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生活の党の小沢一郎氏が昨年の衆院選で多くの同志を失い、政局の表舞台から遠ざかり始めた。1989年に史上最年少の47歳で自民党幹事長に就任して以来、20年余にわたって日本政治の中心に居座ってきた「剛腕」はなぜ失敗したのだろうか。
「第三極が結集していれば票数では自民に負けていない」「日本維新の会の橋下徹代表代行、みんなの党の渡辺喜美代表にも(組むように)言ったのになあ…」。小沢氏は今月1日、都内の私邸で開いた新年会で、側近らの前で悔しさをにじませながらこう語ったという。
昨年7月、小沢氏は手塩にかけて育てた民主党をあっさりと離党、下野する。3党合意を見て「早期解散間違いなし」と判断したためだ。当時、国政進出に向けて破竹の勢いだった橋下氏と連携し、「第三極」を結集させて衆院選に勝利するというシナリオを準備していた。
だが、「剛腕」はつまずく。結成した新党に風は吹かず、第三極結集にも失敗。一発逆転を狙って嘉田由紀子滋賀県知事を担ぎ出して衆院選に臨むも、結果は惨敗だった。
振り返ると、政局への嗅覚は誰にも負けなかったはずの小沢氏の「読み」や「勘」が、ほとんど的中していないことがわかる。世論の動向をつかみ切れていなかったと片づけるのは早いが、近くで取材していた筆者は一部の側近がもたらす情報の偏りが致命傷につながったと考えている。
早期解散を警戒、先手を打った小沢氏の行動は戦略的に間違いではなかったが、昨年の秋ごろになると、小沢氏はいつのまにか「解散は来年3月」と公言するようになる。当時の側近は「首相は解散できない」と吹聴、世論が味方していると信じ、客観情勢の分析を終始怠っていた。情報面で一部の側近に過剰に依存していた小沢氏は、結果的に誤情報ばかり仕入れていた可能性が高いことを指摘しておきたい。(山本雄史)
2013.1.21 05:00
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/130121/mca1301210503003-n1.htm
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