02. 2013年1月05日 01:27:49
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【第26回】 2013年1月4日 山田厚史 [ジャーナリスト 元朝日新聞編集委員] 焦る財務省、諦めの日銀 「緩和総裁」が破局を招く? 自民党の政権復帰は、霞が関の力学構造にも及んでいる。「直勝内閣」と言われたほど野田政権を操っていた財務省は逆風にさらされ、「消費税増税」さえ危うい。 日銀は、財務省と密かに握った「次期総裁は元財務次官の武藤(敏郎)氏」という人事案が宙に浮いた。原発事故で窮地に立つ経産省は「援軍来たる」と活気づいている。「国土強靭化」という積極財政が踊り出し、財政再建は後退するだろう。2013年は波乱含みの幕開けだ。円安・株高へと経済の潮目も変わった。「好転」なのか「破局」への道なのか。政府への信任が問われる年になる。 実質的な日銀による国債引き受け 「大胆なマクロ政策の転換」を叫ぶ安倍政権の経済政策は、年度の上半期に、その真贋が見えてくるだろう。注目点は「4〜6月の景気」「金利上昇」「国債発行高」である。 例えばこんな事態も起こるかもしれない。 4月×日、日銀の白川総裁が退任、金融緩和を積極的に行う新総裁が登場した。首相の期待に沿い大胆な「買いオペ」で市場に資金を流し始めた。30兆円から始めた「買い入れ基金」は6月に100兆円を突破した。 この裏にはもう一つの事情があった。1月の大型補正予算から始まった財政の大盤振る舞いで政府は財政資金の不足が深刻になっていた。国債消化を円滑にするため、日銀が金融機関の保有する国債を、一層、買い上げなければならなくなったのである。「買いオペ」は銀行が保有する国債を日銀が買い取ることで、市場に日銀券(通貨)が供給される。日銀には国債が溜まる。日銀はオペを通じて実質的な国債の「日銀引き受け」を始めたのである。 「財政再建」を目指す財務省にとって、日銀に国債を買ってもらうことは財政規律を歪め、あってはならない事態だった。だが財務官僚から異論は出ない。消費税増税の条件に「名目成長率3%」の高いハードルがあるため「増税にこぎ着けるまで無理な財政出動にも耐えるしかない」という事情がある。「景気が回復しない限り増税はできない」という政権の意向を無視できず、資金を国債に頼る財政出動→景気対策に歩調を合わせた。 官邸は7月に発表される「4〜6月の成長率」を見守っている。夏の参議院選挙を左右するのは経済、と見ているからだ。「憲法改正」などの安倍カラー濃厚な懸案を封印し景気対策に邁進した。財務省も4〜6月のGDPが増税の可否に影響するだけに必死だ。日銀の新総裁は、集中的に資金を投入し、市場から国債を買いまくる。 そんな状況の中で「日本の中央銀行は財政をファイナンスしている」という観測が海外で囁かれるようになった。円安で儲けたヘッジファンドが、今度は国債売りを仕掛けてきた。下がりっぱなしだった金利が上昇し始める。市場では、「通貨価値を落とすインフレ政策が本格化する」という見方から金利の高騰が始まった。安倍首相が野党自民党総裁のころ主張していた「日銀が輪転機を回しておカネを刷りまくればいい」という言葉が、現実味を帯びる。 銀行は大慌てだ。金利が上がれば保有する国債の価格が下落し、経営は大打撃を受ける。買い手が引っ込んだ国債は「消化難」となり財務省は高い金利をつけて国債を売り出す。金利はさらに跳ね上がり、日銀内部では「これ以上の金融緩和は危険だ」という声が高まった――。 以上は、今年予想される「悪いシナリオ」である。夢物語ではない。日銀や財務省でも、表だっては言われていないが、その危険性は内部で共有されている。 経済政策の助言に二派 安倍政権の発足で彼らが眉をしかめた人事がある。内閣官房参与に藤井聡京大教授が任命されたことだ。 「右派の論客・西部邁氏の弟子で、国土強靭化政策の提唱者です。安倍首相のブレーンで、国債を大量に発行して大規模な公共事業を行うことを進言してきた」(財務省幹部) 日銀批判の急先鋒・浜田宏一エール大名誉教授も内閣官房参与になった。「金融緩和を強調する浜田先生は財政規律への配慮は大事と言われる。しかし藤井教授の主張は国債大量発行が前提となる。本来は並び立たないのに安倍さんの政策は、国土強靭化を軸に金融超緩和・財政膨張・国債の日銀買い入れがワンセットになっている。極めて危うい政策だ」(日銀OB) 安倍首相に経済政策を助言する人に二派ある、という。一つは浜田教授に象徴される金融緩和論者。デフレは市場に流通する通貨が足らないので起きる、じゃんじゃんお札を刷って金融を緩和しよう、という主張だ。「リフレ論」とも呼ばれ、竹中平蔵氏やダイヤモンド・オンラインの論客である高橋洋一氏などがかねてから主張していた。