01. 2013年1月29日 01:19:09
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駆け込み退職は無責任? 裏に潜む“職員室崩壊”の影企業化する学校から失われる「心理的契約」というサポート 2013年1月29日(火) 河合 薫 「子供に与える影響を考えると……」 「子供たちの立場に立って考えなきゃ……」 「子供たちのことを考えてない……」 この数日間、幾度となく繰り返された言葉。大阪市立桜宮高校の体罰問題、埼玉県での教師たちの駆け込み退職……。 後者の駆け込み退職は、退職金を減額する改正条例を埼玉県が2月1日に施行することにしたのが直接のきっかけ。減額される前の1月末での退職を、100人以上の教員が希望するという事態に至った。 こうした状況を受けて同県の上田清司知事は、「個人の自由ですから、そこは、とやかく言うわけにはいかないですが、やっぱり、学級担任を持っている方々には、頑張ってほしかったな」と述べ、「2カ月も残して辞めるのは無責任のそしりを受けてもやむを得ない」と批判した。 また、神奈川県の黒岩祐治知事も定例記者会見で「退職金ということで、生徒たちを置き去りにし、ポイと辞めてしまうというのはやりきれない。生徒たちがかわいそうだ」と語ったそうだ。 駆け込み退職を希望した教員たちに集まる強い非難 子供を持つ親からも、「もうちょっと責任感を持って、お仕事をなさってほしいと思います」「子供にとって、『しょせんお金か』みたいな感じの印象は残ると思いますよね」と、風当りは実に強い。 テレビをつければ、「子供とおカネを天びんにかけて、おカネを取ったってことですよね? 無責任だし、子供たちにだって、どうなんでしょうかね」などと首を傾げるコメンテーターまで登場し……。 「使命感より退職金?」「子供よりもおカネ?」と針のむしろだ。 もちろん批判の一方で、「もし、自分が本人だったら、(退職金が)150万円違ったら考えちゃいますけど」「でも、先生だって家族もいれば1人の人間ですから。問題はそんな中途半端な時期に、条例を施行したこと。どうにかならなかったんですかね」などと、「先生だって人間だもね」と擁護する声も聞こえてきてはいる。 でも、責任、責任って。そもそも先生たちの駆け込み退職は、“非難”の俎上に上げられる問題なんだろうか? 埼玉県の上田知事は、2月から減額しなければ、逆に人件費の負担増が約39億円に上ることを明らかにし、「今度は逆に、国民から『あなたたちは、わざと遅らせている』という批判を受けます」とも述べている。 「子供たちに影響が出ないように4月1日の施行にすると、今度は僕たちが批判されちゃうわけ〜。だから、先生たちには犠牲になってもらうしかないわけで。でもさぁ〜、もっと責任感を持ってほしかったよね〜。だって先生って、教育者なんだからさ!」ということなのだろうか? 仕事の責任って、いったい何? 企業に勤めている人たちは、早期退職しても何も言われないのに、先生だと批判される理由は? 学校は企業と違うから? 先生は公務員だから? 先生は聖職だから? 子供の模範となるべき職業だから? そもそもこれって、先生たち“だけ”の、精神論で片付けられる問題なんだろうか? 少々乱暴な解釈かもしれないけれども、単なる責任のたらい回し、としか私には思えない。 で、いつものように、「子供たちのため」という美しい響きの言葉と、「責任」というごもっともな言葉の合わせ技で、反論できない人たちに刃を突きつけている。そんなことはないだろうか。 そこで今回は、「仕事と責任」について考えてみようと思う。 「先生はもう先生じゃない」と嘆いた元中学校の教員 ご存じない方もいるかもしれないので、事の流れを簡単に説明しておこう。 問題の発端は、総務省が昨年11月、国家公務員の退職手当を約15%、平均403万円減らす国家公務員退職手当法等の改正法の公布に伴い、地方公務員の退職手当も同様に減額するよう都道府県知事らに通知したことにある。全自治体が実施すれば、年間3400億円の人件費削減になるそうだ。 それを受けて埼玉県では、昨年12月に条例を改正し、今年2月1日から施行することにした。