02. 2013年3月09日 00:12:05
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「誰もオマエの問題を救済してはくれない」それでも本気で救世主を探すしかない 2013年3月8日(金) 遙 洋子 (ご相談をメールでお寄せください。アドレスはこちら) ご相談 仕事で問題にぶつかるたび、恋人に相談すると「辞めれば」と簡単に言います。家族だと心配かけるし、内部の人には支障があるし、外部の人には理解できないし。誰に相談すべきでしょう。(30代女性) 遙から 私は昔から、いわゆる行政が提供する弱者救済の受付窓口というものを信用していない。貧困、DV、虐待、ストーカー、人権侵害、等々。 それらがベースにあったうえでの悲劇的事件の報道を見ても、私は驚かない。 重責に苦悶する表情ではなく、“役割はこなした”風の責任回避型オロオロ記者会見も驚かない。 それは解決できない悩みです 大昔の話だが、恋愛と仕事との間に引き裂かれ、自身の破たんを察知した私は女性センターに駆け込み、カウンセラーに決死の思いで相談したことがある。 回答は「男を替えればいい」だった。 その頃まだ女性学を学ぶ前だったが、素人の私にでも「ちがーう!」と、問題はそこにあるのではない、もっと深淵にある、何かこうもっと違う分析軸が必要だと、気づいていた。 結果、ホンマモンのフェミニズムカウンセラーや、ホンマモンの女性センターや、学者たちとの出会いにより、その後、数年がかりで社会が抱える問題がようやく見え出したというわけだ。そのレベルは一人の女性の“頑張り”くらいでは太刀打ちできない、と理解できた。 だから今、「遙なるコンシェルジュ」で仮に似た悩み相談を受けたら、私の回答はこうだ。 「それは解決できない悩みです。解決できないとわかって、さ、どうする?」 建築業界にも似たような救済措置がある。手抜き工事や、耐震偽装など、被害者駆け込み用窓口というのが準備されている。私も解決したい問題を抱える消費者として、そこを教えてもらった。 「見ない」「書かない」「深刻なものは避ける」 ウェブサイトから、もうそこが名ばかり救済であることが私には見えた。そこに赤字で強調された文句は、「現地視察はしません」「査定書は作成しません」「訴訟問題物件は扱いません」だった。 笑った。 「見ない」「書かない」「深刻なものは避ける」救済窓口ってあるか? 電話してみた。 「詳細図面を持っていきましょうか」 「いやけっこうです。こっちで手書きする方もおられるくらいですから」 建築相談窓口が図面なしで、どう相談に乗るのだ。 行ってみると、会議室のようなところに大勢の建築被害者が集まり、それぞれに、建築士と弁護士たちが相談にのる光景になっていた。 制限時間は50分。懸命に窮状を訴える被害者に「はい。次」と、私の順番がまわってきた。 彼らが私に出した解答はこうだ。 「マンションの住民全員の意見を聞き取り、理事会に報告し、その報告をディベロッパーに上げ、問題を調査してもらい、解決してもらう」 声を上げて笑いそうになった。 仮に住民が500人としよう。最近のタワーマンションはその規模が少なくない。 「全員の意見を聞き」…!? そんな建築物を作ったディベロッパーが、いったい何を“解決”してくれるというのか。 大昔、ジェンダーがからむ問題に「男を替えろ」と言ってのけたカウンセラーがフラッシュバックした。 テキトーな物件を建設したディベロッパー。建築士たちの解答は、「ディベロッパーに解決してもらえ」。 そして「時間です」。 私は最後に怒りをこめて言った。 「何かもらえないんですか」 救済窓口で、救済ではなく絶望をもらって帰る 全員きょとんとした表情だった。再度言った。 「困っているからここまで来たんです。へー。ほー。と話を聞いて終わり、ではなく。何か、私はもらって帰ることができないんですか」 すると、「ここだと助けてくれるかもしれない」という事務所が掲載された用紙をプリントしてくれた。見ると建築物を検査する事務所が50社ほど記載されている。 「ここに全部、私に電話しろというのですか」とまた怒気をはらんで言った。