アドバイス」を求めた。厚生労働省では、今回の生活保護法改正案の策定にあたって、福祉事務所の調査権限を強化する方針としていた(第28条・第29条)。内閣法制局は、

「担当者は、調査すべき対象事項について、(情報を)申請者から求めることが望ましい」

 とアドバイスした。この内容が、改正案の第24条となった。

 長妻議員は、

「生活保護法という機微に触れる制度に関して、申請にあたって必要な書類やその中身が条文に書き込まれ、世の中に不安・不信が広がっている」

 と指摘した。村木局長は、

「運用は変えない」

 と答弁した。さらに長妻議員は、

「運用を変えないのなら、削除して今と同じ扱いにしては? どうしても書面の中身も規定する必要がありますか?」

 と、「水際作戦の法制化」に関する懸念について食い下がったが、最後に答弁した田村厚労相は、

「運用はなんら変わりません、心配されているような形にはならないし、させません。そのように徹底します」

 と繰り返し、第24条を削除できない理由については

「(既に)国会に提出したから、提出したもののなかで国会で議論してほしい」

 とした。

 では、この「望ましい」という理由によって含められた改正案第24条が、懸念されているとおり「水際作戦の法制化」に用いられたら、どのような問題が発生するだろうか? 含める利益と含めない損失を比較したとき、結果はどのようになるだろうか?

現状の生活保護法下で行われている
「水際作戦」の実態


参考人として、無念の死を遂げた人々の「生きたかった」という思いを語る稲葉剛氏(NPO自立生活サポートセンターもやい)(衆議院インターネットTVよりキャプチャ)
 2013年5月31日の審議には、参考人として、稲葉剛氏(NPO自立生活サポートセンターもやい)が出席し、発言を行った。

 過去約20年間にわたり、ホームレスを中心に約3000人の生活困窮者の生活保護申請に同行した経験を持つ稲葉氏は、「もやい」や各地の市民団体の同等の活動について、「やむを得ない」活動であると説明した。そもそも、生活保護の申請に市民団体の関係者や法律家が同行しなくてはならないのは、ほとんどの場合に、

「家族に養ってもらいなさい」
「若いから申請できません」
「住民票がないから申請できません」

 と追い返されるからである。いずれも違法であるが、違法であるはずの水際作戦は、それだけ日常化しているのである。

 稲葉氏はさらに、報道されない餓死・孤立死の事例について、

「路上生活・困窮状態のまま亡くなった方が多い」

 という事実を述べた。ホームレスの生活状況の見回りをしている時、困窮者に支援を求められて現場に行った時には、その人々は既に餓死・凍死寸前であることが多い。もちろん、そのような時、稲葉氏らは救急車を要請する。しかし、救急車で病院に搬送されても結局は救命できず、翌日、病院を訪れると亡くなっていたことも多いそうだ。

 また、生活保護を申請しようとして「水際作戦」に遭っているうちに、もともとの持病が悪化していることも多い。治療されていないガンや結核が数ヵ月のうちに悪化し、生活保護を受給できたときには手遅れとなっており、受給開始後すぐに亡くなるケースも多いという。

 ついで稲葉氏は、いくつかの餓死・孤立死(疑い)事例について言及した。2012年1月、札幌市白石区で40代の姉妹が孤立死した事件について、所轄福祉事務所の面接記録の写しを解説した。そこには、一家の唯一の働き手である姉(妹は知的障害者)が福祉事務所を三回訪れて困窮を訴えたにもかかわらず、窓口担当者が詳細の聞き取りを行わず、急迫状態であるかどうかの判断も行わなかったこと、所持金がほとんどないこと・家賃滞納・ライフラインの利用料滞納などを把握した窓口担当者が「懸命なる求職活動」を求めたことなどが示されている(http://moyai-files.sunnyday.jp/pdf/130531inabahatugen_p7-9.pdf)。所持金なしに、どうやって求職できるというのだろうか?

 稲葉氏は15分の持ち時間の間に、扶養義務強化も含め、今回の生活保護法改正案に含まれる数多くの問題点を端的に指摘した。また、捕捉率が20〜30%という低い水準にとどまっており、少なくとも四百数十万人が、生活保護基準以下の生活を強いられている現状を訴えた。低い水準にとどまっているのは捕捉率だけではない。たとえば餓死者の人数は、人口動態統計で死因が「食料の不足」とされている人々に限れば、年間70人程度である。これでも週に1人以上が餓死しているわけで、先進国としては決して少なくない人数なのだが、稲葉氏によれば氷山の一角なのである。結果として餓死に至ってしまう人々は、他にも持病を抱えていることが多く、死因は「心不全」とされていたりするからだ。

 もちろん、今回の生活保護法改正は、さらに捕捉率を低くし、餓死・孤立死・貧困ゆえの死者を増やす可能性が高い。このことについて稲葉氏は

「暴走している機関車が今まさに人々をひき殺そうとしている時に、自ら列車に飛び乗って軌道を変えてくれた方々には感謝しています。しかし残念ながら、列車の暴走は止まっていません」

 と、悲痛な表情で語った。

 さらに稲葉氏は、今回の法改正について、特に「水際作戦の法制化」につながる懸念の大きな第24条8項(扶養義務強化)・28条・29条の削除を求めた。そして発言の最後に、

「生活保護制度につながることができずに亡くなった方は、もはや声を出すことはできません。しかし、生きている私たちは、貧困ゆえに餓死された方、凍死された方、孤立死された方々の無念や絶望を想像することはできるはずです。貧困による死をなくすには何が必要なのか、何を変えるべきで、何を変えるべきでないのか」

 と、慎重な議論と政治の責任を求めた。稲葉氏の発言原稿の全文と参考資料は、「もやい」のブログで見ることができる(もやいのブログ)。ぜひご一読・ご一見いただきたい。

 次回は引き続き、今回の衆議院での審議について述べたい。生活保護制度の「適正化」につながると考えられている改正案の各項目は、一般市民がイメージしているような「適正化」に本当につながるだろうか? もし、この改正案が参議院で可決されてしまったら、次に起こることは何だろうか?
 
 


07. 2013年6月21日 10:55:53 : e9xeV93vFQ
【政策ウォッチ編・第29回】 2013年6月21日 みわよしこ [フリーランス・ライター]
「子どもの貧困対策法」は貧困の連鎖を断ち切れるか?
衆議院・厚生労働委員会での攻防(下)
――政策ウォッチ編・第29回
2013年6月4日、衆院本会議で可決された生活保護法改正案は、現在、参院で審議されている。

前回に引き続き、今回は、同時に審議されている「子どもの貧困対策法案」との関連を中心に、衆院で行われた審議を振り返ってみたい。

生活保護制度の利用を困難にする改正案と生活保護基準の引き下げは、貧困状況にある子どもたちの生活と将来に、どのような影響を及ぼすだろうか?

ひとり親世帯の貧困率は50%以上
子どもの発達を阻む“貧しさ”


2013年5月31日、衆議院・厚生労働委員会において、生活保護法改正案・生活保護基準引き下げがもたらす問題について述べる朝日健二氏(衆議院インターネットTVよりキャプチャ)
 2013年5月31日、衆議院・厚生労働委員会において、参考人として出席した朝日健二氏(NPO朝日訴訟の会理事)は、

「小学校も中学校も級長をやって、高校にも進学したかったわけです」

 と、自身の経験した貧困の連鎖について語った。

 朝日氏は、1935年に生まれた。実父は戦時中に従軍し、結核に罹患した状態で軍隊から復員した。貧困状態の中で、朝日氏は高校進学を断念し、通信制の高校を辛うじて卒業した。その後、朝日氏自身も結核に罹患したが、生活保護の医療扶助によって療養生活を送り、回復した。回復した朝日氏は、その後、故・朝日茂氏の養子となって、生存権の保障を求める「朝日訴訟」を承継しようと試みたが、最高裁は承継権を認めなかった。その後も朝日氏はさまざまな活動を続け、2005年からは「第二の朝日訴訟」とも呼ばれる「生存権裁判」の原告ともなっている。

 朝日氏は、本年8月から実施される生活保護基準引き下げによる影響が、特に単身者に対して大きいことを取り上げ、

「高校を卒業したら、とにかく、なんでもいいから働けと匂わせているのか?」

 という自身の疑問を表明した。

 また、子育て中の世帯に対しても、今回の生活保護基準引き下げの影響は大きい。このことは、貧困の連鎖へとつながりうる。現在すでに、ひとり親世帯の貧困率は50%以上にも達している(国民生活基礎調査〈2012年〉による)。

 朝日氏は、参考人発言の終わり近くで、戦後間もない時期の厚生省(当時)による貧困研究にも言及した。朝日氏によれば、当時すでに、「最低生存費」と「最低生活費」を区分しての研究が行われており、貧困の連鎖に関する指摘もなされていた。最低生存費の水準で生活している子育て世帯では、母親の知能が優れていても、子どもは十分に発達することができない。しかし、最低生活費の水準で生活している子育て世帯の場合、母親の知能が劣っていても、子どもには中程度の発達がみられたという。ちなみに当時、世帯の経済状態がそれ以上に良好であっても、子どもの発達に関しては大きな差はなかったそうだ。

 子どもの生存を保障し、生育環境を良好にするためには、子どものいる世帯に現金を「バラマキ」すればいい。なぜ、それではいけないのだろうか?

