22. 2012年12月10日 19:56:55
: esmsVHFkrM
>>21. 2012年12月10日 14:57:46 : Hh4TqK75Eo、 ジョン・F・ケネディの大統領就任演説であるいわゆる「松明演説」についてそういう大嘘を言うのは止めてほしい。 よく国家主義者が国家への滅私奉公義務を主張してケネディの演説のその部分だけを抜き出して引用するが、ケネディの演説の全体が主張するのはそれとはまったく正反対のことだ。 以下長くなるので全文は引用しないが、わたしがこれから指摘することが嘘だと思う人がいるなら全文を参照してほしい(日本語訳は、http://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BBF%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E5%B0%B1%E4%BB%BB%E6%BC%94%E8%AA%AC、原文英語は、http://avalon.law.yale.edu/20th_century/kennedy.asp)。 ケネディは、その演説の冒頭で彼が大統領に就任する1961年1月の世界をどう認識するかについてこう述べる。 「今や世界は、大きく変貌している。何故なら人類は、あらゆる形の貧困をも、そしてあらゆる形の人命をも消滅させ得る力を手に入れたからである。だが、我々の父祖らが掲げた革命的信条――人間の権利は、国家の厚意によってではなく神の手によって与えられるとの信条――は、今なお世界中で争点となっている。」 ''The world is very different now. For man holds in his mortal hands the power to abolish all forms of human poverty and all forms of human life. And yet the same revolutionary beliefs for which our forebears fought are still at issue around the globe--the belief that the rights of man come not from the generosity of the state, but from the hand of God. 1961年は核戦力下の東西冷戦の真っ只中だ、彼はその時代を、「われわれの父祖らが掲げた革命的信条」が「世界中で争点」となっている時代だというのだ。 その問題の「われわれの父祖らが掲げた革命的信条」(''the same revolutionary beliefs for which our forebears fought'')とは「人間の権利は、国家の厚意によってではなく神の手によって与えられるとの信条」(''the belief that the rights of man come not from the generosity of the state, but from the hand of God'')だ。 こう言われれば、その「革命的信条」が何であるかは、アメリカ国民ばかりでなく世界中の民主主義を愛する人間には明白だ。これが理解できないのは反民主主義者だけだ(例えば日本の国家主義者のような)。それはアメリカ独立革命によってアメリカ建国の父たちが打ち立てた民主主義の大原則である「天賦人権論」だ。 天賦人権論とは、基本的人権は国家によってその国民に与えられる恩恵ではなくそれは神によって国家以前の人間に与えられた自然権だという考え方だ。それゆえに地上の何者によっても、国家によっても、恣意的に与えられたり奪われるするものではないとの思想だ。ケネディがここに簡潔なレトリックで述べているのはこの天賦人権論だ。 そもそもアメリカ独立戦争は単なる独立戦争ではない。それは英国王政の植民地抑圧に抗してそれに代わる天賦人権論に基づく自由民主主義を思想としてまた体制として確立するための革命戦争であったのだ。それだからこそ、この戦争は「独立革命」(''Independence Revolution'')と呼ばれる。これは世界の常識だ。 この天賦人権論による自由民主主義の思想は、アメリカ独立宣言を読めばよくわかる。翻訳は、http://www.h4.dion.ne.jp/~room4me/america/declar.htm、原文は、 http://www.ushistory.org/declaration/document/を参照されたい。 だからこそケネディはこう続ける、 「我々は、最初の革命を今日受け継いでいるのが己であることを忘れてはならない。今ここから、味方にも敵にも、次の言葉を伝えよう。「松明(たいまつ)は新世代の米国民に引き継がれた」と。今世紀に生まれ、戦争によって鍛えられ、厳しく苦い平和によって訓練され、古き伝統に誇りを持つ我々米国民は、この国が常に擁護に努め、今も国の内外で擁護に努めている人権が、次第に剥奪されてゆくのを傍観も容認もする気はない。」 ''We dare not forget today that we are the heirs of that first revolution. Let the word go forth from this time and place, to friend and foe alike, that the torch has been passed to a new generation of Americans--born in this century, tempered by war, disciplined by a hard and bitter peace, proud of our ancient heritage--and unwilling to witness or permit the slow undoing of those human rights to which this Nation has always been committed, and to which we are committed today at home and around the world.'' アメリカ独立が独立革命であったからこそ 「最初の革命を今日受け継いでいるのが己である」(''we are the heirs of that first revolution'')と言える。