16. 2012年12月11日 21:52:15
: esmsVHFkrM
投稿主は、何か安倍自民党の改憲に反対する人間が安倍自民党の改憲草案を読んでいないか、そもそも憲法を理解できない馬鹿かのように思っておられるようだが、それは大間違いだ。われわれは、ちゃんと現行憲法を読んでいる、そもそも民主主義の憲法典がどのようなものであるべきかを理解している、そのような民主主義的憲法がどのような歴史の中から生み出されてきたものかも理解している。その上で自民党の改憲草案を読み、これが民主主義の諸原則に反した極めて危険な改憲案であることを見て批判しているのだ。 「賢者の石」などというおよそ道理を弁えたまともな大人であれば自分から名乗るはずのない不遜でなペンネームを使うのは勝手だが、他人がみんな馬鹿だと思うのは大間違いだ。 自民党の改憲案が危険な点は多岐にわたるが、ここでは第9条と平和主義に絞ってそれがいかに危険なものであるかを示したい。 現行憲法の醍9条は以下のとおりだ。 「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 ○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」 これに対して自民党の改憲案(自民党ホームページの「自由民主党新憲法草案」http://www.s-abe.or.jp/wp-content/uploads/constitutiondraft.pdfによる)では第9条第1項はそのまま維持するが、第2項は全文削除の上次の新しい第2項を挿入するとしている(つまり第2項の総入れ替えだ)。 「(自衛軍) 第九条の二 わが国の平和と独立ならびに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮者とする自衛軍を保持する。 2 自衛軍は、前項の規定による任務祖遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。 3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。 4 前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織および統制に関する事項は、法律で定める」。 この自民党草案は第2項を全面的に入れ替えることによって、現行憲法の平和主義を守りながら自衛戦争とそれに必要な戦力を合憲化すると主張しているので、現行憲法第9条解釈についての「二項全面放棄説」に基づくことは明らかだ。 「二項全面放棄説」とは、第9条第1項の戦争放棄は「国際紛争を解決する手段としては」と限定されているから国際法上の用例に従って侵略戦争の放棄と解釈すべきあるが、第2項で手段としての一切の戦力の不保持が定めているから、結果として事実上すべての戦争が放棄されているとする解釈である。 自衛隊についての唯一の憲法判断である長沼ナイキ訴訟第一審判決はこの「二項全面放棄説」に基づき自衛隊は戦力に当たるとしてこれを違憲とした。 歴代日本政府(内閣法制局)は、基本的にこの「二項全面放棄説」を採りながら、第2項で不保持の対象となっているのはあくまで「戦力」であって、「戦力」に至らない程度の必要最小限度の実力(自衛力・防衛力)を保持することは否定されていない(自衛力論)との解釈をとっている。 この政府解釈の苦しさ(日本の軍備は予算規模で世界第6位(2006年)だから、これが「戦力」でないのならば世界大多数の国の軍隊は戦力でないことになってしまう)から、自民党が、一応理念としての平和主義を残しつつ国防軍とその戦力を合憲とするために「二項全面放棄説」に依拠しつつ第9条第2項を削除することで目的を達しようとするのは当然のことと言える。 以上を踏まえた上で、では、自民党の第2項はどこが危険なのか。 まず、それによって許容されることになる「戦力」の規模に限定がないことの危険を指摘する。 現在の規模の自衛隊(予算規模で世界第6位)でさえ現行第9条第2項による戦力禁止規定にもかかわらず政府によって強行されているのに、また逆に言えば戦力禁止規定のおかげでこの規模で抑えられているのに、戦力禁止規定がなくなったら「国防軍」の戦力規模はどこまで膨らむことになるのか。日本が持つことになる戦力はどれくらい大きくなってしまうのか。 自民党改憲草案の新9条第2項には一切の規定がない。一切の制限がない。 そもそも戦力に自衛用と侵略用の区別はつかないのであるから、安倍晋三のような好戦的な人物を首班とする政権においてその「国防軍」の戦力が天井知らずとなるのは必至だ。 戦前の歴史が示すとおり過重な戦力の保持は危険だ。それは国民経済の負担の面からも、またそれに必要な人的資源の面からも(徴兵制の問題であるが後述する)、さらにアジア周辺国に与える軍事的脅威とそれによる望まざる国際緊張の面からも日本に大きな危険をもたらす。 制限なき軍隊は国富と国民の基本的人権を食いつくし、帰って国際環境を危険なものにするのだ。それが日本の戦前の経験だ。 次に、その「国防軍」が自民党の説明とは異なり自衛以外の軍事行動を行う危険を指摘する。 