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20世紀半ば、国内初の「原子の火」がともった茨城県東海村。東京電力福島第1原発事故が起きるまで「反原発」は限られた一部の声だった。だが今、村内の日本原子力発電(原電)東海第2原発を巡り、再稼働か廃炉か意見は割れる。衆院選を迎えた原発城下町の有権者の意識が揺れている。
【衆院選・選択の手引】脱原発、問われる本気度 各党の姿勢は
「『村』だけど日本一。世界でも『東海』と言えばわかる」
再稼働を求める石油販売会社常務取締役、照沼毅さん(59)は小学校時代、父親や先生からそう教えられた。故手塚治虫さんのSF漫画「鉄腕アトム」の世代で、アトムのエネルギー源は原子力だった。
東海村は日本原子力研究所(原研)を誘致し、1957年に研究用原子炉が初めて臨界を迎えた。以来、多くの研究施設や企業が集まり、誘致前約1万1600人だった人口は現在約3万8000人だ。その約3分の2は家族を含め原子力関連産業にかかわる。
村民憲章はうたう。
−−わたくしたちは ゆかしい歴史と原子の火に生きる 東海の村民です
その「誇り」は福島の事故で揺らいだ。照沼さんは官邸デモの人の多さに「自分たちは少数派なのか」と思った。2月に市民団体「東海村の将来を考える会」を発足させ代表になった。衆院解散後の11月下旬、ドイツの脱原発政策に詳しい専門家を招きシンポジウムを開くなど再稼働反対の村民も交えて村の未来を語り合う。
「村は半々に割れたが、将来を豊かにしようとの思いは一緒」
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「『原子の火』をまず茨城から消そう」
今年3月に主婦らが作った「リリウムの会」は東海第2原発の廃炉を目指し村議会への請願活動などを続けている。リリウムは村の花「スカシユリ」のラテン名だ。そのメンバーで2児の母の佐藤佳代子さん(42)の自宅庭からは原子炉建屋が見える。大震災前はその存在を気にかけることもなかった。しかし震災時、推定5.4メートルの高さの津波が同原発に押し寄せ、非常用ディーゼル発電機の冷却用ポンプが浸水、発電機3台のうち1台が停止した。福島事故と同様になりかねない事態だったことをあとから知り「不信感が募った。無関心でいられなくなった」と言う。
一方、同会メンバーで4歳の長男の母、岡本孝枝さん(43)にとって「原子の火」は「誇り」だった。約15年前、原子力研究施設の見学会で燃料棒が入ったプールを見て、透き通ったブルーの水に「きれい」と感動した。しかし今は違う。
「自分たちの将来は自分たちで考えなければいけない」
東海村を含む衆院茨城4区には民主、自民、共産の3人が立候補し、第三極の立候補者はいない。「自分の1票が国を左右する」。その思いで16日、投票所に向かう。【杣谷健太】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121207-00000014-mai-pol
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