14. 2012年12月18日 17:20:00
: m7Lo2PiBCQ
民主主義と自由は勝ち取ったものではないから、選挙も義務なのかも?フランス革命は、王政での徴税や徴兵の『義務』を市民の『権利」として 民主政権下においた。 米国の銃所持もNRA活動がいわれるが、根底に ジョンロックからの「抵抗権」が存在している。 自由は奴隷との対義語で あり、考えるべき奴隷制がなかった。 戦国時代、信長が黒人奴隷を家来 にし、秀吉時代では「伴天連追放令」や「奴隷購買者破門令」がある。 奴隷購買者破門令とは、ポルトガル奴隷商人に宣教師から出された命令 である。 宗教も日本では、日本書紀・用明天皇記に『信佛法 尊神道』と あるように、仏を信じて神を尊ぶとする、多神教なので破門もわからない。 日本が一神教に染め上げられるのは、明治になってからであり、 靖国は、高杉晋作が建白したとされる戦没者の招魂場が原形である。 秀吉時代の海外に売られる日本人奴隷 http://plaza.rakuten.co.jp/jijii50/diary/201112140000/ slave-Trailer history video 奴隷市場 https://www.youtube.com/watch?v=TbVPbjj3pn8 で、文科省の教育とマスコミにより左右イデオロギーが喧伝される。 社共主義の国家で、非武装はない。 仏大統領は社会党となっても、 核ボタンの黒いカバンを報道してもである。 大陸の道路を隔ての他国と する国家と違い、島国の日本と地政学上でも異なること。 敗戦からの 戦争忌避があることも事実であろう。 しかし、歴史からの民族DNAとして 戦争への徴兵義務がなかったことがある。 戦国からの信長秀吉の兵農 分離と刀狩により、江戸260余年は国民の8割といわれる民百姓に、賦役 としての「兵役義務」がなかった。 徳川軍事政権では、職業軍人の武士が 「権利」としていた。 武士は年貢の徴税権をもっていた。 その年貢をもって 戦に必要な兵(家来)を扶持していた。 今の左翼論では、百姓からの年貢 の搾取対象となり、軍事の権利や義務に言及しない。 右翼論では、これまた 武士のように自己の権利として主張しているようにも思えない。 江戸時代の戦を権利とする武士と明治政権下の臣民の義務とする徴兵制は、 大村益次郎から山縣有朋とされる。 外国商船砲撃から馬関戦争、四境戦争 (長州征伐)と続く中で、正規兵(藩士)でない奇兵隊諸隊に西洋式戦術を 指導したのが、木戸孝允(桂小五郎)の参謀といえる大村(医者)である。 奇兵隊諸隊は幕府軍を撃退し。薩長土肥の合同軍を官軍として、戊辰・箱舘 五稜郭で徳川軍事政権を終わらせた。 銃や洋式大砲・戦艦による戦争となり、 戦国時代の戦闘から変化した。 兵士も世襲軍人の武士より、庶民を西洋式 軍事訓練で兵士として養成すれば、武士に勝ることが証明された。 長州閥は奇兵隊諸隊の実証からの徴兵論、薩摩閥は藩士主体の藩兵論と 意見が割れ、薩長権力闘争の中で、中央への出兵と藩兵再編交渉があり、 削減(除隊させる)する奇兵隊で兵士の反乱が起きた。 権力奪取で奇兵隊を 用い、権力維持のため中央政権に参画した木戸らは反乱兵士を鎮圧した。 この鎮圧に際して、長州の広沢正臣は農民大衆と連動する蜂起を怖れ、 木戸に「防長農商の動揺より神州一統におよび候・・・」と認めた。 江藤新平の司法改革と山県有朋の軍制改革(国民皆兵) http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/history001/meiji003.html 士族の乱とされるのは西南の役で終わる。 庶民の徴兵反対として 血税一揆があった。 長州では、前原一誠(藩士 松下村塾)の首謀者 として斬首された萩の乱があった。 前原は徴兵反対であったようである。 歴史教育では、西郷の征韓論や下野が中心である。 司法などを含め お雇い外国人の果たした役割や保守勢力との確執など教えない。 戦後の憲法も同様に、民主主義の抵抗権も米国のお仕着せといわれる。 しかし、ブレディ法や今回の銃撃事件で攻撃銃の規制もと報道されるが、 米憲法にある抵抗権の思想を日本の憲法にいれなかったのが分からない。 デモを表現の自由とする日本であるが、欧米では抵抗権からであろう。 安倍氏が集団的自衛権をいうのであれば、まず先に個人が自立する意味 での抵抗権を憲法に明記するべきであり、その上において個人の判断に 委ねるべきである。 マスコミの流す視点でない考え方であるが。
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