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株式日記と経済展望
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大学を出ても大卒の能力があるわけでもなく、名前だけの大卒者を企業は
採用しない。問題なのはトップレベルの大学生の質の低下であり使えない。
2012年11月8日 木曜日
◆「真紀子爆弾」が突きつけた大学倒産時代の現実 政治家を「まつり上げる」官僚機構が元凶だ 11月8日 池田信夫
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36502
田中真紀子文部科学相が3つの大学の新設を認可しなかった事件は、結果的には彼女が処分を白紙撤回して決着したようだ。大臣の唐突な行動は関係者を混乱させたが、その問題提起は重い。
「戦後たくさんの大学が創られてきたが、大学教育の質が低下している。それが就職できない理由の1つになっている」という彼女の指摘に胸を張って反論できる大学関係者はいないだろう。
学生が減るのに増え続ける大学
日本の4年制大学は現在783校。1992年には523校だったが、90年代は「団塊ジュニア」の増加で学生数が増え続けた。学生数は2000年代には減少に転じたが、小泉内閣のとき大学の設置基準を緩和したため、図1のように大学は増え続けた。
このため最近は大学の定員と学生数がほとんど同じになり、今春の入学試験では私立大学の46%が定員割れになった。大学を選ばなければ、ほぼ全員が入学できる「大学全入時代」である。
このように大学生の量が増えると同時に、質は低下した。当コラムでも指摘したように、2割以上が卒業しても就職も進学もできない「無業者」になる。若年失業率が高いことがよく問題になるが、求人倍率は1を超えており、中小企業の求人倍率は4倍以上だ。
大学生は増えたが、ホワイトカラーの需要はIT化で減っている。多くの大学生には高卒の職場しかないが、学生が中小企業をいやがるため、ミスマッチが起きているのだ。
こういう状況で大学を増やし続けると、経営の破綻する大学が出てくる。群馬県高崎市の創造学園大学は経営が悪化し、文科省は2013年3月までに解散命令を出す方針だ。多くの大学で合併も進んでおり、これから「大学倒産時代」がやってくることは間違いない。
官僚がすべて決めて審議会も政治家も追認するだけ
関係者が驚いたのは、2013年4月に開校する大学の許可を半年前になって取り消す乱暴なやり方だが、これ自体は違法ではない。
大学設置審議会は、文科相の諮問に対して答申するだけで、最終判断するのは大臣である。田中氏が最初「法にのっとって判断した」と主張し、事務方もそれを容認したのはこのためだろう。
しかし今まで大学設置審の答申をくつがえして認可されなかった前例はなく、各大学は準備を終え、受験生への説明会を行う予定だった。このため「ちゃぶ台返しだ」と大騒ぎになったわけだ。
しかし、この手続きはおかしい。文科省の 提出書類の作成の手引きによれば、図2のように大学を開設する場合はその前年の3月末に文科省に「申請」し、それを審査して10月末に認可することになっているが、新設大学の建物を半年で建てることはできないので、このスケジュールは不自然である。
実際には、大学は2年ぐらい前から文科省に根回しし、内定をもらって教員を募集する。3月末に申請する段階では、すべての教員の名簿が揃っていなければならないが、公募できないので縁故採用するしかない。
このとき文科省は、教授や事務総長などに天下りの就任を要請する。それを承諾すると申請が受理されるので、大学は準備作業を開始する。大学を生かすも殺すも官僚の裁量ひとつなので、大学側は戦々恐々だ。
大学設置審は官僚の決定を追認するだけなので、大臣は答申が出た段階では認めるしかない。実質的な決定権は官僚にあり、審議会も大臣も形だけなのだ。これが霞が関の典型的な手続きであり、これでは「政治主導」なんてできるはずもない。
政治の転換を阻む「まつりごと」の構造
このように最高責任者に実質的な決定権を与えない政治システムを、政治学者の丸山眞男はまつりごとの構造と呼んだ。やまとことばで政治を「まつりごと」と呼ぶのは、古代に祭政一致だったからではなく、天皇を「まつり上げる」ことから来ている。
この場合の政治(まつりごと)の主語は摂政・関白や征夷大将軍などの臣下であり、天皇は彼らの決めたことを追認するだけの「みこし」のような存在である。さらに臣下の意思決定もその部下(家司や執権など)に委任される入れ子構造になっている。
このような形式的な最高責任者と実質的な決定者の二重構造は、官庁だけではなく企業にも遍在している。経営者の仕事は現場の決めたことを承認して対外的な交渉を行うことだから、組織のバランスをとる調整型の人が出世し、田中氏のような人は通常はトップにはならない。
この方式は日常業務を既定方針どおり続けるときはいいのだが、トップが現場の積み上げた既成事実を拒否できないので、危機に直面したとき方向転換できない。かつて日本が勝てないと分かっている戦争に突っ込んだ原因も、この無責任の体系にあったと丸山は指摘している。
今回の騒動は、政治の転換を阻む「まつりごと」の構造を鮮やかに見せ、政治家が官僚に振り回される実態を白日のもとにさらした。こういう欠陥を残したまま「政治主導」などというスローガンを掲げても、何もできるはずがない。
