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人が強い怒りを覚える原因として、バカにされる、軽く扱われるということがあります。「バカにするな」が喧嘩の合図になるほど、その感情は強烈です。
しかし「バカにする」行為は直接危害を及ぼすものではありません。バカにされたからといって、怪我をしたり、金品を奪われるようなことはありません。
強いて言えば「名誉」を奪われるのかもしれませんが、他の人が気付かないように、薄ら笑いを浮かべながら「頭が悪いな」と呟かれても名誉を失うこともないでしょう。
一方、困ったことに人間は人をバカにしたいという抑えがたい欲求があります。「上から目線」を略して「ウエメセ」という言葉がなどネットでよく使われますが、人を小馬鹿にしたような言い方での批判は特に匿名ではネットで頻繁に見られます。相手から反撃されにくい匿名という衣をまとうと、すぐ人は他人をバカにするようになるのです。
バカにされたことに強い怒りを覚えたり他人をバカにしたいという欲求があるのはなぜなのでしょうか。人間がこのような根深い感情を持つ場合、その原因の多くは進化の過程に求められます。
この想定を裏付けるものとして、類人猿に広く見られる集団での序列の存在があります。ゴリラのように一匹の雄がハーレムを作り雌を独占しない限り、霊長類は集団の中で厳密な序列が決められています。序列が下の雄は上の雄に要求されれば、雌も餌も提供しなくてはなりません。
序列はなぜあるのでしょうか。それは、序列が決められていないと雄同士あるいは雌同士でもセックスや食料を奪い合い、時として一方あるいは両方が傷ついたり殺されたりする可能性があるからです。つまり序列は無駄な争いを避け、集団を守るためにあるのです
バカするというのは、この序列に対する挑戦と考えることができます。相手をバカにするというのは下の序列と見なすのと同じです。序列が低ければ、持っているもの全てを与えなければなりません。バカにされるという行為が著しく感情を刺激するのは当然と言えます。
同様にバカにすることができる、つまり相手より上位の序列にいれば、相手の全てを奪い取ることが許されます。バカにするというのは相手を支配できるのと同じことなのです。人が他人をバカにしたい欲求を強く持つのも進化の過程で自然に産み出されたものなのでしょう。
イジメというのは肉体的被害や物品を奪うより、バカにするというレベルから始まるものが多いと思われます。特にクラス全員がイジメを楽しむような精神状態になるのは、イジメがバカにするという欲求を満足させるものだからでしょう。
ここから先は少し飛躍しますが、最近になってイジメが広がりを見せている背景には、学校の中の序列意識が希薄になってきたことがあるのではないでしょうか。
人間は類人猿の時代から長く序列を持つことで集団の秩序を維持してきました。しかし、現代社会は人間の間に序列をつけることは避けるべきだという考えが主流です。
運動会で全員を一着でゴールさせたり、クラス全てに同じ評価を通知簿につける教師が問題になったことがあります。今でもそのようなことが行われているかは知りませんが、差別はいけない、人間は皆平等であるべきだというのは普遍的な規範です。クラスの中に序列があることを否定するのはその延長線上にあります。
全ての人間は本来平等だというのは正しい考え方です。しかし、集団の中に序列が存在しないというのは非常に不安定な状態です。チンパンジーならお互い牙を剥きあって殺し合いの闘争を始めるでしょう。
イジメは特定の人をターゲットにして、バカにするという快楽欲求を満足させるだけでなく、平等という建前が破壊した序列秩序を回復させようと本能的な行動ではないでしょうか。
だとするとイジメは平等を求め、差別を嫌う現代社会の規範、あるいは平等幻想が生み出したものなのかもしれません。平等幻想があるゆえに、差別が建前で許されなければ、変わった格好、しゃべり方、人と違う行動を序列づけの材料にしてイジメに発展する。イジメとは人間の本能に逆らって序列をなくした報いだとすると、イジメの撲滅はひどく難しいことであるのはのは間違いありません。
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