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2012年11月29日 永田町異聞
小沢一郎が脱原発勢力の結集に向けて、滋賀県知事、嘉田由紀子を口説き落としたのがこのひと言だったという。
「嘉田さんが国のために動いてくれるなら、国民の生活が第一がなくなっても、自分が代表から降りてもいい」(産経)
多くの人が知っている通り、「日本未来の党」は、小沢という政治家がいなければ生まれなかった。
09年の政権交代も、93年の非自民連立政権誕生も、江藤淳が「構想力雲のごとき」と形容した小沢のひらめきと、分析、決断、行動力がなければ、なし得なかっただろう。
民も自も維新も、大飯で明らかなように原発再稼働を容認する政党だ。日本未来の党は「段階的に原発を減らして10年以内にゼロにする」という。脱原発に賛同する民意の受け皿として日本未来の党が明瞭に浮かび上がってきたことは間違いない。
この動きに嫌悪感を示しているのが読売と産経だ。
「国力を衰退させる脱原発を政治目標に掲げる政党に、日本の未来を託せない」(読売社説)
「脱原発を掲げる政党は理念ばかりが先行し、現実を見ていない。企業が上げる悲鳴に、逃げない答えを示すべきだ」(産経主張)
朝日はその意義について評価するが、小沢が水面下で動いたことは他紙と同様、気にくわぬらしい。マックスウエーバー流にいえば「それこそ政治のイロハもわきまえない未熟児」だろう。
政治的未熟児の論説はこうだ。
「ただ、気になる点もある。一つは小沢一郎氏の存在だ。自らの党の埋没に危機感を抱いていた小沢氏は選挙の顔として嘉田氏をかつぎ、生き残りのために結党をおぜんだてした。そうした見方があるのは事実だ。新党を作っては壊し、力を保ってきた小沢氏の政治スタイルが復活するようなら、脱原発も選挙むけの口実に終わる」(朝日社説)
未来の党への評価は異なるが、小沢に対する見方はいずこの大メディアも同じだ。
だが、09年の政権交代、93年の非自民連立政権誕生と政治改革は朝日の言う「小沢氏の政治スタイル」がつくり上げたものではなかったか。冷戦終焉後の世界の変化に対応するため、自民党長期政権にあぐらをかいてきた統治機構を改革しようともがき、試行錯誤する過程で、壊してはつくるという繰り返しになったのではないか。
どうやら、大メディアは日本の政治史に小沢が登場せず、自民党政権がつねに安泰であり続けていたほうがよかったようだ。
国有地を払い下げてもらい、再販制による新聞価格維持、テレビ電波、記者クラブ利権など甘い汁を吸いながら、旧態依然とした紙面をつくり続ける大新聞の記者諸氏には、壊す決断の難しさなど理解できないに違いない。
もし自民党に93年以降に生まれた政権交代の危機感がなかったら、もっと永田町、霞ヶ関の腐敗は進んでいただろうが、そんなことには一顧だにしない。
経済界も巻き込んで10年後の原発ゼロをめざすドイツを視察し、小沢は日本でも可能なはずだとの確かな手ごたえをつかんだ。選挙戦術としての脱原発という側面がないとはいえぬが、そのように選挙で国民に公約する内容を判断させていくのが民意の力である。
いずれにせよ、嘉田は小沢という政治力の担保があってこそ、新党の顔になる決断ができた。小沢は政治家としても環境社会学者としても芯の通った嘉田を押し立て、自らは裏方にまわることで、「卒原発」「脱原発」の旗を明確に掲げて選挙を戦うことができる。
土壇場になってこういう芸当のできる政治家は、やはりいまの日本には、他に見当たらない。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
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