みんなの党や橋下氏の日本維新の会も同調している。 もう一派は公共事業による景気対策を主張する財政膨張論。「コンクリートから人へ」の民主党によって否定された路線が、国土強靭化という新たな装いで再登場した。自民党にはこの路線の支持者が多い。3年8ヵ月の野党暮らしで自民党の政治家は、緊縮財政もあって選挙区へのお世話ができなかった。政権を取った今、支持者への恩返しもしたい、という心理も働いている。東日本大震災からの復興、笹子トンネルに象徴されるインフラの劣化。政権復帰を機に財政膨張への期待が一気に吹き出ている。 デフレ脱却を狙う金融の超緩和に公共事業の大盤振る舞いが重なること、日銀がお札をじゃんじゃん刷って、国債を買い、その金で公共事業に邁進する、という「平成ニューディール」が始まるという。 景気のいい話だが、浮かれる時が一番危ない。返済の当てが無くなった、と市場が見たとき国債の暴落が起こる。「日本売り」の好機と見て円売り・国債売りを仕掛ける投機筋にとって絶好のチャンスでもある。 日本にとって本当に恐いのは金利の高騰、すなわち国債暴落だ。 政府の借金は1000兆円を突破した。その大部分は国債だ。先進国で例を見ない借金財政でも経済がおかしくならないのは、日本人の貯蓄が銀行を経て国債に回っているからだ。「国債安全神話」が支えになっている。みんなが買っているから安全、国が破綻することはないだろう、という「漠然たる信頼」で、国家の信用は維持されてきた。 だが「アベノミクス」は通貨の価値を下げ、インフレにする、という。物価が上がる、ということは金利も上がる、ということだ。 金利上昇には二つのタイプがある。景気がよくなり資金需要が出て金利が上がる。もうひとつは国債が売れなくなり、買ってもらうために金利を高くする。後者は「悪い金利高」とされている。国債が売れなくなり長期金利は20%台まで跳ね上がったギリシャ。国債の市場金利が7%を超えて大慌てしたイタリアなど、景気回復と無縁な悪い金利高は世界各地で起きている。日本だけがそうならない、とは言えない。 1000兆円の借金を抱える財政で金利が3%上昇したら、単純計算で財政負担は30兆円増加する(実際には一気に30兆円の増加にはならない)。消費税換算で約12%分の財源が吹っ飛ぶ勘定だ。 物価は黙っていても上がる。円安で輸入物価が値上がりするからだ。いま輸入は輸出を大きく上回っている。円高は輸出業者に深刻だったが、円安は消費者に打撃を与える。 通貨が下落し、物価に波及すれば、次は金利上昇である。国債暴落を招けば、物価が急騰するという意味でハイパーインフレにつながりかねない。 「金利が上がったら、速やかに金融を締めればいい。オイルショック後の狂乱物価やプラザ合意後のバブル経済も、日銀は見事に火を消し危機を乗り切った」と言う人がいる。そうだろうか。 今年最大の懸念は「日本売り」 先に述べた「悪いシナリオ」に続きを書こう。 7月のある日、国債金利が跳ね上がった。 強靭化政策で財政支出が膨らみ、市場は日銀の積極的な買いオペを「財政ファイナンス」と受け取るようになっていた。金利上昇は市場の警告だった。これ以上の国債買い入れは不健全な財政の片棒を担ぐことになる、という意見が吹き出し、日銀の金融政策決定会合は大揺れ。 委員の意見は「金利上昇が起きたからには、緩和政策にブレーキを掛けるべきだ」と「ここで緩和を緩めれば景気回復の腰を折る」に割れた。代わったばかりの新総裁は「金融緩和の継続」を譲らなかった。総裁と一緒に安倍政権が任命した二人の副総裁も同意見だった。日銀は国債買い入れオペを一段と強めた。 「景気対策の手を緩めたら参議院選挙は戦えない」という声は与党に強く、日銀は抵抗のすべもなかった。市場で買い手のつかない国債を日銀が買い支える。投機筋の売りが円と国債に殺到し、国債の値崩れが始まった――。 「日本売り」は今年最大の懸念である。日銀が「買いオペ」を通じて、国債保有を増やしてきたのが昨年だ。政府の圧力を回避するため、「自発的」に買い取りを進めてきた。 「買いオペ」による保有も、財政法で禁止されている「日銀の国債引き受け」も、実質は変わりない。市場を通すか、通さないか、の違いだけで政府の財政を日銀が支えていることは変わりない。 問題は「危険水域に入ったとき、やめる決断ができるか」である。 国債の買い取りが「市場の金融調節」として行われているならやめればいい。だが「危険水域」では政権は存亡の危機に見舞われる。日銀がそっぽを向けば、政府は資金繰りに行き詰まる。そんな時に「毅然たる姿勢」を取ることは容易ではない。 「金融緩和に積極的な総裁」が「政府に逆らえない総裁」であったらことは重大である。「政府が大変なとき日銀は打ち出の小槌を振ってお札を刷りまくる」と見なされるような人が総裁になったら、通貨価値は地に落ちるだろう。 