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吉井英勝議員が引退メッセージ
2012-12-10 : (もうすぐ北風が強くなる)
想定外の原発事故は数年前から想定されていた。
共産党の吉井英勝衆院議員がこの衆院解散で引退すると言う。
3.11の原発事故以来、国会議員の中では唯一の核専門家として多くの質疑を行い、疑惑を追求してきた。
3.11の事故以前からも国会内の核専門家として、政策の誤りと不十分さを追求してきた。
国会議員に仮に彼がいなかったら、当初の論議はかなり低調に推移したことだろう。
核の問題、原発の問題で国会での吉井議員の存在は非常に大きなものがあったと思います。
左派の中には志位氏でなく、吉井氏が共産党委員長になれば、との声さえあるようです。
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国会議員として最後のメッセージ 11/22 吉井英勝
本当は、いまは前衆議院議員となっています。11月16日の衆議院解散の日、党の議員団総会で挨拶をさせて頂きましたが、議員生活の42年間はあっという間でした。本当にお世話になりました。お力添えを頂いたことに、改めてお礼と感謝を申し上げます。
「3・11福島原発事故」は終わっていません。引き続き徹底した究明が必要です。同時に、再生可能エネルギーの爆発的普及による原発に依存しないエネルギー構造への転換と、地域経済の持続可能な発展が必要です。私は以下の視点から取り組みを続けていきたいと思います。
(1)なぜ原発を受け入れることになったのか。反対に原発建設計画をつぶせた所ではどういう経緯があったのか。
原発建設に同意して受け入れ、原発に頼らざるを得ない地域経済や自治体財政になった所の経緯を、原発を受け入れた人たち(首長から賛成した住民まで)を責める立場からでなく、原発依存から抜け出すことをどう進めたら現実的な道として共感し、仕事と地域経済や財政の面で自信を持って乗り越えていってもらえるようになるか。
(2)原発建設に反対した地域の人々が、仕事や財政の面でどういう問題を抱えているか、どのように乗り越えていったか。あるいは乗り越えようとしているのか。
(3)国はどのような経済のルールを作って、大企業に対しても国内の地域経済の発展にどう貢献させていくのか。
また、国が自治体財政の財源保障と調整として出している地方交付税だけでなく、自らの地域に適した再生可能エネルギーに取り組むように地域産業として発展させる国の誘導策を、どのように進めさせるか。
(4)日米「原発利益共同体」がどのようにして作られ、それが、いま何を企んでいるのか。
いま、再稼働と原発輸出戦略、そして再処理工場を動かすことで、「核抑止力」を“(日本は)持とう”、“(アメリカは)持たせよう”という彼らの奥深い企みを解明していくこと。
現場の取り組みを見ながら、持続可能な日本社会をつくるために多くの皆さんから学びたいと考えています。一人の市民として、まず学習に励みたいと思っています。
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3・11福島原発事故に責任を負うべき者にその自覚がないことは許されない 11/19 吉井英勝
日本原発の安全は守られるのか、という問題についての国会での取り組みを、改めて振り返ってみます。
同時に、農林漁業と中小企業の仕事とが結び付いた再生可能エネルギー、地熱など自然エネルギーの爆発的な研究開発と普及によって、都市でも農村でも「地産地消」の日本のエネルギーと地域経済を発展させること。
さらに大企業が海外へ出て行っても国内にこれからも住み続け、働き、暮らしていく人びとの持続可能な発展の道を考えたいと思います。
私が国会で仕事をするようになったのは、1988年2月29日に参議院の大阪補欠選挙で当選させていただいて(うるう年の2月29日に当選した議員はおそらく憲政史上1人でしょう)、その後1990年2月の総選挙で衆議院に変わりましたが、この1988年からいろいろな角度から、継続的に長く原発問題に取り組んできました。
第1に、昨年の3月11日に起きた東京電力福島第一原発の事故は未然に防ぐことができる可能性があったのに、警告を無視した東電と政府の「不作為の責任」に繋がる問題を記したいと思います。
小泉内閣の時代の2004年12月に、インドネシア・スマトラ沖で巨大な地震・津波が発生しました。“同規模の地震や津波が日本の老朽化した原発を直撃したらどうなるか”という観点から、地震、津波(「押し波」も「引き波」も含めて)、全電源喪失などの問題を系統的に取り上げてきました。
