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今年もあと数日を残すだけとなった。この1年間のスクープを振り返ってBEST10本を選んでみた。例年になく今年はスクープの当たり年。絞り込むのが難しかったが、悩んだ末に以下の10本を選んだ。ご覧あれ。
(中略)
第1位
「引退勧告スクープ 小沢一郎 妻からの『離縁状』全文公開」
(「週刊文春」6月21日号)
10年に一度、いや、30年に一度のスクープといってもいいだろう。「文藝春秋」でいまだに調査報道の頂点といわれる「田中角栄研究」を発表した立花隆も絶賛した。
これをものにした松田賢弥記者は、私とタッグを組んで「月刊現代」「フライデー」「週刊現代」で小沢一郎を追及してきたから、なおのこと感慨深いものがあった。
愛人や隠し子のことはすでに「週刊現代」でも書いていたが、それを小沢の妻・和子がこういう形で裏付けてくれようとは夢想だにしなかった。
「(前略)長年お世話になった方々のご不幸を知り、何もできない自分を情けなく思っております。
このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げ出しました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しいときに見捨てて逃げ出した小沢を見て、岩手や日本のためになる人間ではないとわかり離婚いたしました。(中略)
八年前小沢の隠し子の存在が明らかになりました。●●●●●といい、もう二十才をすぎました。三年つきあった女性との間の子で、その人が結婚するから引きとれといわれたそうです。それで結婚前からつき合っていた●●●●という女性に一生毎月金銭を払う約束で養子にさせたということです。小沢が言うには、この●●●●という人と結婚するつもりだったが水商売の女は選挙に向かないと反対され、誰でもいいから金のある女と結婚することにしたところが、たまたま田中角栄先生が紹介したから私と結婚したというのです。そして『どうせ、お前も地位が欲しかっただけだろう』と言い、謝るどころか『お前に選挙を手伝ってもらった覚えはない。何もしていないのにうぬぼれるな』と言われました。あげく『あいつ(●●●●)とは別れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる』とまで言われました」(小沢和子の手紙=文春)
角栄研究が田中角栄を総理の座から引きずり下ろした。この記事で小沢一郎という虚像を粉々に壊し、小沢を権力者の地位から引きずり下ろしたのである。
こう見てくると10位のうちの8本が文春のスクープで、6位から1位までズラッと文春が並ぶ。他誌はポストと新潮だけで、現代、朝日は20位まで選んでも入ってこない。部数はもちろんだが、情報収集力も取材力も文春が図抜けているということであろう。来年は、他誌が文春を追いかけ抜き返すぐらいの意地を見せてほしいものだ。
文春一人勝ちでは、永田町と同じように週刊誌界も活気づかない。他誌の頑張りに期待したい。
(文=元木昌彦)
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撮影/佃太平
●元木昌彦(もとき・まさひこ)
1945年11月生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社入社。90年より「FRIDAY」編集長、92年から97年まで「週刊現代」編集長。99年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長を経て、06年講談社退社。07年2月から08年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(2006年8月28日創刊)で、編集長、代表取締役社長を務める。現「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催、編集プロデュースの他に、上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで教鞭を執る。
【著書】
編著「編集者の学校」(編著/講談社/01年)、「日本のルールはすべて編集の現場に詰まっていた」(夏目書房/03年)、「週刊誌編集長」(展望社/06年)、「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社/08年)、「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス/08年)、「競馬必勝放浪記」(祥伝社/09年)、「新版・編集者の学校」(講談社/09年)「週刊誌は死なず」(朝日新聞社/09年)ほか
2012.12.28 金
http://www.cyzo.com/2012/12/post_12244_4.html
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