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教授が突然、助手の部下になる日本の制度
東京大学に入ったけれど・・・ああ無常(22)
2012年11月23日(Fri) 伊東 乾
いまだ事件から1カ月しか経過していないのに、すでに完全に旧聞に属する感のある「iPS細胞移植詐欺」事件。いまさらこの問題にここで触れるのは、詐欺を働いた森口さんなる人物を袋叩きにしたいがためではありません。
彼のここ数年の栄枯盛衰、そこから透けて見える大学や学術行政の体質的な病に目を向けねば、と思ったのは、こんな報道を目にしたからでした。
[産経新聞10月16日]森口氏「証拠出せない」帰国後、聴取 東大「一件やった」に疑問
iPS細胞(人工多能性幹細胞)の世界初の臨床応用をしたと虚偽の発表をした日本人研究者、森口尚史(ひさし)氏(48)が15日、米国から帰国した。
その後、所属先の東大病院から事情聴取を受け、「(当初の説明の6件の治療のうち)1件はやった。証明できる人は出てきてくれない。証拠が出せない以上、やったと言えないことが残念」と述べた。病院側はこの1件について「素直にそうだなとは思っていない」と疑問があるとの見方を示した。
同病院によると、森口氏は15日午後に成田空港に到着した際、上司の東大助教に電話し、同日付での特任研究員の辞意を伝えた。しかし、聴取では、進退について「調査にきちんと協力した上で身の処し方を考えたい」と後退させ、迷っているのかとの質問にうなずいたという(後略)。
この記事の中で、もしかすると多くの人にはピンとこないかもしれないある部分、しかし大学に関係した人であればオヤと思う一語が気になるのです。それはどこか?
「上司の東大助教」という何気ない表現に、どうしても引っかからざるを得ないのです。
制度変更に翻弄される研究者たち
上の記事には「同病院(東大病院)によると、森口氏は15日午後に成田空港に到着した際、上司の東大助教に電話し、同日付での特任研究員の辞意を伝えた」とあります。
まあ、プロジェクトベースの「特任研究員」なのだから、その上に上司として助教、つまり以前の表現でいえば助手さんがいたとしても、それ自体は何も不思議なことではありません。
しかし、ちょっと考えてみてください。この森口さんなる人物、しばらく前までは、特任だ何だと言っても、曲がりなりにも東京大学で教授やら助教授やらを務めていた人です。まあ大いに曲がりなりだったわけですが。
それが(今回のように明らかな失態を犯した、というのではなく、それ以前の段階で、平時に起きた人事異動の結果として)「教授」職から、その下位に属する「准教授」(助教授を改称したもの)よりもさらに下位の「講師」よりもこれまたさらに下の「助手」現在は「助教」と呼びますが。この「助教」の下の研究員になっていた。で上司に当たる助教に進退の電話をした、というわけですね。
森口さんのしたとされることに、何一つ同情の余地はありませんが、それ以前に発生しているこういう人事のもろもろは、詐欺と別の問題を大いにはらんでいます。今回はそれに注目してみましょう。
極めて乱暴な喩えですが大学の「教授」は企業なら「課長」に当たる、なんて言われます。准教授なら課長補佐、講師が係長で助手は主任といったところでしょうか。
これで考えるなら、ちょっと前まで「特任課長」として一課を率いていた人が、いつのまにやら係長より下の主任を「上司」とするヒラに格下げされていた、ということになるわけですね。
で、こういうことがまま起こるのが、現在の大学法人の1つの現実である、というあたりに焦点を当ててみたいのです。
森口氏の典型的な栄枯盛衰
前々回、自民党政権で国立大学法人が掲げた「産学連携」の看板を、民主党の政権奪取以降、政策が変わって降ろしていった経緯の一部を年表式にご紹介しました。
読者の皆さんからはツイッターなどで「露骨すぎませんか?」などコメントいただいたのですが、実はあまりに露骨な部分はまだ書いておらず、あれでも十分ソフトな部分だけを纏めたのが以下のものでした。
