http://www.asyura2.com/12/senkyo141/msg/524.html
Tweet |
細野豪志政調会長(右)と街頭に立つ階猛氏=7日、盛岡市
小沢王国崩壊(上) 小沢氏相次ぐ誤算
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000811212180001
2012年12月18日 朝日新聞
県内の国会議員を独占していた「小沢王国」が崩壊した。今回の衆院選で顕在化した小沢一郎氏周辺の変化や「小沢離れ」した民主党、対岸の火事で勢力を増した自民党、そして投票行動に見る有権者の動向をさぐった。
◇
■最終盤「執念」の檄■
まさに「執念」だった。
選挙戦終盤の13日夜、盛岡市内のホテルに、日本未来の党(未来)の小沢一郎氏は、ひそかに長年の小沢後援会幹部らを集めた。
「連合に入っていない組合は、ちゃんと回っているのか」「会社も回ってほしい」。異例の直接の指示だった。
苦戦が伝えられていた候補の応援のため、前日から岩手入りして街頭演説で声をからし、この日は1区達増陽子氏の決起集会を済ませた後の裏の動きだった。ある幹部は「いつも来ない人が来ているというだけで、厳しい選挙だということをひしひしと感じた」。
最終日は北上市でも雨の中、「国会で一定の力を持たないといけない」と拳をふりあげた。後援会幹部によると、自分の選挙区で演説したのは、若手議員のころ以来、記憶がないという。
民主党を離党するとき、県内の半数の国会議員や県議が同調しなかったのが最初の誤算とすれば、野田首相が突然解散を表明したのが二番目の誤算だった。
小沢氏は「解散総選挙は年内はない」と見通しを述べ、ぴったり寄り添う達増拓也知事も、早期解散を警戒する発言をしていた。県内組織を民主県連から引きはがすとともに、候補者擁立をさらに急がねばならなかった。
知事や県議、国会議員らが水面下で動いたが、勝てる候補はいない。特に、「大勝利」を目指した1区は難航した。
最後は達増知事に頼るしかなかった。嘉田由紀子滋賀県知事の新党との合流も、達増知事が道筋を付けた。公示日直前、未来に合流するタイミングで、何度も「最終カード」として浮かんでは消えていた知事の妻の陽子氏を送り出した。
選挙戦では達増知事が集会などに小まめに顔を出して、自分の選挙のように戦ったが、結局、小選挙区の議席を守ったのは小沢氏だけだった。
■小沢系 得票激減■
県内の未来候補の得票は、前回の民主候補の半分以下だ。新進、自由、民主と党を変えてきた、これまでの「小沢系」候補の得票と比べ退潮が顕著だ。小沢氏さえ前回から約5万6千票減の7万8057票。常に維持してきた10万票を切った。
佐々木順一県連幹事長は16日、記者団に「出遅れ感があった。TPP、消費税、原発の三つの政策が争点にならなかった。何を国民に問うかわからない。わからないまま終わった感じだった」と語った。
しかし、ある支持者は「時間がないのだけが理由なのか」といぶかる。
かつて「小沢チルドレン」と言われた黄川田徹氏は、当選から一夜明けた17日、陸前高田市の事務所で淡々と語った。
「小沢先生と決別したことでこういう選挙になった。モノもヒトもカネも相手の方がしっかり整っているのに勝てたということは、民意があったということなんだろう」
選挙終盤、小沢氏が3区に来て、異例のてこ入れをしたことを問われ、こう突き放した。「旗を振っても笛を吹いても(支援者が)踊ってくれないということを感じ取ったのではないか」
一方、達増知事は17日、県庁で「小沢氏の影響力が低下したのでは」との記者団の
問いに、平然と答えた。
「新生党のときも小沢さんは2人の衆院議員から始めた。今やろうとしているのは大変な事業。今回はまずまずの成果だ」
小沢氏を代弁して、「小沢王国」の再興の始まりであることを強調する。
だが、後援会幹部からは冷めた見方が出ている。
