02. 2012年12月27日 11:03:25
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安倍首相を待つ“どす黒い孤独”の壁再チャレンジ宰相はストレスフルな日々をどう乗り越えるか 2012年12月27日(木) 安藤 毅 安倍晋三政権が26日、発足した。体調不良を理由とする突然の辞任から5年余り。1948年の吉田茂・元首相以来となる再登板を果たした安倍首相はさっそく、衆院選の公約の柱に掲げた経済対策や外交の立て直しなど諸課題への強い意欲をのぞかせた。 合言葉は「おごってはいけない」 先の衆院選で圧勝した自民党は衆院の常任委員長を独占したうえで、委員数でも過半数を占める「絶対安定多数」を確保した。連立を組む自民、公明両党は衆院の3分の2(320議席)以上を占め、法案を参院で否決されても衆院で再可決して成立できる。 一見、政権基盤は盤石に映るが、自民幹部は一様に「おごってはいけない」と慎重な構えだ。 議席こそ大幅に伸ばしたものの、党勢の1つの目安となる比例代表の得票率27.6%は自民が惨敗した2009年の前回衆院選時の26.7%と大差ない。結果ほど自民が信頼を回復したわけではなかったのだ。 だから、政権運営の舵取りを誤れば、すぐに有権者の離反を招き、自民が「決勝戦」と位置付ける2013年夏の参院選での揺り戻しという事態を招きかねない。衆参で多数派が異なる「ねじれ国会」が継続すれば、安倍政権はあっという間に立ち往生しかねないのだ。 こうした事情を人一倍身に染みて理解しているのが、安倍首相だ。安倍首相にとって参院選はまさに鬼門だからだ。 2004年、自民幹事長として迎えた参院選は目標議席に届かず責任を取って幹事長職を辞任した。首相として臨んだ2007年の参院選は改選64議席から過去2番目に少ない37議席と歴史的惨敗を喫し、安倍氏は体勢を立て直すこともできないまま首相の座を去った。 来る参院選まで重視すべきは一にも二にも安全運転――。こうした党内や経済界の空気を背に、安倍首相がまず腐心したのが人事だ。 2006年9月発足の第1次安倍内閣は若手の側近議員を首相補佐官などに登用したが、手柄合戦や相互の調整不足から首相官邸が機能不全に陥り、“お友達内閣の学級崩壊”と揶揄された。それが党や霞が関の官僚との関係悪化も招いた。今回の内閣、党役員人事では、その反省も踏まえ、自らの側近と重鎮のバランスに配慮した。 人事は「挙党体制」に 信頼が厚い菅義偉氏を官房長官に指名する一方、先の総裁選勝利の原動力となった麻生太郎・元首相を副総理・財務相・金融相に起用。谷垣禎一氏ら派閥領袖クラスも閣僚に登用し、党幹部では石破茂・幹事長を続投させた。自民のベテラン議員は「挙党体制構築をアピールできる布陣だ」と評価する。 政策面でも“変身”ぶりが顕著だ。「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改正や教育改革など持論の保守的な政策を最初から前面に押し出した前回の政権時と異なり、景気対策といった身近なテーマにまず注力する姿勢を強調する。 「参院選までは今年度補正予算と来年度予算、外交など必要最低限の対応で無難に乗り切る。憲法改正や集団的自衛権行使容認など、本当に安倍さんがやりたいことはその後でいい。安倍さんもそれを理解している」。安倍氏周辺はこう語る。 国民的人気を過信し、中央突破を図ろうとして行き詰まった前回の失敗を糧に、随所に熟慮の跡がうかがえる船出となった安倍政権。だが、安倍首相に近い関係者ほど、別の不安要素を指摘する。安倍首相の健康と精神面だ。 安倍氏は幼少時から持病の潰瘍性大腸炎に苦しみ、首相在任時はストレスとあいまって体調が急速に悪化した経緯がある。 それが、数年前から服用している新薬の効果もあり「今が一番調子がいい」と断言できるほどに体調は回復した。今では、ほとんど口にすることもなかったアルコールを宴席で楽しむほどだ。 「体調は今がベスト」というが… 衆院選中も全国を過密な日程で飛び回ったが、「特に健康面に問題はなかった」と安倍首相は話す。 ただ、野党党首として「攻め」の立場でいられた時と違い、時の首相は基本的に「守り」を強いられる。朝から晩まで監視され、決断を迫られ、ストトレスフルな毎日を送らざるを得ない。 安倍首相の周辺も「極度の緊張とストレスが続く日々でも本当に体調に問題がないのか、安倍さん自身も半信半疑なところもあるはずだ」と漏らす。 そうした事情もあってのことだろう。安倍首相は「前の反省もあるので、休養は十分にとり、体調管理には万全を期したい」と“夜日程”や週末の予定を極力少なくすると宣言している。 もっとも、こうした方針もいいことばかりではない。「安倍さんが以前のように官邸や公邸で独りぼっちになって精神的に追い込まれないか心配だ」。側近議員の1人はこう気をもむ。 「どす黒いまでの孤独に耐えきれるだけの体力、精神力がいる」。首相の重圧、苦しみをかつて麻生氏はこう評した。「最高権力者だからそれぐらいの苦労は当たり前」と言ってしまえばそれまでだが、日本の歴代首相が同様の境遇に置かれてきたのには構造的要因もあるだろう。 まずは、官邸の問題だ。大統領制の米国では大統領が代わるたびに政権スタッフが大幅に入れ替わり、ホワイトハウスにも大統領を支える側近チームが形成される。日本が政治改革のお手本としてきた英国は官邸機能強化の流れとなり、民間人も含め首相直属のスタッフが大幅に拡充されてきた。 日本でも官邸スタッフの人員は確実に増えてきた。だが、官邸内も縦割り組織で、実際に首相が使える直属のスタッフの数は限定されている。 しかも、米や英と比べ、民間人も含め時の首相が幅広い層から適材と評価するアドバイザーや政策遂行の手足となる人材を起用できているかといえば、決して十分とはいえない。 様々な理由が挙げられるが、米のように、官民の行き来が頻繁に行われる“回転ドア”システムが確立できていないことも要因の1つといえる。 “政府入り”が評価されない日本 「日本では、時の政権のスタッフに入ることが民間に戻った時に評価される仕組みがない。だから、時の首相といくら懇意でも、官僚OBなどを除いて官邸入りに二の足を踏むのがほとんど。まして、1年おきに首相が代わるような状況ではなおさらだ」。自民のベテラン議員はこう指摘する。 だから、官邸で首相を支えるチームといっても、官房長官など数人の議員と、事務所の秘書、官僚頼みになるのが一般的。これは民主党政権でも事情はほとんど変わらなかった。 官邸に籠る機会が増える首相は、物理的に議員や親しい関係者と接する機会が激減する。情報も次第に入りにくくなり、それが一層不安を助長する――。そんな展開になりがちだ。 海外の映画では、米の大統領や英の首相が自らを支える側近スタッフと危機管理や日々の対処方針を話し合い、息の合ったところを映し出す場面をよく目にする。これに対し、現在の日本のシステムでは、首相と志や目指す政策が一致するスタッフによる真の意味でのチームユニットは作りづらいのが実情だ。 今回、安倍首相を間近で支える布陣は、菅官房長官を筆頭に、信頼が厚い衆院の加藤勝信、参院の世耕弘成の両官房副長官ら数人の政治家と、今井尚哉秘書官ら安倍氏が官房長官、首相時代に仕えた官僚が軸となる。 このほか、谷内正太郎・元外務次官を内閣官房参与に起用するなど自らのブレーンを登用してアドバイスを求める見通しだが、あくまで補佐役でしかない。結局は、つかず離れずの関係にある官僚に多くを依存するのが実情だ。 こうした“チーム安倍”が、満足のいくレベルに機能するかは見通せない。それは、極限状況で仕事をする安倍首相の精神面にも少なからず影響を与えそうだ。 安倍首相にとって二度目となる公邸暮らしも懸念材料だ。安倍首相は平時であれば、“二階建て”、“三階建て”で会合をはしごする日々を過ごしてきた。 「人の話を聞くことで知識を吸収する耳学問タイプ。人と会っていないと精神的に不安になる面もある」と、周辺は語る。 前回の政権時を振り返ると、2007年の参院選敗北を受けた内閣改造で塩崎恭久氏や世耕氏ら側近議員が官邸を去った。“精神安定剤”を失ったことで安倍首相のストレスが増し、健康が悪化。公邸に引きこもらざるを得なくなったことで、さらに精神的に追い込まれるという悪循環に陥った経緯がある。 休養はもちろん大事だが、夜の公邸での食事の相手や、外部のブレーンとの会合など外の空気に触れ、リフレッシュする機会をどのように組んでいくのか。「細かい点のようで、これも安倍政権の今後を占う重要なポイントだ」と安倍首相周辺もみている。 「挫折を含め多くのことを学んだ」と話す安倍首相。「政権投げ出し」の汚名を返上して長期政権への道を切り拓いていくには、自らの心身のコントロールへの配慮もカギとなりそうだ。 安藤 毅(あんどう・たけし) 日経ビジネス編集委員。 記者の眼