自民党草案第9条第2項の3に「第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか」と第1項(この第1項とは自民党草案第2項の1のことであることに注意)の「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため」の例外として、海外活動(派兵)を許すばかりか、それに加えて「緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」とまで規定している。 この第2項の3によれば、海外派兵については「法律の定めるところにより」のほかに何の憲法上の制限もないから、時の政府与党が必要と考え法律に定めてしまえば、どのような海外戦争(例えばイラク戦争やアフガン戦争のようなアメリカの戦争)にも「国防軍」を派兵することが可能だ。時の政府が対米従属的な安倍自民党であれば日本の自衛とはまったく関係のないアメリカの戦争へ「国防軍」が派兵されることは必至だ。 さらに、第1項の「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため」の例外として「緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」が可能となっているが、これはいったい何のことであろうか。 「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため」とは自衛の意であるのは明らかであるからその例外となる「緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」とは自衛ではない軍事行動ということになる。これはいったい何だ。自民党はこれが何を意味するか説明しているのか。 説明がないままこっちで勝手に想像すれば、それはまず海外居留民の保護やさらに海外権益の保護かもしれない。たしかにそれらは、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため」(2項の第1項)でも「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」(2項の第3項)でもカバーされないから、別途規定する必要がある。 しかしこれは極めて危険だ。日本の過去の歴史においてそのような「海外居留民保護」や「海外権益保護」こそが海外戦争につながったことは厳然たる事実だ。満州事変を引き起こした関東軍がなぜそこにいたかと言えば「満州権益の保護」と「満州居留民の保護」のためだ。満州事変後の戦線拡大の理由には常に「権益の確保」と「居留民保護」を理由とした。自民党の真意が「海外権益の保護」と「海外居留民の保護」であるならばこの規定は日本を再び撤兵することが極めて困難となる海外戦争へズルズル引きずり込むことになるだろう。だからこの例外は極めて危険だ。 しかし自民党の真意がほんとうに「海外居留民保護」や「海外権益保護」ならばそうはっきり書けばいいことだ。どうして具体的に書かないのか。漠然と書いて何でもやれるようにしているところが怪しい。 わたしは自民党の真意は、実は「治安出動」であると思う。「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため」(2項の第1項)の例外としての「緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」とは「国防軍」の「治安出動」しかありえない。 これはとんでもない規定だ。金曜日の反原発デモのようなものが極めて大規模なものとなり警察力で分散させたりできなくなり時の政権に打撃を与えるものとなったら「国防軍」が出てくると言うことだ。「国防軍」が時の政権(安倍自民党政権のような)の「私兵」となって同じ日本人に銃口を向けると言うことだ。 手のでもない規定だ。こんな危険を許すことはできない。 さらに続けて、この自民党改憲草案第9条第2項および他の草案規定のために日本人が被るであろう基本的人権侵害の危険を指摘したい。 すでに上に見たように自民党改憲草案の第9条第2項によって可能となる「国防軍」とその「戦力」の大きさについては制限がない。現在「戦力」以下だとされる自衛隊を上回るような戦力の人的リソースはどうするのか。いまの自衛隊だって定員を満足する志願者がなくて必至の入隊勧誘をやっているのに、そのような大きな「国防軍」の兵士をどうやって調達するのか。 わたしは自民党は当然徴兵制を狙っているものと確信する。 自民党がその憲法改正草案の検討に当たって徴兵制を議論していたのは事実だ。 毎日新聞は、2010年3月に自民党憲法改正推進本部が徴兵制を検討していることを以下のとおり報じている。 「自民党:憲法改正推進本部、徴兵制検討を示唆 幹事長は慌てて否定 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100305ddm005010015000c.html 自民党の憲法改正推進本部(本部長・保利耕輔元文相)が4日公表した論点整理に徴兵制の検討を示唆するかのような部分があり、大島理森幹事長が急きょ打ち消した。 