生存権の保障を求めた
「朝日訴訟」とは何か

 ここで、朝日氏が承継を試みた「朝日訴訟」について、簡単に説明しておきたい。1963年生まれの筆者が小学校・中学校に通っていた時期、社会科の教科書には、憲法第25条(生存権規定)と朝日訴訟に関する記述が必ずあった。1985年ごろを境に、学校教科書には記載されなくなっているようだが、貧困や社会保障に関心を向ける人々にとっては、現在も避けて通ることのできない重要な訴訟である。

 原告の朝日茂氏は、1913年に生まれた。日中戦争に従軍し、肺結核に罹患して帰国した。その後は国立療養所で生涯を送り、1964年に亡くなった。

 朝日茂氏の生涯を支えていたのは、生活保護制度であった。昭和21年に成立した生活保護法(旧法)、昭和24年の生活保護法(新法)には、長く続いた戦争による戦傷病・飢餓への対策という一面もあった。

 1961年の生活保護基準策定まで、最低生活費は「マーケット・バスケット方式」によって算出されていた。

「その消費水準で暮らしている人々は、買い物に行くと、何をどれだけ購入するのか」

 に注目した方法である。しかし、前ページで紹介した朝日健二氏の参考人発言によれば、そこで考慮された消費は、

「新しいパンツは1年に1枚、新しい肌着は2年に1枚」

 といったもので、到底、憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」を実現したと言えるものではなかった。食についても、この事情は同様であった。

 朝日茂氏は、兄が「栄養のつくものでも食べるように」と1500円を仕送りしてきたものの、生活保護制度で療養・生活しているゆえに600円しか使用できなかったことをきっかけとして、日本国憲法が定める「生存権」の実現と保障を求める訴訟を起こした。しかし、最高裁で審理中だった1964年、結核が悪化して亡くなった。亡くなる直前に、朝日健二氏夫妻が養子となった。しかし最高裁は訴訟の承継を認めず、一方で、「念のため」に出されたので「念のため判決」と呼ばれる判決文を示した。そこには、

「憲法25条1項はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に具体的権利を賦与したものではない」

 とある。いわゆる、憲法のプログラム規定論である。この判決では、国民の権利を守るのは生活保護法とされている。また、「健康で文化的な最低限度の生活」の認定判断は、厚生大臣(当時)の「合目的な裁量」に委ねられるともしている。

埼玉県が始めた
「生活保護受給者チャレンジ支援事業」


2013年5月31日、衆議院厚生労働委員会において参考人発言を行う樋口勝啓氏(埼玉県福祉局)。埼玉県の試みは、書籍「生活保護200万人時代の処方箋〜埼玉県の挑戦」(ぎょうせい)に詳しく書かれている(衆議院インターネットTVよりキャプチャ)
 2010年、埼玉県は「生活保護受給者チャレンジ支援事業」を開始した。この事業の特色は、教育支援・就労支援・住宅支援の3分野の専門家らのチームワークによって、「縦割り」ではない支援を提供することである。2013年5月31日、衆院・厚生労働委員会で参考人発言を行った樋口勝啓氏(埼玉県福祉部副部長)は、この事業について説明した。本記事では、樋口氏の発言のうち、特に教育支援について紹介したい。

 生活保護世帯で育った子どもの25.1%は、成長後に生活保護世帯を形成してしまう(2007年、堺市調査)。この「貧困の連鎖」を断ち切るには、生活保護世帯の子どもたちをせめて高校までは進学させ、子どもたちの将来の選択肢を増やし、安定した就労へと結びつける必要がある。そのため、埼玉県は学習教室を設置した。学習指導は、教員OBなどの支援員・学生ボランティアがマンツーマンで行う体制とした。低学力の子どもたちが多く、塾のように一斉指導を行うことが困難だからである。また、会場は特別養護老人ホームなどに設け、子どもたちが高齢者たちと交流する機会も用意した。樋口氏は「タダの学習塾にはしたくなかった」という。

 結果は、現在のところ良好だ。生活保護世帯の子どもたちの高校進学率は、埼玉県では、2009年、86.9%であった。しかし、この学習教室に参加した子どもたちの高校進学率は、97%にも達する。一般世帯の子どもたちの高校進学率は、2011年に98.2%であったから、「遜色ない」と言えよう。

 また、会場となった高齢者施設に入居する高齢者からは「受験のお守りを作って持たせる」などの応援があり、子どもたちから感謝を受けるという循環もあるという。おそらく子どもたちにとっては、学習指導を行う支援員・学生ボランティアなどとの交流も含め、「コミュニティへの参加」「安定した人間関係を、年長の人々との間に作る」という機会でもあるだろう。

 もちろん、問題を抱えているのは、子どもたちだけではない。その親世代にあたる生活保護当事者もまた、最終学歴は中卒・高校中退であることが多い。職歴も、アルバイト・パート・派遣などの不安定就労を転々としていることが多く、就職活動時に魅力としてアピールできる職歴がない。埼玉県では、50歳未満の稼働年齢層の生活保護当事者に対しては、フォークリフト・警備・介護ヘルパーなど、就労に結びつきやすい資格取得・職業訓練を提供している。

 この他に提供されている住宅支援も含めると、

「住宅を確保し、安定した生活が送れるようにし、職業教育から段階を追って就労と職場コミュニティへの参加機会を、子どもたちに対しては教育と地域社会への参加機会を」

 というモデルが、埼玉県では、ある程度は機能していると見ることができそうだ。就労可能なはずなのに就労しないことの背景には、「働けるのに働かない」といった本人の心がけの問題以上に、さまざまなコミュニティや人間関係からの孤立がある。

 孤立から困窮者本人を救うこと自体は、悪いことではない。しかし筆者は、心に引っかかりを感じてしまう。「社会参加」「人とつながる」が、行政による「させてあげる」「してもらう」であり、困窮している本人の主体性は期待されていないということに。

「貧困率を下げて進学率を上げる」は
生活保護基準引き下げと両立するか?

 では、議員・閣僚たちは、子どもの貧困の連鎖について、どう考えているだろうか?

 この5月31日の厚生労働委員会では、山井和則衆議院議員(民主党)による質疑と、田村厚労相らによる答弁も行われた。


質疑を行う山井和則衆議院議員(民主党・無所属クラブ)。同日、10:53からの質疑においては、主に水際作戦に関する参考人への質疑も行った(衆議院インターネットTVよりキャプチャ)
 山井氏は、生活保護法改正案・生活困窮者自立支援法案と同時に衆院で可決された「子どもの貧困対策法案」について、審議によって、

「実効性のある法案になったと思う」

 と評価した。そして、生活保護世帯の子どもの高校進学率が、全日制に限定すれば未だ「67%」という低い水準にあることを指摘し、貧困の連鎖を断ち切るための施策の重要性、貧困率を下げて進学率を上げることの必要性、中卒では良い職業に就けない現実、さらに高等教育の機会も確保する必要性について述べた。山井氏は、今回の3つの法案について、

「よい形での結果が出る必要があると思う」

 とも述べた。

 田村厚労相は、生活保護世帯の親世代に対し、資格取得の支援・能力開発・職業訓練を行う事業が既に実施されていることを述べた。また、常用雇用への転換が必要であることにも言及した。常用雇用を行った企業に対して支援するということである。

「しっかりと、(家計の)支え手の親が就労できるようにしていきたい」

 と、田村厚労相は述べた。確かに、不安定就労からの脱却が困難なままでは貧困・生活保護からの脱却は困難であろう。

 さらに、子どもたちの学習支援に関しては、

「学びたいと思っている子どもが高校進学できるように」

 法案を提出したとし、貧困の中で育つ子どもが「上に行ける」環境づくりの重要性を強調した。しかし、高等教育の機会を確保することに対しては、

「言い回しが要注意」

 と、必要性を明言しなかった。田村厚労相によれば、一般の家庭でも大学・短大への進学率は50%強なので、貧困世帯の子どもたちに対してだけ「大学へ行く」を確保したのでは、「バランス」が問題になるというのである。とはいえ、貧困世帯の子どもたちに対して「大学進学をしてはいけない」と言うことには問題がある、ともいう。そして、厚労省が5月13日、生活保護世帯が子どもの大学等進学のために預貯金することを認める方針としたことに言及した。

 しかし一方で、生活保護基準は引き下げが決定しており、特に母子世帯に対しては引き下げ幅が大きい。現在でも、余裕のある生活をしているわけではない人々が、どうやって、子どもの進学のために預貯金できるというのだろうか?

