24. 2012年12月17日 13:10:01
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JBpress>ニュース・経営>政治 [政治] 本当に勝った政党はなかった 自民党圧勝の要因は何だったのか 2012年12月17日(Mon) 筆坂 秀世 自民党が圧勝し、自公の政権復帰が決まった。だが今回の選挙戦で本当に勝った政党はあったのだろうか。 前回のコラムで私は「悩ましい選挙」だと書いた。政党の数は多いが、投票したいと思う政党がなかったからだ。だがそれでも、もちろん投票はした。だが少なくない有権者は投票そのものを拒否した。 これで選挙は成立するのかと言いたくなるような低い投票率がそれを物語っている。この投票率は、すべての政党への不信任と同じ意味を持っている。 いま日本は、様々な難問に直面している。3.11大震災と原発事故と遅れる復旧・復興、長く続くデフレ経済、若年層を中心とした高い失業率と不安定雇用、先行きが見えない年金など社会保障制度、尖閣諸島の国有化と中国との関係悪化、北朝鮮の大陸間弾道弾ミサイルの発射実験、TPP問題・・・。 どれもが国民の生活や日本の進路にとって、ゆるがせにできない問題である。それでも有権者は投票に行かなかった。政治に絶望しているからだ。民主党政権の失敗にはこりごりだが、だが3年余前までの自民党政治の復活で日本が良くなるとは思っていないからだ。すべての政党が、この低投票率を深刻に受け止めるべきである。 史上最低の選挙だった 今度の選挙で一体何が争点になったのだろうか。それぞれの党がそれぞれに訴えを行ってきたが、いずれかの問題が大争点になったというものはない。脱原発や卒原発も自民党を除けば大して変わりのない主張が、他のすべての政党によって繰り広げられただけだ。「卒原発」などというのは、脱原発の言葉遊びに過ぎない。これでは争点になるわけがない。 上記の重要課題を見ても、そもそも大きな対決点はなかった。せいぜい経済政策で自民党の金融緩和論と公共事業増大路線ぐらいのものだ。社会保障制度も違いはあるのだが、何十年も先の話であって、何がどう違うのか、国民には分からない。 要するに、それぞれの党が他党を批判し、「わが党ならできる」と訴えただけであった。政党の体をなしていない党も含めて、12もの政党が乱立したが、争点なき総選挙だったのである。これでは選挙に行きたくなくなるもの当然ではないか。 最大のテーマは民主党の進退 では何が争われたのか。答えは簡単だ。民主党には政権をまかせられない、という国民の意思を示すことであった。民主党の中には、野田首相が解散表明をした際、中山義活氏(東京2区選出、鳩山首相時代の首相補佐官)のように、「解散するならば総理自らがここは誰かに代わって、皆が納得する人がやっぱり『総裁』としてやるべきだと私は思いますね」いう輩もいた。中山氏が想定しているのは、代表戦出馬を促した細野豪志現政調会長である。ちなみに党の代表を「総裁」というのは自民党であり、民主党では「代表」という。 震災復旧、復興の仕事を途中で放り投げた細野氏を首相にすれば民主党が勝てたとでも思っているのか。民主党議員がいかに国民の思いから遊離しているかを物語っている。 中山氏が補佐官を務めた鳩山首相がどれほど民主党への信頼を打ち壊してしまったか、後を継いだ菅首相がどれほど民主党政権の駄目さ加減を国民の心に刻印したか、考えてみればよい。鳩山氏は引退に追い込まれ、菅氏は小選挙区で敗北した。誰が代表・首相になっても、民主党が浮かび上がれる要素はなくなっていたのだ。 民主党内では、またぞろ野田首相の代表辞任論ががあがっているようだが、こんな議論をしているようでは再生の道はなくなる。民主党政権の失敗をしっかり総括すること。さらには党のあり方そのものを根本から見直すことだ。その第一歩が党綱領をしっかり議論して、どういう政党なのか、どういう政治を目指すのか、どういう日本を目指すのかを明確にすることだ。そうでなければ自民党と戦えないことを知るべきである。 自民党圧勝の最大の要因――小選挙区制を見直すべき 自民党圧勝の最大の要因は、言うまでもなく小選挙区制にある。選挙区によっては、半数以上が死票になる小選挙区制度は、民意の反映には程遠い選挙制度である。3割、4割の得票で議席を独占できるこの制度は、あまりにも日本の政治を不安定化させることになる。 確かに民主党政権はひどかった。だがこれほどまでに劇的に議席数を変えてしまうほどの大失政があったのだろうか。普天間問題は自民党時代からの懸案であり、自民党時代も進捗しなかった。鳩山首相の羽毛のように軽い公約が問題をこじらせたが、自民党政権になっても簡単に解決はしないだろう。消費税増税は民自公でやったことだ。 領土問題は、すべて自民党時代からのツケである。デフレも、高い失業率も同じだ。 自民党の支持率が急激に上がったわけではない。民主党が下げただけのことである。選挙のたびに政権交代が起こるような仕組みは、政治を不安定化させるだけである。あまりにも選挙制度が悪すぎる。政治の安定化のためにも、中選挙区制度に戻すことを強く求めたい。 石原慎太郎氏に目茶苦茶にされた維新 橋下徹大阪市長がなぜ石原慎太郎氏と組んだのか、不思議でならない。石原氏は、そもそも組織運営などできない人間だ。