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無責任の産物としての大学設置騒動
卒業生が社会に出てからの一生を考えた議論をしているか
2012年11月8日(木) 伊東 乾
ただただ、本質と無関係なところで素っ頓狂なやり取りに終始しているなぁ、とあきれてみています・・・何の話か? 田中真紀子文科相の「大学新設不認可」関連のお話ですが。
ことのなりゆき
実は今回は、橋下大阪市長の週刊朝日関連の話題の続きを、と思っていたのですが、11月に入ると、もうとっくに話としては過去のものとなり、かつて「八時だよ、全員集合」などでいかりや長介が言っていた「次行ってみよう」状態になっているわけですね。
このテレビ視聴者的健忘症候群が、実は日本社会最大の病であると私は思っておるのですが、実際に話題としてはピークを過ぎ、編集部も現段階で同業批判は避けたいといい、つまるところその話を続けること自体をやめてみました。実はこれ自体が、私としては状況への最大の批判なのですが、どうしてそうか、というのは別の折に記したいと思います。
さて、今回の田中真紀子文相のお話、簡単に振り返ってみましょう。
11月2日、田中文科相は2013年に新設を予定していた秋田公立美術大、札幌保険医療大、岡崎女子大の3大学について新設を不認可としました。
これら3大学はこれまで一貫して認可の手続きを進めてきたものでしたが、最後の段階である文科相の諮問機関「大学設置・学校法人審議会」が行った2013年度の開校認可の答申に対して「不認可」としたもので、現行制度過去30年で初めてとのこと。
田中文科相は当初
「大学の質の低下が進んでいる」ので「大学設置の認可を審査する審議会制度を抜本的に見直」したく、「見直しを行う間は、大学の新設を認めない」として、3大学の新設を認めないとしました。またこれにあたって2012年10月25日、ずさんな経営が改善されないため私立学校法に基づいて「解散命令」が出される予定の堀越学園(群馬県高崎市)の事例に言及
「大学はたくさん作られてきたが、教育の質自体が低下」「そのために就職が不可能ということにもつながり、大学同士の競争の激化で、運営に問題も出ている」などとして、制度見直しの間は大学新設を認めないとしたものだと説明しました。
批判と姿勢の変化
この田中大臣の「不認可決定」に対して、賛否双方でいくつか声が上がるわけですが、率直にいうと、ほとんどすべて素っ頓狂な話だと思わざるを得ませんでした。
まず第一におかしいのは、田中大臣擁護論というより「よくやった」式の野次でしょう。いわく、官僚主導で進めてきた許認可に対して田中文科相は「政策判断」でこれを覆した、よくやった、うんぬん。
各大学としては、遵法的に、また役所の指導に従って粛々と準備を進めてきたわけです。それをいきなり文科大臣が独断で覆せることになってしまったら、日本国は法治国家ではなくなってしまいます。そういう「人治国家」つまり権力者がその時々の思惑で、どのようにでも成文法に書かれたルールの決め事をひっくり返せる国家の状態は、国連などでは民度が低く民主主義が普及していない、独裁ないし寡占的な統治として、国際社会で信頼するに足りないものと見ています。
実際、ちょっと前までは選挙で選ばれ公職にあった人が「日本は憲法を放棄できる」と発言をしても、あまりまじめに問題とされないという不思議な状態のこの国であります。正直心配になってしまいます。
ともあれ、日本がそんなもの、つまり国際社会で恥さらしな低民度・権力寡占国家なぞになってしまってはたまりません。
田中大臣のアドリブは、方法として駄目、手続きとしてペケなものといわねばなりません。
が、しかし、では手続きだけ踏んでいればよいのか?というと、今度はその手続き自体の問題が問われてきます。ここについては田中大臣にもひとつ、筋道の通る部分があります。
人材育成の全体に誰も責任を持たない日本
各大学はいままで、法の定めに従い、また政府・所轄官庁の指導に沿って大学設置の準備を進めてきた・・・そのとおりと思います。と同時に、日本は三権分立の国家システムですから役所、つまり行政府は勝手に立法したり、司法の裁きを下したりはできないわけですね。つまり、言われた決め事にもっぱら従い、その範囲の中でしか仕事ができない。
現行のシステムに沿って設立準備を進めてきた、のは当然ですが、逆にいえば、その現行システムありきであって、それに対する建設的批判的な視点は、行政の中で成立しにくい状況にある。これもまた事実であります。
・・・いや、何をまどろっこしいことをいっているか、というと、つまり、今こういう大学を作ってどういう意味があるの? という全体像を批判的に検討する視座は行政の中では育ちにくいという事を言っているのです。具体的に言えば非常に簡単な話です。
今回NOを言われた3つの大学を具体的に見てみると
〈1〉秋田公立美術大学(秋田市)美術学部美術学科=入学定員100人、3年次編入学定員10人
〈2〉札幌保健医療大学(札幌市)看護学部看護学科=入学定員100人
〈3〉岡崎女子大学(愛知県岡崎市)子ども教育学部子ども教育学科=入学定員100人
という枠にNOが出された格好だったわけです。たとえば「秋田公立美術大」ですが、芸術の教授屋としてぶっちゃけていいますよ、いま100人からの若い人が、貴重な青春の4年を「美術」に使ったとして、その先に「美術」の仕事が100、あると思われますか・・・?