「カネは出さずに、口と手は出す」?

 筆者はこの一連のなりゆきに対し、

「カネは出さずに、口と手は出す、ということ?」

 という見方をしている。手を出す分だけ、

「カネは出さずに、口を出す」

 よりは良いのかもしれない。しかし、その「手」の確保や仕組みづくりにだって、「カネ」は必要なのだ。しばしば見受けられる「現金給付より現物給付のほうが」という意見に対しても、「現物給付にだってカネはかかるし、たぶん現金給付の方が安くつく」と感じている。

 結局のところは、

「困窮している当事者にカネを渡す」

 が、悪の根源のように見られているのであろう。しかし、コミュニティづくりも、人間関係づくりも、役に立つアドバイスを得ることも、当事者にその分の「カネ」を渡せば実現できるではないか。さまざまな研究は、現在の生活保護基準に加えて1〜2万円の費用があればよい、と示している。

「子どもの貧困対策法」に実効性を求めるならば、少なくとも、貧困家庭の状況を直接改善するだけの「カネ」が必要なのではないか。筆者は、生活保護基準引下げと生活保護法改正に対し、民主党を含む多くの政党が賛成したことに、なんとも釈然としないものを感じている。自民党・公明党・日本維新の会が賛成することは、当然の成り行きではあるだろう。しかし、その他の政党は、なぜ賛成してしまったのだろうか?

 次回は、参議院で行われている生活保護法改正案の審議と、困窮者支援に関わっている支援者の意見を紹介する。生活保護法改正案などの法案は、可決された後、どのような近未来をもたらしうるだろうか?

 


【第4回】 2013年6月21日 
貧しさとカネと暴力が絡み合う混沌の売春街
HIV感染リスクを負いながらもがく女性たち
本連載第3回でダルエスサラーム近郊、キノンドニ地域Manzese地区で行なわれていたコンドームの正しい使用方法や使用促進を目的としたエデュテイメント(教育と娯楽を合わせた造語)の様子を紹介した。実はこのManzese地区は、ダルエスサラームでは有名な売春街でもある。街を進むと、粗末な家々に挟まれた路地では子どもたちが無邪気に走り回る。だが、よく見るといくつかの家には小さな戸がいくつもあり、中は小部屋になっている。そこで夜になると売春が行なわれる。HIV/エイズの問題を語る上で欠かせないのが、ここで働くセックス・ワーカー(売春婦)たちの存在だ。彼女たちの置かれた現実から、問題の本質を探る。(取材・文/ダイヤモンド・オンライン編集部 片田江康男)

売春は犯罪行為でも
警察も客だから放置


取材中に後ろから急に筆者の肩をつかみ、スワヒリ語で必死に話しかけてきたイッサ。写真を取って、一通り話を聞くと、満足そうに帰っていった Photo:DOL
「オレの写真を撮れ」

 そう言って、彼は筆者の肩をつかんだ。

「このあいだHIV陽性だって分かった。オレが生きていた証として写真を撮ってほしい」

 理由を聞くと、彼はそう答えた。名前はイッサ、22歳。感染経路について知っているのかと聞くと「生活が嫌になって酒を飲んで、セックス・ワーカーとセックスした。コンドームはしなかった」からだという。

 タンザニア、ダルエスサラームでも有名な売春街であるManzese地区。ここでは“買う”方も“買われる”方も、命を削りながら必死に生活している。

 Manzese地区の土壁の家と家の間は約50〜60センチメートル。身をすくめて通ると、小さな庭のような空間があり、そこにテントが二張り設置されていた。なかではHIV検査が行なわれていた。テントの外には、女性たちが並ぶ。彼女たちは、Manzese地区を拠点に働くセックス・ワーカー(売春婦)たちだ。

 身なりは街中で見られる女性たちと同じだが、両手足に施された派手なネイルが褐色の肌にひと際目立ち、彼女たちの“違い”を示すシンボルのようだった。

 HIV検査を主催するのはPSI(Population Service International)で、活動資金を世界基金(The Global Fund)が支援している。PSIは3ヵ月に1回のペースで、Manzese地区で働くセックス・ワーカーたちが仕事をしていない昼間に、HIV/エイズに関する知識を周知し、実際に検査を受けてもらい、自身の身を守るためにコンドームが不可欠であることを伝えている。

「このエリアでは、約700人のセックス・ワーカーたちが働いている。1度の検査で訪れるのはだいたい150人程度。彼女たちの22〜32%がHIV陽性だ」

 こう話すのはシャハダ・キンヤガ・PSIプログラム・マネージャー。さらにこう付け加える。

「このエリアではマリファナ、ヘロイン、コカイン、様々なアルコールも簡単に入手できる。ドラッグ・インジェクション(ドラッグ用注射器の使い回し)によるHIV感染も問題で、セックス・ワーカーだけがHIV感染拡大をしているわけではない」

 タンザニアにおいてドラッグはもちろん、売春も違法だ。しかし、決してなくなることはないだろう。この地区に女性たちを求めてやってくる男性のなかには、警察官が多く含まれているからだ。他にはタンザニア各地から仕事でダルエスサラームにやってきたトラックドライバーが多いという。

 仮に逮捕されても「数日間勾留されて、裁判して戻ってくるだけ」(キンヤガ・PSIプログラム・マネージャー)だ。Manzese地区は、HIV/エイズやドラッグなど、あらゆる社会問題が吹きだまったエリアでもあるのだ。

客の子も妊娠したが
生まれてすぐに死んだ 

 ちょうど検査を終えたセックス・ワーカーの一人、M・Sさん(38歳)は「こんな仕事は好きではない。でも生きていくために、ここから抜け出すためにやっている」と本音を話してくれた。

 M・Sさんは4年前からこの仕事を始めた。地方で一家で力を合わせて働き、父と母、M・Sさんの夫と子ども二人でなんとか生活していたが、1993年に母、96年に父が死に、稼ぎ手を無くしたことで、生活はすぐに破綻してしまった。仕方なく、夫と子どもとは別れ、Manzese地区でセックス・ワーカーとして働き始めた。夫にはすでに別の女性がおり、子どもたちも夫と一緒に暮らしているのだという。

「ここで金を稼いで、ダルエスサラームでカンガの店を開きたい。実はもう、反物の布は買ってある」と将来の夢を語る。カンガとは東アフリカで女性たちが日常的に身につけている伝統的な民族衣装のことだ。

 M・Sさんは本当にカンガの店の店主として再出発できるのだろうか。それには大きな疑問符がつく。できたとしても遠い先の話であろうことは、容易に想像がつく。なぜなら、M・Sさんの生活は、命の危険に溢れているからだ。

 M・Sさんは一日で10人、多いときで20人を相手にする。価格は1万5000タンザニアシリング(約10米ドル)のときもあれば、3万タンザニアシリング(約20米ドル)のときもあるという。

「料金は人による。金持ちには吹っかけるし、常連客は割引することもある」

 PSIの教えに従ってM・Sさんは顧客にコンドームを使ってほしいと話しているが、これは時によってはM・Sさんを危険な目に遭わせてしまう。「コンドームを使うから安くしろと言われたり、コンドームを使用してのセックスの後、カネを返せと言われて暴力を振るわれたりする」ことがあるからだ。

 こうした暴力はHIV感染の問題に直結する。M・Sさんは客には常にコンドームを使ってもらっているというが、多くのセックス・ワーカーたちが早くカネを稼いでこの仕事から抜け出したいと考えている以上、危険を承知でコンドームなしのセックスに応じてしまうからだ。暴力が怖くて、コンドーム使用について、女性たちが客に話せないこともあるだろう。

 同時に、コンドームの未使用は、彼女たちに妊娠のリスクを負わせてしまう。実際、M・Sさんは一度妊娠したことがあるという。

「一度妊娠した。父親は固定客だったから、よく知っている男。中絶は考えなかった。赤ちゃんは神からの贈り物だから。育てて、一緒に暮らすつもりだった。でも、出産してすぐに死んでしまった」

 MDGs(ミレニアム開発目標、第1回参照)の5つ目でも掲げられているが、アフリカでは妊産婦死亡率を削減することが課題となっている。タンザニアでも、保健・健康分野において大きな課題となっており、実際に妊産婦死亡率はタンザニアで10万人の妊産婦のうち、790人が死亡するという統計がある(2008年)。サハラ砂漠以南のサブサハラ・アフリカ地域全体で650人であるから、地域内でも高い数字となっているのだ。

 M・Sさんは、HIV感染と出産による死亡というリスクを冒して、仕事を続けているのだ。いまでもその男は固定客だという。

男性の14.6%が買春経験あり
その半数がコンドーム未使用


 右の表を見てほしい。タンザニアでは男性の14.6%が買春をした経験があるという。うち52.9%がその際にコンドームを使ったと答えている。つまり、約半数がコンドームを使っていないのだ。

