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「駅」を失った地域はどうなるのか・・「経済合理性」至上のコミュニティー狩り
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/135.html
投稿者 墨染 日時 2012 年 10 月 14 日 11:27:30: EVQc6rJP..8E.
 

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1210/12/news003.html

兵庫県加西市の第三セクター、北条鉄道の法華口駅にパン屋さんができる。この駅は無人駅だが、活気が戻れば、街は元気になると思う。なぜなら、人々の暮らしには「中心」が必要で、駅にはその役割があるからだ。

・・・すべての社会にとって中心が必要だ。
社会や組織で生きる人々にとって、共有できる「拠り所」が必要だ。精神的にも、位置的にも。これは理屈ではない。家族にも中心となる人がいて、一族にも本家と分家があって、そこを仰ぎ、手本とし、従い、あるいは勇気を出して申し立てる。こうして社会は成り立ち、改善され、安定する。
 王を持たない米国も、人々が大統領という王を作ってまとまっている。大統領選挙がお祭りになり、選挙で中傷合戦を繰り広げても、いったん王が決まれば、大統領を中心として国が成立する。それが米国の強みだろう。


*****社会の中心としての「駅」
 国の話になると仰々しいけれど、この考え方を地域に当てはめると、やはり人々は「中心」に拠り所を求めてきたといえる。古くは神社であり、城であった。だから門前町、城下町ができた。そして鉄道の発明によって「駅」が町の中心となった。鉄道の駅があるところに人々が集まり、駅のない宿場は衰退した。それは鉄道という道具の便利さだけではなく、人々が新しい「中心」を求めた結果ではないか。

 全国に生まれた私鉄や軽便鉄道(けいべんてつどう:線路が狭く、小規模な鉄道)のいくつかは、官営鉄道の駅に中心の役割を奪われた地域が、新たな中心を欲した結果ではなかったか。赤字続きのローカル線について、たとえ行政の予算を圧迫したとしても、地域の人々は残したいという。ふだん列車に乗らない人も残したいという。それは、鉄道や駅を「地域の中心」とし、拠り所にしているからではないか。

 社会にとって「駅」と「鉄道」は、損益計算書や決算書には現れない価値を持っている。列車の停留所だけではないのである。しかし、残念ながらその価値は数値化しづらい。カネという現実をつきつけられると「維持ができない施設はいらない」となる。そして取り壊してしまうと、地域は中心を失い崩壊する。過疎が進んでいく。クルマがあるから利便性は変わらないはずだが、中心を失った不安定な地域になってしまう


*****「駅」の復活が地域の力になる
 ところで、兵庫県加西市の第三セクター「北条鉄道」の法華口駅に、パン屋さんと喫茶店ができるという。障害者支援施設が運営し、障害を持つ人々がパンを作る。そのパンは「幻の酒米」といわれた地元産「野条穂」を使うそうだ。どんな味だろうか。行ってみたくなる。
法華口は無人駅であり、周囲は田園地帯である。列車を利用する学生や勤め人しか来ない。かつて私が訪問したときは、この駅舎は鉄道利用者の屋根付き駐輪場となっていた。そんな小さな駅で始まる取り組みを「遊休建物の活用」や「障害者支援活動」だけで捉えてはいけない。私はこの事例を、地域の中心としての「駅」が復興するか、という意味で注目している。
 珍しいパン、おいしいパンがあると聞けば、そのパンを買いに来る人がいる。店員と客の交流が始まり、小さなコミュニティができる。地域の中心になるのだ。そして少しずつ集まる人が増えると、「あれ、このパン屋って列車も停まるのか」となり、「じゃあ乗ってみるか」となる。本末転倒だけど、それでいいのだと思う。


*****北条鉄道の紆余曲折
パン屋さん、喫茶室のオープンで・・駅が地域の中心、人々の心の拠り所として復活し、地域自体が活性されるかと期待する。その背景には、隣の播磨下里駅のステーションマスター「駅長住職」が、下里庵という憩いの場の運営してきた実績も評価されたのだろう。


*****「駅」を失った地域はどうなるのか
 「駅」という「中心」を失った地域はどうなるのか。9月下旬、長野電鉄は今年3月で廃止された屋代線の線路設備を撤去する意向を示した。「更地にしないと活用しづらい」という地元自治体の要請に応えた形だ。すでに列車は走らず、機能を失っている駅。しかし、これらの駅には「中心」という役割はなかったのだろうか。

 列車が走らなくても、バスターミナルや集会所として残された駅の事例は多い。これは「駅が地域の中心である」という証明だろう。屋代線の「駅」は地域にとって失って良い存在だろうか。

 三陸には線路ごと「駅」を失った地域がたくさんある。BRT(バス専用道システム)で再建する路線もあるというが、果たして「バスの停留所」に地域の「中心」となる力はあるだろうか。その地域の人々の拠り所がなくなってしまわないか。それが心配である。

 鉄道を廃止し、駅を取り壊すなら、代わりの「中心」を用意しなくてはいけない。鉄道を維持する費用は帳簿に現れる。しかし新しい「中心」を作り出す費用の見積りは難しい。

 人々の拠り所という価値は、帳簿には現れない。地域の再建を大切にするなら、帳簿を見ている顔を上げて、地域の人々と向き合わなくてはいけない。(杉山淳一/抜粋)

 

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コメント
 
01. 無段活用 2012年10月16日 00:50:05 : 2iUYbJALJ4TtU : t4Q18rL20Y
でも、鉄道が走らないような田舎も、日本にはもともと多い。

そういうところでは、集落の中心となるバス停は郵便局前に置かれることが多い
ように思える。

だから、郵便局を社会インフラとして位置づけることが必要に思える。

だから、郵政民営化は元に戻さなければならない、ということにもつながる。

…。

投稿の主旨とちょっとずれたか?


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