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http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20121123/p1
選挙の季節が近づいてきました。私達の意志を政策に反映させる機会なので、投票したいと思っています。
ところで、選挙のような社会的な意思決定は、自分自身の都合だけを考えるのでなく、一緒に暮らしている人々や社会を形成している様々な人々の立場・状況にも思いを馳せつつ、ベターと思われる選択をするのが良いと私は思っています。個々人の欲求や自由が尊重されるべきなのはもちろんですが、自分以外の他人の立場・状況も踏まえ、そのうえでYesやNoを言えるような大人が必要でしょう。
だから、年長者にありがちな「最近の若者は自己中心的」や「最近の若者は他者性が欠落している」といった“注文”も、あれはあれで、わからなくもありません。
**** 自己中心的なのは「若者」よりも「年長者」では?
しかし実際に街の風景を思い出すと、「最近の若者は自己中心的」……とは思えません。
街で見かけた、「うわっ!こいつ自己中心的だ!ひどい!」と思った記憶を思い出してみると、十代や二十代の若い人はあまり連想されません。“コンビニの駐車場にたむろし続けるヤンキー”のようなものを見かけないわけではありませんが、頻度は減っているのではないでしょうか。行儀が良すぎたり協調性がありすぎて拍子抜けするような若年者を見かける頻度のほうが上です。
むしろ、観ていて「うわっ!」となるような、信じられない振る舞いをやってのける頻度が多いのは、オジサンやオバサン、おじいさんやおばあさんのほうではないでしょうか。電車のなかでマナーを守らない・ゴミのポイ捨て・モンスター的なクレーム・行列への割り込み etc……そういう、羞恥心もクソも無いような身振りを思い出すと、私と同世代か、もっと上の世代の人達ばかりが思い出されるのです*1。そういえば、最近は「キレる若者」よりも「キレる年長者」が増えているとも耳にしますね。
思春期は、自分のアイデンティティを模索する時期であり、意識が自分自身に集中しがちな年頃です。だから、若者が自己中心性なのは、ある程度仕方ないというか、むしろ若者の特権と言ってもいいかもしれません。ちょっとぐらいはみ出してもいいから、若い人は頑張って自分の着地点を模索して欲しい――「人様に迷惑かけるなよ」「自己中心的になりすぎるなよ」と注意する必要はありますが、若い人の自己中心性には、いくらか寛容であってもいいのではないか、と私は思います。
しかし、壮年期や老年期の場合、この限りではありません。若い世代の規範になるような身振りを見せる立場であり、年の功があって然るべき年齢です。世間を長く眺めているぶん、自分とは異なる立場、異なる生き方、異なる状況に対して配慮なり遠慮なりが出来るような年長者であって欲しい……そう期待している若い世代の人は多いと思いますし、少なくとも私はそうでした。むろん、「最近の若者は自己中心的」などと批判するからには、若気の至りな世代よりも他者-配慮的で、自分とは異なる立場・状況の人々にも思いを馳せる年長者であって頂きたいものです。
しかし2012年現在、他者-配慮的なオジサン・オバサンもいれば、慎み深いおじいさん・おばあさんもいらっしゃる一方で、決して少なくない数のオジサン・オバサン、おじいさん・おばあさんが、歳を取ったエゴイストのような外観を、街のあちこちで呈しているのではないでしょうか。あるいは、そこらの大学生とたいして変わらない狭い了見にも関わらず唯我独尊な年長者や、自分に甘く他人に厳しい年長者が、あっちこっちに出没しているのではないでしょうか。
五年前、私は『老人が尊敬される時代は終わった』という記事を書きました。知識やテクノロジーの進歩によって、お年寄りのアドバンテージが低下しつつある、という話なのですが、それでも慈悲・慎み深さ・他者への想像力といった部分に関しては、若者にはカバーしえない年の功があるだろう、と内心では思っていました。ところが現実には、年長の人たちの年甲斐の無い言動を見かけてしまうのです。
**** 自己中心的な年長者は、自己中心的な年少者よりも厄介
私は、自己中心的な年長者は、自己中心的な子どもや思春期よりも、厄介ではないかと懸念します。その理由をいくつか挙げてみましょう。
1.「若さ至上主義」が加速する
年甲斐の無い年長者ばかり見ていれば、「歳を取っても容色が衰えるばかりでロクなことがない」「俺たちも、年配者も、どっちも自己中心的なら、若いほうがいいに決まっている」となるのは必定。若さにしがみつくライフスタイルばかりが蔓延し、老いを嫌悪する社会風潮はますます強まるでしょう。そうした社会風潮は若者に影響を与えるだけでなく、巡り巡って年長者自身にも跳ね返ってきて、自分自身の老いを糊塗するための無駄なあがきにエネルギーを費やすことにもなりそうです。
2.加齢のロールモデルがわかりにくくなる
理想的な壮年期とはどうあるべきか・理想的な老年期とはどうあるべきかのロールモデルが示されず、悪い手本ばかりが目につく社会環境では、若い世代は、どのように歳を取れば良いのかわからなくなるでしょう。年長者を反面教師にするのは決して悪いことではありませんが、だからといって、年長者へのカウンターを気取って若者的なライフスタイルにしがみつき続ければ、数十年後には、若者がそのまま加齢したような年長者になってしまいかねません。間近なところに立派な年長者がいれば大丈夫かもしれませんが、そういう年長者が身近にいない核家族 or 一人暮らしの人が、街で目につく“残念”な年長者ばかり見ていたら、加齢のロールモデルがわからず、ライフスタイルのギアチェンジを為し得ないまま、流されていきそうです。
3.富や権力を持っているぶん、手に負えない
一番の問題点は、これです。
ぶっちゃけ、思春期の若い衆がどれだけ自己中心的でも、社会に対して及ぼす影響なんてたかが知れているんです。若者にはお金もなければ権力も無いのですから。しかも、少子高齢化のせいで絶対数が少ないですから、選挙に行っても若い世代の声が反映されにくい、というハンディまでついています。
対して、団塊世代〜団塊ジュニア世代といった年長者は、金を持っていたり、なにがしかの地位や立場に就いていたりするのです。人口構成的にも圧倒的優位を誇り、政治的な発言力も高いと言えます。社会に対して及ぼす影響という意味では、十代、二十代よりもずっと上です。
その、富や権力を握っている年長者が自己中心的であるのと、富も権力も持たない若者が自己中心的であるのでは、社会的なニュアンスが全く異なります。富や権力を持った人々が、自分とは異なる立場・状況の人に思いを馳せることなく、ひたすら我が身の栄華を追求してやまないとしたら……富や権力を持たぬ若年世代や、投票権すら持たない乳幼児や学童にとって過ごしやすい社会になるとは思えませんし、少子化問題の解決など午睡の夢でしょう。出来上がるのはお年寄りの王国です。いや、お年寄りの王国というのは不正確で、「自己中心的なまま歳を取った若者の王国」と言うべきでしょうか。いずれにせよ、富や権力の集中した世代の自己中心性が反映された社会になるでしょう。
こうした問題点を考えるにつけても、私は、「若者の自己中心性」以上に、「年長者の自己中心性」が問われるべきであり、「若者が異なる世代や立場に開かれているか」以上に「年長者が異なる世代や立場に開かれているか」が問われるべきではないか、と思います。かくいう私も三十代も後半に差し掛かり、若い世代にどのような後姿を見せているのか・年の功のある年長者たり得ているのかが問われる年頃になったと自覚しています。自分なりに勤めていきたいと思います。
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