 本連載第3回で詳述したように、コンドームによるHIV感染予防の知識は伝えているものの、実際の行動が伴っていないということを示唆している。実際の行動につなげるためには、ひたすら継続的なエデュテイメントを続けていくしかない。

 なによりも問題なのは、M・Sさんの話から分かるように、多くの家族で収入を得る手段が限定されていて、不安定だということだ。Manzese地区だけではなく、他のエリアで住民たちにどのように収入を得ているかを聞いても、多くが家族で行なうスモール・ビジネスだと答えた。

 具体的には炊事に使う炭を売ったり、郊外から野菜を仕入れて市場や路上で販売したり、日用品を売ったりして日銭を稼いでいる。製造業やサービス業など、産業が十分に育っていないため、会社に勤めているという人には一人も出会わなかった。

 こうした状況があるものの、多くのアフリカ諸国で都市化が進み、人口は都市に集中している(本連載第1回参照)。そうすると、都市に収入基盤が不安定な住民たちがますます増える可能性がある。

 そこでもし病気や家族の死によって収入基盤が崩れてしまうと、M・Sさんのケースがそうだったように、すぐに家族は食べていくことができなくなる。そして、生活していくために、セックス・ワーカーなどの仕事に就く人々が出てくる。

 Manzese地区の住民の多くは貧しく、その貧しさから逃れるための糸口を必死に探していた。女性たちにとって売春は、貧しさから抜け出すための数少ない選択肢のなかの一つなのだ。それをイッサのように、貧しさから半ば自暴自棄になった男性が、客として買う。そこへHIV/エイズについての無知と、時には暴力が絡み合う。このように出口の見えない悲惨な現実が、HIV感染者が減らないという社会問題として表出しているのだ。


08. 2013年6月24日 08:22:25 : e9xeV93vFQ
【第5回】 2013年6月24日 菅原聖司
「どこにも行けない、ここにも居られない」
“フィリピンパブと仮設住宅”で揺れる女性たち
「まずは日本人が先だから」――祖国に帰ることも、第二の故郷に戻ることもできない被災したフィリピン人女性の日常から見えてきた「現実」とは。いわきの「昼と夜」に迫った(取材・文・撮影/ジャーナリスト 菅原聖司〈すがはら・せいじ〉)

中傷でも、美談でもなく

「居場所がないの、どこにも。この店にいるフィリピン人は、行く場所がないからここで我慢してるだけ。地震が起きてから、国に戻ることも、町を出ていくこともできないから」

 いわき市駅前の繁華街、雑居ビルの2階に佇むフィリピンパブ。ホステスとして働くエステーラさんは、大きな瞳を少し曇らせ、ぽつりとつぶやいた。

「日本にいると、時々自分の人生がわかんなくなることがあるの。やっぱり『普通の人生』がいい。あれから、特にそう思うようになったわね」


会話中に煙草をくゆらせるエステーラさん
 薄暗い店内では、常連客の中年男性がカラオケで演歌を熱唱していた。接客中のホステスたちはマラカスを振ったり、額から光を放つ「ハゲヅラ」をかぶりながら、甲高い声で合いの手を入れていた。

「みんな、こう見えて結構大変なのよ」

 ソファーで騒ぐ客から少し離れて、僕たちはカウンターで3時間以上も話し込んでいた。

 東日本大震災後、外国人は日本から「脱出した」と非難めいた論調で語られることもあれば、「外国人にも関わらず」日本に残って復興に尽力しているという美談も伝えられた。

 しかし、そうした報道の陰で「被災した外国人の日常」は、ほとんど描かれずじまいだったのではないだろうか。偶然訪れたパブで出会った彼女と話しながら、そんな思いが頭をよぎっていた。

彼女がフィリピンに戻れない理由

「地震が起きた時は、放射能が危ないと思って、とにかくいわきを離れようと思ったの。情報も良くわからなかったし。最初は千葉まで行って市川のラブホテルに子どもと一緒に泊まったりして、もう大変。友達を頼りに富山に逃げて、東京に移って、そこからフィリピンの実家に戻ったの」

 震災直後、在留外国人は自主判断や各国大使館による避難勧告に従って帰国するケースが目立った。しかし、一時的に祖国に避難しただけの人も多かった。エステーラさんもまた、3ヵ月ほどで日本に戻った。

「友達の半分くらいはそのままフィリピンに帰ったと思う。でも、みんながそういうわけじゃない。帰れる人もいれば、帰れない人もいるから」

 エステーラさんは、8年前にフィリピンで日本人男性と結婚して来日した。すぐに女の子をもうけたが、夫の浮気が原因で離婚。以来、ずっといわきで生活している。福島県において、フィリピン人は国籍別で中国人に次いで2番目に多い在留外国人だ。

「私一人だったら帰っていた。でも、子どもがフィリピンは暑い、食べ物が合わない、友達がいない、言葉も通じないから日本に戻りたいって泣いたの」

 すでに生活の基盤は、フィリピンではなく日本になっていた。子どもの気持ちを尊重して帰国を決意したが、それは決して簡単な選択ではなかった。

「フィリピンでも『福島』の原発や津波のニュースはやっていたけど、『いわき』のことはわからなかった。私が心配だったのは放射能。子どもは大丈夫なんだろうかって、そこがすごく難しかった。本当のことは今だってわからないでしょ?」

 また、「いわきを離れる」という決断もできなかった。

「友達から名古屋で働かないかって誘いもあったんだけど……。新しい場所で、子どもを育てながらの生活は無理ね」

 一方で、他のホステスはどうだったのだろうか。同僚のマリーサさんは、一時帰国することさえ考えなかった。

「やっぱり子どもがいたから。放射能も心配だけど、今からフィリピンで育てる方がもっと大変。日本人学校に入れるお金の余裕もないしね」

 マリーサさんは、エステーラさんと同じルソン島の出身。彼女もまた日本人と離婚し、シングルマザーとして5歳の子どもを育てている。


いわき市内にあるフィリピンパブの店内
「放射能さえ考えなければ、いわきはとても住みやすい町。人間どこにいても死ぬ時は死ぬじゃない? そんなこと考えてもしょうがないってこと。まずは、ここで生きていくだけね」

 マリーサさんの言葉には、この町で生きていく決意と諦めが入り混じっているように感じられた。

お昼の仕事がない――「まずは日本人が先だから」

 震災前、エステーラさんは「お昼の仕事」をしていた。いわき市郊外の工場で勤務していたほか、英会話を教えることもあった。しかし、一時帰国したことで再就職が困難になり、マリーサさんが働くパブに勤めることになった。

「元々いわきでは外国人が働ける場所が少ないからね。一回辞めると次がなかなか見つからないの。何回も面接を受けたけどダメだった。工場とか、ホテルのベッドメイキングとか。保証人が求められることもあったりして……。楢葉や富岡から避難者が来たから、ますます減ったのかもしれないわね。でも、それは仕方ないわ。まずは日本人が先だから」

 日本人の夫が失業したことで、夫婦生活に亀裂が入るケースもあるという。

「地震の影響で旦那さんの仕事がなくなって、仲が悪くなった友達もいる。私みたいに家計のために夜のお店で働き始めると、すれ違いになっていくみたい」

それでも、この町で生きていく

 エステーラさんはタバコをゆっくり吸うと、不意に話題を変えた。

「いわきに住んでいたフィリピン人の友達が、子どもと一緒に津波で亡くなったのね。仕送りをいっぱいしている頑張り屋さんだったのに。そういうことがあると、人生について色々考えちゃうのよね。みんなそれぞれ悲しいことがあって、鬱(うつ)になる子も多いのよ」

 次の言葉が見つからず、僕たちの会話はそこで途切れた。しばらく沈黙が続くと、エステーラさんはタバコを灰皿に押し付け、両手を合わせて左右にくねくねと動かした。

「ほら、私たちは『たけのこ』みたいなものだから。どんな場所でも、どんな状況でもやっていけるわよ。元々貧乏な国から来たんだからね。だから、きっと大丈夫。ここでうまくやっていけるんだから」

 さっきまでしんみりとしていた自分を鼓舞するように、少し大げさな笑い声をあげると、僕の肩を優しく叩いた。

 店内には、常連客が歌うサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』が流れていた。

仮設の生活は「頭がおかしくなる」

 いわき市には、避難してきた在留外国人もいる。福島第二原子力発電所のほど近く、富岡町から移住したアグネスさんもその一人だ。富岡町、川内村、郡山市と避難所を転々として、2011年の10月から、いわき市泉の仮設住宅で生活が始まった。自宅に訪れて現状を尋ねると「精神的ストレス」を強く訴えた。

「仮設での生活は、自分が強くないと頭がおかしくなってきます。慣れない環境と今後の生活について一人で考え込んでしまうので。相談相手がいないとダメになってしまうんです」

