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噴き上がるナショナリズムは偽物 哲学経済学で尊敬される国家になる選択
2012年12月29日 : (世相を斬る あいば達也)
安倍自民の経済政策全般が的外れだとは思わない。日本の財政赤字がEUのギリシャやスペイン並に信用度がないと云う俗説(財務省・野田説)が嘘である事は、国家バランスシートが証明しているので、今さら説明のようはない。金融緩和、インフレターゲット政策も、欧米並みに並ぶだけの事で、特に異論はない。問題なのは、カンフル剤、時には麻酔として打つ液剤が、公共事業と云う旧態依然とした手法しか見出せない、ノーアイディアなところが問題だ。そして、その緊急避難的処方が効いている間に、本来の経済成長に繋がる成長戦略を見出すと云う考えのようだが、この経済成長戦略を現行の既存権益集団が集う、経済財政諮問会議で考える時点でアウトである。
原発の東芝社長佐々木則夫、三菱ケミカルの小林喜光、東大の伊藤元重、日本総研高橋進。それに安倍晋三、麻生太郎、甘利明、白川方明である。どこからどうみても、既存権益集団の集いであり、日本の新たな経済成長を担う顔ぶれとして、ミスキャストだ。この人達が、自分達の利益誘導と関わりのない成長産業分野に、塩を送るほどの矜持など望むべくもない。財務、経産省との整合性を考え、今利益を産むかもしれない企業群としめし合わせた相談をすると云う事は、日本の産業構造を変えて行くには、最もマズイ人選である。
まぁ安倍の内閣が考えられる事は、小泉政権と同様の構造改革路線と、安倍色の財政出動にあるわけだが、あの時代と異なり、世界経済が冷え切っているわけで、グローバル化が蔓延してしまった世界経済下で、構造改革程度で、経済が本質的に好転する筈もない。公共投資で一時の経済指標は好転するかもしれないが、その分財政も悪くなる。復興予算でも見られるように、泥縄で10兆円超えの補正を組んでも、必ず利権が伴う工事が紛れ込むのは、避けようがない。ゼネコンなどの株価が思惑で買い進まれているが、早晩萎むだろう。何故なら、ゼネコンは設備投資に消極的だし、一過性の公共投資バブルに踊るほど愚かでもない。精々、補正にありついた現地の中小企業下請けが、一時息が出来る程度の効果で、次々とザルに金を注ぐことになるだろう。
日本の経済再生において、避けて通れないのは、既存の産業から離れた内需中心産業を創設するかしかななのだ。勿論、だからと云って、その新産業が、日本経済のすべてをカバーするには至らないだろう。株主利益優先の企業経営を強いられる経団連中心の既存産業は、グローバル経済下では諸々の世界規模の経済環境に、その経営実績が左右されるわけで、当てに出来ない。その上、育てるには先のない、それこそ成熟高齢産業になっているのだ。年がら年中、点滴をしなければならず、肺炎の危険を常に有している。株主利益の優先が求められる、現在の企業経営者が、10年、20年のスパンで新規の事業や産業に取り組むことは許されない環境にある点を重視すべきだ。
今や世界の社会経済学的見地においては、共同体や協同運動による経済行為が一方の潮流にある。オバマは市場原理経済と大きな政府経済の融合を試みているが、あくまで政治力学上の問題であり、本質は共同体方向を向いている。正直、市場原理的経済に運命を委ねる経済政策は、時代遅れなのである。経済成長と云うトラウマから抜け出せない思考経路に陥った日本の政治家にも、日本経済の安定を本気で考える余裕は残されていない。彼らは、計算の成り立つ組織の票田を常に気にする存在であり、勢い既存権益集団と親和性を持たざるを得ないからである。
いまこそ日本は、世界に先駆けた成熟した大人の経済思考に戻るべきなのだ。哲学とか社会学な見地から、国家の理想的姿を描き、その方向に進むべきである。これが日本と云う国家の一番不得手な思考経路でもある(笑)。グローバル経済と日本の立地条件は、あまりにも相性が悪く、競争に打ち勝つ基本的ツールが欠如している。競争に負けることを潔しとしないナショナリズムな考えに、心情的には共鳴するが、労多くして益の少ない競争社会の中で翻弄されるだけである。安倍晋三の「美しき日本」の志は共鳴できる。しかし、世界一戦争好きの米国の傘下に入る強化路線を踏襲して、日本独自の国家像を描くことは論理的に矛盾している。
地産地消的経済構造を俯瞰的に見れば、決してみすぼらしい国家経済が見えてくるわけではない。大きな枠組みで見れば、日本と云う島国自体の地産地消するのだから、グローバルな人モノカネの移動に強く左右されない。エネルギーにせよ、食料の確保にせよ、地産地消国家は成立し得る。その構築があってこそ、国家の構成基盤が強みとなり、外交においても全方位外交が可能な条件が整う。金以外、取り立てて威張れるものがない国家が、対処療法を重ねて行くうちに、金すらも失いかねない現在の国家の方向性は間違っている。
冗談ではない、我が国のモノづくりの技術力は世界に冠たるものであり、条件さえ整えば、世界一であり得る、と云う主張があるのも承知の上で言っている。それはその通りだろうが、あくまで現在と云う切り口において主張できる条件である。グローバル経済下では、品質や耐久性への信頼が競争のツールになるとは言い切れない。概ねの基本機能があれば、後は価格訴求が主体である。フリンジな機能強化がマーケットを席巻できない市場の特性がある。世界中で、これからモノを欲しがるマーケットは、衣食住が不満足な人びとのマーケットでもある。日本人のより良いものをと云う製造コンセプトが美徳として通用する世界ではないことも、重視すべきだ。
筆者のような考えは、瞬間的な印象として、滅びの美学のように思われるが、そう云うものでもない。孤高な国家基盤を構築する産業の開拓、そして育成は世界に多くの示唆を与えるし、それを世界が参考に出来る国家になり得るのである。時に、そのノウハウが特許となり、ロイヤルティーを産むことに繋がるし、開発が一大産業となり得る。本質的ナショナリズムとは、直近の軋轢に瞬間的に噴き上がるようなチャチなものではない。そのようなナショナリズムは偽物だし、愚人の専売特許だ。国家100年の大計の中で、理想的成熟国家のモデルを世界に披歴することは、先進諸国にとっても参考になるわけで、それ自体が産業たり得るのである。尊敬される国家でありたいのなら、精々このくらいの哲学くらい考えて貰いたいものである。
元記事リンク:http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/272f4dc2db5d75a969e342265b190ac8
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