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以下は自分のtwitterから引用したものです。なにかのご参考にでもなればと投稿いたしました。「いまさらかいっ!」「なのわかってる!」な賢者のみなさまには、ただ阿修羅版を汚すだけになって申し訳ございません。(^^;
(引用はじめ)
'09年の夏は暑かった。それまでの自公政権にたいする国民の不満が一挙に吹き上がり、第45回・総選挙を目前にした新旧勢力の抗争が一段と激しくなってきたからだ。旧勢力は自公政党を、新勢力は民主党を、自分たちの象徴の中心に選んだ。
ところで、当時の麻生政権を支えた旧勢力とは一体どんな人々だったのか。まず第一に、ネットなどで語られたのは米政府と米財界である。華々しく政界に躍り出た小泉氏の構造改革も、「年次改革要望書」の内容と奇妙な一致を示していたからだ。
この暴露によって、神がかりともいえた小泉旋風の権威は地に落ちたといえる。同時に、小泉政権を支えてきた竹中平蔵氏の経済政策と理論も。一部マスコミが、竹中氏は住民票を米国に移動させ日本の住民税を払っていないと報道したことも権威失墜の一因になっただろう。
郵政解散選挙といわれた’05年9月の第44回衆院選で小泉氏率いる自民党が圧勝して以来、安倍・福田・麻生氏と総選挙を経ない短命政権(1年前後)がつづいたのは、旧勢力の戦いづらさとその後に起こった政権交代の色濃い可能性を表していただろう。
ここまでの経緯を振り返ると、国民の間に育った脱米感情に気づかざるをえない。小泉旋風の神話が崩壊したのも、単に党総裁の期限切れのためとはいえない。
この傾向に気づかず米国に住民票を移し、米国サブプライムローン問題の発生に際して「民営化した日本郵政はアメリカに出資せよ」(2008年)と語った竹中氏の没落は、時の声だったといえなくはない。
ただ小泉・構造改革と「年次改革要望書」の内容の一致をもって、小泉氏や竹中氏を米国の忠実なエージェント呼ばわりするのはバランスが悪い。もともと年次改革要望書は’90年代、クリントン・宮沢時代の米日政府が互いの協調のために話し合ったのが始まりといわれる。
したがって、ここにきて急に小泉氏と竹中氏を米国のエージェント呼ばわりするのは、戦後からの日本の歴史、日米協調の歴史と、その担い手たちを無視する、または個人に責任を負わせるといった、冤罪に近い誤った判断だといわざるをえない。
また、そうした冤罪に近い判断が依存しているのが、日本の戦後史から恩恵を受けたはずの多数の国民を無罪とする自己救済型のいい加減な思想だとしたら、文化資本に富む日本人としての尊厳は台無しである。
民主党を象徴中心とする新勢力が批判したように、「年次改革要望書」の無視はできなかっただろう。だが、小泉・竹中氏らによる構造改革は、当時の経済世界を席巻していた新自由主義を日本にも導入し、バブル崩壊以後の一日も早い経済復活を願ってのことだっただろう。
したがって政権交代の直前、麻生政権を支えた旧勢力の人々として、親米政権を支えてきたシステムと慣習のなかで仕事しつづけた官僚たちがいるはずである。彼ら自身に戦後システムと慣習の更新はほとんど不可能に近い。官僚組織にとって更新は超自我に相当する。
次に、小泉・竹中氏らによって明らかになった自公政権の新自由主義的な経済政策を喜ぶ人たちである。新自由主義の理想は、この地上に資本の完全な自由を実現すること、すなわち企業活動の完全な自由、企業と企業間競争の完全な自由を実現することである。
輸出業者は貿易相手国の関税を、新自由主義の範囲内で正当に攻撃できる。輸入業者は、自国の関税障壁を攻撃できる。さらに、国家による国内の企業活動の規制は、新自由主義者にとって攻撃の対象になる。これが小泉・竹中氏の規制緩和であり、自民党をぶち壊す真意だったろう。
しかし、新自由主義が最も大きな影響をあたえる分野は雇用と労働にあるはずだ。そのどちらも、企業が買い上げる商品に関係する。企業は、雇用と労働にたいしても新自由主義的な努力を要求する。すなわち、安価で良質な雇用者と労働を。
新自由主義は一部の社会構成要素を魅了するとともに、犠牲となる社会構成要素を生み出した。そのうえ中国や国内のずさんな企業活動、意識的にか無意識的にか公務員による「年金もれ」や「年金の使い込み」などが報道されては、反・新自由主義のエネルギーが蓄積していく。
こうして、政権交代の直前まで麻生政権をささえた旧勢力と、対立する新勢力を構成する人々のアウトラインが見えてくる。この勢力分布は、民主党政権のもとでどう変わったのかを、つぎに考えられるだけ考えてみたい。
自公が進める新自由主義の流れに「No!」と叫ぶ人々が新勢力となり、民主党による政権交代を支えただろう。しかしこの勢力は、直後の参院選(2010年)、統一地方選(2011年)で菅・民主党への得票率を引き下げ、議席を激減させ、衆参のねじれ国会を演出した。
この国民の震えるような変化はどうだろう。何があったか、という問いにはすでに解答が準備されている。新勢力に育ちつつあった脱米意識は、民主党の「普天間基地の即時返還、および海外移設」を期待し、鳩山首相の一挙手一投足にいたるまで固唾をのんで見守った。