 アグネスさんは、9年前に結婚を機にフィリピンから来日した。相手は当時52歳で、親子ほど年が離れた農家を営む日本人男性。いわゆる「外国人花嫁」として富岡町の農村地域に嫁いできた。子どもは7歳の女の子が一人。現在、夫は高齢のため仕事に就いていない。アグネスさんが電子部品工場で働き、一家の大黒柱となっている。

「毎日、朝8時20分からフルタイムで働いていて、土曜出勤もあります。職場の休憩はわずかで、会話はたったの5分。仮設でも周囲の日本人とは挨拶を交わすだけです。中には、外国人ということで返事をしてくれない方もいます。フィリピン出身者も一人いますが、お互いが働き始めると忙しくて、ここ数ヵ月ほとんど話していません」

 孤独感を抱えたまま仕事や育児に追われる日々。いつしか、心身ともに異変を覚えるようになり、安定剤を服用するようになったと語った。

「見えない」被災外国人と支援コミュニティ


いわき市泉の仮設住宅の様子
 そんなアグネスさんが頼りにしているのが、丹野ジュリエッタさんだ。震災後、フィリピン人同士の助け合いネットワーク「Iwaki Filipino Community」の代表を務めている。来日して23年で、52歳になる。日本での生活経験が豊富で面倒見が良く、周囲のフィリピン人から母親のように慕われている。丹野さんは、いわき市小名浜でフィリピンの輸入食品や雑貨を扱うお店を経営しており、客として訪れたアグネスさんに話しかけたことから、二人の交流が生まれた。

「親しくなって色々と相談に乗る中で、仮設住宅での苦労を知りました。やっぱり、日本人の方には話しづらいこともあると思います。プライベートな話や、込み入った話はタガログ語で話した方が伝わりますし、同じフィリピン人女性の方が相談しやすいんですね」

 こうした私的なつながりは、被災した外国人の現状を知る貴重な情報源になっている。いわき市の在留外国人をサポートしている公益財団法人いわき市国際交流協会は、個人情報保護の観点から外国籍住民の情報を入手できないため、丹野さんなどの外国人コミュニティグループと連携し、ケアを必要とする人々の発見と支援に結び付けている。

被災外国人の「メンタルヘルス対策」

 震災から時間が経過する中で、在留外国人のメンタルヘルス対策は大きな課題となってきている。

 いわき市国際交流協会の須向(すこう)敏子さんによると、同協会では2010年から多文化共生相談員による在留外国人の総合相談を実施しているが、震災後の相談件数は大幅な増加傾向にある。

 震災前に年間82件だった相談件数は2011年に162件、2012年には271件に上っている。女性からの離婚相談、日常生活に関するトラブルが多い。この傾向については「震災後の経済的悪化等が家庭内不和を招いているのではないか」と考えている。

 ケースによっては相談者に精神科医を紹介して解決に取り組んでいるが、「問題は極めて深刻化しており、解決のためには今後とも専門家との連携が必要」として、今後とも注力していくと明かした。

娘の記憶から消える「友達」

 アグネスさんは、富岡町に戻ることも、フィリピンに移ることも難しいと話す。

「去年、富岡に家の整理で一度戻りましたが、天井は崩れてカビだらけ。建て直しやリフォームが必要な状況でした。畑も草木が生えて荒れ放題。とても生活はできないですね。フィリピンという選択も、子どもの教育や夫の生活が問題になるので考えらません」

 長引く仮設住宅の生活。7歳の娘からは、すでに富岡町で過ごした友達の記憶が消えつつある。

「保育園で一緒だった友達の名前を忘れてしまっていることに驚きました。卒園アルバムを見ても『誰だっけ』という感じで。卒園してから避難所や仮設を転々としたせいだと思います。富岡にいたら、このアルバムの子たちと一生の友達になれたんですよ。保育園、小学校、中学校、ずっと一緒だったのに」

 アルバムには、クラスメイトと並んで笑顔を浮かべた写真が収められていた。

「我慢し続ける日々」の先は?

「ここで我慢するしかないのですが、私自身いつまで耐えられるか不安です。それに、いつかはこの場所さえも出なくてはいけないですから……」

 現在の不安とまだ見ぬ不安を抱えながら生きること、それが震災後の日常になっていた。

 アグネスさんの仮設住宅を後にしようとすると、玄関先にはいくつもの花が育てられていた。傍らでは、太陽光で動くおもちゃが、絶え間なく小刻みに揺れ動いていた。


アグネスさんが仮設住宅の玄関先で育てている花
「富岡に咲いていた花を育てているんですよ。週に一度、仕事終わりの日に眺めるのを楽しみにしています」

 玄関先に並ぶ鉢植えを見せてもらうと、すでに季節を過ぎて萎れてしまった花もあったが、これから咲き誇ろうとする花も並んでいた。

 アグネスさんは、小さなつぼみを愛おしそうになでると「いつか富岡で見られたらいいですね」と、最後に笑顔を見せてくれた。

菅原聖司(すがはら・せいじ)
1983年生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科社会学専攻修了。株式会社ドワンゴでニコニコ生放送(言論・報道)ディレクターなどを経て、現在はグリー株式会社で「GREEニュース」の編集・企画を担当している。ジャーナリストキャンプでは、朝日新聞の依光隆明デスクのチームに所属した。


09. 2013年6月28日 10:16:28 : niiL5nr8dQ
【政策ウォッチ編・第30回】 2013年6月28日 みわよしこ [フリーランス・ライター]
廃案となった生活保護法改正案の行方は?
参議院・厚生労働委員会では何が議論されたのか
――政策ウォッチ編・第30回
2013年6月26日、第183回通常国会は閉会となり、生活保護法改正案・生活困窮者自立支援法案を含む数多くの法案が廃案となった。

今回は、この直前に参議院・厚生労働委員会で行われていた審議を紹介する。参議院の議員たちは、どのような視点から、どのような審議を行なっていたのだろうか?

生活保護法改正案・困窮者自立支援法案は廃案に
それでも残る、数多くの懸念


2013年6月26日、第183回通常国会は、2時間足らずの本会議で幕を閉じた。予定されていた厚生労働委員会は、開催されなかった
拡大画像表示
 2013年6月25日、参院で採決されると見られていた生活保護法改正案・生活困窮者自立支援法案は、採決されないまま、翌26日、第183回通常国会の閉会とともに廃案となった。

 直接の原因は、6月24日、参院予算委員会に安倍総理をはじめとする政府側の人々と自民党議員が出席しなかったことにある。6月25日午前中の参院厚生労働委員会にも、政府・自民党は出席しなかった。これに抗議する意味で、同日午後、社民党・共産党は、厚生労働委員会の議場に入場しなかった。このため、同日に予定されていた審議と採決は行われなかった。

 会期末の6月26日には、まず参議院・平田健二議長の不信任案が否決され、ついで安倍総理に対する問責決議案が可決された。この日午後、厚生労働委員会が開催される可能性はあったけれども、結局は開催されないまま、会期は終了となった。生活保護法改正案・生活困窮者自立支援法案をはじめとする法案も、廃案となった。

 この成り行きは、既に新聞などの大手メディアや参院議員数名のブログで報道されている。背景に何があったのかは、容易には理解できない。一部で報道されている党利党略など「永田町の論理」や、民主党の暗躍などの問題が、実際にあったのかもしれない。背景が何であったのかはともかく、生活保護法改正案・生活困窮者自立支援法案は、廃案となった。

 筆者は、今回の生活保護法改正案・生活困窮者自立支援法案には賛成できなかった。現在の生活保護制度に数多くの問題があることは事実であるし、生活保護に至る手前で生活困窮者を支援する制度が必要なことも事実であると思う。それにしても、これらの法案が、一般に期待されている「自立の助長」に寄与するとは思えない。

 しかし、廃案になったことを喜ぶ気分にもなれない。議論が尽くされ、「廃案とされることがふさわしい」という結論に対する合意が見られた結果としての廃案なら、喜べたかもしれない。でも今回の廃案は、妥当な議論や手続きの結果ではない。なにより、7月に実施される参院選の結果、自民党・公明党が議席の過半数を占めることになったら、さらに問題の多い形で提出され、議論らしい議論もなく採決されてしまうかもしれない。それでも筆者は、今回の廃案を、ささやかに喜びたい。問題が先送りされただけかもしれないが、事実を知る時間・考える時間・議論する時間ができたのだから。

 今回は予定どおり、参議院・厚生労働委員会で行われた議論を振り返る。

厚労省も認める
「水際作戦」の違法性


尾辻かな子議員(民主党)。鋭い質問で、厚労省・自民党から「水際作戦は違法」という回答を引き出した(「参議院インターネット審議中継」よりキャプチャ)
 2013年6月20日の厚生労働委員会では、尾辻かな子議員(民主党)による質疑が行われた。尾辻氏は、衆議院・厚生労働委員長の柚木道義議員(民主党)に対し、現行生活保護法での取り扱いが改正案でも維持されることを確認した。

