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医療と福祉は国家財政不健全の象徴であるが、教育もそれらと並ぶ癌である。 社会主義化した日本において、教育・医療・福祉といえば国家の最重要任務だとされている。 誰もがより高い教育こそより良い生活の保障であると考えている。 財政の癌を生きながらえさせているのは「教育は投資だ」と考える、マインドコントロールされた我々自身である。
人々は高い学費を払ってせっせと学校に通い、そして卒業する。 就職し、大学を出たばかりの新入社員がまず通過するのは挨拶研修である。 会社に来たら「おはようございます」、電話が鳴ったら「はい、○○株式会社でございます」、「対外的に社内の人間はサンづけしない」、「名刺を交換するときは...」、帰るときには「お先に失礼します」。 「あなた方は大学で経済を、経営学を、マーケティングを学んでこられました。 早速その知識を使って我が社の未来を決する新商品開発に携わっていただきたいのです」「あなたは文学を学ばれました。 早速その技能を使ってお客様の心に響くキャッチコピーを作成してほしのです」とは決して言われないものである。
新入社員がまずやらされるのが書類のコピー程度の仕事である。 これをコピーしてくれ、と言われてコピー機の前に行ったはよいがどう操作すればよいのかよく分からない。 適当にやって渡すと怒られる。 「両面でっていったでしょうが」「○部って言ったよね」「なんで真ん中でホチキス留めるんだよ、縦なんだから左端だろうが普通は」 自分は… かのケネディ大統領が”無知を憎み、真理を愛する人たちの集まる、地球上で最も美しい場所”と呼んだはずの大学へ四年間通った。 そして今、”目先の金のことだけを追求する浅はかで精神性の皆無な”企業という場にいて「コピーの仕方がなっとらん」などと言われてコケにされている。 何なのだこれは...?
大学を出て就職した人が身に染みて理解するのは、大学で学んだ知識など社会では何の価値もないということである。 コピーを取るのに必要なのはコピー機についているスイッチとモニターの機能を知ることであるって経済学の学位をとることではない。 適切な挨拶をするに必要なのは挨拶をする場を経験することであって経営学を学ぶことではない。 名刺の交換の仕方を知るに必要なのは商談の機会であってマーケティングを学ぶことではない。 これらの技能を習得するのに必要なのは「高価な学位」ではなくて常識と基本的な日本語力以上のものではない。 これら初歩的な技能を足掛かりとして人々はそれぞれの企業で必要とされるスキルを身に着けて階段を上がっていく。 そしてその間に高い金を払って学校で学んだことはきれいさっぱり忘れていく。
まあ分かっている、世の中はそんなものなのだ… と多くの人はシニカルに構え、返すあてのない借金までしてまで大学へ、そして大学院へと進む。 借金とは奨学金のことである。 奨学生は学校を出たらすぐに返済を始めなければならない。 月に一万円程度だが、新米社員の給料には響く。 四十過ぎまで延々と払い続けなければならない。 奨学金の滞納が問題になっている。 日本学生支援機構(旧育英会)の2010年年度末時点で123万人以上にも上り、総額1兆118億円を貸し出して3カ月以上の滞納額は約2660億円に上るという。 財源は税金である。 返せない・返さない理由は低所得だという。 大学や大学院に行くためにした借金を返せないほどに低所得であるというならば、その借金はいったい何のためだったのか。 そしてその借金を長い年月をかけて返す苦労は何のためなのか。 そしてその借金を国民として肩代わりする意味は何なのか。
★実社会では大学院はもとより、高校、大学で教えられた知識をせっせと使って仕事をしているなどという人間はほぼ皆無である。 誰でもよく考えてみると分かるが、大多数の仕事に必要な知識は中学までに教わることで網羅されているのである。
そしてそれ以上の知識・技能が必要になる場合はコンピューターで処理出来てしまうのである。 私は自慢ではないが高校数学の微分積分の授業は眠って過ごし、試験では完全なる赤点だった。 だがエクセルを使って数値を駆使した業務をするに何の支障もない。 複雑な計算も、これはどうやるんだ?と思えばネットで関数を調べて打ち込めばそれでおしまいである。
大学・大学院に何年も通い、何百万も使い、その後社会に出てから何の役にも立たない知識を詰め込むくらいであれば、むしろ中学卒業したらさっさと就職して仕事をしたほうが遥かに良い。 本人にとっても家族にとっても社会にとっても国家にとってもである。 それは企業では学校では得ることの不可能な、On the Job Trainingを基礎とした実質的な(コピー取りから始まって)教育・訓練が受けられるからである。 しかも収入まで得られるのであるから一石二鳥である。 企業にしてみれば若い労働力を安く雇えるわけであるからコスト面でも非常にメリットがある。
★「大多数の人間が高校・大学・大学院へ進学すること」の意味を否定するからといって「高等教育」を否定しているのではない。
すべての仕事が中学レベルの知識・技能で実行できるわけではない。 一つ例を挙げれば、医薬の開発はどんな天才でも中学のレベルでは無理である。 化学、物理、数学、生物、薬学… 高度の知識が必要である。 もっと効く薬を、もっと安価に、もっと早く、それが我々全員の願いである。 そのためには科学技術の集積が必要であり、その伝承・発展には高等教育が不可欠である。 秀でた頭脳を持った人間が本当の高等教育を受ける、それが社会全体の利益になる。
★一昔前に三高なる言葉がはやった。 男性の価値を表す指標として、高学歴・高収入・高身長であることがよい、というやつである。 日本の財政を健全化するためには三低社会を目指すことである。 三低とは、低学歴・低身長・低負債のことである。
なぜ低学歴かといえば、中卒だからである。 なぜ低身長かといえば、中学を卒業してもまだ成長するからである。 なぜ低負債かといえば、年齢からして親元に住みつつ働き収入を得るわけで、借金はゼロだからである。 不健全なる三高から健全なる三低へ、高校・大学・大学院の七年〜十年の時間的・金銭的浪費の不健全さと決別し、三低が格好良い時代になれば自然と社会は活性化するはずである。
★三低社会を実現するために必要なのは雇用である。
小さな企業が雨後のタケノコのように出てくる環境にあれば、必要な人材の基準は学歴ではなく働く気である。 限られた雇用においては企業は規格化された人材を求める。 四年制大学を出た、高等学校を出た、といった規格である。 一方雇用が無限にある状況においては人を型にはめる規格は意味をなさない。 雇用主にとって必要な要素が備えた人材かどうかだけが問われるからである。 それがやる気であろうが笑顔であろうが言葉遣いであろうが心使いであろうが、である。 (以下略)
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