日経ビジネスに在籍する30人以上の記者が、日々の取材で得た情報を基に、独自の視点で執筆するコラムです。原則平日毎日の公開になります。 安倍新首相は、靖国参拝よりも経済再生を 来年の参院選をにらんでやるべきことは? 2012年12月27日(木) The Economist 日本の自由民主党が12月16日の総選挙で大勝し、政権復帰を果たす。同党総裁の安倍晋三氏が26日、新首相に就任する。安倍氏は時間を無駄にすることなく、早くも政策を打ち出している。新内閣を自ら「危機突破内閣」と名付け、デフレで疲弊した経済の回復を第1の目標に掲げた。
まず手始めに、中央銀行である日本銀行に一層の金融緩和を求めて圧力をかけていくと見られる。次に巨額の公共支出が続くだろう(国土をコンクリートで覆うやり方は自民党の得意とするところだ)。 日中関係は緊張が続き、貿易に悪影響が出ている。タカ派の安倍氏としては、この問題の解決は保留したい考えだ。 自民党の圧勝は民主党離れの結果 自民党が意外なほどの大勝を収めたことで、安倍氏は2度目の首相就任を果たす(苦難の第1次内閣は2006〜07年)。自民党としては、2009年の総選挙で大敗を喫して以来の政権復帰となる。 安倍氏は、今回、圧倒的な勝利を収めることができた理由を理解している。有権者が自民党や安倍氏の考えに共鳴した結果ではなく、民主党に愛想を尽かした反動であることを認めている。民主党は内部対立を抱え、政策をまとめきれなかった。 総選挙では12の政党が乱立し、反自民票が割れた。ある新聞のコラムは、自民党の勝利は、食堂に魅力的なメニューがなく、迷ったあげくカレーライスを選んだようなものだと書いた。無難な選択ということだ。一方で、自民党の強力な組織力が効いた面もある。 新与党の議席は、自民党と、連立を組む公明党を合わせて325議席。定数480の衆議院で3分の2を超える「圧倒的多数」となる。これにより、野党が過半数を占める参議院が否決した法案を、衆議院で再可決できる。 驚くべきことに自民党は、大敗した前回2009年より得票総数を400万票近く減らして勝利を収めた。逆に言うと、民主党への支持が激減したということだ。日本の国政選挙は、これで3回続けて、有権者が政権政党から雪崩を打って離れていく結果となった。 こうした有権者の移り気を見る限り、2013年7月の参議院選挙で自民党が楽勝すると予想するのはまだ早い。有権者が風見鶏のように向きを変えるのは、もはや既定の事実だ。だが、こうした日本の有権者も、確固たる指導力を示すリーダーが現れれば、もっと一貫した姿勢を見せるかもしれない。 公共事業とインフレ目標 安倍氏は景気対策に力を注ぐことを公約として掲げている。日本の景気は、過去15年間で5度目の後退局面にある。これを回復に導くために安倍氏は、追加の金融緩和策とともに、10兆円にも及ぶと見られる巨額の公共支出を求めている。財源は国債の追加発行だ。だが、日本は既にGDP(国内総生産)の200%を超える債務を抱える。 日本の経団連は、これらの政策に失望している。経団連が安倍氏に求めるのは、例えば、自民党の支持基盤である農業や医療の分野で規制緩和を行い、生産性を高めることだ。それでも総選挙の翌日、東京株式市場の株価は8カ月ぶりの高値を付けた。これは投資家が「安倍氏の考えに日銀が屈する」と見たからだろう。円の対ドル相場も、「アベノミクス」(安倍氏が掲げる経済政策)に反応して、20カ月ぶりの低水準となる85円近くまで急落した。 安倍氏は日銀に対し、2%という具体的なインフレ目標の導入を求めている。日銀の現在の姿勢は、1%をめどとするという曖昧なものだ。 安倍氏の圧力に対して日銀が自身の独立性を強く訴えたことから、この問題は選挙期間中に議論となった。記事執筆時点で、日銀幹部はインフレ目標の導入を検討するものと見られている(本誌注:日銀は検討することを決めた)。日銀はある種の休戦に持ち込もうとしているのだろう。だが、これでは終わらない。 安倍氏は、日本銀行法を改正して日銀の独立性を制限する案を示している。また、発行した国債を日銀に引き受けさせる考えもちらつかせる。こうした「財政ファイナンス」は正統的な手法から大きく外れるものだ。 これらの手段を実際には実行しなかったとしても、安倍氏は、次の日銀総裁に自分に近い考え方の人物を指名するかもしれない。白川方明総裁は2013年4月に任期を終える。 新首相の懸念は健康と歴史認識 安倍新内閣の閣僚の全容が明らかになるのは26日だが、主要人事は既に固まっている。1人は麻生太郎元首相(72歳)だ。漫画好きで知られる麻生氏は、2009年の総選挙で自民党が大敗した当時の総裁だった。麻生氏は財務大臣への就任が噂される。日本経済の回復に尽力するだろう。景気が回復すれば、来年の参院選で自民党に対する追い風となる。財政赤字の縮小に欠かせない2014年の消費税増税も可能になる。 政府のスポークスマンである重要な官房長官のポストには、麻生氏と安倍氏が信頼を寄せる菅義偉氏が予想される。 悲惨な結末を迎えた2006年の第1次安倍内閣は「お友達内閣」と揶揄された。今回も、安倍氏が自分に近い者ばかり集めることを懸念する向きがある。だが安倍氏は、総裁選で争った現実主義者の石破茂氏を、総裁選後もそのまま党幹事長に据えている。これは自分の派閥外の人物にも寛容な人事をする兆候と見られる。 安倍氏には2つの疑念がつきまとう。1つは58歳になる同氏の身体的及び精神的健康だ。安倍氏は2007年、極度の心労が重なり首相を辞任した。持病の潰瘍性大腸炎については適切な薬物治療を行っていると説明するが、この病気はストレスが影響する。 もう1つの懸念材料は、安倍氏のナショナリズム的姿勢だ。同氏は、大戦中に日本が犯した過ちの最悪の部分をごまかし、場合によっては否定しようとする傾向を持つ。領土問題を巡り周辺諸国との緊張が高まっているこの時期、その安倍氏が、一般国民の困惑をよそに、日本に対する中国や韓国の評価を損ないかねない立場に就いた。 慶応大学教授で、外務省の要職を務めたこともある谷口智彦氏は、安倍氏は民主党政権下で難しくなっていた日米関係の強化に努めるはずだと予想する。それに続いて、オーストラリアやインドなど、アジアの民主主義国との関係も強めていくと見る。 谷口氏はさらに、こう指摘する。安倍氏が中国や韓国との関係改善を優先することはあまり考えられない。とはいえ同氏は、前回政権に就いた時の「苦い失敗」から学んでいる、と。「愛国心」や「大義」についていくら語ろうと、有権者の心を動かすことはできなかったのだ。 安倍氏は、米国主導の自由貿易グループであるTPP(環太平洋経済連携協定)への参加に関する意向を明確にしていない。経団連は参加を強く支持している。農業団体など、自民党のほかの支持団体は反対している。安倍氏自身は推進派と見られる。 外交に配慮しつつ経済対策を 安倍氏が中国や韓国との領有権や歴史認識を巡る緊張関係を解消できるかどうかは、隣国の新指導者しだいかもしれない。中国共産党の新総書記、習近平氏の態度はまだ不明だ。習氏は、安倍氏の見解に嫌悪を抱いているとしても、現実的な思考でそれを抑え込むかもしれない。韓国も、この後まもなく新大統領を選出する。 安倍氏は、戦犯容疑者でもあった岸信介元首相の孫にあたる。今後靖国神社を参拝するかどうかについて明言を避けている。靖国神社は日本の戦死者とともに戦犯として有罪判決を受けた者も祀っている。安倍氏が靖国参拝を強行すれば、隣国から反発を受けることを同氏は容易に予想できる。 しかし、もし安倍氏が自重して、経済の回復に乗り出すなら、諸外国における日本の評価は一気に高まるかもしれない。それはまた、安倍氏を消極的に首相に選んだ日本の有権者にとっても、予想外のお返しとなるだろう。 ©2012 The Economist Newspaper Limited. Dec 22th 2012, All rights reserved. 英エコノミスト誌の記事は、日経ビジネスがライセンス契約に基づき翻訳したものです。英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。 英国エコノミスト 1843年創刊の英国ロンドンから発行されている週刊誌。主に国際政治と経済を中心に扱い、科学、技術、本、芸術を毎号取り上げている。また隔週ごとに、経済のある分野に関して詳細な調査分析を載せている。