 柚木氏は、

「書面で行うことが原則とされていますが、口頭による申請も、申請の意志が明確であれば従来通り認めるということでありまして」

 と、従来の扱いが変わらない旨の答弁を行った。また、田村厚労相も、

「本人に申請の意志があれば受理をしなくてはならないのでありまして」

 と、生活保護法改正案に列挙されていた書類の添付が申請時の要件ではない旨を答弁した。さらに、

「非要式行為ということでよろしいでしょうか」

 と食い下がる尾辻氏に、田村厚労相は、

「あの、要式行為ではないということで、そういうことです」

 と答弁した。


尾辻かな子氏の質問に回答する村木厚子氏(厚生労働省 社会・援護局長)(「参議院インターネット審議中継」よりキャプチャ)
 この日、尾辻氏は、厚生労働省 社会・援護局長の村木厚子氏に対しても、改正案が「水際作戦」の強化となる可能性に関する質疑を行った。尾辻氏は、道中隆氏(関西国際大学教授・社会福祉学)の著書から、「水際作戦」のさまざまな手法を引用し、そのすべてに対し、村木氏から「違法です」という回答を引き出した。たとえば、生活保護の申請者に対する、

「あなたはまだ働ける年齢だから保護は受けられませんね」

 というケースワーカーの発言に対する村木氏の見解は、

「働ける年齢だからということで保護が受けられないという一律の扱いは、窓口の扱いとしては間違っております。稼働能力があっても、現に働くところが見つからないために困窮をしているということであれば、生活保護の受給が可能なケースがあるということでございます」

 であった。

 以下、

「親もしくは息子さんに面倒を見てもらってください」
「実家に帰って援助をもらってください」
「扶養義務者から援助できないという書類をもらってください」
「借金があるなら生活保護は申請できません」
「アパートの家賃が高すぎるから生活保護は申請できません」

 など、いわゆる「水際作戦」で頻発するパターンの数々に対し、村木氏は「生活保護を受給できない理由にはならない」という内容の答弁を行った。

 参院選の行方がどうなろうが、この質疑と答弁には大きな意義がある。ここで示されたのは、厚労省も自民党も、明確に「水際作戦」を肯定しているわけではない、ということだからだ。

「アメとムチ」は
就労自立の支援に有効か?

 今回廃案となった生活保護法改正案・生活困窮者自立支援法案は、生活保護当事者・生活困窮者に対し、就労による経済的自立へと強く方向づける内容を含んでいた。生活保護法改正案では、就労インセンティブ強化のため、一定の要件のもとで就職活動を行って生活保護から脱却した場合に給付される「就労自立給付金」が新設される予定であった。また、生活困窮者自立支援法案は、「新しい水際作戦の窓口となるのでは」と懸念されていた相談窓口の設置とともに、職業訓練・職業あっせん・就労の前提としての住居確保に関する内容を含んでいた。

 もし、これらの法案が成立していたら、就労自立に関して、期待されるような効果を上げられただろうか? 2013日6月21日、参議院・厚生労働委員会に参考人として出席した佐藤茂氏(釧路市福祉部生活福祉事務所生活支援主幹)の発言から、実効性のある就労支援について考えてみよう。


佐藤茂氏(釧路市福祉部)。参考人として、釧路市の自立支援・就労支援について語った(「参議院インターネット審議中継」よりキャプチャ)
 釧路市では、2002年、地元炭鉱の閉山などをきっかけとして、生活保護率が急激な上昇に転じた。2012年の釧路市の生活保護率は約5.5%で、全国平均の約3倍に達している。背景には、高齢化・産業構造の変化・深刻な不況などの問題がある。いずれも、当事者の努力や行政の力による対処には限界のある問題だ。「稼働年齢層ならば就労を」と言っても、就労先がなければどうしようもない。大規模な雇用をもたらす産業の誘致も、現在は困難だ。もちろん、不況が続けば、自治体の税収も減少する。求められる数多くの福祉施策を、予算不足の中で実施しなくてはならない現実がある。

 佐藤氏によれば、釧路市では、生活保護の「水際作戦」は行われていないという。自治体によっては、生活保護の申請書を「窓口に置かない」「ケースワーカーに渡す枚数を『1ヵ月に2枚』のように制限する」という形で「水際作戦」が行われている場合もある。しかし釧路市では、窓口に申請書を置いている。訪れた人々が自由に手に取れるわけではなないが、使用枚数に関する制限は行なっていないという。

 就労機会の少ない現実はそれはそれとして、釧路市では、生活保護の「生業扶助」を積極的に活用し、さまざまな自立支援プログラムを実施している。そこには、中学生に対する学習支援・高校進学支援も含まれている。また、生活保護世帯の高校生の子どもに対しては、就職希望であれば、運転免許の取得を生業扶助によって支援している。就職が内定しているかどうかとは無関係に、である。佐藤氏はこのことを、

「スタートラインに立たせる」

 と言う。平成24年度には、82名の高校3年生に運転免許を取得させたそうだ。うち60名以上が高校卒業と同時に就労し、生活保護廃止(脱却)となった。

 また釧路市では、母子世帯の母親の就労などについても、独自の取り組みを行なっている。高齢化の進む釧路市では、介護職の就労機会は比較的多い。しかし、介護職としての就労には、資格が必要だ。幼児を抱えた母親たちにとっては、資格取得が最初の「壁」となる。就労していなければ保育所を利用することもできないからだ。いずれにしても、経験したこともない仕事を理解し、「その仕事に就きたい」というモチベーションを喚起するところから始める必要があった。

 釧路市では、生活保護を利用している母子世帯の母親たちに対し、訪問介護を行うヘルパーに同行する機会を設けた。無免許の母親たちには、介護の仕事を行うことはできない。しかし、ヘルパーの仕事を手伝うことはできる。また、訪問先の高齢者の話し相手をすることもできる。そこで、高齢者に、

「ありがとう、楽しかった」

 と感謝されることもある。もちろん、ヘルパーの仕事を理解することができ、

「大変な仕事だけど、免許を取得して、その仕事に就きたい」

 という意欲を喚起されたりもする。

「資格を取りたい」という意志を抱いた26人の母親たちに対し、釧路市は、保育所に子どもを預けて資格取得を行う機会を提供した。うち16人がヘルパー資格を取得し、1年後までには就労したという。

 この話をしながら、佐藤氏は、

「人は変われる」

 と強調し、指導・指示だけではないケースワークの必要性、「認める」ということの重要性を述べた。

「話し合い」から
自尊感情の回復を

 この参考人発言において、佐藤氏は、生活保護当事者の自尊感情を回復させることを「大切に考えている」と語った。しかし、生活保護当事者の多くは、職業・対人関係・健康など数多くのものを失った末に、生活保護を申請し、受給者となっている。ズタズタになった自尊感情の回復は、容易ではない。本人が回復へのルートを辿りかけても、周囲の偏見や差別に傷つけられ、回復が困難になることも少なくない。再度の就労を志したとしても、生活保護経験のある求職者を採用したがらない経営者は少なくない。

 質疑で、釧路市の試みがどのように成功へと向かったのかを質問する川田龍平議員(みんなの党)に答えて、佐藤氏は

「話し合いが大切」

 と語った。佐藤氏ら釧路市職員は、住民や企業経営者と粘り強く話し合いをし、生活保護を色眼鏡で見る人々を説得したという。結果として、現在は180の企業体が、生活保護当事者の受け入れを行なっている。企業体が生活保護当事者を評価し、そのことによって釧路市から評価されるという、ポジティブなサイクルが回りはじめた結果、約1200人に達する稼働年齢の生活保護当事者のうち、約870人が自立支援プログラムを利用したという。

 とはいえ、釧路市の経済状況は厳しく、就労意欲ある生活保護当事者が自立支援プログラムを利用したからといって、すぐに就労に結びつくわけではない。佐藤氏も、「なかなか出口がない」という課題を率直に認める。それでも、

「受給者の顔が変わるのを見るのは、楽しいです。『寄り添い』だけではなく話し合いが大切です」

 と、話し合いの大切さを、繰り返して強調する。

 かつて、佐藤氏は現場で働くケースワーカーであった。その時期の受け持ち世帯数は、130〜150世帯にも達したという。その時期には、会話をする余裕は、ほとんどなかったそうだ。適切な人員配置は、福祉事務所の円滑な日常業務のためにも必要なのである。

ケースワーカーの過重な負担を
どう解決すればよいのか

 現在の生活保護制度を機能させ、就労などの自立を望む当事者を支援するためには、福祉事務所の体制の充実がどうしても必要だ。特に、現場を担うケースワーカーの増員や人員育成が必要だ。このことは、さまざまな立場の人々によって指摘されている。しかし、この1年ほど、福祉事務所の体制強化が制度に組み込まれるとすれば、

