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◎「日本一新運動」の原点―142
2013年01月03日 : (日本一新の会。)
日本一新の会・代表 平野貞夫妙観
「メルマガ・日本一新」も、継続してご愛読いただいている維持会員をを始めとして、その他にも多くの人々のおかげで、3回目の新春を迎えることができました。あれよ、あれよと言ううちに「142号」となったものの、誠に残念なことに、世の中は私共の思いとは裏腹に進み始めたようです。「明けましておめでとうございます」と言いづらいところですが、反省もこめて、まずは新年のご挨拶を申し上げます。
○ 「巳年」の平成25年に思うこと!
私の人生の師・前尾繁三郎元衆議院議長には、いろいろなことを学びました。前尾先生が生涯を通して研究されたのは「十二支攷」の研究でした。遺稿は『十二支攷』(思文閣・全六巻絶版)で、研究の目的は「人間の本質の追究」でした。因みに「攷」は「かんが―える」と訓じ、「考」の同訓異義に分類されます。少し拘れば「考」は腰の曲がった年寄りの象形で、「攷」には「うつ・叩く=調べる」とする字義があり、「より深く考える」という意を込めて「攷」を用いられたと思います。同書には『十二支攷』別冊を編み、そのなかに「前尾学について」を私が詳述していますので、機会があれば参照してください。昭和時代にはこういう政治家がいたのです。
この『十二子攷』のなかに、「二匹のへび」という随筆があります。その要旨を紹介して「巳年の平成25年」を「攷える」ことにします。
前尾先生が大正時代の終わりの頃、旧制高校時代に読んだ書物に紀平博士の『哲学概論』があります。本の内容にはまったく記憶がないとのことですが、表紙に描かれた「二匹の蛇が輪になって、食べ合っている図」が非常に印象に残っていたようです。「食べ合ったらどうなるか」との設問があり、次のような回答があったとのことです。
@ 不変不動と考える。(プラトン)
A 永久の動と考える。(アリストテレス)
B 互いに食べてしまうから無くなると考える。(無神論者)
C 互いに食べ合うから無限に大きくなると考える。(ヘーゲル)
D もし、蛇に大小・強弱があるとの条件を入れると、小は大に、弱は強に食べられると考える。(ダーウィン)
さて、日本一新の会の皆さんならどう考えますか。前尾先生は、この話の続きとして、マーキュリーのギリシャ神話「ヘルメスの蛇」の話をしています。ヘルメスはある行為の御礼に、アポロから一本の魔法の杖をもらった。この杖は不和を調停し、論争を宥和し、対立するものを調和する力があった。ヘルメスはある時、二匹の蛇が闘っているのを見て、この杖の魔力を試みようとして、両方の間に差し入れたところ、二匹はすぐその争いを止めて、仲よく杖に巻き付いた。ヘルメスは大いに喜んで、二匹の蛇に永久にそのままの姿であることを命じ、どこへ行くにも、この杖を携えることにしたという。
前尾先生が、この「二匹の蛇」の話を随筆にした理由は、「政治の本質」についての見識によるものです。名著『政の心』(昭和48年・毎日新聞社)で、「政」の文字の語源を「正義」と「力」と分析したうえで、「力」のない政治は即ち、礼=秩序のない政治で混乱あるのみ、「正義」のない政治はもはや政治とはいえない、と断じています。そして、現代の国家社会の中での争いや対立を調整し調和する「ヘルメスの魔法の杖」に、議会民主政治を夢見ていたのではないかと思います。
しかし、21世紀の現代、世界のどこに行っても議会民主政治が「ヘルメスの魔法の杖」の役割をしている国はありません。おそらく、人類は「二匹の蛇」のギリシャ神話を忘れ、現代のような混乱となったのではないでしょうか。平成25年の「巳年」にあたり、是非、ギリシャ神話を思い出していただきたい。
○ 21世紀の「二匹の蛇」とは何か!
