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2012年12月25日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆[筋肉質な党に体質改善する]という言葉が、死滅寸前の民主党を支配している。長妻明元厚生労働相ら主流派が盛んに唱えている言葉だ。もちろん、松原仁元拉致担当相ら非主流派は、この言葉に抵抗感を抱いて反発している。
確かに、「公示前勢力230人→当選者57人」に激減したのに、これを「筋肉質」と捉えて、落選者を173人を「贅肉か皮下脂肪」でもあるかのように、ムダな政治家扱いすることが、正しいか否か。
筋肉体質論者は、おそらく、自らを大衆を誘導していく「前衛(フロント)」=「知的に武装された超エリート」とでも思い込んでいるのであろう。
だが、この考え方では、共産党や社会党が主張した「階級政党」にはなれても、「国民政党」にはなれない。いまの共産党が党勢を拡大できないのは、相変わらず「前衛(フロント)」意識を頑迷固陋に墨守しているからである。
社会党は1955年10月13日に左派と右派が統一して結党されたにもかかわらず、その後、路線対立をめぐって分裂を繰り返して党勢を徐々に弱めてきた。社会党が分裂して、民社党ができ、残った社会党から、さらに分裂して、社民連が生まれた。そして、社会党が自民党、新党さきがけと連立して、村山富市委員長が、首相に就任した。その後、社会民主党に党名を変え、これについて行けない者たちが、新社会党を名乗り続けてきた。この過程で、「階級政党」か「国民政党」かの不毛な論争に明け暮れしていた。詳しくは、「社会党衰亡の歴史」に関する文献などを参照されたい。
◆だが、1996年10月21日に行なわれることになった。小選挙区比例代表制度を導入して初の総選挙を目前にして結党された民主党を「選挙互助会」「救命ボート」と見立てて、社民党の議員が、一斉に乗り移って行ったのである。だから、この民主党は、「議席確保」を最優先に念頭に置いた者たちによる雑居集団からスタートした。
それがどうだろう。2009年8月30日の総選挙で308議席を獲得して大勝するや、権力闘争を激化させた。そして、菅直人元首相、野田佳彦首相の主流派が、「純化路線」を強め、途中入社組である自由党系列、すなわち、小沢一郎元代表率いるいわゆる「小沢グループ」の排除にかかった。
これは、明らかに共産党や、かつての社会党の「階級政党」路線を歩もうとして、「国民政党」を目指す路線を否定し、異分子を排除するのとよく似ている。これでは、多くの民衆を引き付ける〔国民政党〕にはなり得ない。
要するに民主党は、気心の知れたものばかりによる「お仲間政党」「サークル政党」に止まろうとしていることを意味している。
◆「純化」「筋肉質」「少数精鋭」「前衛(フロント)」などの考え方に捉われて、哀れな最期を迎えた組織として、想起されるのは、幕末の新選組である。
近藤勇、土方歳三らは、ライバルである初代局長、芹沢鴨らを暗殺して実権を握り、厳しい「掟」の下、一致団結して行動する組織づくりに力を入れた。つまり、「純化路線」を強化した。この要になったのが、「鉄の掟」であった。これに違反した者に対しては、切腹など厳しく処分した。この結果どうなったか。
当初の浪士組約200人→近藤勇を中心とする幕末最強の「プロジェクトチーム」(
局長ら幹部24人、伍長20人、平隊士100人以上)→戊辰戦争、函館五稜郭の戦いで壊滅。(京都5年間に、死亡した隊士45人、切腹や粛清により死亡した者は、32人に上った)
この実例は、[筋肉質な党に体質改善する]という言葉に捉われて、「純化路線」を歩めば、どういう結末が構えているかを暗示している。
大衆を引き込む「国民政党」になるには、あまりにも厳しい「鉄の掟」を設けて、違反者を処分するようなことをしてはならないのである。「人情で結ばれた緩やかな人間関係」で成り立っている「しなやかな組織」の方が、生命力が長続きする。
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