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Economistは約400万人の読者が購読する週刊誌です。 世界中で起こる出来事に対する洞察力ある分析と論説に定評があります。 記事は、「地域」ごとのニュースのほか、「科学・技術」「本・芸術」などで構成されています。 このコラムではEconomistから厳選した記事を選び日本語でお届けします。
求められる「選挙モード」から「実戦モード」への切り替え 政権復帰の経済学(1) 2012年12月26日(水) 小峰 隆夫 衆議院選挙は自民党の大勝に終わり、安倍自民党総裁を総理とする自民・公明の連立政権が誕生することが確実となった。経済的には、これを受けてどんな経済政策が展開されるかが大変注目される。 言うまでもなく、日本経済は、景気の悪化、デフレの持続、財政赤字の深刻化、基礎的成長力の低下、グローバル化への対応の遅れ、少子高齢化の進展など列挙するのが嫌になるほど多くの課題が目白押しである。ここで対応を誤れば、混迷はますます深まるだろう。経済政策をどう方向付けるかは誠に重要なのだ。総選挙後の経済政策の課題について考えてみよう。 「選挙モード」から「実戦モード」へ 重要なことは「選挙モード」から「実戦モード」への切り替えだ。選挙戦を戦っている時は、どうしても選挙民の誰かが批判しそうなことは言いづらく、誰もが喜びそうなことしか言わない。しかし、誰もが喜び、かつ経済が良くなり、かつまだ実行されていない政策というのはほとんどないだろう。そんな政策があればとっくに実行されているはずだからだ。ということは、選挙中に盛んに喧伝された、みんなが得をするような政策には何らかの問題が隠されている場合が多いということになる。 選挙に大勝したという勢いで、選挙モードのまま実戦モードに突入してしまうと、この隠れていた問題点が顕在化し、経済はかえって混乱し、大勝した政党は急速に支持率を失っていく。これをここでは「選挙モードの罠」と呼ぶことにしよう。 2009年の民主党の政権交代の失敗の一つの原因は、この「選挙モードの罠」に陥ったことにあると私は考えている。民主党の場合は具体的には二つの罠に陥ったと言えそうだ。 一つは、財源の罠だ。民主党はマニフェストで、子ども手当の支給、高校の無償化、ガソリン税の廃止、高速道路の無料化などを公約した。その所要金額は平成25年度までで16.8兆円とされたが、その財源は無駄の削減、埋蔵金の活用などで賄えるとした。 つまり、国民は負担なしに恩恵だけを受けられるような約束を行ったわけだ。そしてその選挙モードのままで実戦モードに入っていたため、約束したことをそのまま実行しようとし、財源の手当てがつかなかったので、結局は赤字国債に頼ることとなってしまった。 もう一つは「政治主導の罠」だ。民主党のマニフェストでは政権構想の5原則の第1番目に「官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治主導の政治へ」を挙げ、これをそのまま実行しようとした。しかし現実は、政治家が役所に入り込んで、本来であれば役人に任せればいいことまでやろうとして大失敗に陥った。 選挙モードで国民が喜ぶことを訴え、小選挙区制度の下で大勝する。その選挙モードのまま実戦モードに突入すると、矛盾点や副作用が次々に現われて国民の失望を買う。国民の期待が大きい分だけ失望もまた大きいから、次の選挙では大敗する。これが民主党が陥った「選挙モードの罠」であった。 選挙モードで現れがちなバイアス こうした経験を踏まえて、今回は、しっかりした政策スタンスで実戦モードに入っていってほしいと思う。そのためにはどんな点に留意すべきだろうか。この点を考えるために、もう少し選挙モードの罠について考えよう。 選挙モードの罠が生ずるのは、選挙モードでの主張にはいくつかのバイアスが生じがちであり、それを修正しないまま実戦モードに入ってしまうからだ。その「選挙モードでのバイアス」としては、次のようなことが考えられる。 第1は、民意を重視するというバイアスだ。民主主義なのだから民意を尊重すべきことは当然だ。しかし、何でも民意に沿っていれば適切な政策が行われるということにはならない。 この点で私がすぐに思いつくのは、消費税に軽減税率を導入せよという議論である。消費税率を引き上げると、消費税には逆進性があるので、所得の低い層の負担が相対的に大きくなってしまう。これは、食料品などの生活必需品は、所得による消費額の差が小さいからである。そこで、例えば、食料品については軽減税率(例えば、消費税率を引き上げても食料品については5%に据え置く)を適用するという対応措置を取ることが考えられる。 この軽減税率は、広く国民の支持を得ており、各種世論調査でも賛成の人が多い(賛成する人の割合は8割程度という結果になっている)。つまり「民意に沿った」政策である。このため、自民党も公約集の中で「消費税引き上げが低所得者に与える影響を緩和するため、今後、食料品等に対する複数税率の導入を検討し、関係者の理解を得た上で実施します」としている。 公明党はもっと積極的で、公約で「消費税率8%引き上げ段階から、確実に低所得者対策を実行します。…公明党は軽減税率の導入を目指します」と明言している。しかし、これは典型的な「民意のバイアス」だと言うのが私の考えだ(詳しくは本連載「軽減税率は『民意のバイアス』が生じる典型例」2012年7月4日を参照)。 それはこういうことである。食料品への軽減税率を導入したとしよう。よく考えてみると、高所得者ほど食料品の購入金額は多い。すると税金をまけてもらう金額が最も大きく、軽減税率で最も得をするのは高所得者だということになる。つまり、軽減税率は低所得者を助けるのだが、それ以上に高所得者を助けてしまうのであり、極めて効率の悪い所得再分配の手段だということになる。 ところが一般の人々は、自分の身の回りのことだけで政策の是非を判断してしまうので、「食料品の税率が低ければ助かる」と考えてこれに賛成してしまうのだ。このような場合は、「民意に従う」のではなく、「民意を説得すること」が必要となる。 しかし、選挙モードのままでいると、こうした民意に逆らうことはできないから、非効率的な政策が実現してしまうことになる。 第2は、政党間の対立姿勢が強調されることだ。選挙は「勝つか負けるか」だからどうしてもライバルの政党を攻撃したくなる。しかし、その選挙モードのまま実戦になると、野党は「何でも反対」になってしまい、実際の政策がスムーズに進まなくなる。 特に、社会保障制度、子育て支援などは、長期的な継続性が求められるのだから、実戦になったら超党派の合意を得るよう努力することが必要となるはずだ。 第3は、長期よりも短期的な利害を強調しがちになることだ。典型例は、財政による景気刺激を重視するか、財政再建を重視するかという問題だ。 景気か財政か 短期的な利害と長期的な利害はしばしば衝突する。短期的な利益を得ようとすると長期的な利益が阻害され、長期的な利益を守ろうとすると、短期的には痛みを伴うことが多い。その典型的な例として、財政による景気刺激と財政再建の関係について考えてみよう。 現時点の日本経済を見れば、短期的には景気が悪化していること、長期的には財政の維持可能性が怪しくなっていることが大きな問題点である。いずれもよく知られていることなので詳しい説明は省略するが、景気については、2012年の春ごろをピークに景気後退局面に入っているとする見方が強い。2012年7−9月の実質GDPは、年率3.5%のマイナスとなったが、10−12月もマイナスとなることがほぼ確実である。 代表的な民間エコノミストの予測をまとめ、その平均値を発表しているESPフォーキャスト調査(日本経済研究センター)によると、12月初めの時点で、39人中34人が「既に景気の山を過ぎた」(つまり「既に景気後退期に入っている」)と答えている。 財政については、日本の財政事情はこのままでは維持可能性がなく、いずれは破綻するという見方が強い。日本経済研究センターは、本年12月7日に「中期経済予測(2012−2025年度)」を発表した。この中で、日本経済は2020年代初めに「双子の赤字」状態となり、金利上昇、財政危機のリスクが高まるという展望を示している。