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★反原発集会潜入記−「福島に住んでみろ」の罵声
朝日新聞をはじめとする50−60歳以上の人々の一部には戦後民主主義を守ろうとする異常なエネルギーがある。これは「サンクコスト」で説明できるのではないか。現実世界で社会主義的な政策、思想は現実社会で失敗したが、それを認めると自分の人生を否定することになるので、それに固執する。
こんな仮説を池田信夫氏がコラム「安倍晋三VS朝日新聞」で指摘した。
私はアラフォーだが、興味深い意見だ。私は一記者としてエネルギー問題について発言してきた。そこで原発に絡んで50歳代から上の世代の一部の人の頑迷さに、困惑することが多かった。人々の不思議な姿が戦後の思想潮流に関係しているというのは、納得できる指摘だった。
自分の困惑した経験の一例を伝えてみたい。「みんなで決めよう「原発」国民投票」という市民団体がある。この団体は反原発色が濃いが、9月初頭東京で、対話集会を開いた。原子力の促進、反対双方のパネリストが出席した。それを傍聴した。
私の偏見が混じっているかもしれないことは読者の方にお断りするが、異様な雰囲気だった。世間一般の感覚からずれているのだ。10年ほど前から反原発の集会、勉強会を見ているが、この雰囲気はいつも体験する。「思い込みの激しさ」「攻撃性」「礼節のなさ」「稚拙さ」を、出席者から感じるのだ。
そこには対話はなかった。目立ったのは「ヤジ」だ。
「お前は原発をやって恥ずかしくないのか」
「安全というなら福島に住んでみろ」
「福島に住んでみろ」という罵声は、左派勢力の人から頻繁に出るが、ここでも登場した。福島に住んでも、何の健康上の問題はない。この罵声は福島に住む同胞に対する侮辱であり、日本人としても、人間としても「おぞましい」発言だ。私は腹が立った。血の気が多いので、「アウェー」の場でなかったら、発言者をその場で探し出して怒鳴りつけていたかもしれない。しかも客として招いた人に、こうした言葉を投げつける。あきれた。
★「思い込みの激しさ」「攻撃性」「礼節のなさ」「稚拙さ」
こうした集会の出席者の雰囲気はよく似ている。60歳代以上と思われる身なりに気をかけない、思い詰めた感じの雰囲気を持った男女だ。そしてブツブツつぶやく人が何人かいて、突然ヤジを飛ばす。危うい雰囲気がある。この集会でもそうした人が多かった。
出席者の知識は細かなところで詳しいのに、本質が抜けていた。「福島で40万人ががんで死ぬ」などと、デマを拡散した自称科学者のバズビーの説を引用し、日常生活で聞くことがない放射性物質の性質を言い出した。会議が終わるとパネリストに、反原発活動家でおかしな言説を振りまく広瀬隆氏の本を開き、「温暖化は起こっていない、だから原発はいらないんだ」と論争を挑んでいる70歳ぐらいの人がいた。
会場から「地震でフクイチは壊れただろう」という質問があった。工学博士号を持つパネリストが、「それは各種エビデンスから証明されていません。その理由は、データで圧力の低下が観察されていないことです…」と答え始めると、質問者はそれを遮り、「東電資料は信じられない。私の考えるところによれば…」と演説を始めた。
同じような光景は日常生活で私の周囲にないが、こうした集会で頻繁に目にする。自分が正しく、自分が尊重されるのを当然と思っているらしい。異質な人々と出会うと、私は精神的につかれる。そして似た人々が「量産」されていることを常に不思議に思う。
★頑迷さを産んだのは「教育」か
「量産」の理由は、上述のような戦後の思想潮流を産んだ「時代の空気」、そして「教育」が影響しているかもしれない。
興味深いエピソードを聞いたことがある。私の知人に、日本人なのにユダヤ人に改宗した国際弁護士、米国教育コンサルタントの石角完爾氏がいる。大変な知識人であるが発想がユニークで、典型的日本人の私である私は接すると驚くことばかりだ。
私は石角氏の「日本人の知らないユダヤ人」(小学館)「真のエリートをはぐくむ教育力」(PHP)の編集を手伝った。そこに引用したエピソードだ。
日本経済が元気だった80年代ころ、石角氏が米国ボストンでタクシーに乗ったという。そこで70歳以上と思われる運転手から「日本の学校制度は、6・3・3・4制度か」と突然聞かれた。そうだと答えると、「それは俺たちがしたんだ。じゃあ日本も先がないな」と言われたという。どういうことか聞くと、その運転手は次のようなことを話したという。
その人物は大学で歴史の教師だった。戦後に日本のGHQ(占領軍最高司令部)の民政局に勤めていた。教師を引退したが、ぼけないようにたまにタクシー運転手兼ガイドをしていたという。
その人物によれば、米国の高等教育では一般教養(リベラルアーツ)を重視するが、日本の教育では意図的にそれをなくしたという。「戦争をするのは、ウェストポイント(米陸軍士官学校)の生徒だけではないのだ。もっと総合的に物を考える人が必要だ。日本が戦争しないように、技術や読み書きを中心に教え、物を深く考えさせないようにしたのさ」。石角氏がもっと話を聞こうとすると、目的地についてしまったという。
★自由と権利だけを主張する大人が量産されると…
この老人の運転手の言葉が本当かどうかは分からない。けれどその後の日本の混迷を見ると「いつも思い出す」と、石角氏は語る。私もそうだ。
「思い込みの激しさ」「攻撃性」「礼節のなさ」「稚拙さ」。私が指摘したようなエネルギー問題の論説で頻繁に見られる特徴は、日本の抱える問題のあらゆる議論で起きているように思う。これを主導しているのは60歳代の人々で、なぜか論理構成が似ている。
この世代はどのような経験をしたのだろうか。昭和20年代の幼少期に米国の民主主義、ジャズや野球などの文化の楽しさ、そして戦後民主主義教育の洗礼を受けた。また米国が教育に深く関与した時期だ。
この世代の前後の少年たちの姿を描写した篠田正浩監督の「瀬戸内少年野球団」という映画がある。それが海外に公開されたとき、その英語タイトルは「マッカーサーの子供たち」だったという。このタイトルは示唆的だ。この「マッカーサーの子供たち」は70歳代前半から60歳代の人々に当たる。日本で一番人口の多い団塊の世代もここに入る。そして50歳代の人々も、この人々が作り上げた時代の空気を吸った。
「義務と責任のない」自由と権利をたっぷり教え込まれ、日本は悪い国と刷り込まれ、権力を敵視することが教育でそして社会全体で良いこととされた。一方で学歴社会と詰め込み教育という悪しき仕組みは残り、その悪影響も受けたようだ。自分で思考する訓練を受ける機会は、なかなかなかった。そして大学に進学した一部の人の中には60年代から70年代の大学紛争で、しっかりとした高等教育を受けなかった人もいる。
こうした「マッカーサーの子供たち」が社会を主導したバブル崩壊後の「失われた20年」、日本は混迷を続けた。
「福島に住んでみろ」。今の日本の混迷の中で、60歳を超えて、このような言葉を叫ぶ国民が大量に存在しているとしたら、米国が1945年から52年までの日本占領時点で埋めこんだ仕掛けの意図は達成されているのかもしれない。
もちろん、以上の考えは、粗い仮説だ。一部の人を取り上げて「世代全部がこうだ」という単純で愚かな主張に固執するわけではない。私はこのコラムで示した仮説が、自分の妄想であることを祈る。(石井 孝明)
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