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陰謀論は、たいていの言論人やメディアにすこぶる評判が惡い。多くの場合、「陰謀論にすぎない」と嘲笑され、それで議論を打ち切られてしまふ。しかしさうした態度は間違つてゐる。陰謀論を妄想の産物だとして頭から否定してかかる言論人は、一見「リアリスト」のやうでも、政治の現實を理解してゐない。
政治分野の本で今年一番のヒットとなつた孫崎享『戦後史の正体 1945-2012』(創元社)も、販賣部數を伸ばすにつれ、「陰謀論」「謀略史觀」といつた非難を浴びた。だがその多くは的外れである。いくつか實例を見てみよう。
***** 最初は、ジャーナリストの佐々木俊尚である。
9月30日附朝日新聞朝刊の書評で佐々木は「米が気に入らなかった指導者はすべて検察によって摘発され、失脚してきたのだという」「典型的な謀略史観でしかない」などと批判した。その後、事實誤認があつたとして、この部分を含む冒頭十行を削除してゐる。おそらくこの措置は、失脚の原因は檢察による摘發以外、占領軍による公職追放なども明記してゐるといふ、孫崎の反論を受けてのものと思はれる。しかし陰謀論批判の問題の本質は、むしろ削除されなかつた部分にある。佐々木はかう書いてゐる。
日本の戦後史が、米国との関係の中で培われてきたのは事実だろう。しかしそれは陰謀ではなく……そもそもどの国であれ、自国の国益を第一として動くのが当たり前だ。……米は日本にとって守護者でもなく、国益のために日本を利用しようとする「他者」にすぎない。そういうリアリズムが戦後の日本人には欠けていた。
この文章で佐々木は、米國が戰後、「国益のために日本を利用しようと」してきたことを認めてゐる。その一方で私たちは、米政府が戰後の冷戰を背景に、ティム・ワイナー『CIA秘録』(藤田博司他譯、文春文庫)などで描かれたやうに、イランのモサデク政權顛覆、グアテマラのクーデター工作、南ベトナムのゴ・ディエン・ディエム大統領暗殺、チリのアジェンデ政權顛覆、イラン・コントラ事件など、多くの血なまぐさい大規模な陰謀(大辞林によれば「密かに計画する、よくない企て」)を實行してきたことを知つてゐる。小規模で、流血をともなはない陰謀はおそらく數へきれないほどだらう。にもかかはらず、日本を相手とする場合に限つて、米政府が「国益」追求の手段として陰謀を用ゐなかつたと考へるのは、明らかに不自然だ。政治についての「リアリズム」を缺いてゐるのはむしろ佐々木である。
*****} 次に、エコノミストの池田信夫である。
池田は10月12日附ニューズウィーク日本版のコラムで孫崎本を「単純な陰謀史観」と嘲つた。その後、かう書いてゐる。
日本が戦後ずっとアメリカの属国だったという孫崎氏の主張は、ある意味で正しいが、それは陰謀や脅迫のせいではなく、対米従属が合理的だったからだ。……自由経済に誘導するのに脅迫は必要ない。人々はおのずから自由で豊かな社会を望むからだ。
だがこれでは、米政府がなぜ、イランやグアテマラやベトナムやチリで陰謀をめぐらしたのかを説明できない。米政府を構成する政治家や官僚が望んだのは、共産主義の脅威に對抗するといふ大義名分の下で、中東の石油、東南アジアの天然ゴムや錫や石油、中南米の農園や鑛山といつた利權を一部の親しい企業のために守り、かつ、戰爭や紛爭そのもので軍事産業を潤すことだつた。〔追記〕日本は幸ひ再び戰地にはならなかつたが、沖繩を中心に多くの土地を基地用に奪はれた。そんなものは「自由経済」と呼べない。
そもそも池田は、「人々」といふ言葉で、政府を構成する政治家・官僚と一般市民とを一緒くたにしてゐる。たしかに一般市民の大半は、特定の規制で守られた人々を除き、「おのずから自由で豊かな社会を望む」だらう。しかし政治家・官僚は、自己の利益になる限りで自由を認めても、利益を脅かすやうな自由は認めない。だから一般市民が自由を望んでも、それが「おのずから」實現するとは限らない。池田も政治の現實が見えてゐない。
最後に、あるブロガーである。一般人のやうだが、記事檢索で上位に入るし、陰謀論批判によくある誤解が示されてゐるので、紹介しておく。10月14日附の記事にかうある。
謀略が「あった」と主張する場合、立証責任がそれを主張する側に生じるのは当然である。
にもかかはらず、孫崎は「確証はありません」と述べて「立証責任」を抛棄してをり、けしからんといふ。しかしそれはをかしい。せつかく刑事手續の譬喩を持ち出してゐるので、それを踏まへて説明しよう。
犯罪があつたと告發するのに、證據を示す必要はない。刑事訴訟法239條1項によれば、犯罪があると考へる者は、誰でも告發をすることができる。そもそも告發とは、搜査といふ證據集めのきつかけにすぎない。これから證據を集めようといふときに、最初に證據が必要になるはずがない。
しかも同條2項によれば、公務員は仕事の過程で犯罪があると思つた場合、告發を義務づけられてゐる。孫崎はすでに外務省を退職してゐるが、法の趣旨に照らせば、在職中に得た經驗や情報をもとに「犯罪」があつたと判斷した以上、たとへ確證がなくとも、それを著作などで「告發」するのは大いに推奬されるべき行爲といへる。ましてや相手は情報の多くを秘密にできる政府なのだから、状況證據をある程度提示できれば上出來といふべきだらう。
優れた陰謀論は、權力を持たない一般市民が政府の不正を暴くうへで有用な武器になりうる。一部の陰謀論が非論理的だからといつて、陰謀論そのものを嘲り、拒絶する言論人は、政府が市民の權利をつねに脅かす存在であることと、兩者の壓倒的な情報格差を忘れてゐる。
私は孫崎の主張にすべて賛同するわけではない。とくに經濟については、公共事業や財政投融資を積極的に評價するなど、首肯しかねる記述が多い。しかし米政府があらゆる手段を使ひ、日本の政權交代を左右するほどの力を及ぼしてゐるといふ見解は、説得力に富む。陰謀論といふ嘲罵に負けず、來年も健筆を振るつてもらひたい。
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