2009(平成21)年9月
鳩山民主党内閣成立
国立大学「産学連携」の看板を下ろす
2010(平成22)年 森口氏、東京大学先端科学技術研究所特任教授の年限終了。
東京大学医学部付属病院客員研究員(非常勤)に
2012(平成24)年10月
森口氏、iPS細胞移植詐欺で東京大学医学部付属病院を懲戒解雇
これをもっと詳細に記してみましょう。
2009(平成21)年9月
鳩山民主党内閣成立
2010(平成22)年 森口氏、東大先端研特任教授の年限終了。
東京大学医学部付属病院客員研究員(非常勤)、同先端研には無給の「研究交流員」として出入り
2012(平成24)年3月 東京大学医学部付属病院形成外科・美容外科 技術補佐員(非常勤)
同年9月 形成外科・美容外科の有期契約特任研究員となる(常勤)
同年10月8日
山中伸哉博士にノーベル医学生理学賞授賞決定。
同年10月11日 読売新聞がiPS細胞移植手術成功と朝刊夕刊で報道
同日深夜のマサチューセッツ総合病院を皮切りに、関係機関が次々と「論文」内容に疑義を示す発表
10月13日 読売新聞が「お詫び」記事を掲載、内容を撤回
同日、ニューヨークで森口氏記者会見「勢いでウソをついてしまった」
10月19日 東京大学医学部付属病院を懲戒解雇
こんなふうに時系列で見てみると、はっきり分かることがいくつかありますね。
特任人事残酷物語
2002年、博士号も持たず、つまりまともな研究をオリジナルにまとめ大学から学位を得るという、理系一般ではスタート段階の免許取得にも等しいステップをクリアすることなく「修士号を持つ看護師」森口さんは東京大学の特任助教授として常勤の待遇で研究職に就いてしまいました。
この背景には、当時の第1次小泉純一郎政権下、とりわけ経済財政担当相であった竹中平蔵氏(現慶応大学教授)の旗振りで進められた大学の産学連携、とりわけ知財に関する雑務があったと思われます。
実際この当時、私自身東大内で全学広報委員という立場で産学連携のプロモートに少し携わっていましたので、内情が透けて見える気がします。
教授職に相当する決裁が必要な諸事を、研究で忙しい多くのスタッフの手を煩わせず、関連雑務を器用にこなしてくれる人がいれば、大学人は大いに助かったはずで、博士の学位を持たない森口さんの常勤助教授採用というセッカチな人事には、間違いなく何か、関連の背景があったと思われます。
そうでなければ、いかに特任とはいえドクターも持っていない人にポストが来るわけがありません。関係者の事務省力化など、何かしらのメリットがあったはずです。
で、医師でもなければ博士研究者でもない「ミスター・アソシエイトプロフェッサー」森口さんが誕生します。38歳、関係財団の調査部長という安定したポストを投げ打って、1つの賭けに出たと言えるかもしれません。
4年後の2006年には、男森口氏42歳の厄年にして「特任教授」に昇進します。
が相変わらず博士は取得していない「ミスター・プロフェッサー」というのは、いま日本社会に多数存在する、博士号を取得しながら研究職を得られないポスト・ドクトリアルの人々から見れば、なんとも不条理と映るに違いありません。
果たして2007年、厄明けの43歳でようやく博士号を取得した森口さんでしたが、ラッキーだったのはあと3年だけ、2010年に年季が明け、男46歳、契約が切れました、の一言で裸一貫、常勤の職を解かれます。
このあたりが、米国っぽいアカデミックシステムを拙速に導入しやすいネオ・リベラリズム学術行政のお粗末なところで、海外なら腕のある人が職場をどんどん渡り歩いてキャリアアップしていくライフプランがデザインできますが、日本は決してそのようにはなっていないわけです。
で、どういう経緯か分かりませんが、さすがに困るだろうという経過措置でもあるのでしょうか、間が開くことなく2年間、東大病院の客員研究員として口に糊することになった森口さん。