すなわち、この予測では、財政については、消費税率の引き上げにより、国・地方の基礎的財政収支の名目GDP比マイナス幅はいったんは縮小するが、その後再び拡大し始め、2020年度マイナス3.9%、2025年度マイナス5.5%となるとされている。 また、経常収支についても、原子力発電の火力代替に伴う輸入増加や、製造業の海外生産シフト(いわゆる空洞化)などにより、2020年ごろから赤字となり、赤字の名目GDP比は2025年度には3.4%に達するとしている。この、財政収支赤字と経常収支赤字という「双子の赤字」の規模(名目GDP比)は、1980年代の米国の最悪期に匹敵するものとなる。 仮に、日本の財政が破綻した場合には、金利の上昇、金融機関のバランスシートの悪化、インフレなどのリスクが顕在化することが懸念される。仮にそれが顕在化すれば、経済全般、国民生活全般に及ぼす影響はおそらく戦後最大規模のものとなるだろう。 以上の短期的な景気問題と長期的な財政問題が、選挙中、および選挙直後の議論でどう扱われてきたかを見ると、景気についてはしばしば取り上げられているが、財政再建についてはほとんど無関心だったという大きな差がある。すなわち、景気については、新政権発足後直ちに10兆円規模の補正予算を編成するという意向が示されている。一方、財政再建については全くと言っていいほど話題になっていない。 自民党の安倍総裁は、総選挙後の記者会見で「2020年度に基礎的財政収支を黒字化する」という現在の政府の基本方針は守るとしている。しかし、自民党の公約を見ると、その部分は本文にはなく、「J−ファイル2012」という細かい公約の解説の一項目となっているにすぎない。 しかも、政府試算では、消費税を10%にし、名目3%の経済成長率が実現したとしても、2020年度の基礎的財政収支は赤字が続くことが示されているのだ。財政破綻危機が差し迫っているにもかかわらず、ほとんど選挙の論点にもならないという現状は、私には異常に見える。 民意はどうしても当面の短期的な経済を気にする。選挙中の世論調査を見ても、多くの人が政治に期待することのうちで第1番に「景気を良くしてほしい」と希望しているのだが、財政再建を求める人は少ない。これは民意はどうしても、当面の問題を解決してほしいと願う傾向があるからだ。すると、この民意に答えようとする政治もまた短期的な利益を追求することになってしまう。 選挙モードの罠に陥らないようにするためには、以上のような選挙モードのバイアスを意識し、「民意に従うのではなく、民意を説得する方向へ」「政党間は対立ではなく超党派合意を目指す方向へ」「短期的な利益ではなく、長期的な利益を追求する方向へ」と舵を切り替えていく必要がある。 重要な政策決定システムの設計 経済政策については、その内容も重要だが、それをいかにして決定していくかという意思決定システムもまた重要である。 これまでの民主党の場合には、総理が変わるたびに、新たな成長戦略が策定され、新たな成長戦略が策定されるたびに新しいアイデアが盛り込まれるということが繰り返されてきた。このため政策がいわば「使い捨て」状態となってしまい、なかなか実効ある取り組みが行われなかった。 この点については、私はかつての経済計画のような仕組みを復活させてはどうかと考えていた(詳しくは、本連載「時の総理のビジョンを『使い捨て』にしない戦略の作り方」2012年10月3日を参照)。 かつての経済計画は、(1)内閣の政策方針を整合的な形で明らかにする、(2)政府の長期的な経済展望を数値的に明示する、(3)計画策定のプロセスを通じて国民的コンセンサスを形成するという三つの役割があった。こうした役割を果たせるような仕組みが組み込まれれば、政策の使い捨てもなくなるだろうと考えたのである。 この点については、報道によると、新たな政権は経済財政諮問会議を再開する方針だという。これは、うまく活用すれば私の言う経済計画と同じ役割を果たすことができるので、ぜひ積極的に使いこなしてほしいと思う。 しかし、自民党の公約では、「日本経済再生本部」を新たな司令塔にするということも示されている。この再生本部と諮問会議の関係がどうなるのかはまだ不明だが、二つの組織ができるのは混乱を招きそうな予感がする。というのは、第1に、役割分担の問題がある。マクロは諮問会議、ミクロは再生本部という分担も考えられているようだが、マクロとミクロは本来不可分なものであり、うまく区分できるかという問題がある。第2に、指揮系統が一本化しないで、寄せ集めになる可能性がある。二つの組織ができれば、必ず二つの担当官庁ができるから、権限をめぐる調整も難しくなるだろう。 小泉内閣時代に経済財政諮問会議がうまく機能したのは、諮問会議がほとんどあらゆる問題の司令塔となり、小泉総理の信任が厚く、竹中平蔵氏という強力な閣僚がその運営の任に当たったからだ。こうした経験を生かして、くれぐれも意思決定過程が混乱しないようにすべきである。 重要なスタートダッシュ しばしば新政権で重要なのは最初の100日だと言われる。勢いがあり、周囲も「お手並み拝見」と批判を控える傾向がある最初のうちに、いかにその後の政権運営の基礎固めをするかが重要だからだ。 今回生まれる新政権も、スタートダッシュが重要である。スタートダッシュを誤ると、勢いよく間違った方向に進んでしまうので、その後の修正が難しくなる。本稿で指摘してきたように、選挙モードを実戦モードに切り替え、長期的な政策課題と整合的な方向へとスタートダッシュをかけてほしいと思う。 (政権復帰後の経済政策については、まだ論ずべき点も多いので、情勢の変化を踏まえてさらに議論を続ける予定です。今後随時掲載します。) 小峰 隆夫(こみね・たかお) 法政大学大学院政策創造研究科教授。日本経済研究センター理事・研究顧問。1947年生まれ。69年東京大学経済学部卒業、同年経済企画庁入庁。2003年から同大学に移り、08年4月から現職。著書に『日本経済の構造変動―日本型システムはどこに行くのか』、『超長期予測 老いるアジア―変貌する世界人口・経済地図』『女性が変える日本経済』、『データで斬る世界不況 エコノミストが挑む30問』、『政権交代の経済学』、『人口負荷社会(日経プレミアシリーズ)』ほか多数。新著に『最新|日本経済入門(第4版)』 小峰隆夫の日本経済に明日はあるのか
進まない財政再建と社会保障改革、急速に進む少子高齢化、見えない成長戦略…。日本経済が抱える問題点は明かになっているにもかかわらず、政治には危機感は感じられない。日本経済を40年以上観察し続けてきたエコノミストである著者が、日本経済に本気で警鐘を鳴らす。 安倍政権は再び、「憲法第9条」改憲に挑む(後編) 2012年12月26日(水) 金野 索一 「今回【憲法第9条】をテーマに憲法学者の小林節氏(慶応義塾大学教授)と対談を行いました。「憲法は主権者である国民が「国をあずかる権力者、すなわち政治家と公務員に対して、正しく振る舞わせるための指図書、すなわちマニュアルである。」小林氏は、憲法は規律されるべき権力から無視され、現在、全く守られていないと語る。一方で改憲派でありながら立憲主義の基づかない改憲については反対の立場をとります。対談の中で、小林氏は戦争と戦争の手段放棄を謳った9条と自衛隊について国家の自然権を元に解説し、自衛隊の海外派兵を法律で制定する動きを否定しています。時の政権によって左右されないよう「侵略戦争放棄、自衛戦争堅持。自衛権を持ち、保持する軍隊を、国際貢献のために必要な場合は海外派兵をする。」と語り、海外派兵の条件として国連決議と国会の事前承認等を、憲法改正時に織り込むよう主張しています。 「憲法、とりわけ9条に関する基礎知識が国民全体を通して正しく共有されていない」と小林氏は語っています。憲法及び第9条、規律対象である国家を含めて良い方向へと導く議論の出発点となり、読者自身が主権者として、日本の選択を進めて頂ければ幸いです。 この「日本の選択:13の論点」について。現在の国民的議論となっている13の政策テーマを抽出し、そのテーマごとに、ステレオタイプの既成常識に拘らず、客観的なデータ・事実に基づきロジカルな持論を唱えている専門家と対談していきます。政策本位の議論を提起するために、一つのテーマごとに日本全体の議論が俯瞰できるよう、対談者の論以外に主要政党や主な有識者の論もマトリックス表に明示します。さらに、読者向けの政策質問シートを用意し、読者自身が持論を整理・明確化し、日本の選択を進められるものとしています。 (協力:渡邊健、深谷光得、薗部誠弥) (前編から読む) 金野:前編の話に続く発展的なテーマになります。通常、「集団安全保障と集団的自衛権」ということがよく出てきますが、先生は特に集団的自衛権についてはどうお考えですか。必ずそれはアメリカとのかかわりの話になるわけですが。 小林 節(こばやし・せつ)氏 東京都生まれ、日本の憲法学者・慶應義塾大学教授。本海新聞・大阪日日新聞客員論説委員。日本公法学会、全国憲法研究会、日米法学会、比較憲法学会、憲法理論研究会、憲法訴訟研究会、国際憲法学会、国際人権法学会に所属。 著書に、『「憲法」改正と改悪―憲法が機能していない日本は危ない』『国家権力の反乱 新貸金業法は闇金を利するだけではないか』『そろそろ憲法を変えてみようか』『対論!戦争、軍隊、この国の行方 九条改憲・国民投票を考える』などがある。 小林:それは構わない。アメリカと集団的自衛権を結んだところで、アメリカの奴隷になるわけではない。しかも、集団的自衛は絶対強い。