どんな人が日銀総裁に選ばれるか。まずはこのあたりから今年の金融財政運営が読みとれるだろう。 【第41回】 2013年1月4日 森信茂樹 [中央大学法科大学院教授 東京財団上席研究員] 気になる安倍新政権の目線の高さ 世界の投資家は財政健全化への姿勢も注視 気になる政策目線の高さ 新年を迎えた。オールスター内閣の安倍新政権は、滑り出し上々に見える。発足の前から、為替は円安になり株式市場は1万円を超え、出来高も大幅に増加した。市場は、公共事業の復活と一層の金融緩和という「アベノミクス」をはやし、大いに評価している。 国民も安倍政権に対して、最初はおっかなびっくりだったが、ここまで市場の反応がいいと、ひょっとしたら失われた20年と呼ばれる長い閉塞感をぶち破る破壊力があるのでは、と新年早々期待も出始めている。 まるでいいことづくめの新政権の発足だが、気になることがある。それは「政策の目線の高さ」である。 日銀への圧力 まずは、日本銀行への対処の仕方である。ここまでデフレ経済が長続きしている(日銀の政策が効を奏していない)ことや、日銀が市場との対話が十分できていないこと(第18回参照)から考えれば、日銀に一層の金融緩和とその責任を求めることは、当然であろう。その意味で、デフレ脱却の手段として、2%程度のインフレターゲットの導入を促すことは必要な政策といえよう。 しかし、日銀に圧力をかける方法は、もう少し丁寧にする必要があるのではないか。次回の金融政策決定会合で、日銀がインフレターゲットを導入しなければ日銀法を改正する、と総理が公言することは、あまりに日銀の独立性を踏みにじってはいないだろうか。 金融、あるいは金融政策の世界で、もっとも気をつけるべきことは、わが国だけでなく世界の投資家を相手にしているという認識を持つことだ。なぜなら、国債の売買や為替取引は、基本的にグローバルな取引として行われているからである。 衆人環視のもとで、法改正を盾に、日銀総裁に直接の圧力をかけるということが、中央銀行と政府との標準的な関係からして乱暴だと映れば、政策に対する市場の賛同も得られず、長い目で見てわが国の市場の特殊性に結び付き、結局、国益を損なうことになりかねない。 重要なことは圧力ではなく、政府と日銀との信頼関係を築くことであるはずだ。 日本経済の活性化策 目線の高いことは、経済政策の内容・方向からもうかがわれる。 首相が本部長となる日本経済再生本部の創設、経済財政諮問会議と産業競争力会議を活用したマクロ政策とミクロ政策の組み合わせは、一見万全のように見える。 しかし具体的な検討テーマを見ると、高付加価値サービス産業育成、中小企業の活性化、製造業復活策などが並び、企業の活力という観点に重点が置かれている。これは間違ってはいないものの、欠けている政策がある。それは、雇用者、あるいは生活者の目線である。 われわれ個人は、企業で働くという場面では「雇用者」であるが、日々の暮らしは「消費者」、あるいは「生活者」という立場である。「雇用者」という立場からの関心事は、雇用の維持と雇用者所得(給与)の引き上げである。この点で、企業の活性化策は極めて重要である。 しかし、「消費者」の立場に立てば、物価の安定が第一である。給与が上がる前に金利や物価が上がれば、住宅ローンの返済額は増加し、給与の価値は減り、実質消費は落ちてくる。 その意味で輸入価格の上昇をもたらす行き過ぎた円安には要注意だ。私が過去大蔵省国際金融局勤務で学んだ教訓は、通貨というのは、一度価値が落ち始めたらとめどもなく落ち続ける、価値を上げる方向での介入策は効かない、というものであった。 また、だぶついた金融が実体経済に波及せず金融の中で自己増殖すれば、資産バブルの再燃となりかねない。資産価格の高騰はいいではないかという意見もあるが、かつてのように年収の6倍、7倍のローンを組まないと自分の家が買えないという状況を思い出す必要がある。 「生活者」という立場からは、社会保障や子育てなど生活する上での安心の基盤整備を求めている。依然わが国の最大の課題は、格差・貧困問題や世代間の負担・受益の不公平で、ワーキングプア・非正規雇用の増大は少子化や税収の減少を通じて、財政破たんにもつながりかねない大きな問題だ。 民主党政権では逆に、生活者目線ばかりが目立ち、企業活力の観点がおろそかになったことへの反動、と言えばそうかもしれないが、もう少し国民目線にたった政策を組み合わせることが必要ではないか。 世界の投資家が財政健全化を注視 最後に、財政健全化への目配りの必要性について。10兆円規模の補正予算編成が既定路線になりつつある。国土強靭という掛け声はともかく、中身は公共事業の復活である。