しかし、鳩山首相は自身の「普天間基地は最低でも県外移設」との願いを果たせず、2010年6月、小沢幹事長とともに早々と辞任した。原因はいくつも考えられるが、政権交代の初期でもあり、旧勢力側の激しい抵抗は無視できない。
たとえばWIKI(普天間基地代替施設移設問題)には次のような事例が見つかる→ウィキリークスによれば、日本外務省の官僚は軒並み、鳩山政権の主張に同意しないように米国側に働きかけていた。
政権発足直後の9月18日、齋木昭隆アジア大洋州局長は訪日したキャンベル国務次官補に「既に対等なのに何が念頭にあるのか分からない」「民主党は官僚を抑え、米国に挑戦する大胆な外交のイメージを打ち出す必要を感じたようだ」「愚か」「やがて彼らも学ぶだろう」と。
藪中三十二事務次官はキャンベルに、「国内には日本が対等に扱われていない、という感覚があり、民主党はそれを政治的に利用した」と言った。
高見沢将林・防衛政策局長は10月12日、キャンベル国務次官補らとの非公式の昼食の席で、普天間基地問題について「米側が早期に柔軟さを見せるべきではない」と述べ、鳩山政権の頭越しに、米国側にこれまでの方針を変えないよう働きかけた。
政府の国連代表部・参事官ら3人は、米国在日大使館の政務担当者に対して「普天間移設問題では民主党政権に対して過度に妥協的であるべきではな」いと言った。・・・などなど。
こうした官僚の傾向は外務省のほか、とくに財務省に強くみられるといわれている。この傾向は官僚たちがもっている「愛国心」のために生じる。戦後システムと慣習のなかで培われてきた「愛国心」は、自分たち自身の手による更新などほとんど不可能に近い。
自己更新が不可能な「愛国心」は、常に正しいとして内部に登録される。まさかと驚くだろうが、奇妙にも、これは共産党の自分だけが正しい病いと思想的に通底している。ここに戦前の軍部クーデター、旧ソ連圏や中東の春における官僚の動向など、謎を解く鍵があるかもしれない。
だが国民一般は、そんな病いなどお構いなしである。鳩山首相の一声でタバコ増税が決定したが、つづく菅首相にいたっては、議会でニコニコしながら消費税の10%アップを宣言したものだ(2010年6月)。これには民主党の支持者たちも目をまるくしたのではなかったか。
マスコミを通じて、財源の枯渇をさんざん聞かされていた国民だったが、まさか何の工夫もなく、これといった議論もなく、自公政権時代に導入された消費税を笑いながら倍額宣言するとは、マニフェストになかったはずだとの論理を超えて支持者たちを驚かせたことだろう。
沖縄の米軍基地問題の重たさと、消費税・倍額宣言の軽さが、育ちつつあった新勢力の落胆と怒りに青い火をつけたのだ。これが参院選、統一地方選で、民主党が大敗した理由だったのではないか。
消費税の倍額が、日本に一層のデフレ要因をもちこむことは、いまでは国民に広く理解されている。とすれば、増税にたいする新勢力の理解は容易には得られそうにない。
菅首相時代の3.11東日本大震災と原発事故は、国民に深刻で複雑な問題を投げかけた。阪神・淡路大震災('95年)、新潟県中越地震('04年)と巨大地震の被害がつづき、政府の地震調査委は列島が地震の活動期と発表しても、防衛体制はほとんど考慮されなかった。
震災と原発事故をつうじて、この日本にさらに新しい勢力が生まれたとしても不思議ではない。それまでほとんど意識されなかったはずの発電だったが、日本の沿岸に沿って54基もの原発があるという事実に驚いた国民も多かっただろう。
この国民の驚きは、自公政権時代に計画され実行された国家プランの巧みさに原因がある。政権交代に意味があったと判断したい方もいらっしゃるだろうが、民主党が暴いた事実ではない。
国民の間に、原発はやめようとの機運が強まったのは事実と受け止められる。総選挙に向けた各党の政策は、ほとんどが原発の停止をうたい、その時期の違いがあるだけのようにみえる。原発行政を推進してきた自民すら、政府の担当委員会の結論を待って判断するという。
沖縄の基地をきっかけとする脱米意識、消費税に象徴される経済問題、そこに震災と原発の問題が加わって、新旧勢力の間で第46回総選挙が戦われることにあまり異論はないだろう。ただ、あいまいにされるかもしれない原発政策について、次にコメントしておきたい。
たとえば、野田・民主党は2030年までに原発を停止すると発言している。しかし原発の停止なら、いますぐにでも技術的には可能なのだ。それは現在に稼働している原発が大飯原発だけであることに明らかだろう。ほかは点検のために停止中である。
したがって2030年に原発を停止する考えは、そのときまでの原発再稼働を意味する。こうした裏事情は政策から意識的に隠されている。また原発の廃炉こそが脱原発を意味するのだが、廃炉は即時に実行できるものではない。いまから始めて、何年の月日が必要になるだろう。
なので即時に脱原発をうたう政党は、嘘をついて国民受けを狙ってる可能性がある。嘘じゃないとしたら、廃炉すら即時に実行できると思い込んだ無知をさらけだしている。こうした目安をもって、日本にふさわしいと判断される政党を選びたいものである。(了)
(引用おわり)
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