だって、集団的自衛権は、国連憲章にも書いてあるように、自衛権の行使には集団と個別とがあって、これは自然現象です。だから、国連憲章でも認められているように、我々は自衛権を持っている以上、それは集団も個別も込みです。 ただ、大事なことは、集団的自衛権だからといって、同盟国のアメリカがどこかで明らかに侵略戦争をしている時に、我が国の判断においてそれは侵略戦争だと思ったら、「我が憲法の規定で、海外派兵につきましては国連の決議が必要です。どこかの単独の国の要求では出られないことになっています。」と言えばよい。アメリカだって日本のために無理をしてくれたことは一度もないのだから。 金野:そうすると、先生の立場としては、国際法上は個別だろうが集団だろうが、自衛権というのは自然権として存在している。現状、憲法では集団的自衛権は違憲だということで、そこを合憲にするように改正したい方々がいらっしゃる。この点はどうでしょうか。 小林:改正論者は、アメリカが要求したらすぐにでも戦争できると考えているみたいですが、ちょっと僕とニュアンスが違います。 僕が言いたいのは、世界史の事実として、人間社会の自然現象として、集団的自衛権というのは、国際法でも認められているように、存在する。国家である以上、自衛権があり、自衛権には個別的方法と、仲間と手をとる集団的方法の2種類がある。そこでは、別に切り分けていない。自衛権の行使方法が2つあるだけです。それを、日本では苦し紛れに個別的自衛権と集団的自衛権に切り分けているだけです。 だから集団的自衛権を認める立場ではあるものの、だからといって具体的に、「アメリカに頼まれたから、どこそこへ飛んでいかないといかない」と言われれば、それはアメリカの傭兵になることで、そんなことは僕の考えている憲法論ではない。 国連決議と国会の承認が一番重要 金野:いずれにしても国連決議と国会の承認が一番重要なポイントになる。 小林:憲法に集団的自衛権を書いておかなかったら、国家として失礼です。世界に育ててもらった日本が、初めから世界の有事の際に、「申しわけないが、我々は絶対手を出しません」という憲法だったら、将来に影響する。必要に応じて、我々はもちろん国際的に応分の負担はする。ただしあくまでも第三者意思のもとに世界の総力の一部として参加しますということです。 金野:憲法でそこまで具体的にうたえば、確かに明確ではあります。 小林:そうです。こういう大事なところは、状況でふらふら意見が変わるような政治家に裁量権を与えないことです。 金野:また、そうやって明記することで、反対側の人間への理論武装になり得そうです。 小林:敵も味方も公式の場ではこれなら納得せざるを得ない。 金野:そうですね。そうすると、ある意味で憲法9条の条文という意味では1項も2項も変えるということだと思いますが、精神という意味では1項の精神はそのまま生かす。 小林:堅持していると思います。 金野:だから、9条の条文という意味では、全体を今言ったように3つのパートというか、3つの精神で改正ということですね。 小林:そうです。世界の常識と、日本の歴史的体験と、今の日本人の本心というか、良心の多数の赴くところがぴったりいくはずです。 金野:そうすると、9条から外れますが、例の前文がありますね。あれも、今言ったような9条を変えるとしたら、若干前文とのそごもあると思うので、前文自体もある程度変えなければいけないのかなと思いますが。 小林:「諸国民の公正と信義に信頼して」と言うが、憲法はやはり法だから、法というのは現実の条件の中で理想に近づいていく。宗教ではないですから。吹っ飛んでしまった理想を掲げてもしょうがない。だから、あの前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」なんて、あり得ないことは書かないことです。 決められない政治 今の政治の欠点というか病気は、決められない政治です。なぜ決められないかというと、2大政党の民主党の中と自民党の中がまとまっていない。だから、彼らは政党であることが間違っている。 金野:そういう意味では、いろいろな政策別に政党が分かれていなくて、いろいろ入りまじって今の政党がある。政界再編の1つの軸として、憲法をどう考えるかというその政策が当然、再編の1つの軸になると思いますが、そういう意味ではいわゆる改憲、9条を変えて、先生のお考えのような軸で1つの政党が結集される、one of themの政党の柱になると思いますが… 小林:TPPとか、消費税とか、いろいろなものでみんな小粒になってきている。一番安定的というか、不動というか、根本的な物差しは憲法だと思う。 核保有についてはどう思う 金野:先生は核保有についてはどうお考えですか。 小林:揺れています。アメリカから帰ってきたころは、核兵器というものが開発され相手が悪意を持って核で構えている以上、一番簡単なのはこっちも核を持てば、相手の核が帳消しになる。だが、核とは人間が発見、発明したものであって、かつ、現実に存在するけれども、持ってはいけないものです。例えば、麻薬というのは、人間がある意味では製品として開発してしまった。でも、あってはいけないもの。 核兵器は被爆した人のDNAと地球環境に不可逆的な害をもたらす。DNAという過去何百代と続いて築き上げてきた各人の個性を、核被爆することによって一遍に御破算にしてしまう。変に組みかえてしまう。こんなことは禁じ手で、やってはいけないことです。そういう哲学です。そう考えていたが、最近の東アジアの風雲急を考えると、「面倒くさいな、このやろう」と。核兵器を持ってしまうか、持たなくてもよくて、「持とうかな」発言でいい。日本は金と技術があるから、日本が「持とうかな」と言っただけで注目される。 金野:北朝鮮のミサイルに対してはどう思われますか。 小林:核を持つ持たないは憲法は関係ないのではないか。 金野:そうですね。 小林:ただ、平和憲法の精神に反すると、福島さんだったら言うでしょうね。それから、日本国憲法が出たいきさつは敗戦です。敗戦というのは、侵略戦争と核投下が一緒になってくる。だから、そういう意味では日本国憲法9条的には、日本が核兵器を持つというのは論外だ。だけど、本当に核兵器を持ってしまったら簡単だ。はっきり言うと、ロシアも中国も北朝鮮も急に行儀がよくなる。力を信ずる人には力を見せればいい。 金野:日米安保条約について、中身に対して、先ほどの憲法改正の御意見を踏まえながら、これからの日米安保をどうするかということと、もう1つは、各論としての沖縄の米軍基地についてお考えは。 小林:日米安保条約というのは片務条約です。これはアメリカが与えた憲法のゆえだから、アメリカも我慢していますが、アメリカ当局が日本に来たときは、一番高位高官は副大統領チーム。ホワイトハウスでしゃべったときは安全保障担当の大統領補佐官。だれに会っても、日本はいつ憲法9条を改正してアメリカと一緒に戦争に参加してくれるのかと、極めて率直に聞かれる。アメリカは便利な二軍として日本を使おうとしている。今、「僕たちはお荷物を運びたいです」と言うと、ばかやろうと思っているわけだ。だから、二軍として使おうとしているアメリカの動機は見え見えだが、まずマナーの問題として、安保条約は双務条約にすべきだと思う。その上で一々求められて出て行くか、行かないかは、こちらの主体性の問題だと。これが1つ。 沖縄の基地の問題は、沖縄という場所のロケーションがまず問題だ。沖縄は、どこでトラブルがあってもすぐ飛んでいけるところにある。しかも、海の中にあるから。海というのは、昔は鎖国を守ってくれた、海を越えて行きにくい障害物だった。