勤続35年以上の教員が3月末に退職した場合、手当は現行の2800万円前後から150万〜200万円ほど減額になるが、施行を4月1日にすると約39億円も余計にかかることから、2月施行に踏み切った。 ちなみに早期退職を申し出た教師110人のうち県採用教員は89人で、教頭4人と担任を持つ教師27人が含まれている。さいたま市採用21人のうち、担任は3人。教頭はいない。県、同市とも校長は含まれていない。 で、「教師としての責任論」なるものが出てきたのというわけだ。 今から数カ月ほど前、昨年に定年退職をなさった中学校の先生といろいろとお話をさせていただく機会があった。 「先生はもう先生じゃないのよ。ただのサラリーマン。だって子供たちのための仕事より、管理職のための仕事ばかりなんだから。職員室では、どの先生もパソコンに向かって、息を潜めている」 この方はそう話し出した。 先生(元先生と言った方が正確だろうが、先生とここでは書きます)の話を聞く限り、“そこ”は学校ではなく、まさしく企業。ステークホルダー(利害関係者)たちから厳しい視線を向けられ、責任を取りたくない管理職と、言われたことだけしかやろうとしない部下たちが、子供という“顧客”相手に仕事をしている企業組織そのものだった。 その“企業”で、学級崩壊ならぬ、職員室崩壊が起こっているのだという。 「いつからこんなふうになってしまったんでしょうね。昔はね、本当に楽しかった。教師みんなが一丸となって子供たちに向き合っていたし、みんなで1人ひとりの生徒のことを話し合い、考える時間もあった。例えば、何か問題を起こす子供がいるとするでしょ? 学校って、いろんな教科があるし、いろんな先生がいるし、いろんな生徒たちもいる。1つの原因だけで問題を起こすってことはなくて、いくつかの要因が絡み合っている場合がほとんどなの。だから先生たちみんなで子供の情報を共有して、みんなの“問題”として取り組まなきゃならない」 「でも、今は先生同士のコミュニケーションが希薄になっているから、何か問題が起きるとそれに関係のある1人の先生だけがやり玉に挙げられる。特に管理職は何かあると、自分の責任問題になるから、やたらとその先生への監視を強めたり、その先生だけに問題があったのかのような追及をしたりする。今の先生に求められているのは、間違いを起こさないこと。間違いを起こさない無難な教師が一番いいんです」 「それに子供たちの学力が低いと先生の指導に問題があるように言われるけど、どんなに先生たちが頑張っても学力が上がらない学校というのがあるんです。例えば、県でトップクラスの学力を誇っている学校の先生全員が、学力の低い学校に行って頑張ったとしても、そんなに簡単には学力は伸びない。先生たちだけじゃ、どうにもできないことが現実にあるの。でもね、そんなの世間は認めないでしょ。すべては先生の問題。先生の資質に問題があるとなってしまうんですよ」 先生たちの努力だけではどうにもならないことがある 学校に市場原理を持ち込もうとする人たちは、結果ばかりを重視するけれども、子供ほど難しく、オトナの思うようにならない存在はない。前述した先生が語るように、先生たちの頑張りだけでは、どうにもならないことが実際には数多く存在する。 先生が嘆くように、子供の学力は先生たちの力だけで向上させるのは難しい。子供が育つ家庭の社会的階層が指摘されることがあるが、そこには現場の先生しかわからない問題も多くあるのだと思う。 教育問題を扱ってきた刈谷剛彦さんの『学力と階層 (朝日文庫)』(朝日文庫)には、興味深い調査結果が記されている。 両親の学歴や職業から子供たちが生まれ育つ家庭の社会的階層をとらえ、上位、中位、下位に分類し、子供の「学習への意欲」を分析した結果、階層下位の子供たちほど、「学習への意欲」が低いことが明らかになった。少人数授業を取り入れ、熱心に取り組んでいる地域でさえ、階層格差に起因する「学習意欲差」を縮小するのは難しいことが示されたのだ。 つまり、頑張って学力を上げなければならない子供たちほど、頑張らない傾向が強く、それは先生たちの力だけでは、どうやっても埋めることのできないものだったのである。 しかも、学校という閉鎖された空間では、一般の企業以上に人間関係が与える影響は大きく、強い共同性がその集団のパフォーマンスや個人の心身の状態を左右すると言っても過言ではない。 文部科学省の年末の発表によれば、鬱など心の病で2011年度中に休職した教員は5274人。