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イジメは平等幻想の報い?・・イジメの種を播いたのは「マッカーサー」!
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/133.html
投稿者 墨染 日時 2012 年 10 月 12 日 12:04:19: EVQc6rJP..8E.
 

http://blog.livedoor.jp/clj2010/archives/65746167.html

人が強い怒りを覚える原因として、バカにされる、軽く扱われるということがあります。「バカにするな」が喧嘩の合図になるほど、その感情は強烈です。

しかし「バカにする」行為は直接危害を及ぼすものではありません。バカにされたからといって、怪我をしたり、金品を奪われるようなことはありません。

強いて言えば「名誉」を奪われるのかもしれませんが、他の人が気付かないように、薄ら笑いを浮かべながら「頭が悪いな」と呟かれても名誉を失うこともないでしょう。

一方、困ったことに人間は人をバカにしたいという抑えがたい欲求があります。「上から目線」を略して「ウエメセ」という言葉がなどネットでよく使われますが、人を小馬鹿にしたような言い方での批判は特に匿名ではネットで頻繁に見られます。相手から反撃されにくい匿名という衣をまとうと、すぐ人は他人をバカにするようになるのです。
バカにされたことに強い怒りを覚えたり他人をバカにしたいという欲求があるのはなぜなのでしょうか。人間がこのような根深い感情を持つ場合、その原因の多くは進化の過程に求められます。

この想定を裏付けるものとして、類人猿に広く見られる集団での序列の存在があります。ゴリラのように一匹の雄がハーレムを作り雌を独占しない限り、霊長類は集団の中で厳密な序列が決められています。序列が下の雄は上の雄に要求されれば、雌も餌も提供しなくてはなりません。

序列はなぜあるのでしょうか。それは、序列が決められていないと雄同士あるいは雌同士でもセックスや食料を奪い合い、時として一方あるいは両方が傷ついたり殺されたりする可能性があるからです。つまり序列は無駄な争いを避け、集団を守るためにあるのです

バカするというのは、この序列に対する挑戦と考えることができます。相手をバカにするというのは下の序列と見なすのと同じです。序列が低ければ、持っているもの全てを与えなければなりません。バカにされるという行為が著しく感情を刺激するのは当然と言えます。

同様にバカにすることができる、つまり相手より上位の序列にいれば、相手の全てを奪い取ることが許されます。バカにするというのは相手を支配できるのと同じことなのです。人が他人をバカにしたい欲求を強く持つのも進化の過程で自然に産み出されたものなのでしょう。

イジメというのは肉体的被害や物品を奪うより、バカにするというレベルから始まるものが多いと思われます。特にクラス全員がイジメを楽しむような精神状態になるのは、イジメがバカにするという欲求を満足させるものだからでしょう。

ここから先は少し飛躍しますが、最近になってイジメが広がりを見せている背景には、学校の中の序列意識が希薄になってきたことがあるのではないでしょうか。

人間は類人猿の時代から長く序列を持つことで集団の秩序を維持してきました。しかし、現代社会は人間の間に序列をつけることは避けるべきだという考えが主流です。

運動会で全員を一着でゴールさせたり、クラス全てに同じ評価を通知簿につける教師が問題になったことがあります。今でもそのようなことが行われているかは知りませんが、差別はいけない、人間は皆平等であるべきだというのは普遍的な規範です。クラスの中に序列があることを否定するのはその延長線上にあります。

全ての人間は本来平等だというのは正しい考え方です。しかし、集団の中に序列が存在しないというのは非常に不安定な状態です。チンパンジーならお互い牙を剥きあって殺し合いの闘争を始めるでしょう。

イジメは特定の人をターゲットにして、バカにするという快楽欲求を満足させるだけでなく、平等という建前が破壊した序列秩序を回復させようと本能的な行動ではないでしょうか。

だとするとイジメは平等を求め、差別を嫌う現代社会の規範、あるいは平等幻想が生み出したものなのかもしれません。平等幻想があるゆえに、差別が建前で許されなければ、変わった格好、しゃべり方、人と違う行動を序列づけの材料にしてイジメに発展する。イジメとは人間の本能に逆らって序列をなくした報いだとすると、イジメの撲滅はひどく難しいことであるのはのは間違いありません。

 

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コメント
 
01. 2012年10月13日 01:19:43 : YxpFguEt7k
内藤朝雄氏
「臆面もなく自分の本を世に広めてほしいと言っている。本当にこのビラを大量にまけば、学校制度を変える世論の力を生み出すことができると確信しているからだ。駅前で「原発やめよう」のビラを撒くように、撒いてほしい。」
https://twitter.com/naitoasao/status/256789198449823744

「いじめ加害者を厳罰にせよ」
いじめの蔓延を防ぐための唯一の手段は、聖域と化した教育現場に市民社会のルールを導入することなのだ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4584123861/

ここにもオープン化が必要な場所がありました。


02. ヲシホミ 2012年10月13日 18:37:06 : 9jod6s3GDx9L2 : 7qL1Vp2eLm
「序列秩序を回復させよう・・」という結論が気になったのでコメントさせて頂きたい。もっとも、前段にある以下の視点については少し違う。

>人間がこのような根深い感情を持つ場合、その原因の多くは進化の過程に求められます。
>この想定を裏付けるものとして、類人猿に広く見られる集団での序列の存在があります。・・

