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尼崎で問題になっている事件は、本当に平成の世で起きたことなのか、そして、尼崎市という都市部で起きたことに、非常な驚きがありました。
この事件を聞いたときに最初に思い出したのが福岡県で起きた北九州市7人監禁死亡事件でしたが、今回の尼崎の事件は、もっと公然と行っている点でも特異な事件といえます。
ターゲットにされた人たちは、加害者のクレームに抗しきれずにずるずると加害者の術中にはまっていったというものです。
ところで、報道を見る限りは、クレームをつけられた側には全く落ち度がない場合がほとんどです。
それに対して加害者が行ってきたことは、恫喝そのものです。
北海道新聞の記事(2012年10月18日夕刊)の中でも
「近所のレストランでも有名な存在・独特のだみ声で文句を付けるため、角田被告が来店すれば、従業員らに“お触れ”が回り、細心の注意を払って料理を提供していたという。」とありますが、このようなクレーマーであるならば、本来であれば、店舗への出入り禁止が当然の処置です。
「細心の注意」と言ってみたところで、何の問題もないところにクレームを付けるのがこの加害者ですから、「細心の注意」自体に意味がなく、しかも、その矢面に立たされるのは社員ですから、そのような責任を社員に押しつけること自体が経営者として問題です。
電車のドアにベビーカーが挟まれたなどというクレームも同様であり、何故、社員一人が矢面に立たされなければならないのかということです。
その意味では、日本の会社(企業)は、クレームへの対応に非常に問題があります。何故、警察に相談しなかったのでしょうか。無駄と思ったからでしょうか。
クレーマーに対する対応に妥協はあり得ません。クレーマー対応に関する書物を読むと、何故か、「丁寧」な対応で相手につけ上がらせているのではないかと感じることがあります。
ちょっと次元は違いますが、ヤミ金融の相手をするときに、私自身が乱暴な言葉を使うことは多々ありますし、あるいはヤミ金融を馬鹿にした対応をとることがあります。
(怒ったり、怒鳴ったりしたら、それこそ消耗するだけなので、あまり意味がありません。)
そうするとヤミ金融は、「弁護士なのに、そのような態度でいいのか。」と突っ込んできます。ものの本には、そのように突っ込まれないように「丁寧」さを心がけるように言われることもありますが、そこで、「すいません。」などと言おうものなら、さらに突っ込まれるだけです。
ヤミ金融相手に妥協の文字はなく、むしろ「当たり前だ。お前に合わせているだけだ。」と言ってやれば十分です。
(それにしてもヤミ金融の連中って、話していても、本当に人間のクズばかりです。)
話は、少々、ずれましたが、クレーマーに妥協は必要ないということです。
(もちろん、前提としてクレーマーかどうかを見極めることが重要です。)
クレーマーに対して、毅然とした対応を取らず、媚びへつらっている姿を見ると非常に不快感があり、他の客が逃げていきます。客は、そのクレーマーだけでありません。他の客も平等なのですから、特別扱いを要求するクレーマーなどは、そもそも「客」ではなく、毅然と対応しない店員などを見ると非常に不快感が出てきます。
私の体験ですが、以前、あまりにも不快だったので、私が横から口を挟んだら、今度は、私が絡まれましたが、すぐに110番通報し、パトカーが続々とやってきました。警察官の話では、そのクレーマーは酔っ払っていたようですが、少々時間は掛かりましたが、解決です。他にも客はいるのですから、そのようなクレーマーだけに関わっていることは他の客に失礼なことです。
★ところで、経営者が毅然とした対応を取らない場合、あるいは、個人で言いがかりを付けられたような場合、そのような立場に置かれた人の相談先は、普通は、警察です。
今回の尼崎の事件で、警察に相談された方がいたかどうかはわかりません。
しかし、実際には、警察に相談したとしてもこれまでの経験からすれば、警察はきちんとした対応はしないだろうなと思わざるを得ないのが、現在の警察に対する評価です。
★警察は、このような場合、「それは民事だからね。」というだけで相手にしないことが少なくありません。
逆に、「相手に謝ったら。」とか「示談したら。」などという警察官もいますが、明らかに「逆」民事介入であり、非常に問題のある対応をする警察官もいます。
特に単なるクレーマーであるにも関わらず、相手が言うことを聞かないと警察に「被害届」を出すクレーマーもいます。
そのようなクレーマーに対して、警察が毅然とした対応をすればよいのですが、ずるずると引きずられるように「事件化」してしまうことがあります。
★もちろん、刑事事件としては立件できないことは明らかですから、何とかして事件処理をするために訴えられた相手に対して、示談を強要しようとしてしまうのです。
警察に対して、許し難いと思うときです。
★に本来、事件性は十分あるにもかかわらず、警察は告訴状を受理したがりません。
その差は何なのかと思いますが、これが現実です。
★今回の尼崎の事件とて、誰も警察に相談に行っていなかったということであれば、それ自体、警察が信用されていないということでもあります。
★また、事前に相談していたとすれば、それに対応できなかった警察という組織の在り方が根本的に問われているということです。
「近隣住民まで“恐怖支配” 美代子被告、25年の闇」(産経2012.10.18)
「尼崎連続変死:男女不明の直後、警察相談応じず」(毎日2012.10.17)
警察という組織が真に住民にとって身近になるためにはどうすべきか。
警察官が仕事に追われることなく、生き甲斐をもって仕事に取り組めるようにするにはどうすべきなのか。
極端な階級社会は、もはや時代にあいません。
そして、十分な人員の確保、さらには職務に見合った報酬を保障すること、事件処理の相談をできる体制をきちんと設け、一人の責任に押しつけないこと、せめて、それくらいは実行してもらいたいものです。
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