2年連続で減少したものの、10年前(2002年度2687人)の約2倍で、2008年度から5000人を超える高い水準が続いている。 年齢別には、50代以上が最多で2037人(39%)。40代1712人(32%)、30代1103人(21%)、20代422人(8%)。 毎日新聞の2012年12月25日付け朝刊の記事では、1年半前、鬱病で休職した大阪府内の中学に勤める40代の女性教諭について報じていた。学力や生活上の課題を抱える生徒が多く、「成果がはっきり見えない仕事だけに教員同士で支え合って子供のためになることを話し合うべきなのに、そのゆとりがなくなってきている」とのコメントが紹介されていた。 またこの記事では、府内の小学校で教諭をしていて、10年前に休職に追い込まれた60代女性が、授業中に他の子供の邪魔をする児童2人の教育に苦労し、次第に追い詰められたあげく、管理職に「あんたの責任」と突き放されたという話も報じていた。 教師を取り巻く多様な人間関係の悪化が背景に 数年前に都内の新任の小学校教諭が自殺した時には、親たちからのクレームに追い詰められていたことが一因とされたこともあった。 ある保護者から「子供のけんかで授業がつぶれているが心配」「下校時間が守られていない」「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのでは」などと、次々苦情を寄せられ、苦しんでいたとの証言が寄せられたのだ。 保護者だって、大切な子供と預けているのだから、「子供のために」と文句の1つや2つ言いたくなることはあるかもしれない。“モンスターペアレント”と呼ばれる保護者の存在が指摘されることもあるが、理不尽なことを言ってくる保護者はごく一部とする先生たちも多くいる。 だが、管理職と教員、教員同士、保護者との関係、そんな教師を取り巻く『人』という環境要素が、「先生はもう先生じゃないのよ」という状況を作り出してはいないだろうか。都合のいい時だけ、世間は「教育者」などと言うけれど、ホントに教育者と敬意を払って接している人たちがいかほどいるのだろうか。 心理的契約――。 これは、「組織によって具体化される、個人と組織の間の交換条件に関連した個人の信念」と定義され、働く人たちの働く意欲、つまりモチベーションを保つために、重要な要因と考えられているメカニズムの1つだ。 「心理的」というだけに、これはあくまでも個人の認知に基づいたもので、多くの場合は、実際に日々関わる上司との関係性において構築されていく。教師の場合なら、上司に加え、保護者、子供も加わることになる。 そして、働いて得られる報酬や条件が「自分にとって受け入れられる」ものであれば、個人は働く意欲を高め、職務満足感が高まっていく。報酬には賃金だけではなく、他者からの敬意や感謝などの心理的な報酬、能力発揮の機会なども含まれる。 心理的契約が高まると、次第に「この会社のために働きたい」と、会社へのロイヤルティーも高まり、仕事へのモラル、責任感なども高まっていく。 仕事へのモチベーションやパフォーマンスは、法的な契約よりも、むしろ心理的契約の度合いによって左右されると考えられているのである。 かつては保護者や同僚たちと良好な関係があったが… かつて、社会的評価の高かった教師という仕事。校内暴力なるものが社会を騒がせていた時代には、まだ、“戦う教師”として世間は好意的に教師を受け入れていたため、保護者は味方だった。 そんな先生たちを支えていた、世間との良いつながり、保護者との良いつながり、そして同僚たちのつながりが途絶え、教師たちの支えとなる資源が失われている現状がある。 今、先生たちには、「受け入れられる」心理的契約もなければ、報酬となる他者からの尊敬や敬意もない。非難されることはあっても、褒められることはない。責任を追及されることはあっても、権限を持たせられることもない。 早期退職者が続出した今回の問題、教師たちにメンタル不全者が10年前の2倍にも達する事実、これらは全く関係のないことなのだろうか? たまたま早期退職は、その教師たちを取り囲んでいる暗闇が表面化しただけ。時間的余裕も、精神的余裕も、余裕のなさを埋める資源も崩壊した教師たちを取り巻く社会が、その背景に潜んでいる。そう思えてならない。 