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小沢氏は異例の地元入りまでしたが、有権者の厳しい審判を突き付けられた
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121217/plt1212171150015-n1.htm
2012.12.17 ZAKZAK
「日本未来の党(未来)」の大惨敗は、ここ20年間、政局の中枢に君臨し続けた小沢一郎氏(70)の凋落をあらわにした。公示直前、滋賀県の嘉田由紀子知事(62)に新党結党を促し、代表を務めた「国民の生活が第一」の議員らと合流したが、121人も擁立(公示前勢力61)しながら、わずか9議席しか獲得できなかったのだ。かつて「剛腕」と恐れられた小沢氏だが、このまま終わってしまうのか。
「とても厳しい。政策が浸透する時間が足りなかった…」
嘉田氏は16日午後9時前、党の開票センターを設置した東京・半蔵門のホテルに現れ、大逆風をこう認めた。会場には、開票直後から暗いムードが漂っていたが、ちょうど結婚式が行われていた隣の会場からは万歳三唱が聞こえてくるなど、諸行無常を感じさせた。
この日、「一兵卒」の小沢氏は公の場に姿を現さなかった。前回衆院選では、地元岩手県の4選挙区で全勝したが、今回は自分がやっと1議席を守っただけ。小選挙区制が導入された1996年衆院選から、小沢氏の所属政党は岩手で3勝以上しており、今回の惨敗は「小沢王国」崩壊を印象付けた。
小沢氏は選挙戦終盤の12日から15日まで、異例の地元入りをして、支持拡大を訴えた。東日本大震災後、半年以上も入らなかった沿岸部の被災地にも入った。系列地方議員が動員をかけたが、後援会関係者は次のようにいう。
「あまり盛り上がっていなかった。このあたりには、自宅に小沢先生のポスターを張っている家も多いが、『また、陣取り合戦か…』という雰囲気だった。週刊文春が報じた妻、和子さんの手紙(=離縁状)は、実は沿岸部の関係者らにも届いた。『放射能から逃げて、被災地に入らなかった』というくだりが、小沢先生への期待を失望に変えた面も大きい」
小沢氏が「脱原発」や「反増税」ばかりを訴えていることにも、「地元の感覚とズレを感じる」と地元JC(日本青年会議所)関係者はいう。
「脱原発も反増税も重要だろうが、被災地には『住宅問題』や『産業復興』『地域医療再生』『人口減少』など、数々の悩みがある。小沢先生や未来候補の話を聞くと『何も分かっていないのでは?』と感じる」
こうした小沢氏と有権者とのズレは、どうして広がったのか。小沢氏は自由党党首時代、夕刊フジの取材に「野党の役割」について、このように語っていた。
「与党とまったく同じ政策や主張をしていたら、野党の存在価値はない。野党は、与党とは違った選択肢を有権者に示すことが重要だ」
つまり、「逆張り・現状反対の政治姿勢」である。一瞬、納得させられそうになるが、果たして、政権獲得を目指す政治家、政党がそれでいいのか。これでは、「何でも反対」で国民の支持を失った旧社会党と大して変わらない。
自民党の政権奪還、民主党の大惨敗という嵐の中で、小沢氏は完全に埋没した。未来の嘉田代表は16日夜、小沢氏の処遇について「ご自身が『一兵卒で』と言っていたので、そのような形で考えたい」と話したが、このまま、「過去の政治家」となってしまうのか。
政治評論家の小林吉弥氏は「政治生命の土俵際に追い込まれた。今回の衆院選で、小沢氏は『剛腕』の片鱗すら、見せられなかった。自由党時代に、比例区で約660万票集めた勢いはない。陸山会裁判で影響力を失ったことや、70歳という年齢の問題もあるだろう。来年の参院選が『最後の闘い』となる。未来と決別して勝負をかけるのか、まだ気力が残っているのか、注目される」と語っている。
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