ないんですよ。ない。まったくない。ぜんぜん、もうあきれるほど一切、ない・・・まあ、秋田県下で10年間のうちになんらかの意味で美術にかかわる仕事、学校の美術教師なども含め役職やポストが散発的にぽつぽつとできてくることまでは否定しません。
でもですね、毎年100人、は絶対にないんです。10年で1000人、美術家が必要ですか? 秋田県だけでなく、日本全体で考えても、そんなに美術人は社会に必要とされていない。
これは、東京大学で建学以来初の音楽実技教官として13年やってきた私自身の経験として、また東京芸術大学はじめ伝統を誇る芸術系教育機関で非常勤指導もしてきた現場の証人として言わせてもらいますが・・・ないんですよ、そんな職。
確かに学校を出て数年は、OBもOGみんないろんな形でがんばっています。それが20台後半になり30を過ぎ、結婚し子供ができ・・・なんて間に、だんだん別の生活になってゆく。それがいまの日本社会の現実です。
例えば欧州などでは、まったく違う環境があります。私の専門でいうなら、例えば旧東側には音楽大学の大学院を出ると「国家演奏家資格」が取れ、生活が一定保証される可能性が高くなる国が少なくありません。
これは要するに、お医者さんや弁護士と同様、社会人として活躍してゆけるプロとしての資格と、それを支える国の経済システムがあるということですね。
実際、今回同じく認可されなかった札幌保健医療大学のケースでは、これは看護学部看護学科ですから美術大学とはずいぶん就職状況は違うはずです。むろん入学定員の100ずいぶん違っているはずです。
しかし、それをどうして4年制の大学にする必要があるのか? ここは議論が分かれる可能性のあるところです。少なくとも4年制の「看護学科」をさらに「大学院重点化」して、看護師の修士という珍しい存在を作ったところ、そういった環境から先日の、世にも恥ずかしいiPS細胞移植詐欺、森口さんという人が出てきたのも、記憶に新しいところだと思うわけです。
さて、では「岡崎女子大学こども教育学部」はどうなのか・・・この場合、現在の岡崎女子短期大学「幼児教育学科」を拡大発展させるわけですから、保母さんとか幼稚園の先生とか、やはり専門性をもった就労の可能性や資格などとは、美大よりは親和性が高いのかもしれません。
何の生き残りを賭けるのか?
今回の3大学、ひとつひとつには越し方の由来があります。「岡崎女子短期大学」は4年制の「岡崎女子大学」に発展改組を望んでいるもの。札幌保険医療大学は札幌市の学校法人吉田学園が1996年に開校した札幌総合医療専門学校が元の形で、2002年に北海道保険看護専門学校開校、2006年にはこれを専門学校北海道保健看護大学校と改称し、晴れて4年制大学としてスタートしようとしていたもの。秋田公立美術大学も、秋田公立美術工芸短期大学を発展改組しようとするもの。いずれのケースでも短大、専門学校として運営してきた学校を4年制大学にしようという話で、根も葉もないところからいきなり大学を作ろうというようなものではありません。
こうした新設大学に、改組の動機を伺うと(この3大学は直接は知りませんが、いままで数大学、新設時点で非常勤講師などで教えた経験もあることから申しますが)「これからの少子高齢化の中で、4大にしないとやってゆけない、生き残ってゆけない」という答えが、かなりの高確率で帰ってきます。
これはつまり、今後は4大にしないと大学経営が成り立たない、志望者が集まってくれず、学校がつぶれてしまう、といっているわけですが、ここで私は逆に尋ねたいのです。
なぜ学校がつぶれてはいけないのか?と。
こんな話をすると、キョトンとされてしまうのですが、でもあえて問いましょう。なぜ学校がつぶれてはいけないのか?