え? 今回の問題は制度の問題だから、3月まで臨時雇用にしたりすればいいでしょって? 果たしてそんな応急処置で済む話なのだろうか。 だって先生の質が低くなったことが問題なんじゃない? 質の悪い教師に敬意もへったくれもないでしょって? うむ。確かに文科省の調べでは、指導が不適切と認定された教師は、168人だった。しかし2010年度より40人も減ったし、168人のうち108人が研修を受け、47人が現場に復帰し、24人が依願退職するなどしている。 悪いのは先生? いいや、そんなことはないはずだ。物事、特に人間関係はどちらか一方だけに問題があることは滅多にない。それこそ、すべてを先生の責任にする今回の早期退職劇と何ら変わりのない、単なる責任のたらい回し、だ。 ILO(国際労働機関)は、労働に関する報告書の中で、教師は個性的な人格を持つ40人近くの子供たちを統制しなくてはならないため、非常にストレスフルであり、その状況は“戦場並み”であると指摘している。さらに、1人の教師のストレスは周りの教師にマイナスの影響を及ぼすことに加え、教育の質に対する深刻な打撃を意味する、と警告している。 「子供ため」を思うなら、応急処置でもなく、責任だの何だのとたらい回しするのではなく、なぜ、そういう選択をする教師が続出したのかを突き詰めなければならない。ただただ景気が悪いとか、誰でも老後が心配とか、一般論で片付けるのではなく、「先生」という極めて子供たちの未来に大きな影響を及ぼす職業なだけに、もっともっと本質的な問題に向き合うことが求められる。 そうしない限り、また、「ウソ! 子供のたちはどうなる!」というような問題が起きる可能性は高いと思う。 早期退職を選んだ教員の数だけ調べても意味がない 文科省は、退職手当を引き下げるために条例を改正した16都府県のうち、4月施行の2県を除く14都府県について、埼玉県と同様のケースがないか確認するとともに、早期退職した教員の数の実態調査を始めたという。 何だかなぁ……。調査をしてどうするというのだろうか? 「調査した結果、〇○人もの駆け込み退職があったことは、子供ために由々しき問題」なので、臨時職員で雇えるように国が助成金でも出して、カネの問題はカネで解決しようとでもいうのだろうか。 まさか、数字だけを公表して、早期退職の選んだ先生たちに、再び刃を向けるのか? そんなことが目的なら意味がない。 どうせやるなら、早期退職を選んだ先生たち1人ひとりにインタビューでもして、「生の声」を聞いた方がいい。今の教師たちを取り巻く環境を少しでも改善するには、現場でホントに生かされるのは、そういう生の個人的な意見だ。 下村博文文科相は1月25日の閣議後の会見で、「都道府県教委は、早期退職を希望する個々の先生に対し、慰留、説得をしてほしい」とし、制度上の問題はないとの認識を示した。そのうえで「先生方には納得しがたい部分もあるかと思うが、ぜひご理解いただきたい」と述べたそうだ。 問題の本質に向き合おうとする政治家はいないのか? 少なくとも、「早期退職」という利己的な選択をする教師が続出したとしても、それを責めることなど誰にもできないと思う。政治家も、メディアも、そして、恐らく私たちも……。 河合 薫(かわい・かおる) 博士(Ph.D.、保健学)・東京大学非常勤講師・気象予報士。千葉県生まれ。1988年、千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。2004年、東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、2007年博士課程修了。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。医療・健康に関する様々な学会に所属。主な著書に『「なりたい自分」に変わる9:1の法則』(東洋経済新報社)、『上司の前で泣く女』『私が絶望しない理由』(ともにプレジデント社)、『を使えない上司はいらない!』(PHP新書604) 河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。
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