第2次世界大戦が終わり、20世紀後半の世界政治の「二匹の蛇」は、資本主義を正義とする米国と、共産主義を正義とする「ソ連」であった。そして20世紀末には米国中心の資本主義の蛇が、ソ連中心の共産主義の蛇を呑み込んでしまった。そして世界平和と繁栄は資本主義によってもたらせると期待された。共産圏が崩壊したのは、その原点である平等や共助・公助が忘れられ、官僚国家になったことにある。かくして市場原理の中でもっとも過激な排他的競争という「蛇」が出現する。
20世紀末になると、技術の発展による世界のグローバル化と高度情報社会化が一挙に進み、資本主義は変質していく。実体経済を無視したマネーゲームによる金融資本主義は、健全な資本主義を変質させていく。そして21世紀になると、資本主義はマルクスもケインズも想定しない形態に陥り、国家資本主義体制となる。米国をはじめ、先進諸国は無論のこと、中国もまた同じである。金融資本主義が崩壊・変質していく典型的な例が、2008年(平成20年)に米国で起こったリーマン・ショックであった。
21世紀の「二匹の蛇」は、国家権力など官僚と結びついたマネーゲーム資本主義を原点とする「国家資本主義」という「蛇」と、民衆の福寿が国家社会の安寧を原点とする「国民資本主義」という蛇の食い合いとなった。日本では平成21年8月の総選挙で民主党が政権公約したのは、「国民資本主義の実現」であった。国民の圧倒的支持をうけて、歴史的政権交代を成し遂げた。しかし、菅・野田と続く民主党政権は、官僚と財界の支配に屈し、「国家資本主義」の政治に転向した。東日本大震災・福島原発事故という大惨事のさなかに民衆を裏切った。否、もともとこの理念を理解していなかったのかも知れない。
それ故に、昨年11月の衆議院解散は、野田民主党政権の「自爆テロ解散」であった。結果は民主党の壊滅的崩壊と、自民党の圧勝、そして公明党との連立政権で、衆議院の議席3分の2を超える325の勢力となった。これは憲法で衆議院の再議決ができる数である。戦後最低の投票率、59,4%であったこと、自民党が獲得した比例票は全有権者の16%であったこと、反民自公票の第三極が分散したこと、巨大メディアの謀略的報道など、選挙の実態にはさまざまな不条理があるとはいえ、安倍自民党総裁が勝ったことは数字が示している。
暮れの12月26日、安倍第2次内閣がスタートしたが、安倍氏は就任に先立ち、日銀に対して金融緩和を要請し、大型補正予算の編成、消費税大増税の実施を前提とする政策を提示した。また、原発再稼働を示唆するとともに、原発の新・増設すら匂わせつつ、TPP参加にも柔軟性を示し始めた。これらは、マネーゲーム・国家資本主義の展開であり「二匹の蛇」の弱肉強食の政策そのものである。真に国民のためになる不況対策や雇用対策は大事である。しかし、それを口実にして、外国のヘッジファンドたちによる「アベノミックス」を狙ったマネーゲームが始まった。これで世界経済はマネーを求める蛇の力が強くなろう。そして民衆の福寿はこの蛇に食い尽くされていく。
肥大化した「マネー蛇」の運命はどうなるのか。恐らく自分を食い尽くすことになろう。かくして人類は滅亡していくのかも知れない。日本人は暮れの総選挙でこの道を選んだ気がしてならない。資本主義の本質は不安定であることだ。この気まぐれの資本主義を歴史の中では人間の英知で調整し管理したこともあった。「リーマン・ショック」以降の金融資本主義の暴れようは只事ではない。早急に「ヘルメスの魔法の杖」をつくらなければならない。
きわめて困難なことであるかも知れないが、人間には「共生」という理性があったことを思い出し、真の議会民主政治を確立させることであると思う。
追記
☆本号は無限拡散希望につき、転載許諾を必要としませんので、お取り扱いを
よろしくお願い申し上げます。
元記事リンク:http://nipponissin1.blog136.fc2.com/blog-entry-223.html
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