問題は、このような「初めに総額ありきの予算編成」では、「流用」が問題となった震災復興予算の二の舞になる可能性が高い、ということである。この理由については、第37回で詳しく述べた。 乗数効果が高く緊急的に必要な公共事業に限定するというが、一方で、「総額を積み上げろ!」と号令をかけていては、無駄遣いになることは目に見えている。 たしかに、消費税増税をスムーズに実施していくためには来年4〜6月の経済状況は極めて重要である。しかし、消費税増税の財政再建効果を打ち消すような公共事業の追加であってはならない。 また、平成25年度予算が、民主党時代の決定である「前年同額の国債発行」というフレームから外れようとしている。政権交代があったのだからそれはやむを得ないとしても、2015年にプライマリー赤字を半分に減らし、2020年代にバランスをさせるという国際目標と整合性が取れているのだろうか。また、アベノミクスによる金利上昇の財政に与えるインパクトなどについても説明する責任がある。 ギリシャ危機の問題を見ても、危機かどうかの判断は、国民やマスコミではなく、「市場の判断」である。わが国の国債保有の外国人比率は増え続け、今や10%弱となっている。世界の投資家が日本を見ており、すきあらば付け込んでくるということを忘れてはならない。 アベノミクスがアナウンス効果を生んでいるだけに、それを定着していくためにも整合性ある説明責任が求められる。 【第179回】 2013年1月4日 週刊ダイヤモンド編集部 日本企業が企業価値を高めるには 成長性と投下資本利益率を バランスよく高めることが肝要 ――ティム・コラー氏インタビュー (マッキンゼー&カンパニー プリンシパル) Timothy Koller Principle McKinsey & Company “Valuation: Measuring and Managing the Value of Companies”(邦訳『企業価値評価─バリュエーションの理論と実践』、ダイヤモンド社)の初版が米国で出版されたのが1990年。2011年に第5版が出版され、今日まで世界で50万冊以上が発行された。
同書は、世界の企業と経営者に対して、目指すべき経営を示唆し、ビジネスに多大な影響を与えてきた。日本の経営者にも、企業価値の重要性の認識はかなり浸透してきた。しかし、その結果としての変化は、いまだ十分には起きていない。著者のティム・コラー氏(マッキンゼー&カンパニー プリンシパル)に、企業価値を創造する経営の要諦を聞いた。(「週刊ダイヤモンド」編集部 大坪 亮) ──最新刊の第5版の特徴は何か。 ティム・コラー氏 Photo by Ryuichi Mine 企業価値を高めるための経営の原則は、初版から不変だ。しかし、経済環境は常に変わっている。第4版を著してからも、(リーマン・ショックなど)世界的な金融危機があった。したがって、最新の事例やデータを基に、激変した環境下で、その原則をいかに経営に適用させていくかについて論じる必要があると考え、第5版ではその点を付加している。
重要なのは、世界の経営者や投資家が、共通のフレームワークで、あるべき経営や投資を考え、実践していくことだ。そのフレームワークを本書では示している。 ──そのフレームワーク、企業価値評価から見た、日本企業の課題は何か。 企業価値の創造には、企業の成長性とROIC(投下資本利益率)が共に重要で、それらをバランスよく高めていくことが必要だが、世界中で多くの企業がそれを欠いている。 日本企業について、一般的に言えば、ROICが低く、成長性に偏って注力しているように見える。両者をバランスよく経営していくと、より力強く企業価値は上がっていく。 ROICを高く維持するには、自社の競争優位が何かを見極めることだ。他社にはないユニーク性は何か。ブランド、知的財産、マーケティング、生産性……自社独自の競争優位を見出し、それを磨き続ければROICは高くなり、維持していける。 成長性は、ROICとは相関関係にない。それどころか、成長して、企業規模が大きくなると、経営の複雑性が増し、ROICにマイナスに働くこともある。 ──企業が巨大になって、経営が複雑になり、ROICに負の影響が出ることを避けるには、どうすればいいのか。 Photo by R.M. 大企業は、グローバルなコングロマリット(事業が多角化した企業)になっている。こうした企業で、経営の複雑性を避けるのに重要なのは、本社の経営者の能力だ。まず、洗練された経営の考え方ができる人材でなければならない。また、自社の各事業に対して深く理解している必要がある。