たとえば2006年3月1日の衆議院予算委員会第7分科会で津波の問題を取り上げた時、広瀬原子力安全・保安院長(当時)は「スマトラ沖地震による津波にとりましても、インド洋沿岸に設置されております原子力発電所も影響を受けた」「津波で被害を受けたインドのタミールナルド州で開催されたIAEAのワークショップに参加し、被害を受けた原発の現地調査やスマトラ島の被害報告などの情報収集を行っております」と答弁しています。
これはインドのマドラス原発で津波の「押し波」によって、冷却用のポンプが使用不能になったということを把握していたということです。
私は、この答弁を受けて、「押し波の波高が10mとかもっと高い場合もある。水没に近い状態で原発の機械室の機能が損なわれる」ことを指摘するとともに、「引き波」の時に原発停止後の核燃料を冷却し続ける機器冷却系に必要な冷却水を取ろうとしても、海水面が冷却水の取水口の下にまで下がると冷却不能になるという問題も提起しました。
巨大地震に老朽化した原発が耐えられるかという問題を、実証実験するのに使用できる香川県多度津町にあった世界一の大型振動台を使って、使用して放射化している原発機器を振動台に乗せて実験した例はあるかと質問すると、広瀬原子力安全・保安院長は、「多度津を使った試験は21件あるが、老朽化したものについての実証試験は行っておりません」と答えました。
小泉内閣の手で「行革」の名の下、今治造船へ倉庫用地として、310億円の装置を2億7700万円でこっそり売却されていたのです。
当時の二階経済産業大臣は、地震・津波問題に、「最悪の事態を考えても考えすぎということはない。省を挙げて真剣に取り組むことをお約束申しあげる」と言いましたが、東京電力が無視したのか、総理大臣を先頭に内閣が無視したのか、大臣答弁を官僚がサボタージュしたのか、結局、対策はとられることなく3月11日を迎えました。
2005年12月には小泉内閣に質問主意書を出していて、上に書いた多度津の施設を売却するべきでないことを質していましたが、地震対策を無視して翌年度に売却しました。
安倍晋三内閣に代わった後の2006年12月13日にも質問主意書を出しました。私が「高圧送電鉄塔が倒壊すると、外部電源が得られなくなるのではないか」と質したのに対して、閣議決定して返ってきた答弁書では、「外部電源系は、2回線以上の送電線により電力系統に接続された設計となっている」「外部電源からの電力の供給を受けられなくなった場合でも、非常用所内電源からの電力により、停止した原子炉の冷却が可能である」と答えました。
また、「核燃料棒の崩壊熱を除去するためには、機器冷却系電源を確保できることが、原発にとって絶対必要である。現実には自家発電機事故で原子炉が停止するなどバックアップ機能が働かない原発事故があったのではないか(スウェーデンのフォルクスマルク原発で、ディーゼル発電機とバッテリーを組み合わせた内部電源が2系列で事故を起こしたことを踏まえての質問)。」と問いました。
これに対して「必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた例はない」「フォルクスマルク原発とは異なる設計となっていることから、同発電所と同様の事態が発生するとは考えられない」という答弁書でした。
「地震で送電鉄塔の倒壊によって外部電源が得られない状態が生まれ、内部電源もフォルクスマルク原発のようにディーゼル発電機もバッテリーも働かなくなった時、機器冷却系は働かないことになる。
こうした場合の安全性について検討しているか」と問うたことについても、安倍内閣の答弁書は、「地震、津波等の自然災害への対策を含めた原子炉の安全性については、審査指針に基づき審査、確認しているものであり、ご指摘のような事態が生じないように安全の確保に万全を期している」と答え、
私がさらに「崩壊熱を除去出来なかったら、核燃料は焼損するのではないか」と質すと、「原子炉の冷却ができない事態が生じないように安全の確保に万全を期している」と胸を張って答弁書を書いていたのです。
これは小泉〜安倍という自公政権時代だけでなく、政権交代後の民主党・社民党・国民新党の3党連立政権時代の直嶋正行経済産業大臣も同じで、私が「外部電源も内部電源も失われる全電源喪失になると、原発は炉心溶融という深刻な事態になるだろう」と質問したのに対して、
「ご指摘のようなメルトダウンを起こさない、このための様々な仕組みを作っている」(2010年4月9日、経済産業委員会)と、メルトダウンは有り得ないと胸を張りました。
東京電力の言いなりになって、地震、津波、全電源対策の心配はないと政府が主張し、東電に対策を取らせなかったのですから、東京電力と自公政権、民主党中心の連立政権の3・11以前の「不作為の責任」は重大です。
