http://www.asyura2.com/12/senkyo141/msg/900.html
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あらかじめに:投稿者よりコメント:産経は、「保守記事」を書けばこれで良いのだという姿勢しか
見られません。偏向に満ち溢れております。告訴したらどうでしょう?
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121229/waf12122912010027-n1.htm
衆院選の大惨敗がすべてを象徴しているようにも思える。旗揚げしたばかりの日本未来の党を分党に追い込まれた嘉田由紀子・滋賀県知事が孤立を深めている。「水と油」のはずの小沢一郎氏との共闘や、党代表と知事の「二足のわらじ」へのこだわりが印象を悪くしたばかりか、分党騒動では対立した小沢派に“母屋”を乗っ取られてしまった。高い県民人気を誇り、関西の首長の間でも存在感を発揮した嘉田氏だが、どこをどう間違ったのか。今や支持者離れが進み、県議会の批判にさらされ、その求心力は急激に低下している。(藤原直樹、浜田慎太郎)
新党結成で多くのもの失った…
「大変ショックだ。票が動かなかった」
衆院選の開票結果が出た直後、嘉田氏はうつろな表情でこう敗因を分析するのが精いっぱいだった。「小沢ファンと嘉田ファンが分極化してしまった」…。口をついて出るのは“恨み節”のようなコメントばかり。
選挙後、未来の党は嘉田氏が提案した阿部知子衆院議員を共同代表とする人事案に対し、小沢氏系の議員らが反対するなど、内部対立が激化。ついに分党に発展したが、同党は「生活の党」(代表・森裕子参院議員)に党名変更し、小沢氏系議員らが残り、嘉田氏は阿部氏らと離党し、新たな政治団体「日本未来の党」を立ち上げる形で決着した。
つまり嘉田氏は小沢氏らのグループに、体よく追い出された格好だ。大津市で28日、小沢氏らとともに記者会見した嘉田氏は「家風が違い、ハッピーライフは難しい」などと“離婚”に至った理由を説明した。
小沢氏の周囲ではこれまでも“政争”が繰り返されてきたが、それに巻き込まれたことで嘉田氏の印象はますます悪くなった。今となっては遅いが、お膝元の滋賀県では「嘉田氏は新党結成で多くのものを失った。政界への“色気”など出すべきではなかった」(ある政党関係者)との声が聞かれる。
寝首かかれた
衆院選の公示(12月4日)が迫る中で結成された未来の党。駆け込みの結党は内部に不安のたねを残すとともに、嘉田氏の周辺も混乱させた。
「新党立ち上げは聞いていなかった。小沢氏と組むのは裏切りだ」
嘉田氏を支える目的で平成18年に結成された地域政党「対話でつなごう滋賀の会(対話の会)」の関係者は、嘉田氏が同党を結成し、代表に就任したことに怒りを隠さなかった。嘉田氏支持層の“小沢アレルギー”は相当なもので、対話の会は早々と「自主投票」を決定し、未来と距離を置くことを決めた。
嘉田氏と近く、24年1月の選挙で当選し、史上最年少女性市長となった大津市の越直美市長も「小沢氏は手を替え品を替え政党を替え、長年都合のいいことを言って、いろいろな問題を先送りにした。国民をだましてきた人と一緒になるのは残念だ」と断じた。
そうした反発を予想していたのか、未来の党立ち上げは県民はおろか支持団体にも秘密裏に進められた。嘉田氏が大津市内で琵琶湖をバックに記者会見し、新党結成を発表したのは公示1週間前の11月27日。卒原発を柱とした基本政策を打ち出し、「放射能汚染から琵琶湖を守る」と高らかに宣言したが、唐突感は否めなかった。
この時、小沢氏の関与について多くが語られることはなく、嘉田氏は「各政党に呼びかけ、理念が一致した党と組む『この指止まれ方式』だ」と話した。
ところが、同日中に小沢氏の「国民の生活が第一」や亀井静香氏らの「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」などが合流の意向を表明。各党の動きは、支持者の目には「裏で小沢氏が糸を操っている」と映った。実際、嘉田氏は後日、小沢氏とは9月以降に3回会っていたことを明かしている。