そして、企業組織の階層は、できるだけ少なくする。そうすれば、現場からのレポートがタイムリーに経営層に上がる。経営層はこれをスピーディに判断して、指示を与える。そのために経営者には、洗練された経営思考と、事業に対する深い理解が欠かせないのだ。 また、企業の全部門に、同じ施策を、強制してはいけない。例えば、ある部門で「在庫を減らす」という施策が奏功したとしても、それを会社全体で実行して、同じような効果が出るとは限らない。すでに適正在庫にある部門に、それを強制すれば、無駄な作業を増やすだけとなる。各事業の事情に精通している部門長が、それぞれに必要な判断を下すべきだ。 こうした考え方から、欧米の企業では、大企業を、小さく独立したカンパニーに分割するというアプローチが、近年トレンドになっている。 ──多角化経営は良くないという考えか。 多角化経営は、良いとも悪いとも言えない。その企業が抱える個々の事業が、他社の競合する事業と比べて競争力があるかどうかが問われる。それぞれが強ければ問題はない。しかし実際は、多角化経営は、企業収益にマイナスに働くことが多い。 大きな原因は、市場環境の変化に、機敏に対応していないことにある。急激な為替変動や、技術動向の変化に、スピーディに対応していない事例をしばしば見る。 環境悪化で、キャッシュフローが急減する事業があっても、「他の事業がカバーしてくれる」と思いがちで、危機を真摯に受けとめない傾向にある。 企業全体で、複数の事業を抱えることで、リスクを分散するという方法が、経営者や社員の士気に悪い影響を及ぼしてしまうのだ。 投資家の立場からしても、個々の企業について、事業のポートフォリオを、気にかけることはない。リスク分散は、複数の企業に投資することで、満たすからだ。 ──日本企業では2000年代初頭に低収益が続いた際、「あまりに多くの事業に手を広げ過ぎ。どの事業で稼ぎ、どの事業には手を出さないかを決める“戦略”がない」「事業の選択と集中が必要だ」などと投資家や経営学者から批判された。しかし、その批判を受け入れて、実行した家電メーカーの中には、事業の選択と集中に失敗し、今日、存続の危機に陥っている企業がある。どう考えればいいのか。 個別企業についてコメントはできないが、結果として、米国では多くの大企業が、事業の選択と集中を行っている。 多角化経営の場合でも、事業の選択と集中を行う場合でも、個々の事業が、競合他社の事業に対して競争優位にあるかどうかをきちんと把握することが肝要だ。その見極めのポイントは、自社の事業が他と比べて、差別化されているかどうか、だ。 業界で最も業績の高い企業を、しっかり観察して、自社とどこが違うかを分析する。業績のベンチマークは1つの方法だが、理念や商品デザイン、バリューチェーンにおいてどこにフォーカスして事業を行っているか、いろいろな点をチェックする。 その上で、自社は、どこで差別化できるかを、徹底的に考え抜き、実効する。例えば、製品開発なら、顧客が求める機能だけを追及して、その他の比較的重要でない機能は外してしまうといったことだ。 ──規模が大きくなると経営が複雑化する問題や、各事業で徹底的に差別化を図ることなどを考えると、一人の経営者が多くの事業について指示する多角化経営は難しいように思える。とは言え、例えば米国でも、GEでは製造業と金融業というように構造がまったく異なる事業を複数経営して好業績だった企業がある。 個別企業についてのコメントはできない。ただ、どんなことにも例外があるとは言える。 米国では、成功している多角化経営の企業は少なくなっているが、それでも成功している企業を見ると、大きく2つの特徴がある。 1つは、事業の組み替えを頻繁に行っているということだ。市場環境が変わったり、自社の事業の競争力がなくなったり、自社内でのシナジー(相乗効果)が生まれなくなったりしたら、即座に、その事業を売却している。 もう1つは、そうした変化を見逃さないように、パフォーマンス管理をきちんと行っていることだ。目に見える業績管理はもちろんだが、わずかな変化も見逃さないようにしている。そのためには、繰り返しになるが、事業に対する深い知見が経営者に必要になるのだ。 ──変化に対応して、適宜、事業の組み替えを実践する。そういうことが競争優位の確立や維持に最も影響するとなると、経営者こそ、最も重要な経営資源ということになる。 確かにそうだが、本書に克明に著した通り、今日の企業経営で問われるのは、「誰が経営しているか」ではなく、「どのような仕組みで経営しているか」だ。 すなわち、スピーディに、的確な判断を下せる経営体制を築くことが大切だ。チームで経営し、そのメンバーの質を担保する体制が欠かせない。
【政策ウォッチ編・第8回】 2013年1月4日 みわよしこ [フリーランス・ライター] 趣味のモノ購入、夢のための貯蓄は許される? 生活保護受給者に許される「最低生活費」はいくらか ――政策ウォッチ編・第8回 2012年12月26日、安倍内閣が成立した。生活保護基準切り下げを目指す動きも、それに対抗する動きも、今後ますます激しくなりそうだ。