「みなさんは建築のプロで、私は素人です。この50社の中から選別できるのではないですか」 そして、3カ所を彼らは選別した。建築士はこうも付け加えた。 「そこに電話しても、やってくれるかどうかわかりまへんけどな…」 救済窓口で、いったいどれほどの人たちが救済ではなく絶望をもらって帰ったことだろう。被災地の人々が言葉少なに訴え、言葉巧みに“できない”理由を述べられ、帰されている様を映した番組を見たことがある。 日本にはあらゆる弱者への救済窓口はある。でも、そこで向き合うのは「誰もオマエの問題は救済してくれない」現実だ。 私はあきらめず「人探し」をする 問題が解決せず座礁した時、選択肢はいくつかある。 占いに見てもらう。霊能者に見てもらう。墓参りする。救済しない救済窓口に行ってみる。専門家にあきらめず頼み続ける。訴訟問題にする。運のせいにする。祖先のせいにする。放置する。 私はあきらめず「人探し」をする。 救済窓口でも宝くじのような確率で慈悲深い人に出会うことがある。人のツテで良心的な協力者を紹介してもらえることもある。ロクでもない社会だが、そういう人物に出会うたび、“捨てた社会ではない”と教え諭される。 救済窓口がどれほど最後通告を手渡す絶望窓口になっているか。 肩を落として帰る人の背中を見てもなお、その日普通においしく晩ごはんが食べられる感性の背景に、「やるべき役割はこなしているから」という無自覚の責任回避がある。 だから事件になった時、オロオロ記者会見になる。虐待死した子に対し、「でも3回は尋ねました」と。「やるべきことはやったのだ」と。 助ける側も、救済を求める側も、どれほど本気かが問われる。助けてもらいたければ、本気の人物を探すべきであって、それは夫でも恋人でもない。 遙 洋子(はるか・ようこ) 大阪府出身。タレント・エッセイスト。関西を中心にタレント活動を行う。東京大学大学院の上野千鶴子ゼミでフェミニズム・社会学を学び、その体験を綴った著書『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(ちくま文庫)を執筆。これを機に、女性の視点で社会を読み解く記事執筆、講演などを行う。近著に『主婦たちのオーレ!』(筑摩書房)、『女ともだち』(法研)など。公式ウェブサイトはこちら。
遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」
働く女性の台頭で悩む男性管理職は少なくない。どう対応すればいいか――。働く男女の読者の皆様を対象に、職場での悩みやトラブルに答えていきたいと思う。 上司であれ客であれ、そこにいるのが人間である以上、なんらかの普遍性のある解決法があるはずだ。それを共に探ることで、新たな“仕事がスムーズにいくルール”を発展させていきたい。たくさんの皆さんの悩みをこちらでお待ちしています。 前シリーズは「男の勘違い、女のすれ違い」
温室栽培学生の憂鬱 「のため病」と「五月病」(2) 2013年3月8日(金) 伊東 乾 高校受験はいい大学に入るため、大学受験はいい会社に就職するため、いい会社に就職するのは・・・と、目的の無限先送りが続き、その実まったく満たされることがない、という「内実の喪失」。 最近、大学近辺で若い人と話していて、しばしば感じる、こうした目的の先送りに伴うやりがいや生き甲斐の喪失状況を、仮に「のため病」と呼ぶことにして、焦点をあてて考えたいと思います。 これと違うようでいて、実は大変よく似ているのが「五月病」と呼ばれるもので、こちらは私の造語ではなく昔から知られているもの。つまり、大学受験に血道を上げ、合格したはいいけれど、5月ごろになると目標を喪失して何もやる気が出ない、伸びきったゴムみたいになってしまう学生というのも、明治大正時代から知られていました。 「銀時計」と五月病 明治大正時代の東京帝国大学には「恩賜の銀時計」という制度がありました。あまりに弊害が多いので廃止されてしまったのですが、これはもう典型的な「のため病+五月病」の共通病根を示しているので、ちょっとご紹介してみましょう。 