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第315号 選挙戦の最中に12月8日を迎えた。
日々通信 第315号 20012年12月15日
発行者 伊豆利彦
ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizkotosimo
選挙戦の最中に12月8日を迎えた。
選挙戦の最中に12月8日を迎えた。1941年(昭和16)の12月8日、私は荒川の河川敷にいた。一年間の軍事教練の成果を軍が評価する査閲が迫っていて、そのための予行演習が行われることになっていたのである。
その朝は寒かった。河川敷は霧が立ち込めて、少し離れるたところは見えなかった。三三五五集まった級友たちの間に、今朝のラジオを聞いたものがいて、日本が米英と戦争を始めたということが話題になっていた。「帝国陸海軍は、本八日未明、西太平洋において、アメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。」と暗誦して見せた友人がいた。声をひそめて語り合う少年たちの間に不安がひろがった。
「戦闘状態に入れり」ってどういうことなんだ。野村大使に次いで栗栖大使が派遣され、日米協議が続いていた。国民の多くは平和的解決を望んでいたと思う。私にはあんな大戦争がはじまったとは信じられなかった。私は1937年の蘆溝橋事件を思い出していた。あの時は日本政府は不拡大方針だということがしきりに伝えられた。今度も同様なのではないかという思いがあった。
教練は中止になり、解散した生徒たちは足早に帰途についた。途中の家々からはラジオ放送の興奮した声がきこえた。我が家にかえって、あらためて繰り返される大本営発表を聞き、開戦詔書を聞いた。東条首相や徳富蘇峰の演説も放送されていたように思う。
戦争とは何か、子供にしては時局に関心を持ち、新聞などを熱心に読んでいた私だったが、当時の私には本当のことは何も分かっていなかった。個々の戦闘や陥落させた都市に入城する威風堂々たる皇軍の威容などについては新聞やニュース映画で知っていた。しかし、この戦争が日本にどんな未来をもたらすか、この戦争にどんな意味があるかなどは一切知らなかった。何も知らずに、ただ興奮し、勝たねばならぬと思った。
宣戦の勅語も難しい言葉の羅列で何を言っているのかわからなかったが、アナウンサーの押さえつけたような厳かな口調ばかりが身に染みた。開戦直後に毎月八日を「大詔奉戴日」とすることが決められて、学校などでは厳粛な儀式が行われることになったが、私が入学した中学には御真影がなく、学内で勅語を奉読するなどの儀式は行われなかった。その代わり、毎月八日の「大詔奉戴日」には全生徒が原宿駅前に集合して明治神宮を参拝した。
当時、私の心に残った「宣戦の詔勅」の言葉は、冒頭の「天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇」とか、「東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力」「隠忍久シキニ弥(わた)リ」などだった。そして末尾の宣言「帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、蹶然起ッテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ。」という言葉が強く響いた。
いま読み返してみれば、日本は明治大正の歴代天皇が「東亜ノ安定を確保」し、「世界ノ平和二寄与スル」努力をしてきた。日本は強く世界平和を求め、そのための努力をしてきたのだ。いま、不幸にして米英両国と開戦するに至ったのはやむを得ざる事情のためで、けっして自分の意志ではないと、開戦の原因を他国に求めて、自国の正当性を主張していた。
中華民国政府は「帝国の真意」を理解せず、みだりに事を構えて「東亜ノ平和」を攪乱し、ついに帝国が戦争せざるを得なくなって4年有余の歳月がたった。汪兆銘の国民党政府ができたにもかかわらず、重慶に残存する蒋介石政府は米英の庇護をたのんで「兄弟牆(かき)ニ相鬩(あいせめ)グ」争いを続けている。