「不正受給摘発のために、福祉事務所に警察OBを配置」

「不適切な保護費使用を監視するために、福祉事務所のスタッフを増員」

 というような文脈の話ばかりだ。なぜ、このように換骨奪胎されてしまうのだろうか。


藤田孝典氏(NPOほっとプラス)。参考人として、「水際作戦」と「自立支援」という名の就労強制に対する懸念を述べた(「参議院インターネット審議中継」よりキャプチャ)
 6月21日の参議院・厚生労働委員会に、参考人として出席した社会福祉士の藤田孝典氏(NPOほっとプラス代表理事)もまた、生活困窮者を支援する立場から、ケースワーカーの増員の必要性を主張した。

 藤田氏によれば、ケースワーカーの人材育成は、まったく「間に合っていない」そうだ。日常業務での負担が過重である上、ケースワーカーの多くは人事異動でたまたま配属されただけの職員である。1〜3年が経過すれば、また次の部署へと異動するため、経験を蓄積してゆくことができない。厚労省は監査・指導・研修などで対策しているが、ニーズに対して人材育成が追いついていない。水際作戦の原因の一つは、福祉事務所の窓口を訪れた生活困窮者の「話を聞く」余裕すらないケースワーカーが、話を聞かずに追い返してしまうことにもあるという。

 次回は、藤田孝典氏へのインタビューを紹介する。社会福祉士として、生活困窮者に寄り添う支援者として、社会保障審議会「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」の部会委員として、藤田氏は、日本の「貧困」をどのように見ているだろうか?

<お知らせ>

 本連載に加筆・修正を加えた「生活保護リアル」(日本評論社)が7月3日に刊行予定。既にAmazonで予約注文開始中。


10. 2013年7月26日 01:20:09 : niiL5nr8dQ
【政策ウォッチ編・第33回】 2013年7月26日 みわよしこ [フリーランス・ライター]
自民党圧勝で“切り捨てられる”危機感も
生活保護を利用する重度障害者の「これから」は?
――政策ウォッチ編・第33回
7月21日に行われた参院選は65議席を獲得した自民党の圧勝に終わった。8月1日からは生活保護基準の引き下げが実施される。しかし、政情がどのように動こうが、生活保護当事者たちは生存と生活を続けるしかない。

今回は、重度障害のため生活保護以外の選択肢がない1人の女性の日常・これまで・将来への思いを紹介する。生活保護政策の変化は、生活保護基準の引き下げは、どのような人に、どのような影響を与えるのであろうか?

NPOで活動しながら生活保護を利用
ある重度障害者の日常


須釜直美さんは、さまざまな活動に電動車椅子で駆けつけ、積極的に参加する(須釜さん提供)
 東京都・多摩地区に住む須釜直美さん(45歳)は、22歳の時から生活保護を利用している。

 生まれつきの骨形成不全症を持つ須釜さんは、全身の3ヵ所を骨折して生まれてきた。母親に虐待を受けて育ち、義務教育を充分に受けることもできなかった須釜さんが、実家でも施設でもなく地域で生きていく手段は、生活保護以外にはなかった。

 骨形成不全症には多様なタイプがある。須釜さんの場合は、骨が極めて脆い状態が続いている。乳児期には、「寝返りを試みた」程度のことでも骨折したそうだ。現在も、最も弱い肋骨は、クシャミやセキといった小さな衝撃で骨折することがある。しかも、骨折してもX線写真に骨が明確に映らない。骨折箇所を特定できないため治療が開始されず、自然治癒を待つしかないこともある。歩行など骨に負荷のかかる運動は、生まれつき不可能なままだった。充分な硬さにならない骨は、充分な長さや太さになることもない。須釜さんの身長は、現在85cm程度だ。

 しかし須釜さんは、いつも、贅沢ではないがエレガントな衣服に身を包み、スワロフスキー・ビーズでデコレーションした電動車椅子に乗って、あちこちに出現する。須釜さんを見かけるたびに、筆者は「障害者だからといって存分に『女子』をしないのは怠慢かも」と、自分の構わない身なりを反省している。

 現在、須釜さんの活動の中心となっているのは、2010年にできたNPO「さんきゅうハウス」での活動だ。そのNPOの主要な活動は、ホームレス状態・貧困状態にある人々への入浴サービス・食事を提供し、生活保護の申請が必要ならば同行し、その後も生活全般・健康などに関する相談に乗ることだ。須釜さんは、「さんきゅうハウス」で、相談員として活動している。とはいえ、そのNPOには、須釜さんに賃金を支払うほどの余裕はない。

 6畳・4畳半・3畳の台所という、車椅子生活に対してはギリギリの広さの自宅アパートでも、須釜さんは多忙だ。須釜さんは週に5日、1ヵ月あたりでは270時間のヘルパー派遣を受け、家事・身体介助(主に入浴)などの支援を得ている。健康に問題のない時期ならば、生活を成り立たせることが何とか可能な時間数だ。しかし、骨折などのトラブルにより、「寝たきり」の時期が数ヵ月続くこともある。そういう時には、「寝たきり」の状態で痛みに耐えながら、必要な24時間介護を得るために、電話で行政と交渉を行わなくてはならないこともある。


須釜さんが外出時に使用している電動車椅子。座面の高さを変えることができる。さまざまな高さのテーブル・椅子・トイレ便座などに須釜さんが対応するため、必須の機能だ
Photo by Yoshiko Miwa
 須釜さんの悩みの1つは、「プロ」と言えるヘルパーがなかなか育たないことだ。介護に関するニーズの急激な増大と、とにもかくにも介護保険などの制度が一応は整備されたことにより、介護労働者は増加した。しかし、充分な待遇・充分な教育が用意されているわけではない。脆い骨を持つ須釜さんを「安全に入浴させる」といったことがらの1つひとつについて、須釜さんがヘルパーを教育しなくてはならない。

 NPOで、住まいで、多忙な生活を送る須釜さんの相棒は、18歳になるオス猫のディルだ。須釜さんは一人暮らしに慣れたころから、ずっと、ディルと暮らしている。高齢のためか、食欲や活動性が衰えてきたディルの健康状態も、須釜さんが気がかりなことの1つだ。

 お洒落で、明るく元気な須釜さんだが、悩みは尽きない。

「どうして、生活保護を受けたらいけないの?」

 障害者運動家たちは1970年ごろから、家でも施設でもなく地域で生活するための基盤として、生活保護に積極的な意義を見出し、活用してきた。また、障害者の生活保護利用は、長年にわたり、

「障害者は教育も受けられず、したがって就労もできないのだから、しかたない」

 という文脈で、世の中に受け入れられていた。

 しかし2000年ごろからは、「福祉から就労へ」「福祉から納税へ」というスローガンのもと、障害者に就労を迫る動きが強くなってきている。須釜さんに対しても、「それだけアクティブなのに、なぜ就労をしないんだろうか?」という意見は、当然のこととしてありうるだろう。

 近年、障害者の雇用をめぐる状況は、相当の改善がなされてきている。それでも、単に車椅子を必要とするだけではなく多様な配慮が必要な、須釜さんのようなタイプの障害者の就労状況は、極めて厳しい。しかも、後述するが、須釜さんの学歴は中卒だ。障害だけでも就労は困難なのに、学歴が中卒となれば、就労はほとんど不可能に近い。

 須釜さん自身は、

「『今のままでいていいのかな?』という不安感……『世間』から見て価値のある人間になりたいという気持ちは、私にも、ないわけではありません」

 と語る。生活保護を利用するかどうかは別として、「自分の価値は市場価値、市場価値のない自分には価値がない」という考え方を否定するのは、誰にとっても困難だろう。

「物理的に、現実的に、就労での経済的自立を実現するのは難しいです。だから、いつも矛盾を感じています」(須釜さん)


猫が好きな須釜さんの住まいは、猫グッズでいっぱいだ
Photo by YM
 かつては会社員だった筆者も、どこかで「自分の価値は、給与明細に書かれている金額」という考え方を引きずっている。フリーランスの著述業でも、自分の納得できる収入を得られている時期には、その考え方が意識の表層に現れることはない。しかし、順調でない時期ほど表面に現れ、自分自身を苛むのだ。収入が数ヵ月途絶えている時期や、予備取材で出費したけれども記事化の見通しがまだ立っていない時期には、特にそうなりやすい。資本主義のルールのもとで経済活動を行っている以上、時に自分を苦しめるルールであっても、つい内面化してしまうのは自然なことなのかもしれないが。

「今は、自分の現状を納得できているのかというと、そうでもありません。納得が行かないままです。『さんきゅうハウス』には、アルコール依存症の方や働く意志のない方、路上生活を続けたいという方も来られます。自分たちのしている支援活動は、本当に、その人たち自身の人生のためになっているのか、どうなのか。正直なところ、悩むときもあります」(須釜さん)

 人間の価値とは何なのだろう? その人らしい人生とは何なのだろう? 誰もが納得する答えは、そもそも、ないのかもしれない。

「でも、今は、『市場価値だけが、人間の全部ではないのかも』というふうに考え始めています」(須釜さん)

 生まれた時から障害者だった須釜さんは、記憶にあるかぎりずっと、絶えざる非難や差別にさらされてきた。その非難や差別は、生活保護の問題とつながっている。今の須釜さんは、そういうふうにも考えている。そして、目に力をこめ、胸を張り、自分に言い聞かせるように

「どうして、生活保護を受けたらいけないの? という姿勢でいたいです」

 と語る。

 その須釜さんは、どのような生育歴をたどってきたのだろうか?

