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2012年12月20日 植草一秀の『知られざる真実』
革命には反動がつきものである。
2009年に実現した無血の平成維新=無血革命。
日本の主権者国民が、日本の歴史上、初めて自らの判断と力で政権を獲得した。
歴史的な偉業の達成であった。
この偉業を牽引したのは、民主党小沢一郎氏と鳩山由紀夫氏のコンビであった。
民衆による政権奪取は、既得権益の権力喪失を意味した。
既得権益は、警察・検察・裁判所権力、マスメディア権力、そして、民主党内既得権益派議員を総動員して、鳩山政権転覆を図った。
この工作活動の結果として、2010年6月のクーデター=菅直人氏による政権強奪が実現した。
その後の野田佳彦政権も既得権益派政権である。
野田佳彦氏は主権者国民勢力のせん滅の指令を受けた。
この目的を達成するために、今回の解散・総選挙が実施された。
「主権者国民勢力」は一気に縮小され安倍晋三政権が誕生する運びとなった。
しかし、安倍新政権の政権基盤は驚くほどに脆弱である。
自民党は294議席を獲得したが、比例代表選挙での得票率はわずかに27.7%であった。1996年に始まった小選挙区制度選挙のなかで、第一党が獲得した得票数、得票率のなかでの最低記録を更新した。
しかも、投票率は59.3%で戦後最低記録となった。
自民党が獲得した得票は、全有権者の16.4%に過ぎない。
主権者国民の16.4%にしか支えられていない政権が誕生するわけだ。
今後の展開によっては、今回の自民党政権樹立が、日本における民衆革命=民衆による権力掌握の過程における、一時的な反動現象ということになるかも知れない。
革命の当初に、反動が生じることは少なくないのだ。
明治維新では維新を実現したのち、かつての志士が成り上がり者に転じ、維新の意味合いが薄れてしまった。
これを的確に、そして正しく捉えたのが西郷隆盛であった。
西郷南洲翁遺訓に次の記述がある。
万民(ばんみん)の上(うえ)に位(い)する者(もの)、己(おのれ)を慎(つつし)み、品行(ひんこう)を正(ただ)しくし、驕奢(きょうしゃ)を戒(いまし)め、節倹(せっけん)を勉(つと)め、職事(しょくじ)に勤労(きんろう)して、人民(じんみん)の標準(ひょうじゅん)となり、下民(かみん)其(そ)の勤労(きんろう)を気(き)の毒(どく)に思(おも)ふ様(よう)ならでは、政令(せいれい)は行(おこな)はれ難(がた)し。然(しか)るに草創(そうそう)の始(はじめ)に立(た)ちながら、家屋(かおく)を飾(かざ)り、衣服(いふく)を文(いろど)り、美(び)妾(しょう)を抱(かかえ)へ、蓄財(ちくざい)を謀(はか)りなば、維新(いしん)の功業(こうぎょう)は遂(と)げられ間敷(まじき)也(なり)。今(いま)と成(な)りては、戊辰(ぼしん)の義戦(ぎせん)も偏(ひと)へに私(し)を営(いとな)みたる姿(すがた)に成(な)り行(ゆ)き、天下(てんか)に対(たい)し戦死(せんし)者(しゃ)に対(たい)して、面目(めんぼく)無(な)きぞとて、頻(しき)りに涙(なみだ)を催(もよお)されける。
意味はこうなる。
国民の上に立つ者(政治、行政の責任者)は、いつも自分の心をつつしみ、品行を正しくし、偉そうな態度をしないで、贅沢をつつしみ節約をする事に努め、仕事に励んで一般国民の手本となり、一般国民がその仕事ぶりや、生活ぶりを気の毒に思う位にならなければ、政令はスムーズに行われないものである。ところが今、維新創業の初めというのに、立派な家を建て、立派な洋服を着て、きれいな妾をかこい、自分の財産を増やす事ばかりを考えるならば、維新の本当の目的を全うすることは出来ないであろう。今となって見ると戊辰(明治維新)の正義の戦いも、ひとえに私利私欲をこやす結果となり、国に対し、また戦死者に対して面目ない事だと言って、しきりに涙を流された。
(「敬天愛人フォーラム21」西郷南洲翁遺訓集より)
西郷隆盛は明治維新の功労者による「家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱(かか)へ、蓄財を謀る」行動を目にして、これでは「維新の功業は遂げられない」と嘆いたのである。
明治六年政変によって、西郷隆盛、江藤新平、板垣退助、副島種臣、後藤象二郎などが下野した。
これを契機に、佐賀の乱から西南の役に至る反政府戦乱が広がった。
結果は、武器弾薬で優位に立つ政府軍が反乱軍を鎮圧して明治政府が存続したのである。
西郷隆盛が目指したものが、「第二維新」であった。
「維新」の理念を名実ともに確立しようとしたものである。
しかし、権力の私物化に突き進んだ変質政権が第二維新の成就を拒んだ。
私は日本の近現代史上、最重要の出来事が明治六年政変であったと考える。
この戦いは、大久保利通対江藤新平の戦いであったとも言える。
人権尊重・政治腐敗排除の江藤新平に対して、国権尊重・政治腐敗擁護の大久保利通が戦い、最後に大久保は権力を濫用して江藤を除族の上、梟首の刑に処した。大久保自身が金権腐敗体質を有していたわけではないが、大久保は金権腐敗勢力を結果的に擁護したのである。
これが日本近現代史の分岐点になった。
江藤処刑後、金権腐敗で失脚していた山縣有朋と井上馨が復権する。
長州を主軸とする金権腐敗政治は温存されていったのである。
2009年に実現した平成維新。いま、これが反動の局面を迎えている。
もう一度民衆による政権奪取を実現すること。これが第二維新である。
橋下徹氏、石原慎太郎氏の掲げる「維新」は本来の「維新」ではない。旧政復古を支援するものであるから、「新撰組」に過ぎない。
明治の「第二維新」は成就しなかった。「濁」が「清」を制してしまった。
この轍を踏まぬよう、平成維新は第二維新を成就しなければならない。
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