米英両国は「残存政権」を支援して、「東亜ノ禍乱」を助長し、「平和ノ美名」にかくれて「東洋制覇ノ非望」を逞しくしようとしている。その上、味方をさそって帝国の周辺で武備を増強し、平和的通商にあらゆる妨害をした上、遂に経済断交を敢えてして、帝国の生存に重大な脅威を加えた。それ故、「帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、蹶然起ッテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ。」と宣言したのだった。
こうして始まった「大東亜戦争」は開戦直後こそ、日本軍の大勝利がつづき、国民は次々に大戦果を発表するラジオ放送に熱狂したが、翌年4月18日には米空母から発進した爆撃機が東京はじめ各地の空襲に成功し、次いで6月5日から7日にかけてのミッドウウエー海戦では日本海軍の空母4席とその艦載機を一挙に喪失する損害を被り、この戦争の主導権を失った。以後、開戦後日本軍が占拠した太平洋上の島々が次々に奪い返され、日本軍と島民の全員玉砕がつづいた。やがて、B29の都市空爆がはじまり、東京、大阪、横浜をはじめ全国の都市が焼け野が原になった。最後に広島、長崎に原爆が投下され、日本はついに降伏した。
国内の食糧不足も深刻だったが、それ以上にガダルカナルでもニューギニアでも、フィリピンその他の戦場でも、食糧不足は多数の餓死者を出した。日本軍の戦死者は、230万人とされているが、その過半数は餓死だったという。一般邦人の犠牲者も外地での戦没者30万人、内地での戦災死者50万人とされている。日本側の犠牲もさることながら、中国その他の犠牲者はさらに多く、中国人の犠牲者は、正確な数字はわからないが1000万とか2000万という数字があげられている。
日本の主張によれば、日本の戦争は東洋平和を求め、アジアを米英から解放する聖戦だった。日本は「神国」で、日本を中心に世界が一つにまとまる「八紘一宇」の実現を求めて、米英撃滅のために立ち上がったのだ。しかし、敗戦後はこの主張は全面的に否定され、日本の戦争は犯罪的な侵略戦争とされ、開戦の責任者は戦争犯罪人として裁かれることになった。
戦後の日本では日本人の被った大量の犠牲がさまざまに語られ、戦争に反対する運動の基盤となった。しかし、戦前の日本の歴史はすべて否定されなければならないのか。明治以来の日本の歩みはめざましかった。開国当時、ちょんまげを結い、刀を差して、近代文明からはるかに遠かった日本は、開国以来数十年の間に、ひたすら西洋文明に学び、西洋で300年かかった進歩を30年でなし遂げたといわれる驚異的な速さで近代化を実現した。日本が歩いたのは殖産興業の道であり、富国強兵の道であった。日本の近代化は戦争と不可分であったが、これは日本に限ったことではないのではないか。戦後は戦争を否定しながら、ひたすら経済発展に力を注ぎ、急速に経済大国の位置を獲得したのだった。
戦後70年近い歳月を経て、日本がひたすら依存してきた来たアメリカの一極支配体制がくずれ、アメリカ発の経済恐慌が日本にも及んで、回復の見込みなき長期不況に苦しんでいる日本は、この行き詰まりからの脱出の道を求めて右往左往している。もう一つ、去年の津波による原発事故が、政官財の癒着というだけでなく、学界、言論界も一つになった権力体制の実態を暴き出した。
戦後、ながく日本を支配してきた自民党が腐敗し、崩壊して、民主党が政権を握ったが、民主党もまた実行力を欠いて国民の信頼をうしなった。こうして、これまでの自民、民主の2大政党によって運営されてきた戦後政治を批判し、実行力を強調する橋下大阪市長と、中国を敵視し、軍事力の強化を求める石原東京都知事がむすびついて日本維新の会をつくった。これは政界の混迷を救う第3極としてマスコミに持ち上げられたが、その実態は具体的政策を欠き、国民の信頼をうしなった。この間、卒原発を主張し、女性や子供たちを手厚く保護する福祉政策をかかげる嘉田滋賀県知事の未来の党が維新の会と対立する第3極として旗揚げしたが、国民にどれほど浸透するか未知数である。こうして、結局、自民党が圧倒的優位にあると伝えられているのが現在である。
安倍自民党は「日本を回復する」をスローガンとしているが、どんな日本を回復するのか。明治以来発展を続けた日本のエネルギーを回復するというのだろうか。戦前はとにかく、戦後も、日本の経済発展は朝鮮戦争やベトナム戦争などに支えれていた。今後の日本が経済力回復のエネルギーを過去の発展に求めるとするならば、これらの問題を深く考えて、新しい時代の新しいエネルギーを民衆の生活の現実からくみ取る努力が必要だろう。
