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**** 反逆のカリスマ不在と「もっと私を見て」
「中二病」とは、どんな病《やまい》なのでしょうか。
「中二病」という病気についてご存じでしょうか。私はこの病《やまい》こそが、現代社会を読み解くうえで重要なキーワードだと感じています。
中二病とは、医学的な病気ではなく、ネットを通して定着したスラング。思春期から青春期にかけて、若者たちがひそかに空想する、ちょっぴり恥ずかしいファンタジーを意味します。
自意識過剰な思春期。人はこの時期、後から振り返ると「あああーッ」とあらぬ声を上げたくなるほど、恥ずかしいことを空想したり、悪いことには書き留めたり、もっと悪いことには人に話したり行動に移してしまったりなど、取り返しのつかないことをしてしまうものです。
人ごとだと思いますか?
そんなことはないはずです。これは『若きウェルテルの悩み』から続く、洋の東西も時代をも問わない普遍的な現象。
かくいう私も、この時期フロイトにかぶれニヒリズムに陥ったあげく「芸術家の人生は緩慢な自殺なのだよ」などとうそぶいたりしていました。穴があったら入りたい。なくてもボーリングして入りたいとは、このことです。
ただなのですが、私のいう「普遍的な思春期的空想の恥ずかしさ」と現代の「中二病」に、大きな違いがあることも事実のようです。
何が違うのか。
**** 家庭像の変容がもたらしたもの?
現代の思春期的ファンタジーには、反逆のカリスマが登場しないのです。
本来、思春期は自らの価値を再構築する時期。だからこそかつて第二反抗期と呼ばれたこの時代に、若者は青臭い理想主義や、リベラルな思想にかぶれ、社会に対する理由なき反抗を感じたものでした。
かつて昭和期、尾崎豊氏のように「大人のつくった秩序からの卒業」を掲げ、強い支持を集める反逆のカリスマが登場したこともありました。
ですが「中二病」と呼ばれる現代の若者のファンタジーは、社会への反発よりも、自己の能力や宿命に対する空想が主題。具体的にいうと、悪魔を祓う眼力といった超自然的な能力や、自分が代々受け継がれてきた、邪悪と戦う一族の末裔であるといった空想が中心になっています。
なぜこのように変化したのでしょうか。おそらくそれは家庭像の変容が原因ではないかと思います。
かつては親、特に父親は子どもにとってある意味、越えなければならない壁であり、自分を抑圧する社会の象徴でした。
ですが現代の親は違います。家庭内の軋轢を避ける傾向があり、壁というよりもむしろ友達。聴いている音楽や見ているテレビ番組も共通し、同じ話題で盛り上がることができます。また、かつてと違い着ている服も同じです。
「じゃあ仲よくていいじゃないか」という話なのですが、ここが人間の不思議なところで、抑圧がなくなった結果、現代の若者はしばしば「もっと自分を見てほしい」という自己承認欲求に悩むようになっているといわれます。
実際、現代では反逆のカリスマは、もはや若者向けの商業では主役ではなくなり、むしろ「もっと私を見て」というメッセージを発信するアーティストが支持を広げています。三島由紀夫ではなく、太宰治の時代ということでしょうか。
これは日本だけではなく、たとえばレディー・ガガさんなども、この系譜の歌手だと思います。
そしておそらく若者だけではなく、大人にまでこの気持ちが広がっているのが、現代の世の中ではないでしょうか。(堀田 純司)
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