「思い出は“夏の腐った牛乳”」
障害ゆえに母親からの虐待も

 両親とともに暮らしていた幼児期の須釜さんの記憶を代表するのは、夏の腐った牛乳と、冬の「ただ寒かった」という体感だ。

 須釜さんの母親は、重い障害を持って生まれた一人娘を受容することができず、事実上の育児放棄を行った。乳児期の須釜さんは、父方の祖父母に育てられていた。その後2歳ごろから、須釜さんは両親のもとで生活するようになったが、母親はいつも機嫌と体調が悪かったそうだ。

 3歳ごろの須釜さんは、立つことも歩くこともできないまま、いつもベビーベッドに寝かされていた。

 サラリーマンだった父親は、出勤する前に、娘の枕元に牛乳とビスケットを置いていった。その時、母親はまだ寝ていた。しばらく後に母親は起床し、化粧してどこかに出かけていってしまった。一人で住まいに残された須釜さんは、枕元に置かれた牛乳とビスケットを一人で食べた。夏は、昼ごろになると牛乳が腐った。しかし、他に飲むものはない。須釜さんは、異臭と異味に耐えながら、腐った牛乳を飲んだ。それが忘れられず、「大人になった後は牛乳が飲めない」という。

 自力でトイレに行くことも「おまる」に座ることもできなかった3歳の須釜さんは、一日中おむつをしていたのだが、当時、紙おむつはまだなく、布おむつにゴム引きのカバーを組み合わせる時代だった。父親が不在の日中、おむつを交換する大人がいなければ、すぐにおむつは濡れてしまい、あふれた尿が衣類や布団を濡らす。冬は、周囲の何もかもが濡れて、寒い。気持ち悪くなって衣類を脱ぐと、やはり寒い。1ヵ月に1回ほど、様子を見に来た父方祖母が、布団を交換してくれていたそうだ。

 母親は、育児放棄(ネグレクト)をするだけではなく、暴力も振るったそうだ。成長に伴う骨折で痛い思いをして泣いていると「うるさい」と顔を叩き、夜中に「おしっこ」と言えば起きて顔を叩いたという。

 須釜さんは、当時の自分について、

「『辛い』『苦しい』という思いは、なかったです。ただ、身体的な苦痛が日常化していて、何となく、その状況が漠然とイヤでした」

 と語る。さらに、

「言語化できない『イヤ』は、今も、落ち込んでいる時の自分の根底にあります」(須釜さん)

 という。

18歳で初めて「社会デビュー」
施設へ、さらに地域へ


須釜さんの住まいの一角。心理学・児童虐待・猫など幅広い分野の書籍でいっぱいの本棚の前には、長年かけて集めた洋楽などのCDコレクションと、動物のぬいぐるみが並んでいる
Photo by Y.M やがて、須釜さんは6歳になった。小学校に入学する年齢である。養護学校といえども通学が困難な須釜さんのもとに、週に2回、2時間ずつ、養護学校から教諭がやってきて訪問指導を行った。週にたった4時間の指導では、小学校の6年間で小学4年までの学習を行うのが精一杯だったそうだ。中学校も、同様の訪問指導で卒業した。子ども時代に接することのできた小学生・中学生は、隣に住んでいた1歳年上の男児だけであった。

 高校進学は、さまざまな事情から、断念せざるを得なかった。養護学校の高等部には、当時、訪問指導の制度がなかった。義務教育ではないからである。通学することは、骨折のリスクを考えると考えられなかった(骨形成不全症の患者は、思春期に特に骨折のリスクが高い)。通常の高校には、まず学力の面から入学が困難だった。また、介助の必要な生徒を受け入れる高校も、近辺にはなかった。

 中学卒業後の須釜さんは、将来への漠然とした不安から、家の中で鬱々と泣き続けていた。当時は父方祖父母が同居しており、介助は祖母が、生活の糧は祖父が提供していた。しかし、祖父母はいつか、いなくなる。その後はどうなるのか。

 その時期、担当ケースワーカーの紹介で、大学生がボランティアの家庭教師として、須釜さんのもとを時折訪問し、中学の勉強の補習をしていた。その大学生の

「施設に入ってみれば?」

 というアドバイスに従い、18歳になった須釜さんは身体障害者向けの訓練施設に入居した。そこで行われたのは、生活スキルに関する基本的な訓練だった。その時期について、須釜さんは

「初めての外部との接触で、『社会デビュー』っていう感じでした。友達もできました。その時の友達とは、今でも友達です」

 と、当時の喜びを反芻するかのような表情で語る。

 その施設は、1年を限度として生活訓練を行うことを目的とした施設だった。須釜さんは懸命に、移り住むためのアパートを探したが、障害者にアパートを貸す家主は現在以上に少なかった。3年後、21歳の須釜さんはやっと、アパートで地域生活を始めることができた。資金は、施設に入居していた時に貯金した障害基礎年金だった。その貯金が尽きるころ、須釜さんは生活保護を申請し、現在に至っている。

これからの障害者は
「地域から施設へ」?


須釜さんの住まいにて。バービーちゃん人形シリーズには、「ベッキーちゃん」という車椅子のスクール・フォトグラファーがいる。右側のブラシは、ベッキーちゃんの髪をとくためのもの
Photo by Y.M 須釜さんは、昨今の政情について

「本当に怖いです」

 と、恐怖感を率直に語る。

「2005年、障害者自立支援法が成立した時、今みたいな時代が来るんじゃないかと思いました。年金や生活保護に、メスが入れられて切り捨てられるのではないかと」(須釜さん)

 その時、障害者はどうなるのだろうか。

「障害者は施設に、それも貧困ビジネスみたいな施設に収容されて、出られなくなるんじゃないかと思っています。障害者は、戦争をする時にジャマな存在ですから。障害者運動はずっと『施設から地域へ』と障害者の地域生活を推進してきたわけですけど、これからは『地域から施設へ』ということになるのではないでしょうか」(須釜さん)

 他人ごとではない。筆者も障害者だからだ。その圧力は、自分自身もひしひしと感じている。いずれは障害者が、「役に立つ」「役に立たない」の2種類に分別され、役に立つ障害者は、過労死するほどの経済的貢献を求められる。役に立たない障害者は、辛うじて生存が維持される程度の社会保障を与えられ、さらに高齢者となる以前に生涯を終えることを求められる。そのような将来像は、「社会保障制度改革国民会議」の議事の成り行きなどから、イヤというほど読み取ることができる。

 自民党が圧勝した参院選の結果を受けて、須釜さんは今、大きな不安を抱えている。

「これから、健常者の生活保護だって削減されていくんだから、障害者にとっても苦しい時代が来るんじゃないでしょうか? 介護も、削減されてしまうのではないでしょうか? 表向きは『本人の安全と利便』を理由として、劣悪な施設に障害者を閉じ込める動きが始まるのではないでしょうか?」(須釜さん)

 障害者にとって、「施設に閉じ込められる」ということは、社会から切り離されるということである。それだけではない。

「一番不安なのは『自分は、社会の中で、これから生きていけるのだろうか?』ということなのですが。社会の中で、障害者が尊厳を認められて、社会の一員として生きていけるのかどうか。まだ、障害者施策がどうなるのかは、何一つはっきりしていませんが、漠然とした不安があります」(須釜さん)

 目先の須釜さんにとっての問題は、8月1日からの生活扶助費削減を、どう乗り切るかだ。今は、水道光熱費を節約することで対処しようと考えている。

 次回は、生活扶助費削減に対抗する動きについて紹介する。行政に対する審査請求や、予想される審査請求の却下を受けて予定されている集団訴訟には、どのような意味があるのだろうか? それらは、生活保護バッシングを行う人々が言う「そんなヒマがあるなら働け」という性質のものだろうか?


<お知らせ>
本連載に大幅な加筆を加えて再編集した書籍『生活保護リアル』(日本評論社)が、7月5日より、全国の書店で好評発売中です。

本田由紀氏推薦文
「この本が差し出す様々な『リアル』は、生活保護への憎悪という濃霧を吹き払う一陣の風となるだろう」


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
  削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告する?」をクリックお願いします。24時間程度で確認し違反が確認できたものは全て削除します。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 社会問題9掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

アマゾンカンパ 楽天カンパ      ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 社会問題9掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