かつて日本の官学では、成績優秀者に天皇から「恩賜の銀時計」が授けられていました。陸軍士官学校、学習院、東大などで早い話が、各学部を首席級で卒業したものに銀時計が下賜される。夏目漱石の「虞美人草」にも「銀時計組」の登場人物が出てきます。銀時計OBは陸軍幹部、東大教授職、大蔵高官などその後一生にわたって「国家のエリート」としての椅子が約束されるような空気があった・・・らしい。 最初は軍隊の学校が起源だったらしく、東京帝国大学では「20世紀の新しい目標」とでも思われたのでしょうか、1899(明治32)年からこの制度が開始され、合計で323人が銀時計をもらったわけですが・・・早くも1918(大正7)年には廃止されてしまいます。 歴史の流れで見るならば、日清戦争に勝ち、新たな20世紀という時代を世界に伍して切り抜けようという日本が「八幡製鉄所」稼動開始などと前後してアカデミック・エリートを育てようとしたもので、実際に日英同盟、日露戦争、日韓併合といった明治末期の時期、そして第一次世界大戦が始まり、戦争後期にいたるまでの19年間、東大では銀時計が下賜され続けたわけですが・・・あまりに弊害のほうが大きいので廃止されてしまった。 これがどれくらい酷い弊害をもたらしたか、いろいろ伝説が残っています。例えば、銀時計を得るべく苛烈な勉強をしすぎて死んでしまった大学生、卒業時、僅差で銀時計を逸し、この先ずっと一番にはなれないと悲観して自殺した者、銀時計組として社会に出た者が伸びきったゴムのようになってしまったり、あるいは鼻持ちならないエリート風を吹かせてロクでもなかったり・・・なんであれ、マイナスのほうが大きかった。 ・・・本来は日本の未来を背負う若者に目標や意欲を湧かせるために作られたはずの「銀時計」ですが、東大では19年で歴史を閉じてしまいます。ということは、第一期の人たちもたかだか40程度で、大した老境には入っていなかったはずですが・・・いずれにしても、こういう「エリート決定!」みたいな資格を若い時期に持ちすぎると、本当にコレはろくでもないことにしかならない。 ところが、銀時計ほどではないけれど、やはりそういう勘違いは現在でもあるんですね。例えば東大合格なんていまだに雑誌に名前が載ったり、この種のタイプでちやほやされるわけで、それで勘違いする馬鹿者、もとい若者も結構いるように思います。 「温室栽培」の勘違い学生 お笑いみたいなケースは現在も繰り返されていて、東大合格というのが何か物凄いことで、自分はそれを成し遂げたんだ、という誇大な錯覚を持って大学生活をスタートさせる奴を、東京大学教養学部で必修のコマを持つとけっこうな頻度・・・100人持てば2、3人くらい・・・で見ます。 さらにその中で勘違いの甚だしいのになると、東大に合格したという事実がよほど大事らしく、そこで成功した勉強法やら学習課題やらを、コンコンと教官に「説いてくる」重症のもいるんですね。 私がかつて3000人ほど教えた一年必修の中で、もっとも重症だった中には、テストの出題法について教官に意見してきたのがいました。私は試験場でゼロから考えさせるような問題、つまり自分の頭を使う出題を必ずするのですが 「そもそもテストというのは、授業で類題を黒板に書き、その解法を板書して教え、十分習熟させた上でその達成度を見るべきもので、それなしにテストなどしても誰も解けるわけがない(!本当にこんなことを書いてきた馬鹿がいて、心底驚いたものでした)。伊東教官は例題や解答を板書することなく、見た事もない問題ばかり出すのは、授業としては手抜きだし、出題としては間違っている。正しい形に直すべきだ・・・」 私は毎週の授業で学生からアンケートをとり、その内容を講義にフィードバックするのを常としていましたが・・・この方式は文学部社会学科で上野千鶴子さんがとっていたスタイルを基にしました、上野さんは指導者としても大変優れた人です・・・、こういうのを書いてくる学生がいるわけです。 これ、ダメですね。社会に出てから、マニュアルがないと何も出来ない、典型的な使えないエリートごみになるリスクの高い予備軍ですが、それ以前に大学以降ぜんぜん伸びない。