今、テクノロジーが進んでいるから、海というのは平らな廊下だ。沖縄というのはいつでも攻められると同時に、そこから攻めていける。沖縄の戦略的好位置性からして、アメリカは沖縄を手放さないと思う。 グアム島に引っ込んでしまったら、いざというときに東南アジアでもタッチの差でおくれるかもしれない。中近東になったら、もう完全に手おくれだ。沖縄からだったら手おくれではない。グアム島からは手おくれだ。ということで、沖縄をアメリカは手放さないと思う。 日本と沖縄 だから、これは日本国として、下手をすると、日本国と沖縄の戦争みたいになってしまう。実は沖縄は歴史的に日本ではないから。その昔は、中国大陸にあった政府と日本列島にあった政府の間で、琉球王国という政府があった。要するに、科学技術が進んでいないから、交通手段も余りないから、お互いにかかわりようがないときに、両方に朝貢外交をした。中国は、琉球はうちの属国だと思い、日本は、琉球はうちの属国だと思っていた。その後、薩摩の国が乗っ取って、薩摩の属国として日本、やまとの属国になった。たまたま手が早かっただけです。 1つは、日本の責任だから、時間をかけて、利益を与えることと、説得することだと思う。昔は沖縄の基地問題になると、沖縄が反対すると、基地は安全保障、外交の問題だから国が決めることで、四の五の言ったら特別措置法で自治体の権限を奪って処理した。しかも、そこへ説得に行く人が小役人だった時代だから。それに対して僕はむしろ、歴史的背景を考えたら、日本とアメリカに対する二重の恨みを持ってしまっている沖縄の人たちに対しては、被害者意識そのものにかかわる論点だから、総理大臣が行くべきだと言っていた。今、総理大臣が行きますね。 もう1つは、これは負担の問題だから、日本全体の米軍基地の75%というのは、日本で一番目か2番目に小さな県の負担としてはよろしくない。陸面積、産業規模、人口でいくと、最下位でないとしても下から2番目ぐらいだ。そういう沖縄に75%の米軍基地を日本のために置かせるとしたら、あとは条件闘争になる。うんと沖縄に物心両面の優遇を与える。これはできることだと思う。 ただ、今、沖縄問題は、運動を仕事にしている団体が、黄色いリボンで集団をつくってしまう。あれは沖縄の反日・反基地運動盛り立てビジネスがあるような気がする。だから、それを暴いてあげるといい。盛り上がってしまって、交渉に行くと、もう交渉拒否の空気になってしまって、車を取り囲まれたやつも、あきらめて帰ってくる。 結論として、沖縄問題は、日本の責任による沖縄の負担軽減という解決策しかないと思う。沖縄の負担軽減ということは沖縄のロケーションからして無理だから、優遇を与えるしかない。 項目別に賛否を問うこと 金野:さて改憲派としての小林先生に、第1次安倍政権による憲法改正の具体的な手続きを明確にした国民投票法についてお聞きします。 小林:はい。まず手続きとしては、姑息な手段はするな。つまり、フルセットで、軍国主義とプライバシーの権利をセットで、一まとめ幾らみたいなこと、つまり、9条と新しい人権というふうにしないで、項目別に仕切り分けて項目別に賛否を問うこと。セットで○×はさせないこと。 それから、議論の時間を十分に置くこと。下手すれば1年ぐらい置いた方がいいと思う。つまり、余り短いと、どっちかがわっとムードをもり立てて、震災の直後のように、非常事態法がないとまずいでしょうと言って戒厳令を出しやすい国になっても困る。だから、十分に議論の期間を置くこと。 それから、あの制度の中では広報委員会みたいなものをつくります。つまり、国民に正しく情報を配るための第三者委員会をつくる。委員会のメンバーは政治家でいいと思います。だって、政治家は責任を持って、目立ちたがり屋で、手を挙げて当選しているわけですから。御用学者とか、審議会やそういうところで顔を出すことを生きがいにしている人はよくないと思う。民主的正統性がないから。 だから、ちゃんとじっくり時間を置く間に、賛否両論に関する資料を公平な分量、提供する。改憲派と護憲派で、発議するわけだから、国会でいえば改憲派が3分の2以上、護憲派は3分の1以下。だとしても、改憲派2分の1、護憲派2分の1の紙面を、国で改憲論議テキストをつくって全国民に配る。それで1年ぐらい議論する。項目別に分けて、まとめて投票させない。その点が肝心だと思う。 金野:まさにその提案を入れたものが法律としてできたということですね。 小林:そうです。ただ、そういう思いを込めてつくったということを忘れてしまうと、その意義がわからない。なかなか改憲できないから、軌道に乗ったら改憲派がさっと通り過ぎようと。 金野:では、そこは、立場の違いがあっても、護憲派の伊藤真先生と小林先生のある意味でまさに一致した部分で。 小林:そうです。その結果、否決されたら、それまでです。時代が求めていなかったと。幾ら改憲派でも、「ああ、駄目だったのか」と。それは、日本人の民度を僕は軽蔑すると思いますが。 金野:基本的にはあの法律はなかなか、そういう意味ではできている? 小林:よくできています。ただ、公務員が賛否活動をしたらいけないとか、教員が賛否活動をしてはいけないという規定がありますが、それは当たり前の話でね。表現の自由を奪われると言いますが、教師が改憲論に賛成で、丸をつけないやつには単位をあげないというのはアウトです。僕は憲法学者だから賛否を言います。自分の意見を。僕の授業を受けた学生が○でも×でもいい。僕の授業を受けた学生は8割方、賛成してくれる自信があります。2割方、賛成してくれない人がいても、それは神ではないから完璧な説得力はあり得ない。人それぞれ育ちが違うから。それを単位で縛るというようなことはやってはいけないわけです。 金野:それは別ですね。 小林:という程度の訓示規定です。今まで自民党が憲法改正ができなかった理由として、自民党の地方組織が憲法改正にやる気がなかったのではないか、だから、地方として票がまとまらなくて国の方に意見がいかなかったというところがあると思いますが… 憲法改正を求める国民的なエネルギーは 小林:僕はずっとつき合ってきて思いましたが、説得力ある改憲論がないからです。憲法改正はすごい政治的エネルギーが必要でしょう。そのエネルギーが盛り上がるだけのことがなかった。だから、行財政改革も頓挫しているでしょう。国民の側で盛り上がってない。 政治改革は一気に盛り上がったでしょう。あれは様々な政治スキャンダルがあったときに選挙制度を変え得た。かつての選挙制度は、典型的には中選挙区5人区で、5人区だと政権をとるためには3人当選しなければいけない。自民党で3人。同じ政党だから政策が違わない。だから、サービス合戦。サービス合戦には金がかかる。金をとるために政権党の立場を利用して汚職をする。それがいっぱい出てきた。そのとき「もういい加減にしろ」のエネルギーで選挙制度を改革した。 だから、憲法改正というような大きなことが動くときには、国民の中にそれを求めるエネルギーが生まれないといけない。そういう意味では自民党の明治憲法に返ろうという憲法改正ではだれも立ち上がらない。 金野:もう1点ですが、憲法改正をしようというときに、多数派を形成しなくてはいけないと思いますが、今後、衆院選で、例えば、今、中選挙区にしようということを、憲法改正に熱心な政党が言っていますが、中選挙区制において憲法改正ができるかということについて少し、もしよかったらお聞かせください。 小林:中選挙区制でも、3人区だと、中選挙区制の効果はない。5人区だと、共産党や社民党や公明党も残り得るという程度の問題です。そうなると、ここ20年ぐらいの政治の動きの中で、社民党そのものがもう基礎票を失ってきている。だから、逆に今、選挙区平均5人の中選挙区に戻しても、社民党は1けた政党から、それ以上に変わることはないと思う。共産党も同じく2けた政党ではあるだろう。公明党は最大70幾つもいて、今は20幾つしかないのかもしれないですが、50ぐらいまで復活する可能性はある。 金野:要は、中選挙区制に戻しても、憲法改正という意味ではさほど影響はないと。 小林:そうです。小選挙区制というのは、逆に、多数代表で、つまり、理念的には51%の票をとった者が100%の議席をとる。だから、4年の間に政治をやって、うまかったから2%動くだけで100%失って、反省すればいい。そういうふうにスピード感が政治に出ると考えた。しかし政治家の地位というのは居心地がいいから、51%の票で100%の議席をとったやつは、どうやったら居続けられるか、それだけを考えてしまう。