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日本初の体外受精児誕生、その時を振り返る
(更新日:2012年10月15日)
色あせつつある昭和の数々の出来事を、再び深く掘り下げます。
2011年2月5日朝日新聞夕刊紙面より
体外受精で、受精卵の様子をみる胚培養士=大阪市内で、仙波理撮影
1983(昭和58)年10月14日早朝、仙台市の東北大学医学部付属病院で日本初の体外受精児が生まれた。帝王切開で、体重2544グラム、身長44センチ。標準よりやや小さい女の子だ。不妊症の女性にこの先進的な治療を施したのは、当時、同大医学部産婦人科教授だった鈴木雅洲(まさくに)さんのグループだった。
英国で世界初の体外受精児ルイーズ・ブラウンちゃんが誕生して5年。海外では英国をはじめ、オーストラリアなどですでに約400人の体外受精児が生まれていた。
東北大の成功も、不妊に悩む夫婦には朗報となるはずだった。だが、周囲からの風当たりは「寒風の嵐そのものだった」(鈴木さん)。
マスコミが、偏見を助長するような「試験管ベビー」という言葉をこぞって使い、様々なことを想起させた。
ある評論家は「奇形が出ないという成功率がはっきりしない限り、これはあくまで人体実験だ」。宗教関係者は「知らない間に血のつながりを持つ者同士が結婚してしまうこともあり得る」。中には「労働力の補給のために人間をつくることも可能で、医学の悪用につながる」というSFまがいの議論まで出た。
東北大は前年の82年、日本産科婦人科学会の基準や日本受精着床学会での議論を踏まえ「体外受精・胚(はい)移植に関する倫理基準」を作っていた。
しかし、この発表が、体外受精(着床)成功の発表とほぼ同時だったため、「倫理基準は後付けではないか」「議論が不十分だったのではないか」と批判を受けた。
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母胎傷つけず、確実に卵子取り出す
東北大医学部が体外受精を成功させた背景として、治療を主導した鈴木雅洲さんは、腹腔鏡(ふくくうきょう)をいち早く導入したことを挙げる。母胎を傷つけず確実に卵子を取り出すことが最難関だった。技術習得のためスタッフの一人を英国に留学させ、治療に臨んだ。
もう一つは培養液。受精卵を母胎に戻すのは2日目が限界だったが、培養液の改良で5日目に戻せるようになり、着床率が飛躍的に高まった。
国と自治体は、体外受精治療を行う年収730万円未満の夫婦に1回15万円の補助を出している。日本産科婦人科学会の調査によると、体外受精児は2008年末までの累計で21万5千人余。08年に生まれた新生児の約50人に1人が体外受精児とされる。
2011年2月5日朝日新聞夕刊紙面より
初の体外受精児が85年秋に肺炎で死亡したこともあり、この新しい生殖医療への批判はさらに強まる。
「自分が研究を進めてきた医療は、社会から必要とされていないのだろうか」。社会的にたたかれ、学内でも孤立感を深めていた鈴木さんは思い悩んだ。だが医師仲間の励ましや、なにより「諦めないで」という多くの患者からの声に、背中を押された。
86年、不妊症専門の産婦人科病院「スズキ記念病院」を開設。体外受精治療に向けられる好奇の目が変化し出したのは、それからだ。
翌年、同病院で治療を受けていたふたりの女性患者が、自らの体験を実名で公表したのだ。岩手県の看護師、青木美代子さんと、宮城県の小学校教諭、大槻浩子さんだ。
ふたりの願いは、同じだった。「わが子を守りたい。子どもには自分の命を慈しみ、堂々と人生を歩んでいってほしい」――。青木さんは治療段階から公にし、大槻さんは体験を詳細に日記に書きとめ、のちに『「体外受精」日記』という書籍に著した。
ルイーズちゃんの出生を成功させたロバート・エドワーズ博士は2010年、ノーベル医学生理学賞を受賞した。
鈴木さんはいま、「隔世の感がある。体外受精という不妊治療が偏見なく、特別な治療のように思われなくなったことがなによりもうれしい」と感慨深げに言う。
生命誌研究者の中村桂子さんは「ルイーズちゃん誕生から、体外受精という医療技術は否定できなくなった。人はいつから人であるのか決められないが、生命医療技術については常に議論し、命への畏怖(いふ)・畏敬の念を抱きながら臨んでいくべきだ」と話す。
(羽毛田弘志)
体外受精治療を受け、メディアで初めて名前を明かした看護師・青木美代子さん
◆13年待った「オギャー」
「オギャーッ」という産声を聞いたとき、私は大きな安堵(あんど)感に包まれました。2度目の体外受精治療で授かった一人娘、希実(のぞみ)が誕生した瞬間でした。体重2950グラム。卵管不全を乗り越え、昭和62年8月、結婚13年目に授かった子供です。
結婚したら子供は自然に授かるものと思っていた私に、13年という時間は長くつらい日々でした。心から子供がほしいと願っている私にも、夫にも、他人には推し量れない残酷な現実でした。もっともつらかったのは、子供がいないことへの周囲の心ない言葉の数々です。愚劣な揶揄(やゆ)に、夫も私もどんなにか傷つけられたでしょう。
職場には「体外受精治療のため」と明かし、休日願を出しました。体外受精治療を受けると宣言したのです。秘め事のようにしたら、決して子供を守ることにならないと考えました。希実にも、誕生の経過を幼いときから話しました。「お前の命はこのうえなく尊いんだよ」と。
夫と日々、一生懸命、希実を育て、その中で大人にさせてもらいました。「だれもが幸せになる権利があるんだ」という意味で、体外受精が認知されてきたことをとてもうれしく思っています。
私と同じ看護師になった希実に、まもなく赤ちゃんが誕生します。喜びをみんなでかみしめています。
http://doraku.asahi.com/earth/showashi/121015.html?ref=comtop
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