「気持ちは分かる。でも次の衆院選のときに、小沢さんはいくつになっているだろう」
◇
総選挙いわて/小沢王国崩壊(中)
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001212190002
2012年12月19日
「充実感のある選挙だった」。三つどもえの激戦を制した翌17日。階猛氏は最大の支援組織、連合岩手の盛岡市内の事務所を訪れ、砂金文昭会長と喜びを分かち合った。「初めて自分の力で戦い抜いた、との実感があるんだろう」。砂金会長は階氏の思いを推し量った。
1996年の小選挙区制導入後、1区は小沢一郎氏の側近の達増拓也知事が、4回の衆院選で自民候補らを寄せ付けなかった。
それを引き継いだ階氏はいま、「選挙戦は整った舞台の上で役者を演じればよかった」と振り返る。党内では小沢グループに所属。小沢、達増両氏に守られた議員生活を送っていた。
しかし7月に小沢氏は民主党を離れた。階氏は、一度は離党届を預けたが、党幹部や閣僚から慰留された。与党で復興に取り組みたい思いも強かった。初めて小沢氏に逆らい、党に残った。
後援組織のまとめ役だった政策秘書は10月1日、小沢氏側に移り、組織は階派と達増派に割れた。そして公示日直前に小沢氏は達増知事の妻陽子氏を擁立。「達増知事が出たのと同じ」と、これまで階氏を支持してくれていた多くが陽子氏支援に回った。
連合以外の組織票を失った階陣営は公示後、マスコミの情勢調査で支持が厚かった無党派層への浸透を図るしかなかった。やれることは限られている。朝から晩まで街頭でマイクを持って訴えた。2000年の衆院選以降に民主党に集まった若手議員グループ「第三世代」の細野豪志氏ら、知名度の高い議員の応援を次々受け、終盤、混戦を抜け出した。
3区でも、黄川田徹氏が日本未来の党(未来)や自民の新顔を抑えた。
17日、階氏は記者団に「(復興に向け)もう権力闘争をしている場合ではない」と、
小沢氏ら県内選出議員の連帯を呼びかけた。しかし、平野達男復興相の改選がある参院選を来夏に控え、現実は甘くない。
◇
小沢氏から「独り立ち」を果たしたかに見える民主党岩手県連だが、組織も人もずたずただ。
階氏は9月、大船渡市での黄川田氏の後援会設立総会で、「ものすごい剛腕がいたばかりに、みんな遠慮して力を発揮できなかった」と語った。しかしそれは、「依存体質」の裏返しでもある。
小沢氏の自由党が民主党と合併した2003年当時は、県内では、小沢氏の組織が民主党組織を吸収した形だった。その後、民主党そのものへの支持も増したが、小沢氏を超えられなかった。
その結果が、今回の衆院選の得票にも表れた。比例東北ブロックでは県全体で未来の14万4396票に対し、民主は12万2501票。階氏が死守した1区でも、ほぼ横並びだが未来より下の3番目だった。風に頼らない「地力」は、まだまだ小沢氏側が上回っている。
民主県連の組織は、分裂の影響で2区、4区の総支部は一度解散となった。それぞれ11月末と12月初旬に再び立ち上げたが、2区は候補者擁立さえできず、4区は党本部に泣きつき、党職員を擁立してもらうのが精いっぱいだった。
衆院選の裏方は、連合岩手に頼りっぱなしだった。1区の階陣営は選挙戦が始まると、事務所の運営さえ苦労した。決起集会や遊説の打ち上げ式など、人の集まりは未来の達増陽子氏をいつも下回っていた。
達増知事の後援会を譲り受けた階氏の日頃の政治活動の実情も露呈した。対立候補の陽子氏支援に回った後援会の男性は「階さんは達増知事や陽子さんとは違って、日ごろの付き合いが疎遠だった」と理由を打ち明けた。
階陣営幹部は「衆院選で達増知事が擁立されていたならば、厳しい結果になった。これから自前の組織をゼロから作り直さないといけない」と反省する。そしてこう付け加える。
「これは来夏の参院選で勝つための、県連全体の課題でもある」
