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2012年12月24日 世相を斬る あいば達也
今回の総選挙の特長は、多くのメディアが分析するように、勝者なき自民の大勝利と民主、未来の大敗北と云う結果である。色々と魔女探しも行われているが、最終的には自公連立が衆議院の2/3を制し、政権の座に就くことになる。特別、今回の選挙における自民党勝利に難癖をつけるのも大人げない。あまり色んな分析をして、色々と講釈するほど“引かれ者の小唄”風になってしまう。唯一気にいらないのは、投票率の低下だが、これだけ政治不信を露呈した政権が露呈した以上、棄権と云う選択肢にも、一定の理屈を感じてしまう。
昨日も書いたのだが、国民と云うもの疲弊すればするほど、「牛肉と馬鈴薯」(居酒屋における哲学論争風小説、牛肉現実、馬鈴薯、理想:国木田独歩)な問題に帰結するわけで、有権者は“馬鈴薯も大切だけど牛肉だよね”と投票行動をとったか、投票所に行かなかったである。計量政治学の小林良彰の分析によれば、第三極への投票行動は世代間で維新・みんな・未来への顕著な切り分けが可能なようである。未来への支持は70代男性中心が目立らしく、女性や若者世代からはソッポを向かれたようである。この辺は、牛肉と馬鈴薯の喩えは蘊蓄がある。
さてところで、最近気づいたことなのだが、政権交代時の民主党の印象が強すぎて、その前の民主党と云う政党が、どう云う政党だったか失念していた。今思えば、トンデモナイのが民主党のコアであったことが、今さらながら理解できる。或る意味で、野田佳彦そのものなのである。2006年、あの前原がメール事件で引責辞任するまでの民主党の主張は、小泉純一郎の向うを張るほどの市場原理主義者の巣窟だったのである。筆者自身、長いことこの部分に触れていなかった。これはトンデモナイ見落としだった。鳩山が最終的に小沢を切ったのは、或る意味で自明だったのかもしれない。以下は前原代表当時の民主党を現している。
≪ 財政
国家財政に企業会計的視点を導入し、実態を国民にわかりやすく示す。行政改革・経済構造改革を進め、国・地方をあわせた財政赤字について、2010年までの明確な削減・抑制の数値目標を設定する。経済情勢に柔軟に対応し、持続可能な経済成長と財政再建を両立させる。赤字国債・建設国債の区分をなくし、限られた資金を政策的に必要な分野に回せるように改革する。
経済
自己責任と自由意思を前提とした市場原理を貫徹することにより、経済構造改革を行う。これにより、3%程度の持続可能な経済成長をめざす。
規制改革
規制改革を長期的経済発展の基本と位置づけ、経済的規制は原則廃止する。環境保全や消費者・勤労者保護などのための社会的規制は透明化や明確化を進める。 ≫
抽象的言葉が多いが、維新の橋下やみんなの渡辺が言っていることだ。現在もこの基本的考えは今も民主党の公式サイトに載っている。小沢一郎が追い出されるわけである。このような部分は、おそらく“政権交代”と云う大事件の勢いで小沢一郎も忘れると云うか、たいしたことではないと無視した傾向があったのかもしれない。この基本姿勢が生きていたとなると、TPP参加も財政健全化消費増税に執着するのも必然だったかもしれない。今さらだが、成るほどである。このような基本姿勢があったのなら、小沢が政権交代時に持ちだした子ども手当、農家への戸別所得補償、高校無償化、年金目的消費税論撤回等々は、民主党基本姿勢違反と云うことだ。
今更の疑問だが、あの政権交代はなんだったのだろう?前原のメール事件でボロボロになった民主党を再生させたのは小沢一郎なのだが、その救世主小沢一郎は、党の基本姿勢を無視した政策で政権をとった事になる。つまり、民主党が09年に打ち出したマニュフェストは民主党内では“選挙用の嘘公約”と云う認識があった可能性がある。だからこそ、あり得ない程の小沢への逆風があり、鳩山は民主党を離党する事も出来ず、野に捨てられた事になったわけだ。今残っている民主党議員は06年以前の民主党基本姿勢を携えて、嘘の公約で得た政権の利権を貪っていたことになる。つまり、小沢勢力が出て行った民主党は、その時点で、詐称政党だったわけだ。何という話だ、バカバカしい。岡田や菅、前原の態度の意味が漸く解けた。勿論、ゲスな奴らには変わりはないが…。
こうなると、橋下がうそぶいていた“民主・維新・みんな”の連携は既成の事実に近くなる。構成する議員の殆どが、市場原理主義経済支持者なのである。自民公明の方が、社会主義的手法も取り入れた政党と云う奇妙な現象さえみられるわけで、“未来”との親和性さえ見える。ところが、未来は原発問題になると、市場原理主義政党と親和性がある(笑)。霞が関改革に関しては、民主は自民は消極的である点で共通している。どうも政策的にみる限り、政党の連携構築の前に、複雑な混線が起きており、先行きを見通すのはかなり難儀だ。特に、筆者の場合現時点でも「日本未来の党」を軸に、政局等々を考えているが、未来の党自体の政策的親和性がどの政党とも、親和性があるようなないような状態になっている。多分、トレンドではない政党の性格のニオイもする。
まして、意味不明の政党運営は、判断を更に複雑なものにしている。結局、小沢を信じてついてきた議員と嘉田・阿部・飯田の心理的齟齬なのだろうが、それを調整できる可能性があるのは小沢一郎なのだが、現時点で乗りだす気配はない。小沢支持の人々の間にも激しい混乱が起きている。このままだとオリーブの木構想が“民主・維新・みんな”と云う連携に持って行かれる憂き目もありそうな按配だ。事の成り行き上、唐突に小沢が嘉田を押しのけて、と云う状況でもない。当分は、小沢の死んだふりに期待するしかないのだが、議員たちが軽挙妄動に出ないとも限らない。必ずしも彼らの行動が軽挙とは言えないが、暴れ出す可能性はある。まぁ1月1日を過ぎてから、小沢が動くか動かないかが判るだろう。ただ、傍から見ていても、奇策があるようには思えないのが現実だ。馬鈴薯より牛肉か〜、世知辛い世の中になったものだ。このような現象を、筆者の祖父であれば「西洋かぶれ!」と聴診器を投げつけたであろう。
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