これは理系でも文系でもそうで、こんなアホみたいなこと・・・チャート式の例題がなければ勉強にならない。それを板書して教師に解説してもらわねば学習が出来ず、それで試験の成績が伸び、結果的に東大程度に合格したことで鬼の首を取ったかのごとく勘違いしている・・・では、銀時計競争には参加も出来ません。ビニールハウス、温室で栽培された、思考能力が極度に脆弱な学生が、何か勘違いして場違いな大学に進んできてしまった、と言わねばなりません。 明治時代の大学では「**について述べよ」式の大問題設定で白紙が渡され、そこに長文の教科書のような立派な解答を答えてゆくのが文系でも理系でも標準的だったわけで 「憲法について述べよ」 みたいな短い出題に対して、滔々と立派な答えを書かなければならない。これは理系も同様で 「水素原子のスペクトルと近年の新研究について知るところを記せ」 なんて問いに、まるで量子力学の教科書みたいな答案を、まったくの白紙に数式やグラフも併用してぴしーっと書いてゆく。そういう時代に銀時計が争われた。で、これに十分答える力のある人が、僅差で負けて自殺までしてしまっては、もう銀時計などないほうがよい、ということになって当然でしょう。 ちなみに、現代の学生は、こんな出題をしてもまったく対応が出来ません・・・いや、大学院の入試、とくに博士課程編入の口頭試問などは「知るところを述べよ」式の質問に、講義のごとくスラスラと答えられなければいけないはずなんですが・・・まあ、それはそれとして、「大設定問題」ひとつでは、白紙しか返ってこない。これは現代の東大内の必修テストでも同様で、理3生(医学部進学課程、日本の大学受験ではもっとも狭き門)でも文1生(法学部進学課程、文系では一番難度が高い、とされていますが・・・)でも過半数はそういう対策はしてこない・・・勉強が浅いんですね。 いったんガツンとやったほうがいい 仮に問題を出しても、回収した答案が白紙ばかりだと採点が出来ません・・・全部0点では学力の違いも見られない。私たち出題者にとっては、これは別の意味で切実な問題です。 そこで大甘に甘くして、問題を設定してやり、その大きな解法を3段階くらいに分けて小問を設定し・・・なんて、はしご段をかけてやるのが、現代の一般的な出題ということになります。 本来は「**を考察せよ」的な問題を、どうやって攻略するか、自分でゼロから考えてアプローチから組み立てるのが、創造的な学術の面白さにほかなりません。 ところがこれを「解法のパターン」にしないと理解できないしアプローチもできない・・・というのが、実のところいまの日本の現状に他ならないわけです。19世紀までの大学であれば国民の1%も進学しない、本当の少数精鋭教育でしたから、「**を考察せよ」「**について述べよ」の出題で「**序論」「**概論」式の大著を書くような才能が、白紙の解答用紙に名著のような答案をスラスラと書いていった。 ところが、現在では学生の数も増え、大学の民主化にいい面がなきにしもあらずですが、レベルとしては裾野が広がった・・・「下方修正」されちゃってるのは間違いなく、採点者がステップ・バイ・ステップで小出しの小問を設定しないと解くことができない・・・を通り越して、その「解答パターン」に沿って「模範解答例を板書して教えるのが教師で、それをしないなら手抜き」であり「それがなければ解答など出来るわけがなく、試験の実施、達成度確認は無意味」まで来ると、これはもう本来大学というものに進む適性のないのが、誤った過保護受験産業のおかげで合格してきてしまっている、本人がかわいそうということになるだろう、とは、尊敬する同僚のN先生が以前おっしゃっていたお話です。 「こういう勘違いした奴はですね、いちどガツンとやられなきゃ、ダメなんですよ。ガツンと。そうでないと、ロクな大人にならないです。本人のためにも落とした方がいい」 普段温厚なN先生が、力を込めてそうおっしゃるのを、実にその通りだと思って伺いました。 さて、この「解法のテクニックを板書で手取り足取り、口移し状態で教えられなければ思考が出来ない」という脆弱学生。これと「のため病」と、一見無関係に見えるかもしれませんが、違うんですね。