07. 2013年1月18日 08:13:34
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【政策ウォッチ編・第10回】 2013年1月18日 みわよしこ [フリーランス・ライター] 最初から「引き下げありき」だった? 生活保護見直しを巡る厚労省と当事者・支援者の攻防 ――政策ウォッチ編・第10回 2013年1月16日午後に開催された社会保障審議会・生活保護基準部会を踏まえ、厚生労働大臣は、2013年以後の生活保護基準について「全体として引き下げる」という方針を表明した。これを受け、当事者たちはいま、どのような思いでいるだろうか? そして、支援者たちは、どのように異議を申し立てているだろうか? 困窮者に対する総合的な支援を目指す「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」の議論は、今、どうなっているだろうか?「引き下げ」の影響は困窮者以外にも 異議を申し立てる当事者・支援者たち 2013年1月16日午後、田村憲久厚生労働大臣は、2013年以後の生活保護基準に関して「全体として引き下げる」という方針を表明した。同日、「第12回社会保障審議会生活保護基準部会(以下、基準部会)」が開催されており、厚労相が表明した方針は、この基準部会での議論や報告書案に基づいている。 基準部会の議論については、次回、18日に開催される第13回基準部会とともに、検討してレポートしたい。 生活保護当事者・支援者・法律家など幅広い立場の人々で構成される「生活保護問題対策会議」は、「生活保護基準引き下げ」という厚労相方針に対して緊急声明を発表し(http://seikatuhogotaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-95.html)、第12回基準部会の直後、厚生労働省内で緊急記者会見を行った。 緊急記者会見で発言する宇都宮健児氏 会見で最初に発言したのは、弁護士の宇都宮健児氏である。宇都宮氏は最初に、日本の捕捉率(貧困状態にある人のうち公的扶助を利用している人の比率)が欧米諸国と比較して極めて低い水準にあることと、昨年来、孤立死・餓死が多発していることを指摘した。さらに、「むしろ生活保護の利用を促進するべきなのに、生活保護基準の切り下げや利用の抑制が行われれば、今後、孤立死等が多発するのではないか」という懸念を示した。
生活保護という制度は、生活保護を利用している現在の当事者にだけ関係がある制度ではない。生活保護基準は、国民生活のさまざまな制度と連動している。生活保護基準を引き下げるということは、国民生活の全体を引き下げるということに他ならない。 生活保護基準が引き下げられれば、おそらく、連動する形で最低賃金も引き下げられる。あるいは、最低賃金が実質的に無意味になるかもしれない。並行して、「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」では、「中間的就労」が議論されているからだ。就労困難な困窮者のために、低賃金ながら就労の道を開こうという趣旨である。特別部会での議論に関しては、本記事の後半で紹介する。 生活保護基準に関連する他の制度は、他にも数多く存在する。地方税の減免、障害者向け公共サービスや介護保険の利用料の減免基準、社会福祉協議会による貸付制度の利用、公共住宅への優先入居や利用料の減免。子育て世代に対しては、保育園利用料の減免、就学援助、公立高校の学費減免。日本国民の何%が影響を受けるのだろう? 10%台後半にある日本の貧困率から見て、少なく見積もっても25%程度だろうか? 宇都宮氏はさらに、生活保護基準の引き下げがデフレを推進する可能性についても「基本的に誤った政策」と鋭く指摘した。生活保護基準引き下げは、間違いなく、国民の多くにとっては所得を引き下げる方向で影響する。国民の所得を引き上げないと、内需は拡大されず、従って、デフレを脱することは困難になる。これは、現在の安倍政権が推進しようとしているデフレ脱却政策と矛盾する。また、生活保護基準に関する「厚生労働大臣が基準部会の議論を受けて結論を出す」という現在の制度についても、「国会で決めるべきです」と異議を表明した。そして最後に「なんにしても、生活保護基準が引き下げられると、当事者は大きな影響を受けます。経済的にも全く誤った政策です。反対します」と締めくくった。 木下徹氏 基準部会の傍聴者による傍聴報告につづいて、弁護士の木下徹氏と林治氏は、主に基準部会での統計的手法の取り扱いについて、疑義を表明した。