しかし、安倍自民党は憲法改定を主張し、自衛隊を国防軍と改名して、日米共同防衛条約を結びたい積もりのようだ。いま、世界が激動期にあり、その一つの現れとして尖閣諸島問題や朝鮮の「人工衛星」打ち上げ問題などがある。ひたすら軍事力に頼って問題解決を図るなら、結局、悲惨な結末を迎えることになるだろう。選挙を目前にして思うことは多いが、時間に迫られて、すべて端折らなければならない。とにかく間もなく選挙結果が明らかになるだろう。今度の選挙で行き詰まり打開の方向が見えるとは思えないが、とにかくそれが新しい段階の始まりを示すことになると思う。みなさんとともにその結果を待ちたい。
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twitterから
12月12日
金正恩は改革開放による人民生活の改善を求めていると思うが、アメリカは無視している。朝鮮は衛星打ち上げで米朝交渉に道を開こうとしているのではないか。
12月12日 朝鮮に対する経済制裁の強化が言われているが、それはますます朝鮮を硬化させるだけだろう。何かといえば、経済制裁を主張するのは自己の無力を暴露している。
12月12日 韓国の衛星打ち上げは歓迎され、朝鮮の打ち上げは非難される。結局、偏見が支配する世界だ。
12月10日 日本は中国の「反日」を問題にし、中国は日本の「右傾化」を警戒している。元来、両国間の経済交流の発展は両国にとって死活の問題で、胡錦涛も習近平も強くそれを求めている。日本の経済界も、国民一般も同様だ。それなのに今度の選挙で日本の「右傾化」の印象はいっそう強まった。
12月1日 震災後、新しくよみがえった『方丈記』は、執筆800年ということでさまざまなイヴェンとがあった。福島原発事故は、ひたすら科学技術の発展を求め、生産力の向上を至上命題として、限りなく発展するかにみえた近代の歴史の一つ終焉を明示した。いまは人間の歴史について、改めて検討すべき時だ。
12月1日 堀田善衛は戦時下のく暗い青春の日に読んだ『方丈記』その他中世の詩人について心に沁みる評論を書いている。私は堀田より8歳年下だが、戦争の末期、太平洋の島々は次々に玉砕し、東京、横浜を始め大きな都市が次々に廃墟と化していった日々、『方丈記』を暗記するほど読んだ。
12月1日
堀田善衛は1918年生まれ、学生時代、左翼運動は壊滅し、彼が18歳の1936年、2・26事件が起った。暗い青春だった。「若き日の詩人たちの肖像」はその青春を描いている。興味のある方はこの作品に関する拙論を一読してください。http://homepage2.nifty.com/tizu/sengo/hotta%20wakakihi.htm …
11月29日 日中関係に関する人民日報日本語版の記事は、日本の現実を正確にとらえ、両国関係の正常化を実現しようとする誠意が感じられる。むしろ、心配なのはますます右傾化し、反中的になる日本の政治傾向で、日本のマスメディアはこの傾向を助長しているように見えることだ。
11月29日 人民日報に掲載されたインタービューの宮本・元駐中国大使の言葉は傾聴すべきものだと思う。http://j.people.com.cn/94474/8036374.html … 人民日報の記事は政治的で信頼できないというような憶説が日本のマスメディアを支配しているようだが、こちらの方が政治的デマゴギーなのではないか。
11月29日 高江の「ヘリパッド」=オスプレイ・バッド建設の中止を求めるオンライン署名↓ご協力下さい。 http://chn.ge/UeY54z
11月27日 日本は青島攻略のあと、21カ条要求をおこない、これが受諾された日が「国恥(国辱)記念日」とされ、五四運動の原因となった。柳条湖事件も「国恥(国辱)記念日」とされ、尖閣諸島問題で激化した「反日デモ」暴動化の原因となった。
11月27日 夏目漱石が学習院で若い学生に「私の個人主義」と題して講演をしたのは1914年11月、第1次世界大戦が始まって4カ月後、青島攻略の直後だった。この講演が第1次世界大戦の開戦後間もなく、日本が日英同盟を理由に中国を侵略したことを批判するものだったことを指摘する意見は少ない。
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