こんな時期だからこそ、一度、基本に立ち返って考えてみようではないか。 生活保護制度が保障する「最低限度の生活」とは、いったい何なのだろうか? 「最低限度の生活」に 必要なものは何か 神奈川県立保健福祉大学。自然豊かな広大な敷地に、美しい学舎が建っている 貧困問題・社会政策を研究している岩永理恵さん(35歳・神奈川県立保健福祉大学講師)は、2008年から、「生活最低限」の研究を行なっている。2008年から2010年は、東京都立大学(当時)時代の恩師の1人である岩田正美氏(現・日本女子大学)の研究プロジェクトの一員として。2009年からは、自分自身の研究プロジェクトとして、大学の後輩でもある堅田香緒里氏(現・埼玉県立大学)とともに。
現在の研究プロジェクトの名称は「『流動社会』における生活最低限の研究:『合意に基づく』基準生計費策定プロジェクト」である。と言われても、根が理系の筆者には、正直なところ、内容のイメージが沸かない。その研究は、どういうものなのだろうか? 「基本的な生活に必要なものは、どういうものなのか、考える研究です。今は、どなたかが実際に暮らしているお住まいに行って、お住まいの中にあるアイテムを全部数え上げ、そのアイテムリストについて議論する形で研究をしています」(岩永さん) 調査の場として選んでいるのは、東京都三鷹市・埼玉県さいたま市である。いずれも、都心に通勤する人が多く住んでいる街である。岩永さんたちは、それらの街の賃貸住宅に住む単身者の住まいを訪問し、紙1枚に至るまで、すべてのアイテムを数え上げる。そして、膨大なリストを作る。そのリストの検討を通して、人間の基本的な生活とは何かを明らかにするのが、研究の目的だ。もちろん、その「基本的な生活」に必要な費用は、生活保護法でいうところの最低生活費とリンクする。 もちろん、人の暮らしぶりは1人ひとり異なる。持っているアイテムの種類にも数にも、人によって、大変な違いがある。CDなど趣味のグッズを大量に所有している人もいれば、洋服を大量に所有している人もいる……と書きながら、筆者はふと、自分の所有物が気になり、工作机の引き出しを開けてみた。幼少時から電子工作を愛好してきた筆者は、未だに工作用の机を持っている。その引き出しには、ハンダゴテが3本、テスターが5個入っている。この1年ほどの筆者はほとんど、工作机やツール類に触れる機会を作れていない。でも、捨てたくない。自分のアイデンティティの象徴のようなものだからだ。 「夢を買う」は宝くじだけじゃない ある男性の、ささやかな願い 都内某市の、ある単身男性の住まいで、岩永さんたちが調査を行なっていた時のことだ。 男性は、企業に勤務している。収入は「ワーキングプア」ほど低くはないが、決して高くはない。仕事は、極めて多忙だ。平日、住まいに滞在できる時間は、7〜8時間程度。帰って、シャワーを浴びて、寝て、起きて、身支度をして出勤する。それだけのための住まいだ。 その男性は、大量の調理器具やレシピ本、レシピをプリントアウトした紙を所有していた。使われている形跡は、ほとんどなかった。調理器具は埃にまみれ、レシピは変色していた。男性の生活を考えると、自分の住まいで料理ができるわけはないのである。大量のアイテムや紙を数え上げるのに音を上げた岩永さんたちは、つい「捨てていいですか?」と男性に尋ねてしまった。すると男性は、「捨てないでください、そのうち使うんですから」と答えた。 岩永さんには、男性が「そのうち」に、それらの調理器具を利用してレシピの料理を作るとは思えなかった。楽しみのための料理どころか、空腹を満たす程度の料理もできない毎日の生活。何のために、調理器具やレシピを手元におくのだろう? 「本当は、料理作りたいんですよね、きっと」(岩永さん) では、何が足りないために、男性は調理器具を埃まみれにしているのだろうか? 「できれば、もっと働いている時間が短くて、自分で好きな料理を作る時間のある生活をしたいんでしょう。でも、それが出来ないわけです。だから、調理器具を買ってレシピを集めて。叶えられない欲求や希望が、逆にモノに現れているんです」(岩永さん) 叶わない夢を、その夢にまつわるモノを購入することで、いくばくかでも叶えた気になる。そんな切ない経験は、おそらく誰にでもあるだろう。 「最低生活費」は、 高すぎるのか低すぎるのか? 岩永理恵氏の研究室。明るく広やかで、居心地のよい空間だ。学生たちも、気軽に研究室を訪れる では、生活保護法の根拠である日本国憲法第25条「健康で文化的な最低限度の生活」に、「夢を叶えた気になる」ための消費は含まれうるだろうか?