木下氏は、自立助長にきわめて効果的であった勤労控除が廃止されることについて、「この合理的な制度を廃止するとは、極めて間違っている」と主張した。 また、林氏は、年末に行われた困窮者向けの電話相談会の結果についても報告した。 林治氏 記者会見で提供された資料には、相談内容として「夫婦2人で月6万円の年金で生活している。借家住まい。医療費もかかるので生活困難。生活保護を受けたいが、ニュースで取り上げられているのを見るとためらってしまう(70代女性)」「失業中。残金2万5000円。福祉事務所に相談したが『まだ若い。どんな仕事でもやってもらう』『家族に相談して』と高圧的に追い返された。不安感が一杯で生きているのがイヤ(30代男性)」など、切実さに言葉もなくなる文言の数々が見受けられた。基準部会での議論・統計的検討については、次回、改めてレポートする。
勇気を奮い起こして記者会見に臨んだ 生活保護当事者たちの現在の思いは? 1月16日、基準部会に合わせ、厚生労働省前で生活保護当事者・支援者等が抗議活動を行った この緊急記者会見では、4名の生活保護当事者・元当事者も発言した。
障害を持つ子ども2人を抱えたシングルマザーである女性は、民主党政権下で生活保護の「母子加算」が復活したことに対して、「おかげで子どもを修学旅行に行かせることができた」と語り、基準引き下げ方針に対して「子どもたちにデイサービスを利用させることができなくなります。弱者をいじめないでください」と語った。 抗議活動の参加者にインタビューを行うTVクルー 精神疾患の悪化から失職し、生活保護利用に至った30代の女性は、当初「生活保護費は税金から成り立っているんだから、本当に必要なものしか買ってはいけない」と考え、おしゃれも、友人とお茶に行くことも、「してはいけないのではないか」と感じていたという。しかし、ボランティア活動などを通じて、友人や仲間とのつながりの重要さに気づいた。今回の引き下げに対しては「生活保護利用者は、誰とも会わないで家にひっそりしていろということなんでしょうか?」と語る。生活保護を「元気になるはずの制度であるはず」と考えている女性は、生活保護がそのような制度でなくなることを懸念している。
元当事者である57歳の男性は、生活保護利用中に最も辛かったことは「出口がないこと」であったと語った。男性は、リーマンショック直後の2009年から2012年夏まで、生活保護を利用していた。この間、1ヵ月に20回以上もハローワークを訪れて求職活動を行ったものの、面接までこぎつけたのは1回。しかも、生活保護利用者であることを理由に採用されなかったという。現在は、仕事のかたわら、困窮者の支援に携わっている。ここ数ヵ月で増えているのは、不安から生活の維持も困難になった生活保護当事者であるという。バッシング報道に恐怖を感じ、家から一歩も出られなくなった女性もいるそうだ。 和久井みちる「生活保護とあたし」。ごく普通の生活保護当事者の日常生活のありのままと日々の哀歓が、ユーモアを交えて描かれている。生活保護当事者の生活を知るために必読の1冊 最後に発言したのは、元当事者の和久井みちる氏だ。DV被害を原因とする精神疾患により職を失った和久井氏は、2007年から約3年半、生活保護を利用していた。現在、フルタイムで働いている。しかし、「今も背中の後ろに、ぴったりと生活保護が貼りついている」という。現在も、治療の必要な病気を抱えており、手術を必要とするかもしれない。入院し、手術などの治療を受けることになれば、医療費が必要になる。その期間の収入の保証もない。いつ、また生活保護を必要とするか分からない状況だ。和久井氏は、現在の生活保護改革で検討されている親族への扶養義務強化に対しては「巻き込まれる親族が出てくることが足かせ」と語り、家計指導の強化に対しては「ゴミ箱の中まで覗かれるような生活」という。和久井氏は、「次に生活保護を必要とする状況になった時、私はどういう選択をするか分かりません」と声を詰まらせた。
和久井氏の発言を聞きながら、筆者も「最後の希望がなくなるのか」と絶望的な気持ちになっていた。2006年夏、筆者は、福祉事務所のケースワーカーに生活保護申請を勧められるほど困窮したことがある。「しかし結局、生活保護を申請することも利用することもなかった。その時の生活保護制度が、筆者にとって「最後にこのような制度があるなら、安心して頑張れる」という希望の源として機能した結果だ。今、検討されようとしている生活保護制度改革の1つひとつは、筆者にとって「そんな屈辱に甘んじるくらいなら、死んだほうがマシ」と感じられるものである。もちろん、それが一連の改革の目指すところなのであろう。 和久井氏も筆者も、取り越し苦労をしているわけではない。