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八ッ場ダムの根拠「洪水量」会議資料 過大値、異論置き去り
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013011002000115.html
2013年1月10日 東京新聞[こちら特報部]
八ッ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)建設の根拠となった1947年9月のカスリーン台風洪水時の利根川最大流量は、上流へのダム建設含みで過大な推計値が採用されていた可能性が出ている。47〜49年の建設省(現国土交通省)内部資料で判明した。最大流量毎秒1万7,000立方メートルをめぐっては、現在、有識者会議で意見が分かれており、慎重な議論が求められそうだ。 (小倉貞俊)
「当初は毎秒1万5,000立法メートルの方向で議論が進んでいたのに、風向きが突然変わった。何らかの力が働いたとしか思えない」。約40年前、建設省OBから「利根川改修計画資料」を寄託され、分析作業をしてきた岡本芳美・元新潟大教授(河川学)はこう話す。
資料は流域で戦後最大となる水害を受け、治水対策を決めた「建設省治水調査会利根川委員会」などの議事録だ。
最大流量は、烏川が利根川に合流した先の治水基準点・八斗島(伊勢崎市)を流れた水の規模。それが当時、どう決められたのか。議事録をもとに再現してみると─。
48年3月3日午後、東京・霞が関の建設院(旧建設省の前身)の会議室。利根川委員会の下にある小委員会の第6回会合が開催。出席者は7人。委員長の金森誠之工学博士が、こんな質問を投げかけた
「最大流量が毎秒1万7,000立方メートルも出たとするなら、その流量が合流点(の八斗島)から(堤防が決壊した約50キロ下流の埼玉県)栗橋まで一体どこを通ったのか。はなはだ疑問だ」
八斗島は、洪水時に流量が観測できなかった。このため関東地方建設局(現関東地方整備局)が3つの川のそれぞれ最寄りの観測地点=図参照=での実測値を単純に合計し、9月15日午後8時に八斗島に到達するとして「1万5,000立方メートル」を算出。これまではこの値を軸に話が進んでいた。
金森委員長の発言はこの日になって突然、土木研究所が1万7,000立法メートルを提示したことを受けてのものだった。金森委員長は再調査を要請した。
第7回会合は4月7日にあり、同建設局が再計算したところ、1万7,000立方メートルになったと説明。「利根川上流の観測点・上福島での計測で、初めに使用した係数を変えたため大幅に増えた」という。ここで委員の元内務省技師富永正義氏、安芸皎一工学博士から相次いで質問が出る。
「烏川、神流川は川幅が非常に狭く、河道(に洪水をため込む)遊水で流量が落ちる。単純合計で1万7,000立方メートルとするのは問題だ」 「八斗島までの低減量が1,000くらいあり、1万6,000立方メートルくらいが適当だ」
これを受け、金森委員長は両案を併記することにして締めくくった。
「流量の議論をしていると果てしない。この際、1万6,000立方メートルと1万7,000立方メートルとの2案に決めて提出したい」
ところが、49年2月11日に東京・丸の内の日本倶楽部で開かれた利根川委員会で報告されたのは、「1万7,000立方メートル」のみ。ここでも複数の委員から疑問の声が上がったものの、委員長代理の岩沢忠恭建設次官がこうまとめる。
「ご議論も出ているが、1万7,000立方メートルがこの際の計画としてはやむを得ないという意見ならば、それで一応決めたい」
会議は当初から、上流部にダムや遊水地を造ること含みで進められていた。結局、最大流量を1万7,000立方メートルとする「利根川改修改訂計画」が策定された。治水対策としては、ダム群で3,000立方メートルをカットし、残る1万4,000立方メートルは下流の河道で流す方針を決定。その後、矢木沢など6ダムが造られたが、八ッ場だけが未完成のままだ。
最大流量をめぐる一連の議論の経緯を専門家はどう見るのか。
「1万5,000立方メートルにとどまれば、ダムを造らなくてすんでしまう。そこで必要になる1万7,0000立方メートルにしたかったのではないか」と話すのは、水源開発問題全国連絡会の嶋津暉之共同代表だ。
議論の矛盾点について「小委員会で富永、安芸両委員が指摘したように河川が水をため込む『河道遊水』の効果が考慮されていない」と説く。
貯留の効果があるなら八斗島で流れた水量は、合流前の観測3地点の単純合計より少なくなる。安芸委員も「カスリン颱風の研究」(50年、群馬県刊行)の中で八斗島に関し、1万7,000立方メートルより「10〜20%は少なくなる」と試算していた。
加えて嶋津氏は「八斗島で1万7,000立方メートルとするなら、約32キロ下流の川俣地点での観測量と整合性が取れない」と指摘する。小委員会は報告書で、複数の支川との流れの関係を説明するが、川俣での最大流量は約1万3,500立方メートルと少ない値を記載している。
嶋津氏は「カスリーン後の洪水では、いずれも川俣での流量の方が八斗島よりも大きいため説明が付かない」と言う・
国交省関東地方整備局は1万7,000立方メートルを基に今後、同台風並みの大雨(3日間で319ミリ)が降った場合、八斗島には最大2万1,100立方メートルの水が流れるとする想定で、八ッ場ダム計画を進めている。ただ、利根川水系の河川整備計画の策定後に実施することになっており、「利根川・江戸川有識者会議」で議論を進めている段階だ。
同整備局は、想定の最大流量が増えた点について「カスリーン台風時に上流域で氾濫した分」とするが、有識者会議の委員から「氾濫量は過大で、ねつ造の疑いがある」と撤回と修正を求められている。嶋津氏は「そもそも1万7,000立方メートルという数値自体が過大なら、根底から前提が覆りかねない」と語る。
同会議委員でもある関良基・拓殖大准教授(森林政策)も「小委員会でかなり強引に数値が引き上げられた背景に、ダム建設推進の思惑があったのだろう」とみる。
◆はげ山減り保水力改善
内部資料では水害が拡大した原因を「赤城山等で発生した山の大崩壊」とのくだりがある。この点に触れ「崩壊が多発したのは、戦中からの伐採ではげ山が多かったことが原因。土壌の保水力が高い現在の森林状態であれば崩壊は起こらず、1万7,000立方メートルも流れないはずだ」と強調する。
同整備局は「古い資料であり、保管の有無など詳細は不明」とする。
前出の岡本氏は、八斗島の最大流量を独自の流出計算法で算出。わずか1万2,000立方メートルという数値になったといい、近く論文を発表する。岡本氏はこう締めくくる。
「カスリーン台風で発生した最大流量は本来、下流の堤防強化などで対応できるものだった。結果的に利水での貢献もあったとはいえ、八ッ場をはじめとするダム群建設計画を実現するため、治水の必要性をひねり出したのが真実だろう」
[デスクメモ]
昨年9月に再開した利根川の有識者会議は中断したままだ。衆院選の突風が吹き始めた10月中旬を最後に3カ月近く。どの政権であれ、利根川水系の整備計画は粛々と進めるべきだ。この間、八ッ場ダムに慎重な政権から、推進してきた政権に代わった。時間を「取り戻す」との拙速な議論はごめんだ。(呂)
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