論点整理は「多くの国では、憲法で、国民の兵役義務や、良心的事由に基づいてこれを拒否する者の代替役務等が定められている」と指摘したうえで、「民主主義国家における兵役義務の意味や軍隊と国民との関係などについて詰めた検討を行う必要がある」と提起した。これが「徴兵制検討」と速報されたのに慌てた大島氏は、談話で「わが党が徴兵制を検討することはない」と否定した。【木下訓明】」 また、自民党憲法改正草案には当初「徴兵制度の禁止」条項が存在し「国防軍」を設置するとしても徴兵制ははっきり禁止する方針だったが、石破などの党内右派が「国家のために生命を懸けることができないような国家を、果たして国家と呼べるのか?」と批判してその「徴兵制度の禁止」条項をわざわざ削除したという事実もある。 さらに、自民党は実際に憲法第18条を以下のように書き換えようとしている。 現行憲法、 「第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」 自民党改憲草案、 「第十八条 何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。 2 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」 現行憲法の「奴隷的拘束」の禁止が単なる「身体的拘束」の禁止に変わってしまっている。 この違いは大きい。 徴兵制では「身体の拘束」を受けないが(兵営に鎖でつながれているわけではない)そこから逃げられない。徴兵拒否や兵営からの脱走は重犯罪となるからだ。おとなしく屈服して兵役という奴隷労働(しかも死の危険が伴う)に従事するしかない。これが「奴隷的拘束」だ。だからこそ、内閣法制局ですら憲法だ18条の「奴隷的拘束」の禁止があるかぎり「徴兵制」は憲法違反であるとしている。 ところが自民党草案では「奴隷的拘束」の禁止がたんなる「身体的拘束」の禁止に変わってしまっているのだ。内閣府政局の解釈に従う限りこの変更の意味するところは明らかだ。自民党改憲草案は徴兵制を可能にするということだ。 自民党が徴兵制をやる気がないと言うのなら、そもそも徴兵制を論点整理のひとつとしてあげ党内論議をしているはずがない。そもそも草案に初め存在した「徴兵制禁止」条項をわざわざ削除する必要はない。憲法第18条の「奴隷的拘束」の禁止を「身体的拘束」の禁止に書き換える必要はない。 だから、自民党の改憲を受け入れたら徴兵制だ。「奴隷的拘束」を受けないと言う日本人の基本的人権は無にされてしまう。 そもそも自民党とその憲法草案は基本的人権に対して敵対的だ。 自民党の憲法草案Q&Aにこうある、 「権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。」 つまり自民党は天賦人権論を明確に否定している。基本的人権とはそれぞれの国の「共同体の歴史、伝統、文化」によって異なって当然だと言っているのだ。 これは自由民主主義の否定だ。 民主主義とは、基本的人権を生まれながらに持つ(自然権)人民が、その天賦の人権をより良く実現するために相互に社会契約を結び国家を作るが、その国家は基本的人権を擁護し実現することを第一義とし、そのために選挙による代議制とか三権分立とかの民主的諸制度を用意するという政治思想のことだ。どこに生まれようとどの民族に属そうと生まれながらに同じ基本的人権を持つ、これが民主主義の基本原理であり前提だ。世界中どこでもそうだ。 この天賦人権を「共同体の歴史、伝統、文化」を理由に制限しようとする企みは反民主主義だ。基本的人権が保障されない個人は国家権力の恣意的な行使の前に無力だ。それがドイツ人の優越としてナチスドイツが、プロレタリア独裁としてソ連全体主義が、万世一系の天皇が統治する神国として戦前天皇制国家主義日本ががやったことだ。 日本人は戦前戦中の過酷な国民体験から戦後天皇制国家主義ファシズムを清算して天賦基本的人権論に基づく民主主義国家として日本を再興したはずだ。それが現行の日本国憲法だ。 安倍自民党は戦前への復帰を主張するが、その主張は、まさにその改憲草案が戦前のような基本的人権の制限や否定を復活することで実現されようとしている。 そのような改憲は決して許されない。 自民党改憲草案により憲法第9条の戦力不保持が廃棄され戦争放棄が実質的に骨抜きにされるとは、その戦力に一切の制限がない「国防軍」が出現するということだ。その「国防軍」とは名前に反して自衛以外の戦闘行為も、それがアメリカの戦争であれ、同じ日本人に敵対する治安出動であれ、自由に行うことができる軍隊だということだ。その軍隊の兵隊は「奴隷的拘束」禁止が憲法から排除された結果日本人の中から徴兵制で自由に召集される。そんな日本では、国民の天賦のはずの基本的人権が「公益及び公の秩序に反しない限り」の名目で時の政権の意のままに制限されたり否定されたりする。そんな戦前とおなじような政治体制が出来上がると言うことだ これほど危険なことはない。 だから安倍自民党の憲法改悪は絶対に許してはならない。 「賢者の石」を自称する投稿主にもお分かりいただけただろうか。 |