「議論しだすと、どうしても、含めることが難しくなってしまいます。『最低』ですから」(岩永さん) でも、それで良いのだろうか? 先進国に生まれ育った人間の当たり前を、「生活保護だから」という理由で奪ってよいのだろうか? 「もちろん、『奪うべし』という論理は、それはそれで理解できるんです。でも、その反対のニュアンスも考えられると思うんです。最低限度だけど、健康で文化的な生活というような。憲法25条のニュアンスって、本来は、そういうことも含んでいると思うんですよ」(岩永さん) 岩永さんには、現在の生活保護費は、どのようなものに見えているのだろうか? 「人の生活はそれぞれ違うのが当たり前だし、そこが面白いんですけど、公的扶助としては、公正さが必要なんですよね。困っていて、生活保護を必要としている人が、どの程度本当に困っているのか。本当に困っている人を公正に扶助する手段として、『最低生活費』という仕組みが発明されたんです。公正さを、数字で、お金で表して、みんなが分かる、体系だった仕組みにして追求してきたわけですけど……あまり成功していないですね、私の考えでは」(岩永さん) それでも生活保護当事者は、算定された、その最低生活費の範囲で生活する義務を課せられる。生活保護費は現状で充分なのか、多すぎるのか、少なすぎるのか。井戸端会議・居酒屋談義レベルでも、議論は尽きない。 「最低生活費は、自分の生活に必要なお金と比べることが無理な性質のものです。よく誤解されているんですけど、生活保護受給者は、ひとまず最低生活費『だけ』で暮らしていくことが前提なんです。ストックがなくて、フローだけです。ストックは、必ずしもお金やモノに限らず、人とのつながりなどでもありうるんですが、最低生活費には、少なくとも生活保護の受給を開始する段階では、そのようなストックの必要性は考慮されていません」(岩永さん) けれども、最低生活費(生活保護費)は、ある線に定められざるを得ない。そのためには、何らかの比較が必須となる。 「比べるためには、まず、前提条件を同じにしなくてはいけませんよね? でも、同じ条件というのはどういうものなのかを考えるために、『健康で文化的な』というニュアンスをどれだけ考えるというようなことが初めて出てくるんだと思うんです。人の暮らしはさまざまで、生活に対する思いもそれぞれにある中で、『このへんが人間の基本的な生活』というラインを、議論する中から導き出していくということは……難しいけれども、やらなくてはならないことなんだろうなあ、と思っています」(岩永さん) 生活保護受給者を羨望の眼差しで 見てしまうのはいったいなぜか? 研究室の窓からは、東京湾や行き交う船舶が見える それでも、生活保護当事者を羨望の目で見る人々は少なくない。生活保護当事者だけが苦しい思いをしているわけではないからだ。
「人間、いろんなありようがあると思うんです。時間があっても料理したくないとか、お金があったら旅行に行きたいとか。でも、そういうありようを実現できていないのが、私たちの生活であり、労働のありかたであり、暮らしのありかたです。その不満が、生活保護へと向かってしまうんでしょうね」(岩永さん) 生活保護当事者はしばしば、「働けるはずなのに昼間からブラブラしている」と非難される。 「就労できていない生活保護受給者の方々は、時間はあります。だから、なんだか、羨ましいと思ってしまうのかもしれませんね。生活保護受給者は決して、ゆとりがあってお金が自由に使えるわけじゃないんですけど、時間の余裕が全然ない働き方を強いられている人たちが、すごく多い世の中になっていますから」(岩永さん) 就労し、経済的に自立していても、平日に少しだけ料理をするほどの時間の余裕もない生活を「健康で文化的な生活」とは呼べないであろう。「健康で文化的な生活」は、生活保護当事者だけでなく、すべての人に必要なのだが、このことは、しばしば忘れられてしまっている。 2004年に歿した詩人・石垣りんは、戦後の食糧難の中、家族で食卓を囲みながら、食糧の多い・少ないといったわずかな差を気にしてしまう自分を「悲しき餓鬼」と表現した。時間であれお金であれ、生活保護当事者のわずかな「ゆとり」のようなものに心が波立つ時には、そうなってしまう自分の置かれている環境をふり返ってみる必要がありそうだ。 「私は全然知らない」から 始めた貧困研究 神奈川県立保健福祉大学のある横須賀の市街。米軍基地のある街というイメージは、あまり感じられない。暮らしやすい地方都市という雰囲気だ 小学校時代の岩永さんは、しばしば、皇居の内堀・外堀を徒歩で通った。1980年代、そこには多数の「浮浪者」がいた。今なら、ホームレスと呼ばれる人々である。外堀の土手から、日がな一日、総武線の電車が行き交うのを見下ろしている中年男性もいた。堀に住んでいる魚を釣っている中年男性もいた。岩永さんは「何をしているのだろう?」と思ったが、どういう人達で何をしているのかは、良く理解できなかったという。そのうちに、1989年、昭和天皇が崩御。前後して、多数の浮浪者は姿を消した。代わりに、多数の警官が周辺を警戒するようになった。岩永さんは、「あの人たち、どこに行ったんだろう」と思ったが、それ以上には気に留めなかった。
