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受験や就活といった毎年訪れるサイクルの中で、常に疑問に感じる事がある。
「自分のやりたい事は何?」という問い掛けだ。
進路や就職先を定める上で、一定の方向性を持つ事は勿論必要であろう。とは言え、幼少期から常に「将来何に成りたい?」と問い続ける事が、実際に大きな問題を引き起こしている事に我々大人たちはそろそろ気付かなければ成らない。
私達はこの社会を構成している主体であって、常にこの社会の諸問題を引き起こしている当事者である。従って、本来考えるべきは「この社会を今後どうして行けばよいか?」という事であって、周囲との関係性の中で自らの果たすべき役割や実現すべき目標を定めていく事こそが、求められている。つまり、「成りたい自分」とは「必要性」に応じて必然的に定まっていくものなのだ。
しかし、そんな事とは無関係に「自分は何になりたいか?」を考え続けたところで、明確な方針になるはずが無い。それでも、事あるごとにそれを問われ続ければ、無理矢理にでも決めるしか無いのである。そしてまた、「自分のやりたい事」にしか興味の無い人間が増えれば、これこそが社会の統合階級から見れば思う壺。人々の無関心が広がるほど、庶民にとっての不都合な現実を押し付けやすくなっていく。残念ながら、原発災害はこのような無関心さが引き起こした史上最大の人災と言わざるを得ない。
毎年3万を超える自殺が後を絶たない理由もまた、生きる事への先行きが見通せなくなってしまう現実が引き起こしている問題であろう。
今、学生(若者)たちに問いかけるべきは、「何を実現したいか?」という事であり、この社会を活きる当事者として、自分たちがやるべきことは何か?を共に考えていく仲間として、社会に受け入れていく事ではないだろうか。
企業は「働きがい」を創造し、生きる歓びを分かち合える環境をこそ、整えていく必要がある。仕事の中身など、時代の変化と共に変わっていくものでしか無い。その時々に、社会にとって必要なものごとを提供し続けることこそが、企業の適応条件であり、働くことでの充足=「生き甲斐」を得られる瞬間であろう。(川井孝浩)
“市場の縮小”という現実は、企業に対しても容赦なく淘汰圧力を働かせてくる。「必要か否か」の判断が、企業の存続を左右する現実の圧力となっているのだ。だからこそ、改めて考えるべき視点が、「この社会をどうする?」という事であり、皆の力を持ってして実現すべき課題となる。「自分」という小さな枠に捕らわれる事無く、組織=集団としての力を発揮し、各自が与えられた期待や役割をまっとうすることで、評価充足の得られる環境が実現される。
改めて、『自分のやりたい事は、皆の中にこそある!』と問い正していく事が、我々社会人の成すべき事ではないだろうか。
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