そうすると、51%を逃さないどころか、残った49%に過剰に配慮して、つまり、過激な決断ができなくなる。だから、政治が動かない。「どうしたら受けるか。そうだ。一番いいのは、何もやらない。でも、努力したふりしてこの地位に居続けよう」でしょう。 だから、小選挙区は潔い政治、スピーディな政治ができるだろうと思いましたが、あれはうそで、かえってすくんでしまって、何もできない政治になっているという意外な結果だった。 金野:だから、政策がどんどん寄ってきてしまって、余り変わらなくなってしまう。今の配慮するというのは、結局そういうことですね。 小林:そう。どっちにも受けようとして。 別の選挙統計的な話をすれば、何もしなくても自動的に2割ぐらいの人は選挙のたびに動く。だから、そんなもの全部に気を使っていたら何もできない。だから、政治家というのは、それが職業、家業では駄目だ。政治家もやるけれども、落ちたり、飽きたりしてやめたとき、さっさと戻れる自分の仕事がないと駄目だ。政治家に就職しようと思うと駄目。そうすると、失業しないために八方気を使って、ろくでもないことになる。 自衛隊が戦争するわけではない 金野:最後にシビリアン・コントロールについて意見をお聞かせ下さい。 小林:戦争をこの国がするとしたら自衛隊がするわけではない。政治が決断することです。自衛官が謙虚な人々だから戦争が起きないという話ではない。戦争は、政治が決断してしまったら、それこそ自衛官というのは日本人的美徳を持っているから、嫌でも、あるいは明らかに間違っていると思っても、死にに行く人たちです。僕は防衛大学校で4年間教えたことがあるが。まずそれが1つ。 もう1つ、自衛隊というのは2面を持っていて、日本国憲法のもとでまま子扱いされているから、謙遜ぶっていますが、内輪で酒を飲むと乱れる。「この、くそばか、国民。いざとなったら守ってやらねえからな、ばかやろう」とか、「クーデタでも起こすか」とか、そういうことを言う連中がいる。大変正直で危ない連中もいっぱいいる。クーデタなんて許しません。酔いしれている。屈折している。それでいて、お客様には感じがいい。 それから、憲法9条が改正されたら侵略戦争をするという人がいるが、今は、大日本帝国ではない。日本国だ。日本国はおれたちだ。おれたちはどこか攻めに行きたい国はある? 攻めていく必要はないだろう。被害妄想です。 例えば、大分前に湾岸戦争があったときに、フセインがクウェートを襲った後に、ペルシャ湾の機雷を掃海するために日本の船が行った。そのときもさんざん日本の左翼とアジアの左翼たちは、大日本帝国が鉛色の軍艦に旭日旗を立てて攻めてくると言いました。日本の自衛隊はとことこ東南アジアを通ってペルシャ湾まで行って、1つの事故も起こさずに機雷をたくさん処理して、またとことこ帰って、何もしなかった。 いつか日本が攻めてくるというが、どこを攻める必要があるか。だから、我々がすべきことは、先ほど私が言った新しい合理的な憲法9条に改正して、そして何事もなく時を過ごすことです。それによって、いつか攻めてくるという内外の被害妄想が消えるでしょう。 金野 索一(こんの・さくいち) 日本政策学校 代表理事 コロンビア大学国際公共政策大学院修士課程修了。 政策・政治家養成学校、起業家養成学校等の経営、ベンチャーキャピタル会社、教育関連会社、コンサルティング会社等の取締役、公共政策シンクタンク研究員を歴任。 このほか、「公益財団法人東京コミュニティ財団」評議員など。 《主な著作物》 ・『ネットビジネス勝者の条件ーNYシリコンアレーと東京ビットバレーに学ぶ』(単著:ダイヤモンド社) ・『Eコミュニティが変える日本の未来〜地域活性化とNPO』(共著:NTT出版) ・『普通の君でも起業できる』(共著:ダイヤモンド社) 13の論点
2012年の日本において国民的議論となっている13の政策テーマを抽出し、そのテーマごとに、ステレオタイプの既成常識にこだわらず、客観的なデータ・事実に基づきロジカルな持論を唱えている専門家と対談していきます。政策本位の議論を提起するために、1つのテーマごとに日本全体の議論が俯瞰できるよう、対談者の論以外に主要政党や主な有識者の論もマトリックス表に明示します。さらに、読者向けの政策質問シートを用意し、読者自身が持論を整理・明確化し、日本の選択を進められるものとしています。 プーチンの「安倍首相歓迎」発言を読み解く
「建設的提案」の意味するものは? 2012年12月27日(木) 袴田 茂樹 わが国に自民党政権が復活して、その対外政策に各国が注目している。ロシアでも大統領に復活したプーチン氏が、安倍政権の対ロ政策に関心を示した。 安倍晋三自民党総裁は総選挙で勝利した直後の記者会見で「プーチン首相も大統領に復帰され、私も首相に復帰する中で、日ロ関係を改善していく。さらには領土問題を解決して、平和条約の締結をしたいと思います」と述べた。これに対してプーチン大統領は12月20日の記者会見で、サハリンの記者の質問に答え、安倍メッセージを歓迎し「建設的対話」を呼び掛けた。日本の各メディアも、平和条約に対するプーチン大統領の「前向きの姿勢」を報じた。 ただ、プーチン発言を注意深く検討すると、日ソ共同宣言で約束した歯舞、色丹の返還さえも疑わせる厳しい姿勢が垣間見える。ここでは、わが国のメディアがきちんと伝えていない側面を指摘したい。そのために、まずサハリン記者とプーチン大統領とのやり取りを紹介する。 サハリン記者:クリル諸島について尋ねたい。2006年から第2次クリル計画が実施されています。この計画は2015年までです。中央政府はその先をどう考えていますか? さらに領土問題について。第3回の南クリル諸島の調査において、無名の小さな島に名前を付けました。これらは採択されると思います。小さな島の1つに、例えば「プーチン島」と名付ける案についてどうお考えか。そうすれば、皆がすぐにこの島はロシア領だと分かるし、将来ロシアが割譲することもないでしょう。 プーチン大統領:そのためには、必ずしも私の名前である必要はない。トルストイとかプーシキンとかの名前を付けてもよい。その方がはるかに生産的だと私は思う。 今、国際問題の側面には幕を閉じたい(封をしたい)と思う。領土問題に関しては、私たちは日本の同僚たちと建設的な対話をしたいと思っています。日本の政権に復帰した政党指導部から、平和条約締結に関心を抱いているとのシグナルを受け取りました。これは非常に重要なシグナルです。私たちはこれを高く評価し、この問題に関して建設的な対話を行う用意があります。 経済面では、クリル計画は2015年まで、という誤解はしないでほしい。極東発展の長期計画の中で、クリル諸島発展問題にも必ず注意を向けます。 歯舞・色丹の「引き渡し」は「返還」ではない この発言を検討する前に、これまでのプーチン大統領の対日姿勢を簡単に説明しておく。彼が最近、日本との関係改善に強い関心を抱いていることは間違いない。特に安全保障や、エネルギー分野をはじめとする経済、最新技術、投資関連の協力を推進したいと考えている。そのために、領土問題、平和条約問題を避けて通れないことも理解している。 また、首脳会談などで、日本側が常に北方領土問題を突きつけることにうんざりもしている。それゆえ、彼が何とかケリをつけたいと思っているのは本気だ。だから、2012年3月の朝日新聞の若宮啓文主筆などとの会談では、彼の方から「ヒキワケ」「ハジメ」という柔道用語を持ち出して、一見、問題解決に前向きのポーズを示した。日本のメディアはこれをセンセーショナルに取り上げたが、3月7日のコラム「ロシア高官が驚いた日本のナイーブさ」で詳細に検討したように、実際は極めて強硬な姿勢だった。 つまり、北方4島の面積の93%を占める択捉島、国後島の交渉はまったく問題外とした。そして残りの色丹島と歯舞群島も、たとえ1956年の日ソ共同宣言に従って「引き渡し」をしても、それは条件付き、しかも主権はその後もロシアが保持する可能性を示唆した。つまり、「引き渡し」は「返還」ではないという強硬な論法だ。 プーチンが提案する「対話」は「交渉」ではない では今回、この強硬姿勢を改めた兆しが見えるか検討しよう。結論を言えば、今度のプーチン大統領の発言にも、かなり強硬な要素がある。質問者は「ロシア領と示すため」「将来割譲しないために」という意図を明確に述べて、北方領土の無名の小島にもプーチン島といったロシア名を付けるべきではないか、と質問している。我が国のメディアはこの点をほとんど報じていない。 