こうした動きに、県議会で「知事与党」として連携する民主の関係者は「政権への逆風にさらされるなか、衆院選前の突然の発表。寝首をかかれた思いだ」と憤った。
相次ぐ「二足のわらじ」批判
党代表となった嘉田氏は衆院選期間中、公認候補の応援のため全国を飛び回った。県によると、11月29日から12月20日までの間に、嘉田氏が公務にあたった日数は11日、時間は73時間で、いずれも前年同時期の約半分だった。職員と面談や協議をした回数も63回で、こちらも前年の半分程度。こうした姿勢には各方面から批判が相次いだ。
対話の会代表の清水鉄次県議は「兼務は無理」、同会幹部も「知事の責任を放り出しており、支持できない」と突き放した。県庁には県民から電話やメールで700件を超える意見が寄せられ、半数以上が「県政に支障が出る」「県の利益にならない」「責任放棄だ」と批判的なものだった。
北朝鮮が事実上の長距離弾道ミサイルを発射した12月12日も嘉田氏は遊説で県庁を離れていたため、県議会の佐野高典議長は、知事として責任ある行動を取るよう文書で申し入れた。滋賀県彦根市の獅山向洋市長も「党首として選挙活動を行う嘉田氏に県民の税金から給与を支払ってはいけない」と主張し、知事給与の支払い停止を求める住民監査請求を県に起こした。
維新との違い
これらの批判を押さえ込むには、衆院選での勝利が一番だったが、未来は61人の前職を含む121人を擁立したにもかかわらず、当選したのはわずかに9人。大惨敗だった。
未来は嘉田氏の地元の滋賀県では選挙区に候補者を立てなかったが、比例代表の得票数も県内全得票数の12%程度と伸び悩んだ。同じ「第三極」として注目された日本維新の会の半分程度で、「嘉田人気」のかげりを感じさせた。
一方の維新は公示前の11議席を大幅に上回る54議席を獲得。地盤の大阪府内では19選挙区に14人を擁立。12人が当選し、残る2人も比例で復活を果たすなど、未来とは対照的な結果となった。
維新は代表代行を橋下徹・大阪市長、幹事長を松井一郎・大阪府知事が務め、両氏は嘉田氏と同様、衆院選期間中は全国を遊説で飛び回った。しかし、批判の声が一部では出たものの、府市ともに議会で維新が多数を占めるため、大きな声にはならなかった。
一方、滋賀県議会は嘉田氏が知事就任以来、対立を繰り返している自民が過半数を占める。しかも、衆院選で自民は滋賀県内4選挙区を独占。自民関係者は「史上最多の約42万票を獲得した知事選での『嘉田票』は大きく減少していることが明らかになった。求心力は低下している」と話す。
1カ月で地に落ちる
衆院選後、嘉田氏を待っていたのは県議会の容赦ない追及だった。県議会本会議は12月19日に再開され、一般質問で自民の小寺裕雄議員が「県益を大きく損ねている」、公明の梅村正議員が「上司が二足のわらじをはいていることで、職員の士気が低下する」、みんなの党の蔦田恵子議員が「小沢氏の関与は明らかで、経緯を正直に説明すべきだ」などと追及。議会は12月26日、国政政党の役職と知事職の兼務の解消を求める決議案を賛成多数で可決した。
しかし嘉田氏は選挙中、「県知事がここまで存在感を出したら県民にマイナスにはならない。全国に滋賀の存在感を示せるのは大きな価値がある」と強調、議会でも「インターネットや電話を使い、東京に頻繁に行くことは想定していない」などと説明し、兼務を続けてきた。今回の分党で離党する形にはなったが、新たに政治団体を作って活動を続ける意向で、国政への意欲は衰えていない様子。国政に意欲を燃やすほど、お膝元で支持離れが進む皮肉な結果となっているのだが…。
「小沢氏と組んだことの影響が予想以上に大きい。見通しが甘かった」(政党関係者)。嘉田氏が「もったいない」を掲げて18年7月に初当選して以来、約6年半かけて築き上げた県内地盤は、わずか1カ月で大きく揺らいでいる。
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