「のため病」の本質的弊害の結果が、この「温室栽培学生」のようなものの繁茂を生んでしまった。そのメカニズムに敏感であるべきなのです。 愛情のない関係 例えばいま現在も、日本全国には、マンガ家やアニメーター、ゲーム作家の卵が無数にいますよね。子供たちは「やれ」と強制されなくても、好きなアニメのキャラクターの顔をノートの端に書いたりして・・・授業はちっとも聞いてなくても、こういうことは実に熱心で、目の表情にどう変化をつけたらキャラクターの微細な心理の変化を表現できるか、なんて、「ワンピース」でも「ハンターハンター」でもいい、一生懸命工夫して描いている・・・好きだから、ですよね。 銀時計を狙ったかつての秀才たちは、少なくとも「憲法」や「水素原子」を好きにならなければ、本丸ごと1冊を肉体化する、なんて勉強法は出来なかったはずです。 アニメーターになりたいと本気で思ってる子が、アニメの作り方の技術的な厚い本をさくさくマスターしてしまったりするのは、強い興味、好奇心、あえていえば「愛情」があるから出来ることで、対象に興味を持ち、主体的好奇心に基づいて縦横に議論を展開するから面白いし内容も豊かになる。そういうものです。ちなみに僕自身、10代で恩師から言われたのは、管弦楽法の分厚い教科書一冊を血肉化しろとか、好きな音楽作品300冊の総譜をすべて記憶する程度にマスターしろとか、そんなのばかりでした。 「一冊丸ごとマスター」式の古典的な勉強は、効率がよいとは限りません。しかし一度身に着けたものは、自転車こぎや水泳と同じく、一生涯使えます。実際コレのおかげで音楽を仕事にしていますし、この種の事がなければ専門職は出来ません。 が、好きでもない対象を「でも受験に必要だから」「志望大学の入試科目に入っているので仕方なく」というような学生が増えてしまうと、小分けの出題をしないと白紙ばっか、という状態が生まれてくるんですね。 実際、大学院とくに博士課程などで、本当にやる気のある子たち、テーマが好きな子たちであれば、大設定問題だけでも延々議論しているものですし、コミック・マーケットみたいなところで、好きなマンガの話をするのなら、何時間でも何日でも「小問1」とか「解法のテクニック」とかなしに、若者は馬鹿者にならず、生き生きと目を輝かせて話をすることでしょう。 つまり「のため学習」が親切設計すぎる問題を流通させる元となり、さらにそれを「好きでもないのに丸暗記」するのに「黒板で例題を一つひとつ教師が板書して説明」しなきゃマスターできるわけがない、という温室栽培学生を生んでいると、15年ほど大学で教えてきて、つくづく思うわけです。 愛情のない関係・・・そんな形でかかわっても、大学でハッピーではないと思うんですね。いまは横並びで、あるいは学歴「のため」に、学術に興味も関心も愛情もない人が大量進学する時代になっていますが・・・ 興味のない「アニメのキャラクターの模写」なんて、必修でやらされたら面白くもなんともないですよね。でも必修で出ます、といわれたら、しかたなく塗り絵よろしくトレーシングペーパーで縁取りから勉強して・・・みたいな「解法のテクニック」が作られるかもしれません。 でも、それはアニメやマンガを描く王道でもなんでもない。夏目房之介に言わせればマンガの「線」は人だそうで、実際そう思いますが、それはトレースして学んだり得たりするようなものではない。 学問も芸術もそれはまったく同じで、チャート式で学んだつもりになるのも王道からすればまったくの勘違い、受験問題に出るような課題パターンで音楽を学んだと錯覚するのも残念なお話で、本当の豊かさにはほとんど近づかないものでしかない。 「お金のため」「ポジションのため」「世間体のため」・・・すべて愛情のない「のため婚」みたいなものが、世界を色あせたつまらないものにしているように思うわけです。 伊東 乾(いとう・けん) 1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。
伊東 乾の「常識の源流探訪」
私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。 |