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http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1301/15/news022.html
窪田順生の時事日想:
昨年末、大阪市立桜宮高校のバスケ部キャプテンだった少年(17)が自殺し、亡くなる直前にバスケ部顧問である男性教諭(47)に殴られていたことが発覚。学校側もそのような行為を黙認し常態化していたことが明らかになった。
それを受けて、ワイドショーが連日のように「体罰」を取り上げ、スタジオではコメンテーターがその是非を論じているのだが、個人的にはどうにもしっくりきていない。なぜかというと、この教諭がやったことは「体罰」ではないからだ。
必要な指導だった、とか言いたいわけではない。
報道を見る限り、この少年はなにも“問題行動”をしていない。キャプテンとして部員を引っ張るリーダーであって、無免許でバイクに乗り停学中の部員が、授業についていけるようなフォローまでしていた。むしろ優等生であった彼を殴ることを「罰」とは呼ばない。
試合でのミスを言いがかりに拳を振り上げる。これはもはや「いじめ」だ。しかも、本人が「他の部員が同じことをしていたのに殴られないのに、自分だけ殴られる」と両親に苦悩を打ち明けていたことからうかがえるのは、「見せしめ」にされていたという事実だ。
いや、体育科の存在感がある高校で、長くても10年で異動というところ、15年も居座っていた日体大出スポーツエリート教諭の権力を考えれば、「公開処刑」と言ったほうが正確だろう。
それはこの教諭本人の言葉からもよく分かる。教育委員会の調査で、彼は「強いチームをつくるためには体罰も必要」なんて言って、世間からさらなる批判を浴びた。
これは彼があまり日本語を知らないがゆえの誤解で、体罰を「公開処刑」に置き換えてみると何を言わんとしているのかよく分かる。それは「強い軍隊」をつくる秘訣だからだ。
●「見せしめ」は効率的
『孫子の兵法』で知られる孫子がある時、呉の王から「兵法だなんだとへ理屈をこねているが、か弱い宮廷の女だけでも強い軍隊をつくれるのか」と無理難題をおしつけられた。
孫子は、もちろんできますよと自信たっぷりに200人近い宮廷の女たちに軍事訓練を施しはじめる。といっても、みんなマジメにやるわけがない。すぐに踊ったり、怠けたりとしてしまう女たちに孫子が言う。
「これは遊びじゃない。今度、軍規に違反をしたら処刑する」
悪い冗談かと思っていたらマジだった。孫子は「隊長」に命じられた女性ふたりが他の女たちとふざけているのを見るや、とっつかまえて、みんなの前で首をはねたのである。これはマズいと、女たちは死に物狂いで訓練を始めた。
かくして強い軍隊ができあがり、孫子も王に軍師として迎えられたというわけだ。
残忍な拷問をいくつも編み出した古代中国らしい逸話だが、実はこれと似たメソッドは、独裁政権やらの軍隊でつかわれている。士気をあげたい独裁者からすると、「隊長」だけを吊るし上げればいいのでラクだ。また首をはねられる側じゃなければ、それほど恨まれないので、孫子のように「素晴らしい軍師」なんてもてはやされることもある。
バスケ部OBから、男性教諭のことを「熱心な先生だ」とか「先生の指導に間違いない」と擁護する声があがったというのは、これが理由だ。
●「体罰」という表現になった理由
桜宮高校は大阪府の公立で初めて体育科を設置し、体育科の生徒はすべて部活動が義務づけられている。スポーツ推薦の評価が「戦績」であることは否めない。孫子さながらにてっとり早く強い軍隊を生み出せる男性教諭を校長らが重用し、彼もその期待に応えるよう熱心に「軍隊」を指導した。つまり、少年は教諭の立身出世のため、「捨て石」にされたのだ。孫子に首をはねられた女性のように。
こういう状況を取材すれば、まともな感覚ならば「教師による虐待」とか「バスケ部顧問による主将いじめ」という見出しの記事ができる。某情報番組でも「夜回り先生」として知られる水谷修氏が、「これは体罰ではなくて虐待ですよ」とはっきり断言したが、こういうことを教えてくれるマスコミはない。
なぜ猫も杓子も「体罰事件」と騒いでいるのか。たどっていくと年明け早々に大阪市教育委員会が出した発表にゆきあたる。
平成25年1月8日 10時30分発表
教育委員会では、ただちに事実確認を行った結果、自殺前日に部活動の顧問教諭による体罰があったこと等の報告がありました。
日本人からするとあまりなじみはないが、このような謝罪文からもスピンコントロール(情報操作)というのは始まっている。早々と「体罰」を認めて、「体罰防止」を掲げればマスコミの関心はここに誘導される。最悪の不祥事ではあるが、「教師によるいじめ」よりもマシだ。
なぜこうもあっさりと釣られてしまうのかというと、マスコミが発表型報道に慣れきっているからだ。「記者クラブ」で役所の軒先を借りて広報ペーパー片手にくる日もくる日も記事を書かされる。習慣というのは恐ろしいもので、役所のつかう表現を疑うことなくつかうようになっていくのである。
●言論機関が「言葉」に手を抜いた
この事件をうけ、下村博文文部科学相は「いかなる場合も体罰をしてはいけない」と全国で体罰の実態調査を行うことを発表した。
少年たちのスポーツ指導の現場に軍隊式の「公開処刑」を持ち込んだ非常識な男を責めなくてはいけないはずが、いつの間にか、「体罰教師」をあぶりだす魔女狩りになってきた。こうなると、問題行動を起こす子どもに対して“厳しい指導”をするまともな教育者が、モンスターペアレンツからの密告を恐れて萎縮する。
言論機関が「言葉」に手を抜くと、世論がミスリードされるというお手本みたいなケースだ。
亡くなった少年のご冥福を心からお祈りします。
[窪田順生,Business Media 誠]
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