アメリカ独立革命が「最初の革命」であるのはそれ(1776年)がフランス大革命(1789年)に先立つからだ。 さらに、それを受けてケネディは「松明(たいまつ)は新世代の米国民に引き継がれた」(''the torch has been passed to a new generation of Americans--born in this century'')と宣言する。ここで言う「松明」(''the torch'')が天賦人権論自由民主主義の隠喩であることは明白だ。 だからこそ、この天賦人権論という松明を受け継いだ現代の米国民は「この国が常に擁護に努め、今も国の内外で擁護に努めている人権が、次第に剥奪されてゆくのを傍観も容認もする気はない」(''unwilling to witness or permit the slow undoing of those human rights to which this Nation has always been committed, and to which we are committed today at home and around the world'')のだとケネディは述べる。 すなわち、ケネディがここまで格調高いレトリックをもって述べていることを要約すればこうだ。 1961年1月時点の世界とは、圧倒的破壊力の核戦力を背景に東西で冷戦が闘われている世界であり、その対立の焦点は天賦人権論自由民主主義の成否だ。ケネディを代表とするアメリカの新しい世代は、天賦人権論自由民主主義革命の後継者であり、彼らにその思想と決意(松明は)はしっかりと受け継がれた。したがってこのアメリカの新しい世代は、この世界においてソ連共産主義によってその天賦人権論自由民主主義が侵害されていくことを黙認も許容もしない。 このような世界認識とアメリカの新世代の自己認識を前提に、ケネディは国の内外に新しい大統領としてのケネディの決意、それは取りも直さず松明を受け継いだアメリカの新世代の決意であるわけだが、をこう表明する。 「友好国か敵対国かを問わず、全ての国に知らしめよう。自由の存続と発展を保証するために、我が国はあらゆる国に如何なる代償をも払い、如何なる負担にも耐え、如何なる困難をも乗り越え、如何なる友をも支え、如何なる敵にも対峙するということを。」 ''Let every nation know, whether it wishes us well or ill, that we shall pay any price, bear any burden, meet any hardship, support any friend, oppose any foe, in order to assure the survival and the success of liberty. '' そしてケネディは、彼の政権のさまざまな方針を敵味方を問わない諸国民への「誓い」(''pledge'')として表明し、その最後を、アメリカ国民に対しての呼びかけ、それは他国民に対する呼びかけに呼応するが、で演説を締めくくる。問題の呼びかけが出てくるのはこの部分だ。それはこうだ。 「国民諸君よ。我々の進む道が成功に終わるか失敗に終わるかは、私自身よりも諸君に懸かっている。建国以来、各世代の米国民は国家への忠誠の証を示すよう求められてきた。召集に応じた若き米国人らの墓が、世界中に建っている。 今、再びトランペットが我々を召集している。だがこれは、武器を取れとの合図ではない――我々は武器を必要としてはいるが。戦をせよとの合図でもない――我々は戦に備えてはいるが。そうではなく、今後とも「希望に喜び、苦難を忍び」、長い薄明かりの中での苦闘に耐えよとの合図なのである――圧政、貧困、疾病、そして戦争そのものといった、人類共通の敵との闘いに耐えよとの合図なのである。 これらの敵に対して、我々は世界の南北、東西に及ぶ大同盟を創り、全人類の生活をもっと実りあるものにしよう。この歴史的取り組みに参加して欲しい。 最も危険な時代に自由を守る役割を与えられた世代は、世界の長き歴史においてもほとんどない。私は、この責任を恐れず、むしろ歓迎する。他の者や他の世代と立場が替われたらと考える者などいまい。我々が活力、信念、献身をもって行う取り組みは我が国を照らし、そして我が国に奉仕する者全てを照らすであろう――その炎の輝きは、真に世界を照らすはずである。 だから国民諸君よ。国家が諸君のために何ができるかを問わないで欲しい――諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい。 世界の市民諸君よ。米国が諸君のために何ができるかを問うのではなく、我々が人類の自由のために共に何ができるのかを問うて欲しい。」 '' In your hands, my fellow citizens, more than in mine, will rest the final success or failure of our course. Since this country was founded, each generation of Americans has been summoned to give testimony to its national loyalty. The graves of young Americans who answered the call to service surround the globe. Now the trumpet summons us again--not as a call to bear arms, though arms we need; not as a call to battle, though embattled we are--but a call to bear the burden of a long twilight struggle, year in and year out, "rejoicing in hope, patient in tribulation"--a struggle against the common enemies of man: tyranny, poverty, disease, and war itself. Can we forge