大学は明らかに供給過剰なのだから、政府が補助して供給を促進する政策はやめるべきだ。今年度は国立大学法人に1兆1600億円の運営交付金、私立大学には3200億円の私学助成が出ているが、大学は「レジャーランド」になっており、企業は大学教育には何も期待していない。
日本の大学のほとんど唯一の役割は、学歴によって学生を振り分けるシグナリングであり、社会的には浪費だというのが多くの調査結果の示すところだ。また大学の私的収益率は高いので政府が補助する必要はなく、貧しい学生には奨学金を出して返済させるべきだ。
もちろん、これには官僚も大学関係者も反対するだろう。それを押し切って大学を減らそうという田中氏の着眼はいい。今回は拙速すぎたが、これぐらいの爆弾を落とさないと、政治家も役所も目が覚めない。
日本の未来を担うべき大学教育の劣化は深刻である。これを機に大学設置審の手続きと人選を見直し、トップダウンで大学を見直すべきだ。
(私のコメント)
田中真紀子文部大臣の大学新設不許可の問題は、結局は許可されるようですが、学生数が減っているにも拘らず大学の数は増え続けている。おかげで大学全入時代となり、希望すれば誰もが大学に進学できるようになりました。大学生になれたおかげで一生懸命勉強して能力の高い大学生が生まれればいいのですが、実際には逆であり、バイト生活に明け暮れる学生が多い。
社会が求めている大学生と、実際の大学生の教育内容には問題があるようですが、特に文科系の学部に問題があるようだ。受験戦争とか詰め込み教育だとか言う批判は昔の話であり、今では早稲田や慶応といった大学でもAO入試の割合が多くなり、受験勉強しなくても入学が出来る。しかし受験勉強せずにいつ学力を身に付けるのだろうか?
新卒者の就職難も新卒大学生の能力に問題があるからだろう。特に問題なのはトップクラスの大学生の質の低下であり、東大からノーベル賞学者が一人しか出ていない。社会科学系の分野では日本は一人もまだ受賞者がいない。一般的に言われている事でも、企業に東大出が増えるとその会社の業績が落ちると言われるのはなぜなのだろうか?
東京電力でも歴代の社長は東大出が多く、エリートが集まる会社ですが福島第一原発事故は東大教育のシステムに問題があったからでは無いだろうか? 東大のエネルギー工学の教授はどれだけ原子力発電所の仕組みを知っていたのだろうか? テレビに出て解説していた東大教授は最近は見かけませんが、水素爆発の危険性を一言も言わなかった。
池田氏が指摘しているように、大学の数が1992年は500校足らずから現在では800校近くに大学が増えた。それだけ大学教授も大学関係者も増えてきたわけであり、官僚の多くがそこに天下っている。いったん大学教授になれば碌に、研究論文を発表しなくても定年まで安泰であり高給が保証されるからこれほどいい職業は無いだろう。だから大学の数は学生の数に関わらず増え続ける。
田中真紀子文部大臣の投じた問題は、池田氏が言う様に法律上は何の問題も無い。しかし実情は大臣には権限が無く審議会の決定が文部省の決定になってしまう。他の省庁も同じなのでしょうが形ばかりの審議会が決定すると大臣がハンコを押して決まってしまう。審議会のメンバーの選定は官僚が行うから実質的には官僚がすべてを決めてしまう。だから原発災害にも原発関連の委員会は機能しなかった。
経済産業省の原子力保安院も東大出の技官が仕切っていたのでしょうが、彼らは現場の事が分からない。日本のエリートは現場を知らず責任も取らない事が特色であり、経済官僚も経済の現場の事が分からない。経済が停滞して税収が落ち込んでいるにも拘らず財務省官僚も日銀官僚も東大出のエリートがどうしていいかわからず増税だけしている。
池田信夫氏自身も大学教授であり、大学の当事者の一人でもあるから大学教育の現状も分かっているのでしょう。大学教授になりたければ官僚に口を聞いてもらえれば何処かの大学教授になりやすい。最近では落選した国会議員の先生が客員教授とかなれるようですが、最近ではタレントなども学生を集める為の手段として客員教授とか学長とかになっている。
大学にしてみれば、学費を払ってくれる学生が確保できればいいわけであり、どうせならAKB48のメンバーを客員教授に迎えれば男子学生が集まるだろう。お笑いタレントだって大学教授になれるのであり、大学教授には教員国家資格免許がいらない。大学がレジャーランドと言われるようになって久しくなりましたが、大学は官僚の天下り法人が出来るのとよく似ている。官僚にとっては天下り法人はこの世の天国だ。
田中真紀子大臣がやった事は極めて民主党のマニフェストに忠実であり、正しい事だ。大学生が300万人で頭打ちなのに大学が500から800に増えてしまっては赤字の大学が多くなり、幾ら補助金を配っても足らないだろう。しかし特殊法人が潰せないようにFランク大学も潰せない。昔は女子大生亡国論がありましたが、女子大生が就職して5,6年働いたら30歳になってしまって婚期が遅れて少子化の原因になるだけだ。
本来は大学は学者を養成する機関であり、今ではサラリーマン養成所になっていますが、会社経営者になるには大学を出ていたら手遅れになるだろう。ビルゲイツもスティーブジョブスも大学を中退しており、20代半ばまで大学にいたら何をするにしても手遅れになることが多い。芸能人にしてもスポーツ選手にしても10代で頭角を現していなければ一流に離れない。ビジネスでも同じだろう。
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