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嘉田代表が首に巻いたスカーフは、川俣町の女性たちからのプレゼントだ。=4日、飯舘村公民館前。写真:島崎ろでぃ撮影=
未来の党・嘉田代表 飯舘村で第一声 「原発をなくすため福島から始めた」
http://tanakaryusaku.jp/2012/12/0005767
2012年12月4日 19:05 田中龍作ジャーナル
福島原発事故後、初めての衆院選挙がきょう公示された。マスコミがいくら景気対策や外交問題を強調しても、原発推進か原発を止めるのかが問われる選挙となる。
民主党、自民党、社民党、未来の党の4党首が福島で第一声をあげたことにも表れている。
“福島を忘れない” 「3・11」以降この言葉を政治スローガンに掲げてきた未来の党・嘉田由紀子代表は飯舘村を選んだ。政府の情報隠しと無策の犠牲になった村だ。
村は昨春、計画的避難区域に指定されて全村(民)避難となった。いるのは村民ではなくタイベック姿の除染作業員だ。嘉田代表が演説会場に選んだ村役場横の水田跡には、トンパックと呼ばれる「除染廃棄物容器」が幾何学模様を描いて並ぶ。黒く巨大なビニール袋が50mプールよりも広い場所にびっしりと敷き詰められた光景はグロテスクという他ない。
叩きつけるような雨のなか嘉田代表は訴えた―
「ふるさとを放射能で汚染され捨てざるを得なかった悔しさを未来の党は受け止めます。日本から原発をなくすため、選挙(遊説)は福島から始めました。未来の子供たちに安全な食べ物と大地を受け継いでゆきたい。(中略)鉛筆一本の勇気で『未来の党』と書いて下さい」。
嘉田代表が話し終えると、川俣町から演説を聞きに来たという女性(74歳)が「原発なくして下さい」と叫んだ。女性は事故前まで息子夫婦と孫の8人で暮らしていたが、息子夫婦と孫たちはよそに避難した。
「福島出身というだけで結婚できなくなる。人に言えない悲しみだ」。孫を手放さざるを得なくなった無念さを口にした。
同じく川俣町から足を運んだ男性(40代・会社員)は「原発は今となってはない方がいい。原発政策をどういう方向に進めてくれるかを聞きに来た」と話す。
地元飯舘村の男性(71歳)も息子夫婦、孫たちと離れ離れになった。「(嘉田代表が)飯舘村を(第一声の場所に)選んだのはいいことだ。この村で起きていることを全国の人に知ってもらえるから」。男性は期待を込めた。
「自・民・公」あるいは「自・維新」政権を期待するマスコミは、世論調査で「未来の党」の支持率を低くはじき出した。
だが原発を止めてほしいと願う有権者たちの多くは「未来の党」に願いを託す。子や孫の健康を脅かされた人々が投票所で意志表示する時、マスコミの世論調査とは真逆の数字が出るだろう。
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