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12月16日投開票の衆院解散総選挙を控え、原発政策が中心テーマに成りつつある。
自民党以外の主要政党は、濃淡は在れど、「脱原発」という点では足並みを揃えている。
本来、今後の原発政策の将来像は、危険性、経済性、エネルギー安保、使用済み燃料処理、潜在的核抑止力等についての利害得失を、時間を掛け数値を基に組み立てて冷静に判断すべき問題である。
しかしながら、そう成っていないのには、いわゆる「原子力村」とそれを取り巻く経済界等が福島第一原発事故について「天災説」の立場を取っている事に原因がある。
福島事故は、様々な段階で防ごうとすれば防げた「人災」事故である。
そして、人災であるからこそ、合理的で有効な事故対策を打て、原発継続の選択肢が生まれるのであって、「天災」であればそもそも事故の再発を防げない。
表立っては、「痛切な反省の上に立って」等々の謝罪の言葉は聞かれるが、本音では原子力村の住人の多くは「仕方がなかった、想定外だった」と天災説を取っている。
その表れとして原子力村は、一部各組織のトップが形式上更迭されただけで、殆ど実質的な責任を取っていない。
ここに、日本の原発世論の捩れの元がある。
このため、政府の発表する諸情報の信頼性と今後の安全体制が明確な責任原理によって担保されない事が、心情的なものを含め世論の多くを脱原発に向かわせている。
特に、全電源喪失対策と警告されていた大津波対策の不作為、原発規制行政の経産省傘下への移行改悪、福島事故処理での混乱した指揮と情報隠蔽が重大である。
最低限これらについて、当該政権、原子力安全委、経産省、資源エネルギー庁、旧原子力安全・保安院、東電の各責任当事者が、刑事、民事、及び政治責任を取る必要がある。
総選挙の趨勢は混沌度を増している。
各党は、原発維持、推進、脱原発に係わらず、事故責任追及に切り込む姿勢を明示し国民の審判を仰ぐべきだ。
如何なる政権となっても、今後の原発政策の未来像は、その前提の下に策定されなければならない。
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