against these enemies a grand and global alliance, North and South, East and West, that can assure a more fruitful life for all mankind? Will you join in that historic effort? In the long history of the world, only a few generations have been granted the role of defending freedom in its hour of maximum danger. I do not shrink from this responsibility--I welcome it. I do not believe that any of us would exchange places with any other people or any other generation. The energy, the faith, the devotion which we bring to this endeavor will light our country and all who serve it--and the glow from that fire can truly light the world. And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country. My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man. '' ここでケネディがアメリカ国民、それも彼の世代であるアメリカの新しい世代、に対して呼びかけていることは、「この歴史的取り組み」(''that historic effort'')を傍観することなくそれに積極的に参加してほしいということだ。 そしてこの「この歴史的取り組み」(''that historic effort'')とは、彼の演説の中で示されたような、世界中の天賦人権論自由民主主義を共産主義全体主義による侵害から守るためのすべての努力だ。 そのような取り組みへのアメリカ国民、特に新世代、の参加を要請して、ケネディは、 「だから国民諸君よ。国家が諸君のために何ができるかを問わないで欲しい――諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい。」 ''And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country.'' と呼びかけるのだし、それは引き続き同じ趣旨の諸国民への呼びかけに呼応する。 「世界の市民諸君よ。米国が諸君のために何ができるかを問うのではなく、我々が人類の自由のために共に何ができるのかを問うて欲しい。」 ''My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man. '' つまり、ケネディはその就任演説において、天賦人権論自由民主主義という「松明」はアメリカの新しい世代に受け継がれ、彼らによって引き続き高く掲げられるその光は世界中の人々に届いてそれを否定する闇を駆逐する、だからそんな歴史的偉業にアメリカの新しい世代はこぞって参加してほしいと呼びかけたのだ。 以上がジョン・F・ケネディの1961年1月の就任演説だ。 これは、安倍自民党のような、権利を主張するばかりの天賦人権論は誤りで基本的人権は国情によって制限されるのが当然でありむしろ憲法は基本的人権を制限的に規定すべきだし国民の国家に対する義務が強調されるべきだとの主張とはまったく違う。むしろその正反対だ。 ケネディは、東西冷戦をソ連全体主義との天賦人権論をめぐる対決であるとして、ソ連全体主義による天賦人権論自由民主主義の「剥奪」を阻止する取り組みに国民が傍観することなく参加してほしいと呼びかけているのだから、安倍自民党による天賦人権論の否定と「剥奪」の企みは、むしろケネディとその新しい世代のアメリカ国民によって阻止されるべき対象だ。アメリカ独立革命の成果である天賦人権論を否定するものはソ連と同じで自由民主主義の敵なのだ。 >>21のHh4TqK75Eo氏は、 「米国民はこれを支持した だが日本国民はどうだ。 この掲示板の住人は 大半が逆思想ではないか。」 と堂々と書いているが、その「米国民はこれを支持した」ケネディの呼びかけは安倍自民党のような天賦人権論の否定と「剥奪」への対決とそれへの勝利への参加であったのだから、「逆思想」であるのは安倍自民党と>>21のHh4TqK75Eo氏の方だ。 と言うわけだ。 天賦人権論の否定は自由民主主義の否定だ。天賦人権論とそれに基づく自由民主主義はアメリカ独立革命やフランス大革命で流された血によって贖われた人類政治思想の貴重な成果だ。それがどんなに貴重かはいま日本国民が実感しているところだ。 安倍自民党は、天賦人権論を否定して、基本的人権とはその民族の歴史や文化によって規定されるものでそれゆえに「日本型の基本的人権」があると主張する。したがって日本において基本的人権は「公益及び公の秩序」によって限定されるのが当然だと主張する。つまり人間の基本的人権とは時の政権とか権力の意向しだいでその内容や範囲が変化して当然だと主張されているわけだ。これでは絶対王政時代やナチスやソ連共産党の基本的人権の恣意的かつ欺瞞的な定義と同じだ。その当然の帰結が基本的人権の過酷な侵害となることも同じだ。 なるほどこれが安倍自民党の主張する戦前(軍国主義ファシズム)への復帰なのか。 基本的人権とは天賦(人が生まれながらに持つ自然な権利(自然権))であるが故になにものによっても、すなわち安倍自民党政権によってもそのような政権が支配する国家によっても、自由に否定されたり「剥奪」されたりするものではない。だからこそこれが自由民主主義の不動の礎であるのだ。 ケネディの就任演説が明確に主張するように天賦人権を否定するものは自由民主主義の敵だ。だから安倍自由民主党は自由と民主主義の敵なのだ。 これで、>>21のHh4TqK75Eo氏には自分の誤りがよくお分かりいただけたものと思う。
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