そのような方針の数々は、同日午前中の「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」で検討されている。現実になる可能性は、決して小さくはない。 2ヶ月ぶりの開催 「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」 第11回「生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会」は、過去10回と同じく、都心のホテルの宴会場で開催された 同じ2013年1月16日の午前中には、「第11回・生活困窮者の生活支援の在り方に関する特別部会(以下、特別部会)」が開催された。2012年11月14日に開催された前回から、実に2ヵ月ぶりの開催である。
特別部会は、過去10回の議論を踏まえて、報告書を取りまとめる段階に差し掛かっている。報告書案が提出され、25人の委員たちによって検討される。委員の1人・岩田正美氏(日本女子大学・社会福祉学)は欠席であったが、参考資料として「平成24年ホームレスの実態に関する全国調査(生活実態調査)報告書の概要」を提出していた。ちなみに岩田氏は、基準部会委員でもある。 第11回特別部会の受付の様子。数多くのメディア関係者が取材のため来場していた。在京TVキー局・大手新聞社の全部が来場していたのではないかと思われる 最初に、宮本太郎部会長(北海道大学・社会福祉学)から、全体を貫く基本的視点として「自立と尊厳」「つながりの再構築」「子ども・若者の未来」「信頼による支え合い」の四点が示された。また方針としては「包括的かつ個別的」「早期的かつ継続的」「分権的かつ創造的」の3点が示された。個別政策に対しては、「さまざまな考え方がありうるし、答えは1つではない」と言い、各自治体が「走りながら考える」ことも必要だと述べた。それに対しては「部会長として、整合性のある報告書を作れない可能性に対するエクスキューズではありませんが」と補足しつつ、「議論をよろしくお願いします」と結んだ。
つづいて、部会事務局(厚生労働省)から、報告書案に対する説明が行われた。 その全体について解説することは不可能なので、ここでは、筆者が感じた疑問を列挙するにとどめる。内容を詳細に知りたい方は、http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002sr2w.htmlをご参照いただきたい。提出された報告書案・委員から提出された資料・参考資料のすべてが閲覧できる。 今できていないことが、なぜやれる? 「中間的就労」への矛盾だらけの報告書案 報告書案では、「中間的就労」に関して、全部で48ページのうち約5ページを使用して、詳細に検討している(報告書案・18ページ〜23ページ)。 20ページでは、中間的就労の内容について、「生活困窮者が一定程度の生活習慣が確立していることを前提に、軽易な作業等の機会を提供するものとすべきである」としている。「出勤して勤務して退勤する」という生活リズムの確立・維持が主目的であるということだ。 第11回特別部会、開催前の会場の様子。全体で250名程度のキャパシティ その事業内容は、「地域の資源を活用したり、地域社会への貢献に資するといった地域のニーズを踏まえたものが望ましい」ともいう。しかし、地域資源の活用や、地域社会への貢献は、そんなに簡単なことであろうか?
筆者の住む町では、さまざまな形で、地域ニーズをとらえ、地域社会をより活性化する活動が行われている。しかしそれらの多くは、既に多様なジャンルの職業人として、能力と立ち位置を確保している人々のボランティアによって担われている。「労働市場で求められない人々は、そこでもやはり必要とされない可能性が高いのではないか?」と筆者は思う。経営サイドから見れば、社内の理解を求めるコスト・労務管理のコストなどが重くのしかかる。「賃金が安いから」というメリットはあるとしても、必ずしも歓迎できる雇用形態ではないだろう。雇用されづらい人々が存在する状況に対しては、現在の労働市場のあり方そのものを改革するしかないのではないだろうか? 続いて21ページでは、中間的就労の事業形態について延べられている。冒頭に、「社会福祉法人・NPO・民間企業等社会的企業の自主事業として考えるべきである」とある。この一文に関しては、委員からも「社会的企業」の定義を求める声があった。筆者にはそもそも、このように列挙する意味が全く分からなかった。社会福祉法人・NPOと民間企業では、組織の目的が全く異なっている。営利が主目的でないか、それとも営利が主目的であるか、の違いは大きい。 