46歳から48歳という専門人としては脂の乗った年配ですから、仕事ができる人ならいくらでも業績が上がったと思うのですが、どうやらそうではなかったらしい。2年のモラトリアムの後は形成外科・美容外科の技術補佐員という名目で非常勤のペイを手にすることになります。
看護師資格を持つ森口さんだから、こういう救済策となった可能性が考えられます。とはいえ美容外科の技術補佐員といっても、美容整形で手術助手のナースを森口さんがしていたとは考えられない。
これで命脈をつないでもらった半年の間に、移植手術で使うのでしょうか、臓器の冷凍保存技術開発の名目で、期限付きとはいえ形成外科・美容外科の常勤研究員に昇格し、助教(助手)の下のポストでひとまずの安定を見ることになりました。
これが、この9月のことにほかなりません。
特任とはいえ、博士も取らずに38で助教授、42で教授と46まで過ごしてきた1人の男性が、契約期限が切れた、としてポストから放り出されてしまった。
元来研究能力に著しく乏しいのだからアウトプットなど出せるわけもなく、とはいえ微妙に温情もあるのかと察せられる、病院関連の研究廊下での棲息を許される2年ほどの間に、今回演じて見せたようなトンでもない詐欺狂言を思いついたということなのだと思います。
森口氏の災難?
まあもちろん、この森口さんの場合は業績を出す能力に問題があったと思われ、そもそもの人事が疑われますけれど、そういうこと以前に、ごくごくまじめに研究し、優れた成果を出していた大学・研究所のリサーチャーが、有期の期限が尽きて仕事ができなくなる、というのは、実はいくらでもあることなのです。
例えば、素粒子実験でバリバリ仕事していたけれど、年季が明けてポストが切れ、仕方なく銀行系のシンクタンクでコンピューターの管理をしている、というような人、私自身の理学部物理学科時代の知己だけでも瞬時で数人思い浮かびます。
ちなみに、ここで森口氏と並べて出すのも変な話ですが、ノーベル賞をもらった直後の山中氏の、やたら考え尽くされた作為的な発言の数々(と思います)は、ほとんどすべて「いま期限付きで雇ってる人たちが、もうすぐ年季が切れると食えなくなるので、何とかしてくれ」という、200人からの所帯を食わせる中小企業スケールのグループトップとしての悲痛な叫び、と理解するとよいと思います。
さらに山中氏の受賞直後の発言に対する大学内の反応には、大変に冷たいものもあり「iPSであれだけ集めたのに、ノーベル賞貰ったのをいいことに、あんなところで延長アピールしている。少しはこっちの分野に予算を回せってんだ」と吐き捨てるように言ったバイオ関係者の声も聞きました。
きれいごとでは済まない、研究者の生活を支えるリアルさがここにあります。
ともあれ、森口氏と山中氏、ニセものと本物という違いはありますが、学術行政や予算措置で振り回されざるを得ないという一点については、共通していることもしっかり見ておく必要があると思います。
森口さんに同情するところはほぼ一切ありません。が、詐欺師なりに1つ、彼が不運だったかなと思うのは、山中教授のノーベル医学生理学賞受賞ではないかと思います。
森口氏はもう少し前から、今回の詐欺狂言を準備していた様子です。ひょっとすると、広い研究世界の端っこの方で「iPS細胞移植に成功した・・・かも?」とか、ナンチャッテ発表でお茶を濁しつつあたりを見回して、小さな安定ポストの1つでも手にできれば十分だったのかもしれません。
それが変に(?)新聞の1面などにも出てしまい、騒ぎが大きくなって引くに引けない数日を過ごし、哀れに沈没して終わった、といった観もあろうと思います。
個人のお粗末な仕業は、まあそれとしましょう。ただ、そういう行動に出てしまうような背景となる学術行政の右往左往があることは、もっと社会に知って頂いていいことなのではないかと思うのです。
(つづく
http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/36608
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