◇
小沢王国崩壊(下)/復活へ自民に好機
http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000811212200001
2012年12月20日
県内の議席が固まった17日未明、一関市の橋本英教氏の事務所。自民党候補が、比例復活当選する場面を繰り返し映すテレビ画面を見ながら、選挙戦を支えてきたある一関市議が言った。
「これで、岩手県でもやっと、自民党の組織を復活させられる」
小沢一郎氏が1993年に自民離党後、次々と新党を立ち上げては壊していったが、県内の自民組織はそれにつけいるどころかどんどん弱くなった。
ある自民県議は話す。
「資金力で選挙費用がほしい候補者を自民党から引き抜き、県議選や首長選に立てた。組織も丸ごと引きはがした。野党時代も県内建設業者に影響力があった」
1996年の小選挙区制導入後5回の衆院選で、自民候補は故鈴木善幸元首相の地盤を受け継いだ俊一氏以外、誰も小沢系候補に勝てず、前回はその議席も失った。
ただ、今は小沢氏の力も衰えた。今回の2区で議席を奪い返したほか、1区の高橋比奈子氏、3区の橋本氏、そして小沢氏が立つ4区では、国政初挑戦の藤原崇氏までが比例復活当選し、議員は4人になった。分裂した民主・未来の2人ずつを合わせた数に匹敵する。
みんな、勝ち馬には乗りたい。選挙期間中、「自民優勢」の報道を受け、県歯科医師会や行政書士会が自民候補に推薦を出すなど、業界団体も味方につけた。「投開票の2日前にも、ばたばたと推薦状が来た」(陣営幹部)という。橋本氏の事務所には、「選挙ではなにもやりません」と話してしていた一関市の勝部修市長が、タイの絵を描いた当選祝いの色紙を持って訪れた。
当選から一夜明けた17日朝、鈴木氏は記者団に語った。「岩手の政界地図が変わった」
■有権者は「消極的な支持」■
鈴木氏は、一方で「自民党が勝ったというか、期待はずれだった民主党が負けて、第3極も準備不足だったということ」と、冷静に分析する。
19日、盛岡市内の自民党県連でそろって会見した4人の当選者に、笑顔はなかった。
東北6県の比例票で自民が獲得した5議席のうち3議席が岩手に回ってきた。県内得票率は東北ブロック全体より5ポイント以上低い23・30%なのに、他県の小選挙区が圧勝したので余った。自民党県連の千葉伝幹事長は「他県のみなさんにありがとうと言いたい。そして、(分裂した)民主党さまさまだ、というところもある」と話した。
小選挙区での得票数の合計は、自民が22万4646票で、小沢一郎氏が稼いだとはいえ未来の22万6997票に及ばない。
朝日新聞社の投票日の出口調査では、無党派層の比例区での支持は自民が20%、未来が18%、民主が16%、維新が19%。全国的に自民への追い風があったのに、大差はない。
投票を終えた有権者に聞いても、支持は消極的だ。
大船渡市の元建設会社社員の男性(63)は「下野した3年の間に反省も見つけたはず。少しはましになるのかな」。盛岡市の会社員男性(57)は「民主党があの体たらくなので、選挙区は地方議員経験のある高橋(比奈子)氏に投票したが、比例は維新に入れた」。
鈴木氏は会見で、来年夏の参院選に向けて「あまり時間はない。年明け早々にも擁立作業に入る」と話した。
ただ、「候補者選定や組織、各支部の立て直しにはまだ課題がある」とも述べた。そして、「四つの選挙区で(復活当選を含む)議席を獲得し、やっといただいたチャンス。これから変わる、変わらせなければならない」と何度も強調した。
(この連載は、寺沢尚晃、岩井建樹、野津彩子、斎藤大宙が担当しました)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK141掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。