この問題に対しては、「ノウハウや人材、企業環境、若者の雇用情勢を踏まえると、民間企業で中間的就労を提供することは厳しいことから、中間的就労を民間企業にも広げていくためには、多様な支援策の検討が必要である」と述べられている。 しかしながら、営利企業が「営利追求」という仕組みの中でできることは、現在でも少なくない。筆者自身、出版業界での就労経験のある精神障害者数名に、音声起こし・校閲などの仕事を外注している。「状態が悪く(あるいは不安定で)、納期の約束ができない」ということであれば、納期に応じた報酬設定を行い、長納期でも困らない内容の業務を依頼すれば済むことである。現在の仕組みの中でできることは、他にもたくさんあるのではないだろうか。それを追求することなく、新しく「中間的就労」という仕組みを導入しなくてはならない理由は、いったい何なのだろうか? 筆者が報告書案から受けた全体的な印象は「困窮者本人の姿が見えない」「困窮者本人の自発的な参加への意志が考慮されていない」「国の役割が見えない」というものである。報告書案がこの状態であるまま、強引に結論へと至るくらいなら、現行の制度はそのままにしておいて、広く国民的熟議を重ねる必要があるのではないだろうか? とさえ思う。 誰も賛成していない意見を「両論併記」? なぜ問題山積の報告書作成を急ぐのか この報告書案の最大の問題は、部会の議論の中で、誰も明確に賛成あるいは反対の意思表示をしていなかった意見も、「両論併記」の形で掲載されていたことである。この問題に関しては、委員の1人・花井圭子氏(日本労働組合総連合会)が、鋭く異議を表明した。 例えば報告書案44ページ〜45ページには、生活保護の医療扶助について「適正化」を目指した取り組み案が掲載されている。その最後に、「なお、医療扶助の適正化に関し、医療費の一部負担を導入することについて、額が小さくとも一部負担を検討すべきという意見がある一方で、一部負担は行うべきではないとの意見もあった」とある。 花井氏は、 「誰も賛成していなかったはずですから、削除してください」 と述べた。また花井氏は、介護による失職者が無視される可能性・支援の対象となる「生活保護一歩手前」の層の範囲が狭められる可能性・就職準備支援が利用者の人権を尊重しない可能性・「中間的就労」が実質的な強制労働となる可能性などについても指摘した。さらに、貧困ビジネス規制・家計支援について、「国が何を担うかを明確にしてください」と述べた。 特別部会の報告書案に対する、筆者のイメージ。上半身はSMの「女王様」。片手でバラマキ、片手でムチ。下半身は獣性そのもの。イラスト:柴田栄子 ケースワーカー経験のある櫛部武俊氏(釧路社会的企業創造協議会)は、困窮者がいかに見つけづらいものであるかについて述べた。生活保護の要否は、他者からはなかなか分かりにくいものであり、ケースワーカーが調査してはじめて判断できるようなものであるという。櫛部氏は「役所の矜持、プライドとして、憲法第25条(生存権)の実現を」と語り、公共として「何をしようとするか」を明確にすることを求めた。
櫛部氏は、特別部会で検討している新しい困窮者支援体制について「ケンタウルス」と語ったことがある。上半身は人の姿をしているが、下半身は馬。それも暴れ馬であると。現在の報告書案に対する筆者のイメージをイラスト化したものを、右に示す。 困窮者支援に取り組んできた藤田孝典氏(NPO法人ほっとプラス)は、新しい困窮者支援体制が「新たな水際作戦のツール」となる可能性、貧困ビジネス排除の仕組みが充分でない可能性、生活保護当事者に「まずは就労」を過度に強調することの危険性などを指摘した(http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002sr2w-att/2r9852000002sr5r.pdf)。 これだけの問題があるのに、報告書は、来週、1月23日にはまとめられようとしている。強引過ぎるのではないだろうか? なぜ、このように、結論を急がなくてはならないのだろうか? 生活保護基準は、かつて一度も、「健康で文化的な最低限度の生活」に足りていたことはない。その生活保護基準が、引き下げられようとしている。「健康で文化的な生活」が議論された結果としてではなく、財源論やバッシングによる感情論の結果として。 次回は、基準部会の議論がどのように厚生労働大臣(厚生労働省)方針に反映されているかを、18日に開催される第13回基準部会とともに、検討してレポートしたい。都合の良い議論や結果だけが我田引水されていないだろうか? 議論されたこともない方針が、強引に含められてはいないだろうか? <お知らせ> 本連載は、大幅な加筆を行った後、2013年4月、日本評論社より書籍「生活保護のリアル」として刊行する予定です。どうぞ、書籍版にもご期待ください。 |