人間と獣を一緒くたには出来ぬのでないかと思う。
その視座の背景には、人間を動物とを並列に観る、西洋的な思考の枠組みが隠れているようにも思う。

私には、猿の社会は素直な弱肉強食の世界のように見える。
覇を競い勝ち残ったように見えるボス猿も、他を睥睨(へいげい)するのみで、あざけり嗤(わら)ったりはしない。
やがてそのボスも、寄る年波に衰え、若い者に打ち負かされるときが来る。だが、その新ボスとて、老いた猿を冷笑するわけではない。彼らには、人間のような我を顧みる心がそもそも無い。

人間の世界に話を替えると、
真摯なスポーツの場でなら、互いに自身のすべてを尽して競い合った末には、その勝敗を超えた友情が芽生えることがある。
だが、そうではない例もあるだろう。ご指摘のいじめがそうだ。そのいじめの、陰湿な嘲(あざけ)りと、驕慢な嗤いとは、一体どこからやって来るのか。

さて、そのいじめ問題だが、
世はまさに、このいじめ問題で喧しいけれど、果たして、その根深さを知っているのかと思えて仕方がない。
端的に言うなら、いじめとは、勝者がなした歴史の副産物、副作用である。

いじめる側には、いつも勝者の正義がある。そして、その勝者の内面には、驕りとその対極の、蔑まれる惨めさや恨みという、裏と表が隠されているだろう。
それは、特殊な社会現象などと云う小さなものではない。我々がかつて辿ってきた歴史そのものだ。

歴史、特に武士の時代以降の歴史は、まさに覇者の歴史だ。
闘争の果てに勝利の雄叫びをあげる者は、その正義を高らかに宣言し、敗者を退ける。
そして勝者は常に、敗者を嘲り嗤いたい衝動に駆られるだろう。それが内面から立ち昇る炎とも知らずに。

数百年間、こうした情念のもとに人間はその生を営んできた。それは、この現代も変らない。どんな共同体、職場にも、覇に染まる者、弾かれる者が居る。
それどころか、多くの人々は、人を嘲り嗤うことが、人の本性だと信じて疑わない。そんな大人達の中で育つ子供達が、清いままでいられる筈がないだろう。

我々の祖先がなしてきた覇道の歴史をなぞるように、子供達がなすコミュニティでも、誰が教える訳でもなく、そのミニ覇道が実践されてゆく。それがいじめだ。
果たして、勝利の雄叫びをあげたかつての覇者は、その末裔達が敗者の責め苦を負うとは、想像し得ただろうかと。


では、どうしたらよいのか。
それは、覇道によって失われたものに気付くことだと思う。

覇道によって失われたものとは、他者への敬意であり、他を育てる心だ。古い日本人は今よりはその資質を持っていたと思うが、それを端的に表す言葉がある。それは「親」だ。

本来の「親」は敬意に支えられ、人を育て、秩序、古い言葉で言うなら、「わいため」を教える存在。その意味では、貴殿の言われる、序列秩序の回復行動という視点は正しい。
だが、それはあくまでも、敬意に支えられた広い意味の「親」なくしては成り立たない。逆に言えば、「親」の不在こそが問題の奥にある。

世にはニセの親が溢れている。何故なら、親の立場に立てば、子(他者)を責め立てることが出来るからだ。
世にいる他者を糾弾する御仁の大半はこれだ。彼らは正義をもって親の如く叱る。その正義を担保しているのが親(組織の長・監督者、あるいは世の客観的正義)という立場なのだが、残念ながら子から信任を受けている訳ではないし、その子の責任を負うてもいない。

このように、わいためを教えるべき「親」が、朋友を責め苛む手段に利用され、汚れてしまっている。

この本来の「親」を回復する教えが、日本古来からの人の道であり、仏の教えにもつながっているだろう。
してみると、人間という存在が、長じては伴侶を求め、子をなし育てるという、この営みそのものが、「親」を体得するべく天から仕向けられた経綸と言えるのかも知れない。

蛇足として、
いじめ加害者を厳罰に処すのは、それが目に余るものは仕方が無いとも思うが、本来なら、その親を含む周囲の者達や、地域社会全体が、かつての覇道の非を恥じ、蔑まれた者達の心を安んじることから、本質的な解決が始まるようにも思う。
ましてや、いじめ加害者をまた新たに責め苛む、ニセ親になるのは、覇道の繰り返しであり、恥でもある。問うべき相手は、まさに本来の「親(事件の責任を負うべき主体・教育を束ねる者)」であろう。


03. 2012年10月14日 05:28:09 : 1wiqa4Fj1U
>霊長類は集団の中で厳密な序列が決められています。

そうではないサルもいるみたいだよ。
NHKの「おはよう日本」という番組のコーナーのひとつでやってた。


ところで、最近の“いじめ問題”だけど、
加害者の更生(プログラム)の話がでてきたら要注意だと思う。

海保とか消防団とかを美化する話題も同様だけど、
徴兵制みたいなものに誘導しようとしているようにみえる。1qmOy4Hy0U


04. 2012年10月17日 15:40:22 : mE1DCqGV0Q
あほらし。徴兵制でイジメが無くなるなら、軍隊にイジメはない。



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