非常にはっきりしていることは、受験志願者としてやってくる学生たちにとっては、入学以前の大学は縁もゆかりもないわけで、つぶれようが何だろうが、あまり関係はありません。
学校がつぶれて一番困るのは、そこで働いている人たちにほかなりません。つまり教職員の生活が成り立たなくなってしまうので、学校をつぶせないということになる。
で「4大改組だ」という話になるわけですが、ではそこで学ぶ学生にとっては、どうなのでしょう?
なるほど、志願者が減ってしまっては大変ですから、各大学とも入学志望者を確保するべく、学生=顧客の気を引くような看板をいろいろ立てますし、卒業後の進路も就職担当の事務方も先生も、足を棒にしてがんばってやっておられる。あたまが下がる現実です。
で、ここで気になるのは。例えば「美術大学」であっても、進路は「美術職」(なんてそもそもほとんどないことは記したとおり)ではなく、ともかく行き先を見つける、食えなきゃ話にならないから、業種も職種もあれこれ言わず、ともかく雇ってくれるところを探すという方向に、いきおい、流れやすい傾向があると思うわけです。
これっていったい、何なのでしょう? 大学とはそもそもは専門教育機関です。そのような高等教育組織として設立しながら、実際には社会にその専門職のニーズがあるとは限らず、就職担当は足を棒にしてがんばっている・・・どこか、根本的なところで、不思議なことになっているように思うのは、私だけでしょうか?
木を見つつ森も見なきゃ大臣は務まらない
11月6日の記者会見で、田中文科相は
「全部、不認可ということではない」
であるとして、新基準で審査する意向を表明し、事実上の不認可撤回と報じられました。しかし、個別の大学にどういう落ち度があったのか、という質問に対しては
「個別の大学のことは全然考えていないし、落ち度なんていう細かいところまでは分からない」
とのことで、あくまで木を見ず森の概形を見ての話であるようです。教育はこれではいけません。審査は個別に行わなければ意味がない。木を見ながら、かつ同時に森の全体も考える、そういう仕事が閣僚の判断業務にほかならず、やや大味に過ぎるのでは、というのが、一大学教員として一連の推移を見ての正直な感想です。
神は細部にやどる、といいますが、教育の本当の魂は、結局一人ひとりの卒業生、OB、OGたちの人生航路そのものとして現れてくるものに宿りますし、それ以外は何一つ本質的ではない、と断言しておきましょう。見かけの就職率の数字とか、経営収支の短期的改善とか、そんなことで教育の本質を論じたつもりになってはいけないと思います。
現時点では、まだ、田中文科相自身も、またそれを批判する多くの異なる立場の意見も、一人ひとりの卒業生が社会に出てから過ごす一生、という一番の本質にほとんど触れていないように見えます。そんなレベルで制度を論じるのは、教育すなわち若い人のその後の一生を左右する問題を扱ううえで、無責任極まりないと率直に思っています。
そのようなレベルの議論でなく、もっと実体とがっぷり四つに組み合った議論と、施策の改善が進めば、なによりだと思うのですけれど・・・
伊東 乾(いとう・けん)
1965年生まれ。作曲家=指揮者。ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督。東京大学大学院物理学専攻修士課程、同総合文化研究科博士課程修了。松村禎三、レナード・バーンスタイン、ピエール・ブーレーズらに学ぶ。2000年より東京大学大学院情報学環助教授(作曲=指揮・情報詩学研究室)、2007年より同准教授。東京藝術大学、慶応義塾大学SFC研究所などでも後進の指導に当たる。基礎研究と演奏創作、教育を横断するプロジェクトを推進。『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)で物理学科時代の同級生でありオウムのサリン散布実行犯となった豊田亨の入信や死刑求刑にいたる過程を克明に描き、第4回開高健ノンフィクション賞受賞。科学技術政策や教育、倫理の問題にも深い関心を寄せる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)『知識・構造化ミッション』(日経BP)『反骨のコツ』(朝日新聞出版)『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。
伊東 乾の「常識の源流探訪」
私たちが常識として受け入れていること。その常識はなぜ生まれたのか、生まれる必然があったのかを、ほとんどの人は考えたことがないに違いない。しかし、そのルーツには意外な真実が隠れていることが多い。著名な音楽家として、また東京大学の准教授として世界中に知己の多い伊東乾氏が、その人脈によって得られた価値ある情報を基に、常識の源流を解き明かす。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20121107/239140/?ST=print
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