だからこそ自民党議員時代も総裁・首相を目指したが、届かなかった。 石原氏を代表に担いだために、維新の会の政権公約は、わけのわからないものになってしまった。例えば原発では、「2030年代にフェードアウトする」と言っていたのに対し、石原氏は「暴論に近い」と否定、橋下氏もこれに同調して「公約ではない」と言い出す始末であった。 自民党との連立についても、石原氏は「組めると思う」と乗り気なのに対し、幹事長の松井一郎大阪府知事は、即座に「全くない」と否定している。 自虐的に「暴走老人」と言っているが、到底政党のトップとは思えない無責任さである。減税日本との連立話の時もそうだったが、後先を考えずにただ「暴走」を繰り返すだけのトップに維新のメンバーはどこまで付き従っていけるのか。この党も選挙後、一枚岩とはいかないのではないかという予感がする。 未来どころか泡と消える未来の党 予想通り大惨敗を喫した日本未来の党も憐れと言うしかない。そもそも選挙の数日前に政党を立ち上げるなどというほど、無責任なものはない。小沢一郎氏とともに民主党を出た大半が落選ということだ。未来の党のプロパーの候補者がどれだけいるのか知らないが、これはおそらくゼロに近いということであろう。 そもそも政党としての綱領も規約も持たないのが、この党である。小沢一郎氏らの国民の生活が第一が合流したのも、国民の生活が第一では選挙を戦えないからであった。減税日本もそうだ。まさに寄せ集めである。露と消えるのは必至である。 小沢一郎氏の大誤算 はっきり言って小沢氏は民主党から逃げ出した。だからと言って、国民が支持するとでも思ったのだろうか。反消費税増税、脱原発で「国民の生活が第一」と言えば、支持されるとでも思ったのだろうか。 まったく分かっていないと言うしかない。民主党政権を作ったのは誰だったのか。小沢氏である。鳩山政権を支えていたのは、幹事長だった小沢氏である。民主党政権の失敗の最大の戦犯は、小沢一郎その人であった。その小沢氏が民主党を離党したからといって、国民が拍手喝采するわけがないではないか。国民の目に映ったのは、無責任な政治家小沢という姿だったのだ。 小沢氏の誤算の1つは、自らが民主党幹事長時代に作った「国民の生活が第一」というスローガンに拘泥したことだ。確かに民主党が自民党から政権を奪還するときには、このスローガンは力を発揮したかもしれない。実際には、「政権交代」というスローガンが一番力を発揮したと思うが。 だがその民主党政権が失敗したのである。もはや「国民の生活が第一」などと言っても、信用されるはずがないではないか。ところが相変わらず消費税増税反対、脱原発という国民が喜ぶであろうスローガンをメインに持ってきた。いわゆるポピュリズム的スローガンである。だがポピュリズム的スローガンが国民に受けるというわけではない、ということを小沢氏は知らなかったようだ。しかも「嫌われ者」小沢氏に、実に向かないスローガンだ。 『文芸春秋』の2013年新年号に興味深い論稿が掲載されている。評論家・中野剛志氏の「『反ポピュリズム』というポピュリズム」という論稿だ。 渡邊恒雄著『反ポピュリズム論』を批判したものだが、要するに今一番のポピュリズムは「反ポピュリズム」だというのが、この論稿の一番強調していることだ。 例えば次のように言う。「ポピュリストの政治家たちは、『私は大衆受けしない政策であっても、敢えて断行するのだ』と勇ましく宣言してみせ国家予算に群がる利権集団や大衆迎合的な政治家といった敵役を仕立てて戦ってみせることで、大衆の人気を得るのである。小泉劇場しかり、事業仕分けしかり、大阪維新しかり」。 小沢氏の『日本改造計画』(講談社)は、言ってみれば「反ポピュリズム」の本であった。だからこそ変化や改革を期待して、本はベストセラーになり、剛腕小沢氏への期待も高まったのである。ちなみにこの本では消費税率の10%への引き上げを提案していた。その小沢氏が、反消費税、脱原発で支持を得られるわけがない。ポピュリズムの罠にはまったとしか言いようがない。 共産党よ、長い歴史は自慢できない 共産党が低迷状態に陥って久しい。今回もまた299小選挙区に候補者を立て、倍増の18議席を目指すという無謀な目標を立てた。おそらく目標を決めた当事者も含めて、実現可能性を信じていたものは1人もいないであろう。私には、半ばやけくそになっているのではないかと思えたくらいだ。 志位委員長は、相変わらず今年党創立90周年を迎えたことを「日本の政党で一番長い歴史を持つ政党」と自慢している。政党は、その歴史が長ければ長いほど尊いのか。そうではないはずだ。何を成し遂げたかである。 共産党は、確かに長い歴史を持っている。だが目標としてきた社会主義革命は近づくどころか、遠ざかっている。その前段階の資本主義の枠内での民主的改革すら、まるで実現の可能性は見通せない。 これまでの歴史の中で、この共産党の綱領や主張を信じて、献身的に、自己犠牲的に尽くしてきたであろうか。いまも寒風吹きすさぶ中、ビラをまき、支持を訴えている党員や後援会員がいることであろう。わずかの収入の中から党費を払い、カンパをしている党員や支持者によって、共産党は支えられている。 だが90年間、期待に応えられずにきてしまったのである。党員の多くが中高年の同党に、革命など起こせるわけがないではないか。この深刻な反省こそ、いま同党に求めら れている。 |