大学生になった岩永さんは、成り行きで社会福祉学を専攻することになった。憲法、貧困、生活保護、高齢者、障害者。数多くのことを学ぶ中で、「私、全然知らないなあ」と気づいた。もちろん、言葉としては知っているが、具体的にどういうこと・どういう人々であるのかを、全く知らない。それが、現在まで続く研究への入り口だった。 大学4年の時、「貧困を知りたい」という思いから、貧困を経験した人の話を聞きたいと思った。卒業研究では、救護施設で暮らしている4名のライフヒストリーをインタビューした。全員が、中途障害での全盲だった。中高年男性が3名と、高齢女性が1名だった。 3名の男性たちは、インタビューに気さくに応じた。自分がどういう仕事をしていたか、どういう失敗をしたかを、率直に語ってくれた。 女性は、とても拒否的だった。重たい口ぶりで話し、話の終わりに、「あなたみたいに若くて美しい人に何が分かる」と言い放った。全盲なので、「美しい」かどうかは分からなかったはずであるが。あとで救護施設の職員に聞いたところでは、女性は終戦直後、渋谷で「パンパン(主に米軍関係者を対象とした売春婦)」をしていたそうだったが、その経験は語られなかった。 岩永さんは、ただ「知りたい、何かしたい」と思っただけだった。それなのに、非常に拒否的な反応に遭った。激しい衝撃を受け、帰途の電車の中ではずっと泣いていた。心の中は混乱でいっぱいだった。「悪いことをしてしまった」という気持ちと、「何なのよ!」という気持ちの両方があった。 岩永さんは、当時のことを語りながら、苦笑まじりに語る。 「当たり前ですよねえ、そういう反応って。自分の善意は、福祉の善意でした」(岩永さん) 「誰でもない制度」と「隣のあなた」の間で 生活保護制度の設計を それでも、岩永さんは、 「誰かを助けたいという素朴な気持ちは、大切だと思います」 という。生活保護は、極めて不完全ながら、その気持ちを具体化したものと言えるかもしれない。でも、誰しも、助けられる側に望んで立ちたいとは思っていない。助けてもらうということには、惨めさもつきまとう。 研究室の書棚の1つ。世界の社会保障、日本の福祉制度の数々を中心として、数多くの書籍や雑誌が並ぶ 「生活保護の受給者になる、被保護者になるということは、『隣のあなた』、ご近所の誰かのお世話になるということではないんですよね。社会の『再分配』という仕組みとして、どの人も、生活が一定のレベル以下になったら底上げをするということなんです。支えられた人も、支え手に回ることもあるし、それは入ったり出たり、流動性のあるものなんですよね。これは、社会保障という仕組み、制度の非常に優れたところです」(岩永さん)
そして、生活保護という形でお金だけを渡せば済むわけではない。 「生活保護の議論の中で、とても不十分だと思っているところがあります。『隣のあなた』ではない制度だけでよいのか? ということです。人が生きていくためには、ケアが必要です。少なくとも子どもの時には、誰もがケアを受けます。そこには、モノとお金だけでは解決しきれないものがあるんです。ケアの担い手は、家族であったり、『隣のあなた』であったり、どうしても、顔の見える関係であらざるを得ません。それが生きることだと思うんです。制度と、人間の関係性は、両方ないとダメなんですよね」(岩永さん) 言葉を選びながらも明快に語る岩永さんは、最後に顔を曇らせた。 「生活保護には、未だに『保護』でいいのかという問題はあります。でも、今の制度は、弱くて困っている人を助けてあげるという、そういう趣旨です。その、保護されるべき対象を、わざわざ叩く、バッシングするということ。とても考えられません」(岩永さん) 生活保護当事者たちの多くは、「当然の権利」とは考えていない。葛藤し、思い悩んでいる。支援者たちも、試行錯誤や葛藤の中で活動している。支援者たちの善意を悪用する自称困窮者だって、いないわけではない。筆者にはときどき、生活保護バッシングの言葉の数々が、当事者たちや支援者たちの日々のそんな葛藤や試行錯誤や努力のすべてを嘲笑しているように見える。 岩永さんは言う。 「保護されるべき人たちを、責める。そんなところから、何をはじめようというんでしょうか? どんな議論をしたいというんでしょうか?」 一連の「生活保護バッシング」と対抗に費やされた時間とエネルギーは、現状を冷静に認識することと、社会保障の意味とあるべき姿についての丹念な議論を積み重ねてゆくことに使われるべきだったのだろう。遅すぎるのかもしれないが、今からでも、その困難な営みを始め、続けたい。筆者は、そう思っている。 次回は、厚生労働省・社会保障審議会での、生活保護に関する議論のその後について紹介する。衆議院選挙と新政権の成立を受けて、議論はどのように変化し、あるいは変化せずにいるだろうか? 基本的な生活に関する岩永理恵氏らの研究は、Webサイト「くらしのもよう」で公開される予定だ <お知らせ>
本連載は、大幅な加筆を行った後、2013年4月、日本評論社より書籍「生活保護のリアル」として刊行する予定です。どうぞ、書籍版にもご期待ください。 |