第2は、3・11の「全電源喪失」が分かった午後3時42分以降の東京電力と、官邸の対応の問題です。
原発を停止しても、圧力容器の中の核燃料棒は崩壊熱を出し続けますから、核燃料棒が冷却水から頭を出さないようにさせることが重要です。
そうしないと、冷却できなくなって核燃料棒の被覆管のジルコニウムが、1200℃を超える位から水と反応して水素が発生し、さらにもう少し温度が上がると被覆管が溶けて、中に閉じ込めている放射性ヨウ素などが外部に放出することになります。
さらに2800℃位で核燃料そのものが溶けて、セシウム、ストロンチウムなどからプルトニウムに至るまで、外部に放出されます。
そんなことは東電の技術者はもとより、官邸に詰めていた技術者も分かっていたはずです。
それなのになぜ圧力容器内の圧力を下げて、消火栓ラインなどからでも冷却水を注水するラインの形成に即座に取り組まなかったのか、冷却用の純水が不足したら目の前の海水を注水してでも冷やすことをしなかったのかが、大変不思議なことです。
同じように津波の被害を受けた、宮城県の東北電力・女川原発では、5系列の外部電源のうち4系列は壊れました。しかし、生き残った1系列で機器冷却系を動かすことに成功して、約10時間後には「冷温停止」(冷却水の圧力と温度が1気圧、100℃以内)となりました。
福島第一原発では電源がなくなってしまった分、余計に時間はかかったとしても、海水注入などで冷やし続ければ、メルトダウンと建屋の爆発とは食い止めることができた可能性はあります。
なぜ、それができなかったのか。東電は海水注入による廃炉を恐れたこと。何とか海水注入を遅らせて、冷温停止に持っていくことで福島第一原発という利益を上げる資産を残したがったことがあると思います。
もう一つは、原子力災害対策本部長をはじめとする官邸が、3月11日の午後3時42分に「全電源喪失」の報告を受け、直ちに東京電力に対して早期に圧力容器内の減圧と海水注入を含む緊急対策を取らせきらなかったことがあると思います。
政治家に原発の知識がなくとも、原子力安全委員会や、原子力安全・保安院とサポートする原子力安全基盤機構(JNES=ジェイネス)や各機関の技術参与などが、知恵と技術を結集することはできたはずです。
しかし、そういう仕組みを作らないで、ずるずる事態が最悪の状況に進んで行ったことや情報公開が極端に弱かったことなど、「国会事故調報告」などの各種報告書の指摘も踏まえて解明が必要でしょう。
1999年のJCO事故では、企業の責任者が「執行猶予付きで懲役4年」と刑事責任を負いました。
しかし、福島第一原発事故の場合は、刑事責任も民事責任も問われないままです。
本来なら3・11以前の「不作為の責任」を自覚しなければならない人や、3・11以降の事故対応の誤りに責任を感じなければならない人たちが、開き直って、このことに触れるマスコミなどをネットで攻撃したり、「名誉棄損だ」と訴訟を起こしたりしています。
「昔から脱原発だ」と、自分を売り込むことに熱心な人もいます。
いまだ原発事故が収束していないことや、避難を余儀なくされている16万人を超える人々の苦しみを考えているとはとうてい思えません。
全く許しがたいことです。
これでは政治が国民から信頼されず、政治不信から極端な過激主張やファシズムが台頭してくることが心配です。
私は、原子核工学を学び、真空技術や宇宙開発から化学プラントに関わりを持ってきた技術屋出身の政治家として、湯川秀樹先生らが説いてこられた「科学者・技術者の社会的責任」を果たすという立場から、再生可能エネルギーの爆発的普及をめざし、同時にそれが農林漁業や中小企業の力と結び付いて、原発に依存しないエネルギー構造となり、地域経済の持続可能な発展のために頑張っていきたいと思います。
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吉井 英勝(よしい ひでかつ)生年月日1942年12月19生まれ。京都大学工学部原子核工学科卒。
堺市議(28歳〜)3期、大阪府議1期、参院議員1期を経て、90年大阪旧4区から衆議院初当選。
96年九州・沖縄比例ブロック、2000年近畿比例ブロックから当選し、2012年11月まで衆議院議員を7期勤める。
経済産業委員、内閣委員、消費者問題に関する特別委員、科学技術・イノベーション推進特別委員、総務委員、財務金融委員などを歴任。
党中央委員、党原発・エネルギー問題委員長
元記事リンク:http://bator.blog14.fc2.com/blog-entry-1470.html
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