これに対してプーチン大統領は、「そのためには」として、つまり、その意図を実現するために、トルストイなどロシアの代表的作家の名前を提案しているのだ。紛争地に対する命名行為が領有権の国際的な主張とみなされることは、尖閣諸島周辺の島に日本が命名した時の中国の激しい反発を見ればわかる。 ちなみにサハリン州は、北方領土の小島や岩礁の領有権を示すために、州関係者や地理学者、ジャーナリストが何回か調査航海を行っている。2012年9月にも約140人が調査航海を実施し、歯舞群島の2つの小島にロシアの軍人(1945年8月の千島攻撃の司令官)や著名な物理学者の名前をつけた。現在、当局による正式採択を待っている状況だ。サハリンの記者はこれを背景に質問している。プーチン大統領は小島の領有権を示すための命名について、具体的な代案まで提示しているのである。 さらにプーチン大統領は、日本との建設的「対話」を提案しているが「交渉」という言葉は使っていない。かつて日ロ両国は単なる「対話」ではなく平和条約の「交渉」をしていた。 「今、国際問題の側面には幕を閉じたいと思う」という表現も意味深長だ。今年3月の発言で、日本との領土問題は「最終的に幕を閉じたい」と述べていたことを想起させる。3月のこの発言を、日本のメディアは「最終的に解決」などと翻訳して報じた。しかしその時プーチン大統領は、幕を閉じた後の日ロ関係の目標を「領土問題の解決が本質的な意味を持たなくなり、後景に退いて、私たちが…真の友人になること」と説明している。「幕を閉じる」が解決でないことは明らかだ。「棚上げ」すなわち「封をする」のニュアンスである。 返還する島に名前をつけるか? 私が疑問に思うことがある。プーチン大統領が北方領土――少なくともその一部――をやがて日本に返還することを考えているとすれば、歯舞群島の小さな島に対して領有権を主張するために命名するとか、北方領土への投資を2015年以後も重視する、といったことを考えるだろうか。 ではプーチン大統領が提案する「建設的対話」とは何か。彼は安倍氏の首相復帰確定後の最初の言葉を「重要なシグナル」と高く評価した。プーチン大統領が安倍政権に期待を抱いていることは明らかである。 安倍氏が国家主権や領土問題で毅然とした態度を有していることはもちろん承知だ。しかし同時に、自民党首脳はリアリストだということもよく知っている。福島原発事故の後、日本でエネルギー問題が深刻になっていること、尖閣問題で日中関係が緊迫していることにロシアは注目している。プーチン大統領は安倍氏が国家主義者よりもリアリストの側面を前に出すと見て歓迎したのだ。 ロシア紙「コメルサント」も12月17日の記事で「選挙前のキャンペーンで安倍氏は経済問題の早急な解決を約束した。しかし、そのためには、彼は自らの対外政策のナショナリスト的観点を軌道修正する必要がある」と述べた。冒頭の安倍氏の選挙直後の言葉を翌18日の記事で引用して「日中間の領土問題が前面に躍り出たため、南クリル(北方領土)問題が後景に退いた」とも述べた。 つまり、プーチン大統領が言う平和条約問題での「建設的な対話」とは、お互いにリアリストとして領土問題の「棚上げ」について話し合いたいということなのである。安倍氏は、選挙前に主張した尖閣諸島への「公務員常駐」を早速取り下げた。「竹島の日」を国の行事にすることも取り下げた。プーチン大統領は、安倍政権が北方領土問題でも何かしらの譲歩をするのではないかと期待している。 プーチン大統領が日本との領土問題に関して「幕を閉じたい」と真剣に思っているのは確かだ。ただし、北方領土の返還についてプーチン大統領は、国後、択捉の交渉をこれまで一貫して拒否してきた。今、大国主義やナショナリズムが高揚しているロシア国内では、北方領土のわずか7%でしかない色丹、歯舞も日本に返還する必要はないという見解が圧倒的である。これは、大統領府、議会、世論を問わない。これを抑えて、北方領土の一部でも日本に返還するためには、プーチン大統領に強大な権力が必要だ。しかし、最近の反プーチン・デモに見られるように、彼にその力はない。 日本にとって、ロシアとの関係改善はたいへん重要だ。ではそのために領土問題をどう扱うべきか、プーチン大統領に対する幻想をいっさい捨てて、醒めた目で状況を認識して考える時である。 袴田 茂樹(はかまだ・しげき) 新潟県立大学教授 ロシア東欧学会 前代表理事 安全保障問題研究会 会長 ニュースを斬る
日々、生み出される膨大なニュース。その本質と意味するところは何か。そこから何を学び取るべきなのか――。本コラムでは、日経ビジネス編集部が選んだ注目のニュースを、その道のプロフェッショナルである執筆陣が独自の視点で鋭く解説。ニュースの裏側に潜む意外な事実、一歩踏み込んだ読み筋を引き出します。
日米首脳会談が試金石
どうなる主要政策(2) TPP 2012年12月27日(木) 北爪 匡 衆院選の結果、TPP交渉参加を巡る議論は不透明さを増す。参院選を意識して国内調整が遅れれば、不参加の可能性も。日米同盟強化と同時に議論を前進できるか、決断が迫られる。 「このままではもう間に合わない」 衆院選の結果を受け、日米関係に精通するある大手商社の幹部は嘆息を漏らした。自民・公明両党の大勝利の結果、TPP(環太平洋経済連携協定)交渉への日本の参加機運が大きく後退しかねないと見たためだ。 選挙戦では「聖域なき関税撤廃を前提とする限りTPP交渉参加に反対」と表明し、姿勢を曖昧にしつつも“含み”を持たせてきた自民党だが、衆院選大勝によって情勢は一気に交渉参加見送りへと流れる公算も出てきた。自民党にはTPP反対を明確に打ち出した候補者もあり、しかもそうした候補者たちの多くが小選挙区で勝利。TPP反対勢力の温床となりかねないためだ。 選挙を終えた16日、日本経済団体連合会(経団連)の米倉弘昌会長と経済同友会の長谷川閑史・代表幹事は異口同音に、TPPの交渉参加に対して「一刻の猶予もない」と警鐘を鳴らした。切迫感の背景には選挙結果に加え、今後の交渉を巡る日程の厳しさもある。 現在もなお、TPP交渉参加に向けた米国との事前協議にとどまる日本に対し、交渉に参加する11カ国は来年中の妥結で足並みを揃えつつある。その大きな節目は来年10月にインドネシアで開催予定のアジア太平洋経済協力会議(APEC)。一方の日本はその3カ月前に参院選を控える。
衆参両院の「ねじれ」の解消のため、参院選での勝利を重視する安倍晋三・自民党総裁は来年夏までは安全運転に徹すると見られる。それまでTPPへの交渉参加を保留し続ければ、10月のAPECには国内調整が間に合わず、結果的に不参加すら現実味を帯びる。 「日本TPP交渉不参加」の影響は、参加11カ国との通商関係に限らない。 外交・安保問題へも波及 まず日米関係。三菱商事の小島順彦会長は、「米国ではFTA(自由貿易協定)締結国に対して、外交・安全保障で一定の優遇を考えようという動きがある」と指摘する。バラク・オバマ政権は輸出拡大をテコにした産業振興を政策の柱に据えており、日本のTPPへの姿勢は日米の軍事・エネルギー安保といった問題に波及しかねない。
中国との尖閣諸島問題や北朝鮮問題など、東アジア情勢が不安定化する中、安倍総裁は事態打開の切り札として日米同盟の修復を外交上の最優先課題に定める。年明け開催で調整が進む日米首脳会談で、安倍総裁がTPP交渉にどこまで踏み込むかが1つの試金石だ。 また、通商全般を見ても、TPP交渉が日中韓FTAや東南アジアなどを含めたRCEP(東アジア地域包括的経済連携)といった、ほかの経済連携交渉の牽引役になる。 国内農業への配慮から、民主党政権はTPP参加への明確な態度を決めかねてきた。その間、日本が加わるFTAやEPA(経済連携協定)の枠組みの進展ははかばかしくなく、懸案の農業改革も遅々として進んでいない。外交・安保でも不安定さが露呈した。 衆院選大勝による地方議席獲得の結果、TPP交渉入りに向けた桎梏(しっこく)にとらわれることになった新政権。米ブルッキングス研究所上級研究員のミレヤ・ソリス氏は、「安倍氏や自民党幹部は、米国との関係を深化する犠牲として、農業勢力と仲たがいするリスクを冒す気があるのか」と投げかける。決断への刻限は迫っている。 北爪 匡(きたづめ・きょう) 日経ビジネス記者。 時事深層
“ここさえ読めば毎週のニュースの本質がわかる”―ニュース連動の解説記事。日経ビジネス編集部が、景気、業界再編の動きから最新マーケティング動向やヒット商品まで幅広くウォッチ。
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